アルカナ・ナラティブ/第12話/08

 大江先輩と正面切って対峙する。傍から剣道の試合を見るとの自分がプレイヤーになるのはやっぱり違うものだ。それこそ異世界に迷い込んだかのような緊張と恐怖が俺を支配する。
 ちょっとでもスキを晒そうものなら、一気に踏み込まれて試合終了だ。
 この日が剣道初体験の俺に、相手を威圧するだけの余裕はない。
「大江さん頑張って! 相手はビビってるよ!」
 周りの取り巻きの一人が言った。
 まったくもって正しい指摘。
 だけど、その声のせいで大江先輩は逆に困惑の色を深める。俺は時間稼ぎのためにズルをしているのだから。
 竹刀を構えた瞬間から、俺は魔法【レンチキュラー】を発動していた。
 大江先輩は、俺の姿を誤認している真っ最中のはずだ。
 別の誰かであるかのように錯覚させたのではない。
 彼女はあくまで目の前の敵対者の姿を瀬田翔馬と認識している。ただしそれは怯えている瀬田翔馬ではない。悠然と春の微風の中に佇むような姿に見えるように操作している。
 大江先輩以外の人間は今の俺がスキだらけに見えるが、大江先輩には不気味な余裕を放つ相手に見える。
 認識の齟齬は、大江先輩の重荷になること間違いなし。
 事実として、大江先輩は俺に対しての踏み込みを躊躇っている。
 掴みは上々。相変わらず相手を騙すのは頭が痛むが、言葉で相手を騙しているわけでないので軽度の症状で済んでいる。
 さりとて、こんな詐術は決定打にはなりえない。いざ大江先輩の剣技が炸裂したら俺の必敗。そうなる前に彼女から価値を強奪する必要がある。
 俺はじりじりと足を横に滑らせていく。
 現在の俺は氷華梨を背にする形で立っている。逆を言えば、大江先輩の正面に氷華梨がいる形だ。
 あいにくと俺は恋人に背中で語れる人間ではない。……哀愁は漂っているかもしれないけど。
【レンチキュラー】を展開しつつ、大江先輩に回り込む形で少しずつ移動する。
 俺に背を取られるわけにはいかない相手は、それに合わせて位置を変えていく。大江先輩の足さばきは素人目に見ても優雅なものだった。
 淀みなんてなく、スキが生じるわけもない。
 どうにかして彼女にスキを作らなくてはならない。
 爆弾処理をするかのように足を運ぶのは正直シンドイ。
「なあ、大江先輩。面白い話をしてやろう」
 会話を切り出したのは俺の方。
 剣道の試合中に、無駄話を切り出すなど言語道断。正規の剣道家なら絶対にありえない。
 大江先輩は一瞬眉をしかめるが、それだけだ。
 それしきのことでスキは生まれない。
 構わない。俺は話を続ける。
「俺が以前プレイしたRPGに使いどころが難しいアビリティ、つまり能力があったんだ」
 ぴくりと彼女の顔が痙攣。
 おそらくは『能力』という単語に反応したのだろう。
 そうであること信じて、俺は更に話を進める。
「アビリティの名前は【リプレイス】っていうんだ。これを使うと、術者は対象と自分の位置を入れ替えることができる。一種の魔法みたいなもんさ」
 大江先輩の肩に一瞬だけ力が入る。
「ところでさあ、実際にそんな魔法が使える奴がいたら、大江先輩はどうする?」
 これに大江先輩はひどく慌てた様子だ。
 ここで、俺は一瞬だけ視線を大江先輩からずらしてみせた。
 そこには氷華梨の姿があった。
 徐々に立ち位置をずらしていった結果、俺と大江先輩は一八〇度反転する形になっていたのだ。
 俺は、わざとらしく氷華梨に小さく頷いてみせる。
 ……が、当然に氷華梨は何かできるわけがない。それどころか、不思議そうに目をしばたかせるしかない。
 もっとも、氷華梨を背にした大江先輩は氷華梨の困惑を確認しようがないわけで。
「まさか……!」
 大慌ての大江先輩は、俺に向かって突進してくる。
 振りかぶった竹刀がまさに俺を捉えようと牙を剥くがもう遅い。
【レンチキュラー】の内容を変更。
 今度は大江先輩に俺が氷華梨であるかのように錯覚させた。
 その瞬間、大江先輩の竹刀の軌跡に無理矢理な形で修正が入る。
 大江先輩は目の前の相手に竹刀が命中しないように軌道をずらしたのだ。
 彼女は自身の背後を大慌てで確認。
 でも、そこには本物の氷華梨がいるだけ。
 俺と氷華梨の位置が入れ替わったとでも思いました? そんな魔法が現実にあるわけないだろう、バーカ。
 大江先輩の動きはフリーズするしかない。いや、ハングアップと言った方が適切かな?
 俺は自分に背を向けた敵のスキを見逃さない。
「ばーん!」
 スキだらけの相手の後頭部に俺は竹刀で一撃を浴びせる。ただし、紳士的に軽く小突く程度の力加減で。
 叩かれた衝撃で大江先輩は俺に顔を向けるが、全ては後の祭り。
「あ、あなた……!」
 大江先輩は鬼の形相。
「どうした? 一撃は一撃だ。ちなみに俺は何一つ嘘を言っていない」
「な……! だって、あなたはさっき場所を入れ替える魔法がどうだとか……」
「それが何? 俺は昔のゲームにそんなアビリティがあったと言っただけさ。現実の誰かがそれを使えるとは一言も触れていない」
「そんなの詐欺よ! 許せない! やっぱりあなたは根っからの犯罪者よ!」
 真っ向から俺を糾弾してくる大江先輩。
 心がズキズキするがここは我慢。
「痛み入るお言葉だね。でも、仮に俺と周防の位置が入れ替わったらどうだっていうんだよ? あんたはあのまま竹刀を振り下ろせばいいだけの話だ。あんな無茶苦茶なそらし方をする必要はない」
「そ、それは……」
 悲痛そうに大江先輩は一歩後ろずさる。
「大江先輩は氷華梨が大嫌いなんだろう? だったら、そんな相手に一撃を浴びせられる絶好のチャンスじゃないか。言っていることとやっていることがおかしいぜ」
「はう……」
 邪悪に目を細める詐欺師と、泣き寝入りするしかない被害者の構図。
 足を洗ったつもりで、やっぱり俺は悪人だ。でも、そんなこと知ったことか。
 氷華梨のためならば、地獄にだって落ちてやる。獄卒の鬼だろうと、閻魔大王だろうと、舌先三寸で欺いてやる。
「さて、どうする大江先輩? もしもここで真実を明かされたくなければ、誰もいないところで場所を移動だ。ただし、氷華梨にはきっちりと謝ってもらうけどな」
 再度、大江先輩は氷華梨を見るために振り向いた。
 その後ろ姿は儚げで、俺の罪悪感を幾ばくか増大させた。
 氷華梨は、困ったように頬を掻いていた。
 やっぱり、氷華梨はすべて知っていたのだ。大江先輩が氷華梨を部活から排除しようとした理由も、大江先輩の報われない想いも。
 何もかも知った上で、ずっと氷華梨は耐えてきたのだ。

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