アルカナ・ナラティブ/第12話/05

 大江先輩が立ち去り、空になった氷華梨の席に腰掛ける。大江先輩がこの教室に来た理由がひらめくからと思ったからだ。
 けれど、天啓など降りてくるわけもない。
 試しに窓の外を眺めてみたが、変わったものが見えるでもない。
 大江先輩の内心が読めない。
 嫌っている相手の座席に、わざわざ腰掛ける心理とはなんだろう。
 そんなことをしていると、
「翔馬?」
 俺を呼ぶ声がした。
 不安げな声だったが、涼やかな音色だった。
 大慌てで声のした教室の出入口を見やった。
 そこには制服姿の氷華梨が立っていた。不思議そうに何度も目を瞬かせて、俺を見つめている。
「えーっと、こんなところで会うとは奇遇だな」
 やましさから声が上ずる俺。だって今日の俺は、氷華梨の日常を盗み見るために学校に来たのだから。
「こんなところで何してるの?」
 首を傾げる氷華梨。大ピンチの俺。
 氷華梨には嘘など通じない。そもそも彼女に嘘をつきたくもない。
「これはだね、いや、何というか……困った」
 俺は悄気返る。後ろめたさと夏の暑さが混ざり合って、思考する気にもなれない。
「そっか……困っちゃうんだ。もしかして、私に会いたくなかった?」
 寂しそうに氷華梨が聞いてくる。
「違う、そんなことはない。会いたかった。氷華梨とちゃんと話がしたかった」
 紛れもない本心を告げながら、同時に俺は怯えていた。
 先日の氷華梨の父親に言われた数々の罵倒を思い出していたのだ。
「ダウトじゃなくて安心した。ねえ翔馬、隣に座っていい?」
「問題ないよ」
 俺の言葉を聞くと、氷華梨は隣の席の椅子を俺の横に並べ腰掛ける。
 それだけでなく、俺の肩に頭を乗せてくる。
 あまりに積極的な行動に、ヘタレ男子高校生は一瞬だけ視界が白黒反転する思いだった。
「なあ氷華梨、俺とくっついて暑くない?」
「うん、ちょっとね。でも、こうしているとすごく幸せ。夏の熱気よりも、翔馬の体温の方が私にはずっと大切なの」
 俺の隣では、氷華梨の笑顔が咲き誇っていた。
 俺は困り果てていた。
 微笑む氷華梨ではあったが、その頬には一筋の涙が流れていた。
 俺はそっと、指で拭った。
「ごめんなさい」
 言ったのは氷華梨の方だった。
「お前が俺に悪いことでもしたのか?」
「いっぱいしたよ。私が翔馬をお父さんに会わせたせいであなたを傷つけた。それなのに、すぐに謝ることができなかった。だからごめんなさい」
「心配御無用。カノジョからの連絡が来ないのも恋愛のスパイスさ。……結構寂しかったけどね」
「実は、お父さんに携帯電話を取り上げられちゃった」
「そこまで氷華梨のお父上は俺を嫌っているのかね」
「というより、お父さんは詐欺というものにトラウマあって、それで」
「……まさか、氷華梨のお父さんは詐欺の被害に遭ったことがあるとか?」
「当たらずとも遠からず。被害に遭ったのはお父さんのお母さん、つまり私のお婆ちゃんなの。二年くらい前に、振り込め詐欺の被害に遭って、長い間、塞ぎ込むようになっちゃったの」
「そりゃ俺を嫌悪してもしょうがないな」
 二年くらい前なら、既に俺は警察に捕まって詐欺からは足を洗っていた。だから、氷華梨のお婆さんが俺の直接の被害者ではないはずだ。とはいえ、氷華梨の父親の詐欺への憎しみを焚きつけるに足る出来事だ。
「だから私はお父さんに何も言い返せなかった」
「そんなこと気にするな。それはお前にとって父親も大切な存在だったってだけだ。大切にしたくなる親御さんがいるってのは、実はべらぼうに恵まれてることなんだぜ?」
 いやはや、思春期の娘さんに気をかけてもらえるなんて、氷華梨の父親は果報者ですわ。
