アルカナ・ナラティブ/第11話/07

 新しい朝が来たからといって、それが希望の朝とは限らない。
 希望なんて狂人が口にするものさ。
 ……なんて、ハードボイルドを気取っても始まらないかもしれないが、今日のアルバイトもハードワークになるのは確定的。
 死ぬ気で働く前に、ちょっとぐらい気取ってみるのはありであろう。それぐらいの権利はあってしかるべき。
 中二病って言うな。中学時代は不登校時だったんだし、俺。
「いらっしゃいませ、おはようございます!」
 威勢のいい声で俺は開店を待ちわびていたお客様に挨拶。
 挨拶と清掃は客商売の基本なのだ。
 まだ朝も早いのに客入りは上々。この店には恵比寿様でも降りておられるのだろうか。
 ちなみに『えびす』という神様は蛭子とも書ける。蛭子はヒルコとも読めて、ヒルコとは日本神話でイザナギとイザナミによって捨てられてしまった子どもだ。
 忌み嫌われた蛭子が福の神である恵比寿になって舞い戻ってくる。これは小説や漫画で言ったら胸熱な展開ではないか。
 忌み嫌われる犯罪者だった俺としては、恵比寿様をお手本にしたい。
 例え、人生の始まりが暗いものであっても、いつかは誰かに幸せを届けられますように。
 というわけで、今日もサービスサービス!
 手早くお客様からオーダーを取ったり、注文の品を運んだりしていく。
 昨日の今日だが大体の容量は掴めた。
 仕事は覚えてしまうと楽しいものだ。
 問題があるとすれば、久留和が本日も接客業に向かない顔をしていた。
 本当に、どうしてこいつは占い師なんてできていたんだろう。顔を隠していたベールの存在が大きい気がしてならない。
 まあいいや。やる気のない奴にやる気を出させるのは俺の職務範囲外だ。
 久留和に関わって、仕事の効率が下がるのも癪だ。
 そういえば、今日遊びに来るらしい氷華梨とヒノエ先輩の到着は正午すぎらしい。
 もちろん俺には仕事があるわけだが、休憩時間を使ってちょっと波まで戯れることはできよう。
 思わず笑みが溢れますわい。
「なんですの、その表情は。気持ち悪いですわ」
 俺を見ながら不快げな顔で久留和が言ってくる。
「う、うるさい! スマイルは接客の基本だろう?」
 大慌てで表情をしゃっきりぽんとしたものへと修正させる俺。
「さて、どうかしら? アタシにはいやらしい顔にしか見えませんでしたわ」
「ぐぅ……」
 そう口に出しながらも、内心ではグウの音もでない。
 確かに俺の頭の中では薔薇色の世界が構築されていた。
 恋人との海辺といえば、きっと甘いイベントの宝庫に違いない。
 具体的には……どんなイベントがあるんだろう?
 だ、駄目だ。恋愛偏差値の低い俺では糖度の高いイベントすら妄想できない。
 妄想はタダなんだから、もっと働け俺のイマジネーション!
 むむう……。
 恋愛経験が浅い男子高校生の思考が薄っぺらいのはしかたない。きっとヘタレの俺のことだから大したイベントもなく終わるのは見えている。でも、今だけは夢が見たい。
 俺は遥か古代ギリシアの夢の神モルペウスに祈るがごとき心境だった。……そんなんだったら素直に恋愛の神様を崇めるのが筋なんだけど。
 なるほど、だから俺はダメなのか。
「おい瀬田君、ボーっとしてちゃいかんよ」
 俺が思索に耽っていると、店の奥から店主の激が飛んでくる。
 いかんいかん、ちょっと変な世界にトリップしていた。
 回るよ、回る、お客様は回る~。
 あまりのお客様の回転率の良さに、某名曲を替え歌にしてしまう。
 そんな感じに店は客入りのピークである昼食時を迎え、俺たちはそれを捌いていく。
 本当は少年漫画もかくやというチームワークを発揮したかったんだけど、久留和がいたんじゃ無理だよなあ。
 相変わらず、ふてくされた顔で仕事をする久留和。仕事はおろか、人生にすら面白みを見いだせていない様子だ。
 注文の品を客に出すのもぞんざいで、いつミスが起きても不思議ではない。
 そして、悪い予感に限って的中する。
「お待たせしました……あっ!」
 久留和は男性客に注文された炭酸飲料を席に置こうとした。
 しかしグラスが倒れ、中身は盛大にテーブルにぶちまけられる。
