アルカナ・ナラティブ/第12話/02

 氷華梨にメールを送るとすれば、『生まれてきてごめんなさい』だろうか。
 そんなことを言っては、氷華梨の逆鱗に触れかねんな。
 俺が人間失格なのは仕方ないとして、そんな重みを氷華梨にぶちまけるのはためらわれる。
『今日は、俺に粗相があって申し訳なかった。我慢できなかったのは俺の弱さが招いたことなので反省している。もしもう一度、氷華梨のご両親に会えるチャンスがあるなら、今度は楽しい集まりにできるように努力する』
 というメールを送信してみたけれど、どうだろう。
 どっちにしろ重たい。もうちょっと軽い文章をつくりたいけど、これ以上の軽量化を図ると、今度は伝えたいことが焦点ボケする気がする。
『軽い』という言葉には、不真面目さみたいな意味合いも込められている。
 軽薄や軽率なんて単語もあるし。
 それでも『軽み』は俺にとっての憧れである。
 もしも携帯電話なら軽くて薄いというのは高品質の条件だ。
 だけど、そういう軽さ薄さを維持しながら、同時に機能や物自体の強度を確保するには高い技術が求められる。
 人としての成熟も、案外そんなもの。
 強くて多才で、それでいて人柄としては軽い。それって人間として一番魅力的なのではなかろうか。
 まあ、一足飛びにそんな人間にはなれるわけがない。軽さを突き詰めるためには相応の努力が必要だ。
 メールを送り脱力する俺だが、やるべきことは一杯ある。
 具体的には学校側から出された夏休みの課題とかな。
 机の上に積まれた未処理の問題集が、負債の山と化していた。
 いや、ここは逆に考えるんだ。これは負債ではなく、自分が賢くなるための絶好の機会なんだと! ……なんて考えられると人生楽しいよね。
 結局、その日のうちに氷華梨からの返信はなかった。
 そして次の日も。
 そのまた次の日も。
 これってもしかして俺、拒絶されています?
 いやいや、氷華梨を信じよう。心が乱れていてはどんな状況も地獄に映って見えるし、逆に心穏やかなら、どんな窮状もチャンスに見えてくるものだ。
 淡々と耐えるのはシンドいので、メール待ちの間は基本的に課題の処理に努めていた。おかげさまで、夏休みの課題が九割ほど終わってしまった。
 まあ、課題は基本的に教科書やネットで調べればどうにかなるからいいんですよ。
 氷華梨からメールが来ない理由は、ネット上のどこにも落ちていない。
 やっぱり、自分から動かないとダメかな。
 とはいえ、また氷華梨の家を訪ねてみるのは愚策な気がする。
 再び氷華梨の親御さんと揉めて終わりだろうな。いや、父親がいないであろう時間帯を狙えば、どうにかなるか?
 それを実現するためには氷華梨の父親がいない時間がいつかが問題だ。情報収集のためには、氷華梨に一報する必要がある。その連絡に対してレスポンスをもらえるだろうか。
 シンドイかな、それ。
 そもそも、平日の昼間は氷華梨も剣道部の方に出席しているはずだ。あの部は夏休みでも練習に努めているらしいから。
 ならば剣道部に突撃か。
 ……メールの返信がもらえないから直に会いにいく。
 重い男と思われないかしら、それ?
 いや、そんなこと知ったことか。だって、それはあくまで『自分が氷華梨に嫌われたくない』というエゴから出てきた考えだ。
 俺はどちらかというと氷華梨が心配なのだ。危機的な状況に巻き込まれていてメールが返せないのかもしれないではないか。

