アルカナ・ナラティブ/第13話/06

「今晩はお楽しみでしたか?」
 久留和の詰問を、俺と氷華梨は正座しながら受けていた。
 久留和の眼差しは極寒で、体温が二度ほどは下がる思いだ。エアコンのないこの部屋で涼がとれるのに、ありがたさは無添加だった。
「ええ、お楽しみでしたとも! 氷華梨と一緒にいて退屈しなかったね!」
 威風堂々と返してみせる。
 久留和の言うところのお楽しみとは違うのは理解しつつ、充実した時間であったのは否定できない。
 だからこその、この回答。
 死亡フラグなのは百も承知。
 死ぬと分かっていても、自らの道を切り開こうとする俺ってばシャイニング。
「へえ、お兄ちゃんはずいぶんと不潔な人間だったのですね」
 ギロリと鋭くなる久留和の眼差し。こっちもこっちでシャイニング……ただし、ホラー映画的な意味で。
「久留和ちゃん、まずは落ち着こうや。お前ら本当に最後まで致しちゃったの?」
 救いの手を差し伸べてくる四塩先輩。彼女もまたシャイニング。後光が差しているという意味で。
「俺の言うお楽しみは、単純に充実した時間だったという意味だ」
「だってさ、久留和ちゃん」
 四塩先輩が誤解を解いてくれたおかげで、久留和の殺気が減衰していく。
「だったら、よしとしましょう」
 若干の不信感を残しながらも納得してくれた。
「んで、どうしてここに久留和がいるんだよ? 四塩先輩に頼まれて自殺企図者のカウンセリングに協力してたのは聞いてるけど……」
「カウンセリング後に四塩先輩からお兄ちゃんたちが、先輩の家で二人で過ごしていると聞いて慌てて駆け参じましたの」
「……なして?」
「自分のお兄ちゃんが、うっかり一夜の過ちを犯しかねない状況にあったら、助けるのが妹というものです」
 いや、それは世間では大きなお世話というんじゃないかな。
 と言おうとしてやめた。
 確かに久留和が来なかったら、氷華梨を襲っていたかもしれない。
 家出計画を切り出したのは氷華梨だったとしても、彼女のトラウマイベントを俺が作ってしまうわけにもいくまい。
「それにしても、久留和が四塩先輩の協力ってのは意外だな。自分の魔法を生かす場所を見つけられて俺は嬉しいよ」
「お、お兄ちゃんに褒められても別に嬉しくありませんわ」
 果たして久留和の台詞は本気なのかツンデレなのか。女心ってムズカシイ。
「いやいや、久留和ちゃんにはこの夏何度もお世話になってるよ。夏休みになって家に居場所がないって子は多いわけだ。そういう子は得てして家族関係に問題を抱えているからな。『家族力動がわかる』っていうのは大きなアドバンテージだ」
 四塩先輩は久留和と肩を組んで、豪快に笑う。
「暑いですわ」
「細かいことは気にするな」
 久留和から離れようとしない四塩先輩。
 久留和ってば、四塩先輩に愛されてるなあとしみじみとしてしまう。
 けれど。
「アタシに触れたり触れられるということがどういう意味か知ってますわよね」
「知ってるよ。家族力動がわかるんだろう?」
「あなたの場合、アタシに触れられると非常にマズイことになるのは御理解の上ですの?」
「もうお前さんにはバレちゃってるからしゃあなしだ。それとも、アタイの正体が嫌でもわかるってのがツラい?」
「どうでもいいですわ、あなたの正体なんて。誰かに話すつもりもありませんし」
 二人の意味深な会話。深く突っ込むべきだろうか。
 やめておこう。四塩先輩にも四塩先輩なりのコンプレックスがあるのだろう。それを詮索するのは道徳的によくない。
「今日も今日とて人助けしてきたんだったな」
「まあね。といっても、基本的には死にたい病にかかってる子の話を聞いて、必要なら児童相談所みたいな専門機関への連絡だな」
「そういう施設に連絡するのって、心理的に敷居が高くないか?」
「普通の人からすれば、電話するだけでもシンドイみたいだよな。でもまあ、アタイは魔法のせいで何人もの死にたがりの相手をしなくちゃいけないからさ。手段なんて選んでられなくなった」
「壮絶な話を、さらっと笑顔で言われると反応に困る」
「目をつむってくれ。というかさ、人間は手段を選べなくなるとものすごく成長できるぞ。割とマジで」
【死神】は朗々と語る。
「何度も何度も死にたいとか言い出している相手と話してシンドくない?」
「ぶっちゃけてしまうと、シンドさよりもイライラが大きい。せっかく生きてるんだから、生きればいいじゃない」
「相手の絶望に引きずられて、話を聞いてる側も落ち込んでくるとかはないのか?」