 しかも炭酸飲料はテーブルの上にあった携帯電話を見事に侵食する。
 あーあ、やっちまったな。
「何してやがる!」
 当然に怒り出すお客様。
 ここにきてようやく慌てふためく久留和。でももう遅い。
 グラスからこぼれたジュースを再びグラスに戻すことはできない。文字通り、覆水盆に返らず。
「おいおいお嬢ちゃん、何してくれてんの? んあ?」
 当然に久留和に食ってかかる男性。
 風貌からしてカタギとは思えない。切れ長の目つきに、下品なまでの金色に染められた髪。裏社会に片足を突っ込んでいるかもというのが俺の見立て。
 一応、子どもの頃からそういう人間を目にしてきたので高確率で的中しているはずだ。
 とはいえ、男性がその筋の人だったとしても下っ端なのだろう。どうにも風格というか風圧が感じられない。
 いわゆるチンピラというやつだ。
 そんな奴に限って他者への態度は威圧的なものになりがちだ。本当の大物なら、些細なことで喚いたりしない。
「え、いや、えっと……」
 男に恫喝されて、久留和は涙目だった。
 だけど、周りの連中は久留和に手を差し伸べようとしない。
 そこにはオーナーである桑原氏も含まれる。
 店で客が怒鳴り上げるのは店側からすれば好ましい状況ではない。さりとて、今回は久留和に問題があったわけで、仲裁する義理もない。
 それに、この一件は久留和にとっていい薬だ。仕事で手を抜くと、こういうことになるという教訓にもなる。
「おいおい、俺のケータイをどうしてくれるんだ? もし壊れてたら賠償してくれるのか? んあ?」
 怯える久留和に対して、男性客はより一層突っかかっていく。
「そ、それは……ケータイを机の上に出していたアナタが悪いんじゃありませんの? アタシは悪くないですわ……」
 震えた声ながらも、強気に出て行く久留和。
 ここまで反省心がないと逆に立派だが、尊敬はできない。関心はもっとできない。
 案の定、男性の手は拳を握り、震えていた。
「図に乗るなよ、このクソアマ!」
 勢い余って男性の拳はそのまま前方に繰り出される。
 そして、見事に顔にクリーンヒット。
「ぶべっ!」
 三下風味な呻き声で、殴られた側は後方に吹き飛ぶ。
 ただし、殴られたのは久留和ではなく、俺だったりする。
「んあ? おい兄ちゃん、何のつもりだ?」
 いきなり自らと久留和の間に割って入った俺に訝しげな眼差しを向ける男性客。
「イタた……。いや、今回は明らかにこちら側のミスですが、流石に女の子を殴るのはマズイでしょう?」
 頬を押さえながら、俺は言った。
「はあ、つまりお前はこのお嬢ちゃんを庇おうと? そこまでして格好つけたいんか?」
「そこまでは思ってないですけど、ほら、女の子に手を上げちゃうと、お客様の名誉に傷がつくかなって」
 俺はぎくしゃくとした笑みを浮かべてみせた。
 男性はきょとんとした顔。
 予想外の言葉を投げつけられて、逆に落ち着きを取り戻していた。
「あー、まあ、それもそうだな」
「ケータイ壊れてます?」
 被害状況を確認するために聞いてみた。
「とりあえず、動くから大丈夫みたいだな」
「そりゃなにより。注文の品はすぐにお取替えします」
 俺が言うと、男性客は、
「いや、結構だ。こんな店、二度と来ない!」
 怒声を張って、足早に店を後にする。
 代金はもらっていないが、この状況では無銭飲食だとは言えるわけもない。
「やれやれ、これに懲りたら、以後はちゃんとするように」
 俺は久留和に言ってやった。
 これぐらいで手打ちとしましょう。あの客のお代は久留和のバイト代から差っ引くという方向で桑原氏に話をつけよう。
 全てが丸く収まったかな、と思った。
 けれど、久留和の表情に平穏はない。
「最低……」
 それどころか、ギロリと俺を睨みつけてくる始末。
「最低、最低、最低、最低……!」
 大声で喚き散らすと、久留和が半泣きで店を飛び出していく。
 ……って、おいおい。
 あれ、もしかして職務放棄ですか? ただでさえ人手不足なのにどうやって店を回せと?

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