「そうだね……翔馬が言うと、言葉の重みが違うね」
「俺には叔父さんと叔母さんがいるので問題はないけどな。親子関係だけが家族関係ではないのだよ」
 俺はぽんぽんと氷華梨の頭を撫でてみた。
 艶やかな黒髪の触り心地が気持ちいい。
 とはいえ、氷華梨としてはやましさを感じているんだろうな。
 だったら、これが追い打ちチャンスかもしれない。
「ところで氷華梨、お前と大江先輩はどういうご関係だ?」
 人間は、自分に後ろめたいことがあるときは必要以上にものを喋りたがるものだ。
 相手の弱みにつけこむようで心が痛むが、この機会は逃せない。
「もしかして翔馬、最近、剣道部を覗きに来たことがある?」
 バツの悪そうな顔の氷華梨。
「ごめん」
 今度は俺が謝る番だった。
「ハハハ、酷いな翔馬。親しき仲にも礼儀ありっていうじゃない」
 氷華梨の乾いた笑い声が俺の胸に突き刺さる。
「ごめん」
 二度目の謝罪。
 自分から話を切り出しておいて謝るしかないあたり、俺ってダメ男だな。
「嫌なところ、見られちゃったかな?」
「カレシとはしては非常に不愉快な現場を目撃した。銃火器を持っていたら乱射していた」
「嘘じゃないあたり、かなり怖い発言だね」
「恋は人を狂気に掻き立てるものなのですよ、氷華梨。だから、お前と大江先輩の間に何があったのか白状してくれないと、俺は何をするかわかりません」
 もはや脅しだった。
 氷華梨は俺を拒絶しようとしない。それどころか、ぎゅっと俺の制服を掴んできた。
 彼女の手は、小刻みに震えていた。
 だから、俺は自分の手を、そっと彼女に添えた。
 こうするのが一番だと思った。これ以上の回答なんて俺は知らない。
「あの人は……私の中学時代の剣道部の先輩でもあるの。かなり前に話したの、覚えているかな。私が中学時代の剣道部でやらかしたこと」
「確か、上の大会への出場枠をかけた戦いで、わざと先輩に勝たせたんだっけ? そのせいでその先輩が部活に来なくなっちゃった」
「うん、それが大江先輩なの」
「つまり、あの人の氷華梨いじめはそのときの腹いせというわけか」
「……違う! 先輩はそんな人じゃない!」
「へえ、でもあの人は白状したぜ? 今の氷華梨が部内でいびられているのは自分の差金だって」
「でも、それはきっと私にも非があるからだよ。魔法でも使えない限り、完璧に他の人の人身を掌握できるわけではないんだし」
「いいや、それはない。だって、大江先輩は魔法を使って氷華梨を吊るし上げていたんだから」
「魔法って……え、まさか……」
「あの人もアルカナ使いだったんだよ。対応しているアルカナは【吊し男】で、使える魔法は『特定の相手を吊るし上げる』だとさ。本人に聞いたんだから間違いない」
 氷華梨には残酷な真実かもしれないが、黙っていてもしょうがない。
 なのに、氷華梨は案外けろっとしていた。
「そっか、それならあんなに正面切っての罵声も納得。ねえ翔馬、本当のいじめってね、あんなに面と向かって相手にかかってこないんだよ? 少なくとも中学時代の人たちはそうだった」
 氷華梨は穏やかな顔で言ってきた。
 俺は……そんな彼女の態度が無性に気に食わなかった。
「お前、どうしてそんな顔で言えるんだよ。お前は被害者だろ? もっと相手を憎むような表情もできるだろう? それとも何か? いじめられる側にも問題があるとか言っちゃうのかよ?」
「それはわからない。でも……もうどうでもいいよ」
「どうでもよくない! それでお前はどれだけ傷ついた!? お前はそのせいで腕を切り続けたんだろう!?」
 俺は、勢いに任せて氷華梨の左腕を握っていた。
「ハハハ、痛いよ翔馬」