   ◆

 翌日。
 カノジョが心配な男子高校生が夏休みの学校に行ってみた。
 当然だけど制服には着替えての登校だ。私服だと学校の敷地内を徘徊しづらい。
 剣道部は体育館一階の小体育館で鍛錬を行っていると伝え聞く。
 まずは情報収集のために現場へ移動。その自然な挙動たるや、外国人が見たら『OH! ジャパニーズ・ニンジャ!』と驚嘆していただろう。
 ひっそりと小体育館を覗くと、すでに剣道部の練習が始まっていた。
 クソ暑い中で、女子剣道部の皆様は剣道着を羽織って素振りの真っ最中。
 全員が一糸乱れぬ動作で竹刀を振りかぶっては、振り下ろす。機敏な動作は、それだけで一つの芸術作品のようだ。
 何事も基礎ができていないと大成はできませんからなあ。
 けれど、それは長くは続かなかった。
「ストップ! 周防さん、何よそのやる気のない態度は!?」
 横一列に並んだ部員たちと対面する形で素振りしていた人物が、声を張り上げる。教師にしては顔立ちが幼いので、おそらく生徒なのだろう。
「はい、すいません!」
 叱責された氷華梨は素直に謝るが、俺には彼女の態度が不抜けているようには見えなかった。
 だというのに、女子生徒の顔は厳しい。
「ここ数ヶ月のあなたは本当にたるみきっているわ。やっぱりカレシができて弛んでいるじゃないの?」
 ねちねちと、嫌味な言い方で女子生徒が氷華梨を責める。
 それだけでも俺の苛立ちを掻き立てたが、これで終わりではなかった。
「本当にそれ! 周防さんマジ調子乗ってる」
「ていうか、そのカレシって犯罪者って噂があるんだけど、マジ引くし」
「もしかして、周防さんも裏ではロクでもないことしてるんじゃない?」
 剣道部のメンバーは、みんなして氷華梨を罵倒する。
 みるみるうちに俺から血の気が引いていく。
 どういうことだ、これは……。
 どうして氷華梨が、みんなから負の感情を向けられなければならない。
 ――いじめ。
 単純にして明快な言葉が脳裏によぎる。
 こちらからは氷華梨の後ろ姿しか見えず、表情までは窺えない。
 しかし、彼女は寂しそうに背を丸めていた。
「ごめんなさい」
 喉から絞り出すような声で、氷華梨は言った。
「はあ? 謝るってことは、私たちの質問を認めるってこと?」
「うわー、最悪! マジで周防さんのカレシって犯罪者なの?」
「気色ワル! そんな奴と付き合ってるなんて頭がおかしいんじゃない?」
 なおも凄惨な言葉が毒の花となって咲き乱れる。
 挙句の果てには、
「部長、はっきり言ってそんな人と一緒に部活なんてしたくありません!」
 と言う者まで現れる。
 最初に氷華梨を叱責した女子生徒は答える。
「という具合に、みんながあなたを嫌悪している。さあ、周防さんはどうするつもりかしら」
 陰湿な質問。言葉だけなら、氷華梨の判断に委ねているようでいて、その実はただの迫害だ。
「私は……」
 言葉を詰まらせる氷華梨。
 だけど周りは容赦しない。
「なによ、はっきり言いなさいよ!」
「ああもう、イライラする! 早く答えなさいよ!」
「もういいわよ、犯罪者のカレシのところにでも行けば?」
 小体育館に満ちるストレスが、俺のところまで伝播してくる。
 この状況、俺なら泣いて逃げている。
 逃げなければ、きっと精神が崩壊してしまう。
 氷華梨の父親に糾弾されたときも、いたたまれなくなって逃亡したな、俺。
 今になっても、あの時の自分が恥ずかしい。
 でも、それ以外にどんな手段が取れたというのだ。
 大丈夫、俺の行動はあの場合最善だった。
 むしろ、居残っていたら問題がこじれていたに違いない。
 俺は俺に必死になって言い訳を紡ぎ出す。
 だから、氷華梨――。
 お前もこんな地獄からは逃げてしまえ。
 それは決して恥ずかしいことではないんだ。
 ところが、俺の思惑とは別に氷華梨は淡々とした声で返すんだ。
「私は今日もここに残ります。さあ、部活を再開してください」
 丸まっていた背筋を伸ばす氷華梨。
 というか『今日も』って何だよ?
 もしかして、昨日もこんなやりとりがあったのか?
 いや、昨日だけじゃなく、一昨日も、その前もあったというのだろうか?
 その可能性は否定できない。
 だって、俺の過去バレがあったのは夏休み直前だ。
 今はもう八月に入っている。
 だったら氷華梨は、夏休みの部活の間、ずっとこんなところで耐え続けてきたというのか?
 湿気と熱気がこもる体育館一階で、俺は得体もしれない寒気を感じていた。
 悔しい。
 どうして氷華梨がこんな目に遭わなくてはいけないんだ。
 どうして俺は氷華梨の置かれた状況に気づいてやれなかった。
 どうして俺は氷華梨よりも心が弱い人間なんだ。

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