アルカナ・ナラティブ/第11話/05

 眼前には俺に刃の鋒を向けた久留和がいた。
「落ちつけ、まずは落ち着け、話せばわかる」
 言いながら俺の頭によぎったのは一つの史実。『話せばわかる』と暴漢に諭した犬養毅は残念ながら暴漢に刺され帰らぬ人となっている。
 ……あれ、これって死亡フラグじゃね?
「どうしたどうした! 何があった!」
 俺の後方から声。横目で確認すると四塩先輩の姿。どうやら、この騒ぎを聞きつけて、女子の寝室からすっ飛んできたようだ。
「何があったのかは、俺も知りたい。これ、どういう状況に見える?」
「そうだな、来海ちゃんが翔馬に襲いかかろうとしている。そして、今は夏の夜。それらのことから導き出されるのは……え、まさか二時間サスペンスの収録中?」
 とんちきな解答に到達する四塩先輩。
「そういうジョークはいらないから」
「いや、戦場ではユーモアをなくした奴から死んでいくらしいぜ?」
「戦場というか、むしろ修羅場だけどな」
 俺は決して久留和から目を離すことはせず、四塩先輩の軽口に返答していく。
「うるさい、うるさい、うるさい! あなた達は何を言っていますの!? アタシを馬鹿にしてそんなに楽しいのですか!?」
 俺たちの態度が気に食わないらしい久留和は激昂。包丁を持つ手が震えていた。
 逆上している相手をどう諌めていいやら、俺は困っていた。
 相手は凶器を所持している。下手に突っ込んでいくわけにはいかない。かといって、説得を試みようにも相手が何を考えているのかわからない以上それも不可能。
「おいおい、騒がしいな。って、これは何事だ?」
 四塩先輩から遅れて、桑原氏もこの場に到着する。彼の傍らには藤堂先輩の姿もあった。
「アタシの不幸は全部あなたのせいですわ、瀬田翔馬! あなたさえいなければ、アタシはこんなに惨めな目に遭わなくても済みましたの!」
 もう何が何やらである。
 この場にいるメンバーは完全に混乱し、停止するしかない。
 たった一人を除いては。
 俺と久留和の間に、すうっ、と音もなく割って入る人物の影。
 藤堂先輩だった。
 藤堂先輩はちょうど俺に背を向ける形――つまり、久留和と面と向かっていた。
 藤堂先輩の頭は、半狂乱で刃を構える少女の方を真芯から捉えていた。
「お、おい、藤堂先輩! 危ないって!」
 大慌てで声をかけてみたものの、藤堂先輩は動じない。そもそも耳の聞こえない彼女に、そんな叫びは無意味だ。
「な、何なんですの! あなた、邪魔ですわ!」
 久留和は怒鳴りつける。その声は当然に無意味。
 やがて、藤堂先輩は静かに首を横に振った。
 ただ、それだけだった。
 それだけなのに、久留和はガタガタと震え始める。
「そんな目で見ないで! あ、アタシだって本当はこんなことをしたいんじゃありませんわ!」
 久留和の絶叫は、周囲の空気をビリビリと震わせる。
 読唇術を心得ている藤堂先輩も、彼女の言葉だけならわかっただろう。
 だけど、藤堂先輩は小揺るぎもしない。
 藤堂先輩は見るからに非力な人だ。体格は平均的な高校生に比べれば全く小柄。腕っ節だけなら、この場にいるメンバーでは誰にも勝てないに違いない。
 それなのに、彼女はきっとこの場の誰よりも弱くない。
 藤堂先輩は、この場にいる誰よりも勇敢に振舞っている。凶器を構える相手の眼前に、自らの意志で割って入るのだ。
「ははは、バカみたい。本当にバカみたい……」
 すっかり気力を削がれてしまったらしく、久留和の手から包丁がこぼれ落ちた。
 そんな彼女を、誰も取り押さえようとはしない。
 ただただ、呆然と立ち尽くすばかり。