 氷華梨はやっぱり穏やかなもので、俺としてもうどうすればいいかわからなかった。
 とりあえず、彼女の手首を解放するしかない。
「大丈夫だよ、新入生歓迎キャンプ以来、私は自分を傷つけたりしていないから」
「本当に?」
「本当に本当。信じられない?」
「だって、お前ってたまに凄く強がるじゃん」
「そうかな……そうかも。だったら、これでどう?」
 氷華梨は自身の手首を隠していたリストバンドを取り外した。
 そこには無数の切り傷の跡。
 でも、それらは古い傷にしか見えない。最近できたと思わしきものはない。
「うーん、やっぱり酷いね、これ。人に見られるのは辛いや。好きな相手なら尚のこと辛いよ。私から告白しておいてこんなこと言うのも変だけど、私みたいなのと付き合う翔馬って変わり者かも」
 氷華梨にしては、挑発するような発言だ。
 これには流石の俺もご立腹。
 嫌がらせの意味を込めて、再度氷華梨の腕を握った。
 そして、彼女の傷だらけの手首に口づけを落とす。
「え、えっと……翔馬、これはどういう意味?」
 大混乱の氷華梨。
 俺はざまあみろとあざ笑うと、芝居がかった調子で、
「手の上なら尊敬のキス
 額の上なら友情のキス
 頬の上なら満足感のキス
 唇の上なら愛情のキス
 閉じた目の上なら憧憬のキス
 掌の上なら懇願のキス
 腕と首なら欲望のキス
 ――では、それ以外のキスはなーんだ?」
 俺の問いに、氷華梨は目をぱちくりさせるだけ。
 なので俺は言ってやった。
「それ以外のキスは、みな狂気の沙汰だ。こんな奴と付き合うことになった自分の悲運を嘆くがいいさ」
 とかなんとか言いながら、俺としては顔から火がでそうだった。
 氷華梨は困ったように右手で頬を掻いていた。
「ところで氷華梨、俺らって交際するにあたって一つルールを作ったよな?」
 俺は氷華梨にと確認を試みる。
「そうだね……お互いに困ったことがあったら相談する――だよね」
 氷華梨は俺から視線を外しながら答える。
「剣道部のみんなから虐げられる。これは氷華梨としては十分に困ることだと思うわけだよ。それを教えてくれなかったのは、俺としてはかなり悲しい」
 もっともいじめ被害者は、自分がいじめ被害者であるのを相談したがらない場合も多いと聞く。
 彼女を責めるのは酷かもしれない。
「それなら大丈夫、問題への対処法は一つしかないから」
「ほほう、ぜひ聞かせておらおう」
「私が我慢すればいい。この件はね、私の方にも非があるの。というわけで、私が耐え忍ぶのが一番穏便な解決方法――」
「んなわけあるか!」
 このお嬢さんはまだそんな手ぬるいことを言うのか?
「翔馬が心配してくれる気持ちはわかる。でも、本当に大丈夫だから。それにこれは私一人の問題じゃないから」
「……もしかして、お前、この件について重要なことを隠しているだろう?」
「そ、そんなことはないよ?」
 氷華梨の目が右往左往に泳いでみせる。
 こういう場合は、こう言うしかあるまい。
「――ダウト!」
 氷華梨専用のセリフを強奪してみせた。
「はうう……」
 図星だったらしい氷華梨。
「ったくしょうがないな。お前が言えないなら、ここは知恵比べといこうか」
「というと?」
「氷華梨が言えないなら、その謎は俺が解き明かそう。それだったらカレシがしつこく詮索してきただけだから、大江先輩に言い訳もできるだろう?」
「うん、そだね」
 氷華梨の全身から緊張がほぐれているのが見て取れた。
 とあればやっぱりここは情報収集からかな。

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