アルカナ・ナラティブ/第13話/05

 問題は布団だった。
 この部屋には布団が一人分しか置かれていない。四塩先輩が一人暮らしならば仕方ないことではあるが、二人きりの夜を過ごす恋人たちには大問題だ。
「これ、どっちが使おうか?」
 氷華梨が難しそうな顔をする。
 一枚しかない布団をはさんで、俺たちは途方にくれていた。
 どちらが布団を使うべきか、それが問題だ。
 こういう場合はレディに譲るのが紳士たるものの義務である。
 さりとて氷華梨は家出に巻き込んだのは自分なのだから俺に使って欲しいと言ってくる。
 譲り合いの精神が、逆にお互いの首を絞めている。
 ならば、じゃんけんで決めるのが妥当だろうか。
 いや、俺か氷華梨かのどちらかしか布団を使えないというのは視野が狭すぎる。
 二人で一枚の布団を使うという手もなくはない。なくはないが……。
 正直に言おう。そんなことをして自分の理性を抑えられる自信はない。思春期男子を甘く見てはいけない。
 これは優柔不断ではない。理性と情熱の間で揺れているだけ。例えるなら、ハムレットみたいなものだ。
 考えなどというものは四分の一は知恵かもしれぬが四分の三は臆病にすぎぬ。
「……とりあえず、私、上着だけは着替えるね」
 言うと、氷華梨は部屋のタンスから四塩先輩の体操着を取り出す。日中に来ていたワンピースで寝るよりは何倍もマシだろう。
 俺はくるりと氷華梨に背を向ける。氷華梨の生着替えを目に焼き付けたい欲望を水際で封殺。
 今ここで氷華梨の下着姿なんて見てごらんなさい。今晩行われる俺の理性と本能の試合運びが大きく変化してしまう。
 今日の夜は静か過ぎて、背後で布が擦れる音がする。
 見えないことによって、逆に想像力が駆り立てられる。
「そ、そろそろ大丈夫でしょうか?」
 発声練習からのやり直しを検討すべきほどにヘタレた声で聞いてみた。
「うん、もう着替え終わった」
 氷華梨の返答を確認すると、俺は身体を一八〇度回転させて座りなおす。
 よくぞ耐えた俺の理性。
 こんなにも自分で自分を褒めてあげたいのは生まれて初めてかもしれない。
 ……と普通は思うじゃん?
 けれど、体操服姿で恥じらう氷華梨がいるわけで。
「参りました」
 投了を悟った棋士のごとく潔く、俺は頭を下げていた。
「……何が?」
 氷華梨は虚を突かれたような声を上げる。
 くそ、現役男子高校生の俺が、現役女子校生の体操服姿にパンチアウトされるとは。
 体育の授業で見る体操着と、一つ屋根の下で過ごす夜の体操着は別物だった。
「布団は氷華梨がお使い下さい。俺ごとき下賎なものは部屋の隅で一人、花いちもんめでも歌って夜を過ごすのがふさわしいかと」
「意味がわからなくて怖いからやめてほしい」
 ドン引きする我がカノジョ。
 しばらく考え込んで氷華梨は聞いてくる。
「もしかして、私と一緒にいたくない?」
 悲しそうに言ってくるが、俺にどうしろと?
「そんなことはない!」
 と答えるしかないですよね。嘘をつきたくないし、そもそも氷華梨に嘘は無意味だし。
「だったらどうして……と聞くのは無粋だよね」
 途方に暮れるのは氷華梨も同じであった。
「俺が男で、お前が女である以上は避けられない問題かと」
 俺の言葉に氷華梨は視線を右往左往させる。
 長い長い思案と懸案の末、彼女はやがて一つの提案を口にする。
「一緒にお布団を使いましょう」
 うつむきながら、手を震わせながら、一生懸命言ってくる氷華梨。
 これを断れる男っているの?
 もしもネットの知恵袋サイトに質問を投稿して、ベストアンサーを返せる奴がいたら、そいつは神だ。この世界を創りたもうたのもそいつの仕業に違いない。
「俺は自分の自制心を信じられないわけだが?」
 ごまかしてもしょうがない。素直な気持ちを吐き出した。
 けれど、氷華梨は覚悟を完了した笑顔で言うんだ。
「私は翔馬を信じる」
 信じられたッ!?
 もう普通に頭を下げても意味がない。五体投地ぐらいの信心が必要だ。
「んー、じゃあ、一緒に布団を使おうか」
 拝啓、叔父さん。もしかしたら、今晩俺はとんでもないことを致すかもしれません。先走る不幸をお許し下さい。
 でも、本当に何かあったときのためにこれだけは言わせてください。
 俺は悪くねぇ!