   ◆

 久留和を含むメンバーは、夕食を囲んだテーブルに集まっていた。
 ちなみに、先ほどの一件で水橋先輩は最後まで眠りこけていた。どんだけ睡眠欲が旺盛なんだという話である。案外、水橋先輩は天然系なのかもしれない。
 久留和を警察につき出すのは簡単だった。しかし、俺としてはそれだと気持ちの収まりがつかない。
 そんなわけで無理を言って、まずは彼女の事情を知りたいと他のメンバーに頼み込んだ。腹違いとはいえ、一応、彼女は俺の妹なわけだし。
「んで、どうして久留和は俺に襲いかかってきたんだよ? 俺が悪かったなら素直に謝る。だから、ちゃんと事情を話してくれ」
 事情がわからない以上、いきなり怒鳴るのは最善手とは考え難い。相手に必要以上の警戒心を持たせないように配慮する。
 普通の人間なら、自分を襲いかかってきた相手に怒りや恐怖をあらわにする。
 しかし、ご安心ください。俺こと瀬田翔馬さんは、人から恨まれるのは慣れっこなのです。詐欺事件によって背負うことになったみんなの恨みに比べれば、久留和一人の殺意ぐらいどうということはない。
「ア、アタシは何一つとて間違ったことはしていませんわ」
「ほほう、それは包丁を持ち出して、人に構えた人間の台詞かい?」
 そう言ったのは四塩先輩。明らかに不快感を示していた。
「まあまあ、四塩先輩。そんなに怒らなくても。久留和も事情を話してくれるよな?」
 俺は四塩先輩をなだめつつ、話が進むように取り計らう。
「アタシは……アタシが不幸なのは、きっと瀬田翔馬のせいなのよ! 瀬田翔馬さえいなくなれば、アタシは幸せになれる! そうに違いありませんわ!」
「ん?」
 ちんぷんかんぷんな主張をし始める久留和に、俺は首を傾げる他ない。
「アタシがこれまでどれほど不幸な人生を歩んできたと思ってますの? アタシの母親は瀬田浩一郎を愛していましたわ! にもかかわらず、彼には母親の他にも別の女との間にも子供がいた! それがあなたです、瀬田翔馬!」
 久留和は、いきなりヘビー級のパンチを浴びせてくる。
 それに対しては申し開きのしようがない。
「結局、瀬田浩一郎はアタシの母でなく、あなたの母親を選んだ。アタシの母は瀬田浩一郎に捨てられましたわ。アタシを育ててくれた母は、いつも、いつも、いつも、いつも、アタシに対して汚泥のような恨み言を言い聞かせていました。もしも、あなたという存在がいなかったら瀬田浩一郎は自分を選んでいたはずだ、と」
 久留和の怒りはマグマとなって噴出する。
 彼女は続ける。
「アタシは、それこそ毎日、母親の負の感情のゴミ箱みたいに過ごしてきました。それだけじゃない! 小中学校時代は、アタシに父親がいないことを理由にイジメにあったりもしました! アタシの人生はアナタがいたせいで、最初からぐちゃぐちゃですわ!」
 人を死に至らしめる七つの大罪の一つに憤怒があるという。久留和の発狂具合を見ていると、それも成程と納得せざるをえない。
 深淵に片足どころか両足を突っ込んでいる話の内容に、みんな押し黙るしかない。そもそもの話として、これは家族間のごたごただ。進んで介入したがる人間もいまい。
 ところが――。
 バンッ!
 テーブルをけたたましく両手で叩いて話をぶった切る者がいた。
 それは藤堂先輩だった。
 久留和の正面に座っていた彼女は、普段の穏やかさから想像できない険しい表情を浮かべていた。
 俺は……いや、俺以外のメンバーも水橋先輩を除いてはみんな驚いていた。
 それぐらい藤堂先輩の表情は険しかった。
 藤堂先輩はスマホに文字を打ち込むと久留和に提示してきた。
 画面の内容を眺められる角度にいた俺も、それを確認する。
『甘ったれたことを言わないでください。久留和さんの言葉はすべて言い訳にすぎません』
 文面も、彼女の表情と同じく厳しいものだった。
 これに久留和はますます怒りの色を濃くしていく。
「あ、あなたにアタシの何がわかるって言いますの!?」
 一層激しい口調でまくし立てる。
 藤堂先輩は耳こそ聞こえないとしても、表情から彼女の怒りは容易に読み取れただろう。
 でも、藤堂先輩は一歩も引かない。
 それどころか、新たな言葉を紡ぎ上げる。
『自分が不幸だと嘆くことはまだ許せます。人間ならそういう時もあるでしょう。でも、それを人のせいにして自分で歩くのを放棄する人は許せません』
 文面を読んだ久留和が、藤堂先輩を睨みつける。
 藤堂先輩は視線をそらさない。それどころか久留和の瞳を真芯から捉えている。
 まるで真剣を以て抜刀しようとしている剣士が二人いるみたいな様相。
 なまくら刀しか持たない俺は、部屋の隅でガタガタ震えて神様にお祈りでもしていたい気分だ。
 数十秒に渡るにらみ合い。
「だったら、アタシはどうすればいいっていうのよ……」
 先に刃が折れたのは久留和の方だった。
 粗相を叱責された子供みたいに涙目になっていた。
 久留和とてわかっていたのだ。自分の行動が間違っていることぐらい。
 それでも彼女は自分の感情の置き所がわからなかったに違いない。
 俺はしばらく黙考し、
「だったら、いったん二人で話し合おう」
「二人で……ですの?」
 俺の提案に目を点にする久留和。
「ああそうだ。もし二人きりが不安だっていうなら、誰か立会人……そうだな藤堂先輩あたりに同伴してもらえばいい」
 俺から話を振られた藤堂先輩は、一瞬だけきょとんとした。
『まあ別に構いませんけど、本気ですか?』
「申し訳ないけど、お願いしたい」
 このまま久留和を放置するのは得策とは思えない。
 何を話すのかなんて決まっていないけど、膝を交えれば何か突破口があると信じたい。

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