「ないといえば嘘になる」
「そんなとき、どんな風に気持ちを切り替えるのかが知りたいな」
 自殺企図まではいかずとも、俺とて気分が沈むときはある。死と向き合ってきた四塩先輩に意見を聞いておくのは、この先の人生で大きなヒントになる気がする。
「アタイが知ってる最強のおまじないを唱える」
「それは一体……」
 極めて非科学的な発想であっても、興味津々の俺。
 おまじないなんて、一歩間違えれば中二病か電波さん。けれど、四塩先輩の厳かさにはその手の痛々しさがない。
「ソーヴ・キ・プ――。これ以上に力強い言葉をアタイは知らないね」
「魔法の名前そのものじゃん。もっと意外性のある言葉が出てくると思ってた」
「甘いな。最強の言葉だからこそ、魔法の名前なんだよ」
 四塩先輩の言い分に、俺は反論できない。
「【ソーヴ・キ・プ】ってのは確か、フランス語だっけ? 前にネットで調べたよ」
「勉強熱心なことだ。『Sauve qui peut』は、海軍とかで『各艦艇自由に逃れよ』みたいな意味で使われる言葉だ」
「ちょっと聞いただけでは最強のおまじないに聞こえないわけだが? むしろ死にたがりを前に逃げちゃダメじゃないのか?」
「うん、アタイが逃げたらまずいわな。でもさ、死にたがりにとっては『ソーヴ・キ・プ』は途方もない魔法の言葉だよ。頑張って頑張り抜いた挙げ句の結果が絶望的だから死にたいって奴がいる。そんな奴は一言『逃げてもいいじゃん』って声をかけられるだけでも冷静さを取り戻せるものさ」
「もしも逃げた結果として、周りからの謗りや自己嫌悪が待っていたとしても?」
 かつて俺は自分の過去がクラスメイトにバレたときに、逃げるか否かを悩み抜いた。叔父夫婦や氷華梨の叱咤激励があって最終的に俺は逃げなかった。
 逃げなかったのを俺は正解だと思っている。あのとき逃げていたら、きっと後悔していた。
 逃げても問題が解決するとは限らない。むしろ問題が大きくなることだってある。
「逃げるってさ、基本的にネガティブな対処法だよな。それに比べて、敢然と立ち向かうことの格好良さったらないよな。でも、世の中には誰からの支援も受けられなくて、立ち向かうだけの力がない奴はいる。そんな奴に戦えって言っても犬死するだけだ。なら、いつか勝ちを掴み取るために、一時的に退却するのもありだろう?」
「曲なればすなわちまったし、か」
「逃げて恥を晒したとしても、そんなの死ぬよりはマシだとアタイは思うんだ。華麗に死ぬよりも無様に生きる方が何倍もいいに決まってる。昔の人の言葉には『好死は悪活に如かず』ってのもあるくらいだしな」
「そこまでいくと、逃げて生き延びるってのは厳しい選択でもあるんだな」
「おうよ。【ソーヴ・キ・プ】ってのは言い換えれば『生きられる者は全力で生きろ』って命令だ。生き延びた者には、這いずってでも生き延びる義務がある」
 優しく、そして、厳しく【死神】は生者の義務を語る。
 しかし。
 俺はどうなのだろう。
 詐欺師として人を騙して、死者まで出した人間は本当に生きるべきなのだろうか。
 生きることが命に課せられた義務だとしても、そこにしがみついてもいいのだろうか。
 お決まりの自己嫌悪と答えが出るはずのない思索。
 うだるような夏の夜に、解けない雪が心にしんしんと降り積もる。
「なーんか、メランコリーな顔してんな」
 四塩先輩が俺の顔を覗き込んでくる。
「あんたは、死にたいと思ったことはあるか? 生きていてもしょうがないと思ったことはあるか?」
【死神】に聞くようなことではないかもしれない。それでも聞かずにはいられない。
 これに四塩先輩は困ったように頭を掻いた。
「死にたいと思ったことよりも、生きたいと思ったことが多いから差し引きはゼロにしてるよ。生きている人間になりたいと思って、アタイは許されないことをした。だけど……うん、それこそソーヴ・キ・プって話だ。生き延びてしまったこともひっくるめてアタイの人生なんだ。だったら、生きられなかった奴の分まで生き続けるのがアタイに課せられた義務だと思ってる」
 四塩先輩にどんな過去があったのかは知らないけれど、淡々とした彼女の台詞には重たい迫力があった。
 わかったのは、誰もが重荷を背負って生きているということ。自分だけが特別だと考えるのは思い上がりも甚だしいのだろう。

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