 だったら何が悪いのかと問われれば、運とか星の巡り合わせが悪い。
 部屋の明かりを常夜灯にし、もったりとした動きで俺たちは布団に横になる。
 わあ、お布団がふかふかでゆったりできる! ……わけがない。
 隣で眠ろうとしている氷華梨が横目に入ってくる。彼女の呼吸音と時計の秒針が進む音が混ざり合ってカオスである。
 どうやったら心を安らかにできるであろう。羊を数えるか、素数を数えるか、天井のシミの数を数えるか。
 ふ、ははは、駄目だ。百まで数えられる余裕なんてない。
「氷華梨、俺にお話をさせてくれないか?」
 黙っていては頭を冷却できないと判断。
「うん、いいよ。実は私もそわそわしてた」
 超近接で、俺と氷華梨の目があった。常夜灯に光を彼女の瞳が反射していた。
 氷華梨の同意を得たところで、寝る前のお話タイムのはじまりはじまり。
「実は俺には、このアパートで一つ気がかりなことがある」
「……んっと、家賃とか?」
 随分と現実的だな。女子の方が金銭感覚はしっかりしているものなのだろうか。
「違う、二階に上がってくる階段だよ」
「確かにところどころ錆びてて、危ない感じだったよね」
「もっと他に問題がある。あの階段は段数が危ない」
「……え?」
「あの階段の数は、数えたところでは十二段。アパートの二階部分も合わせると十三段となる。ところで西洋では十三という数字は不吉なものとされている。どうしてだと思う?」
「色々な説があるよね、それ。キリストを裏切ったユダが十三番目の使徒だったとかが一番有名かな」
「それにちなんでなのか、絞首台の段数は俗に十三段だと言われている」
「へ、へえ、翔馬は物知りだね」
 言いながら氷華梨は俺からそっと目を逸らす。
 彼女の背中は震えていた。
 しかし、俺は話を続ける。
「十三と言えば、この部屋に関して重要な事実がある」
「ないよ。そんなものはないよ」
 胎児のように背中を始める氷華梨。
「四塩先輩を思い出してみろよ、あの人は何のタロットのアルカナ使いだ?」
「忘れちゃった! だから、この話はやめましょう?」
 氷華梨の拒絶を、更に拒絶して俺は話を強行する。
「四塩先輩のアルカナは【死神】――そして、カードナンバーは十三だ。だから思うんだけど、もしかしてこの部屋には霊的によくないものが集まってくるんじゃないのかな? ほら、そう考えると天井のあのシミも心なしか人間の顔に見えないか?」
「見えない! 見えません!」
 負担の凛とした態度はもはや氷華梨には無かった。大声を上げて耳を塞ぐ彼女は幼児退行を起こしていた。
 せっかくなので俺は上体を少し起こし、彼女の耳を覆う手に息を吹きかけてみた。
「もう……ふざけないでよ」
 これにはご立腹らしい氷華梨は、厳しい眼差しで俺に顔を向けてきた。
 だけど、彼女の瞳には俺の姿は映っていない。
 魔法【レンチキュラー】を無駄遣いして、自分の存在を四塩先輩に見えるように氷華梨の認識を歪める。
「キャァァァッッッ!!!」
 氷華梨の口腔から盛大な悲鳴が絞り出された。
 ……やりすぎた。
「冗談だよ、冗談。本当は俺でした」
 魔法を解除して氷華梨をなだめる。
「ばか、バカ、馬鹿!」
 氷華梨が泣き出しそうな顔で、ポカポカと俺を叩いてきた。
「おっしゃる通りで」
 申し開きのしようがない。
 やがて落ち着きを取り戻した氷華梨は、俺に抱きついてきた。
 そして、言う。
「でも、ちょっと安心した」
「……どこら辺に?」
「タチが悪いとは言え、翔馬が冗談で人を騙せるようになったことに。何というか、私は翔馬が嘘を付けるほどには心を許せる存在になれていたのかなって」
「あー、そういえば……」
 言われてみれば、嘘をついたというのに頭痛がしない。
 これは大きな変化だな。
「でも、さっきみたいな話はよくない。怪談話は変なものを呼び寄せるらしいよ」
 氷華梨の忠告に、俺は溜息をつく。
「まさか。あんな話で何かが起きるわけが……」
 俺がそこまで言ったときだった。
 玄関の方から、恐ろしい勢いで階段を駆け上がる足元があった。足音は部屋の前でぴたりと止み、次にドアを激しく叩く音に変換される。
 ……え?
 俺の血が凍りついた。俺の怪談もどきが何かを呼び寄せた?
 いやいや、悲鳴を聞きつけた近隣住民が駆けつけてしまっただけじゃないかな?
 とか思っていたが、ドアの向こう側からは、
「おにいちゃん! おにいちゃん! あけて! あけて!」
 ん?
 どういうことだ?
 この部屋の住人である四塩先輩は美麗なお姉さんであって『おにいちゃん』は見えないはず。先ほどの悲鳴も氷華梨が上げたわけで、男のものに聞こえるわけがない。
 やがてドアを叩く音が一時的に止む。
 しかし、それが終わりではない。
 ガチャリ、とドアが開錠される音。
「ひぃっ!」
 悲鳴を上げて、より一層強く俺を抱きしめる氷華梨。
 ははは、これは俺が責任を取るべきですわ。
 ドアが開けられる音。
 ドアの向こう側には死神の姿があった。
 いや、正確に言うなら【死神】のアルカナ使いの姿があった。
 ついでにもう一人、見覚えのある少女も立っていた。アパートの通路の蛍光灯に照らされて、顔がくっきりと判別できた。
「どうしてお前がここに?」
 俺はもう一人の少女、久留和来海に問いかける。
「質問に質問で返したいのですが、どうしてお兄ちゃんは同じ布団で周防さんと抱き合っているのかしら?」
 久留和は目を半開きにして、口元をひくつかせていた。
 怪談話は魑魅魍魎以上によくないものを呼び寄せてしまったようだ。

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