アルカナ・ナラティブ/第13話/08

 俺たち四人は、四塩先輩が手配したタクシーに乗って、氷華梨の祖母が運ばれた病院へ移動した。病院は市営の大規模な総合病院だった。現在朝の九時だというのに、院内は受診に訪れていた患者で混雑していた。
 氷華梨の祖母がいるという集中治療室まで早足で移動する。
 部屋の前では氷華梨の両親がいた。二人とも愕然とうなだれていた。
「お父さん、お母さん!」
 氷華梨が叫ぶ。
「氷華梨……」
 今まで行方不明だった娘の姿に、氷華梨の父親は少しだけ表情を明るくさせる。
「ごめんなさい……私……」
 父親に抱きつくと、力ない言葉で謝罪する氷華梨。
「ああ、よかった。お前は無事だったんだな」
 決して娘を責め立てる真似はせず、優しく受け入れる父親。
 そんな彼であったが、視線を上げると俺の姿を見つけてしまう。
 もはやここが修羅場になることは避けられない。
「貴様が何故ここにいる!?」
 怒鳴ると同時に、氷華梨を脇に除けて俺へと迫ってくる。
 血走った目は悪鬼羅刹。
 言葉より早く、彼の拳が俺の頬を打ち付ける。
 鈍い痛みが俺を突き刺し、俺は後方へと倒れこむ。
 氷華梨の父親は俺に馬乗りになって、襟首を掴んでくる。
「貴様さえいなければこんなことにはならなかったんだ! 私は絶対に貴様を許さないぞ!」
 さらに拳を振りかぶってくる相手に、俺は抵抗できない。
 彼の言う通りだ。
 俺さえいなかったら、俺さえこの世に存在していなかったら、誰も不幸にはならなかった。
 誰かに息の根を止めてもらえるなら、これ以上幸せなことはない。
「やめてお父さん! 翔馬は悪くない! 悪いのは家出なんかした私なの!」
 泣き叫ぶような声を上げて、氷華梨は父親の腕を握り止める。
「手を放すんだ氷華梨。お前が許してもこの私がこいつを許さない。こいつは悪魔の化身に違いない! それでなければ、どうしてこんなことが起こった!?」
 散々な物言いだが、否定できない。
 悪魔の子は悪魔であり、ろくでなしの子供はろくでなし。
 当然の理屈だ。
「違う、翔馬は悪魔なんかじゃない! お父さんに翔馬の何がわかるの!?」
 もうぐちゃぐちゃだ。俺も氷華梨も、彼女の父親も誰も理性を保てていない。
「うひょ、これは地獄絵図だ。不肖ながら【死神】を自称するアタイもドン引きだわ」
 場の空気を無視したような四塩先輩の軽口。氷華梨の父親の糾弾するような視線が彼女に向かう。
「君は一体何者かね?」
「アタイはおたくの娘の家出の共犯者ですよ。具体的に言うと寝床を提供しました」
 飄々とした態度の四塩先輩に、氷華梨の父親は逆に何を言うべきか迷っていた。
「とりあえず、娘のカレシを解放してやってはどうですか? 娘としては、いい気分じゃないでしょうよ」
 四塩先輩に言われて、少しずつ冷静さを取り戻していく氷華梨の父親。馬乗りの体勢から俺を解放してくれた。
「申し訳ないが、席を外してくれないか? ここに貴様のような輩がいることが我慢ならない。貴様には殺意しか湧いてこない」
 うつむきながらも、はっきりとした口調で氷華梨の父親は言ってくる。
「わかりました。失礼します」
 俺は踵を返して、氷華梨の父親に背を向ける。
 背後から一撃を浴びせられたら避けようがないが、それはそれでしょうがない。
「んで、周防ちゃんはどうするよ? こっち来る? ここに残る?」
 四塩先輩の問いに、背後の氷華梨は、
「四塩先輩、相談があります」
「うん、見当はつくけど話を聞こう」
「私、死にたい。死んでしまいたい。生きていたくない、生き続けるのが嫌だ」
 これ以上ないほど、身も蓋もない自殺企図。
 父親ではなく、俺でもなく、四塩先輩に告げるからには【死神】の魔法が発動してしまったのだろう。
「氷華梨、お前一体何を……」
 氷華梨の父親は愕然として言うが、それ以上の言葉を紡がない。
 俺も何も言えない。
 今の氷華梨に何か言葉をかけれる人間などいたら、人間離れしすぎである。そんなのはもう、人間ではなく聖者か、あるいは死神だ。
 だけど、あいにくとこの場には【死神】がいるわけで。
「氷華梨のお父さん、この場はちょいとアタイに預けてくれませんんか?」
 四塩先輩があまりに穏やかな口調だったからだろうか、父親は素直に、
「君ならどうにかできるというのかね?」
「最大限、善処しますよ」
 四塩先輩は、氷華梨の手を引く。
「悪いけど、翔馬にもご足労願おうか?」
 彼女の要求を俺は断れない。氷華梨の父親からの反対もない。
 四塩先輩の後についていく俺たち。
 彼女に連れてこられたのは、病院の中庭だった。
 迷いなく俺たちを案内する四塩先輩は、病院の構造を知っているかのようだった。
「先輩って、この病院に来たことがあるのか?」
「この火傷の件で何度かな」
 苦笑しながら、彼女は自らの火傷痕をさすった。
「さて、アタイはちょっと準備があるからしばらく二人で語らっていてくれや。久留和ちゃんもちょいと手伝ってくれ」
 俺たちを中庭のベンチに座らせると、四塩先輩は久留和と場を立ち去る。
 残された俺と氷華梨は、黙りこくっていた。
 甘さも、穏やかさもない、気まずさだけの沈黙だった。
 十分くらい二人して無為に時間を過ごすと、四塩先輩たちが戻ってくる。
 四塩先輩の手には、ミネラルウォーターのペットボトルが一本握られていた。
「おまたせ。では、本題に入ろうか」
 獰猛な微笑みを浮かべて四塩先輩は言う。
 明らかに、何かを企んでいる様子だ。
「どんなことをやらかすつもりなのか、正直こっちとしてはどきどきな気分なんだけど?」
 俺は軽口で余裕を気取ってみせる。
「別にこの人、四塩先輩はあなたたちに害をなそうとは考えていませんわよ」
 久留和がかばうように四塩先輩の前に立つ。
「それは嘘……だよね?」
 氷華梨の指摘に、久留和は然りと頷く。
「嘘がわかる魔法というのも、ここまで来ると負担にしかなりませんわね。いかにも、アタシたちは先ほど、死にたがりの周防さんに一撃を浴びせる準備をしてまいりました」
「久留和さんか四塩先輩が私を殺してくれるんですか?」
 とんでもないことを言い出す氷華梨。彼女の目は完全に死んでいて、生きるための気力が一切なかった。
「簡単な作業をしてもらうだけだから、肩肘張らずに聞いてくれ。今アタイが持ってるペットボトルの中身を飲んでほしいだけだよ」
 四塩先輩の頼みはどこにも不信な点がなく、逆に怪しさしか感じない。
「そんなことして何になるんですか?」
 案の定の氷華梨の問い。
 四塩先輩は、意を決したように告げる。
「このアタイ、四塩虎子が持っているペッドボトルに致死量の毒なんて入っていない。だから安心して飲めばいい」
 四塩先輩の眼差しは、魔女の邪悪さを秘めていた。
「今の言葉はダウトです。つまり……」
 氷華梨は安心したかのように肩の力を抜いていた。
 だけど俺は確認せずにはいられない。
「そのペットボトルに猛毒が入っていないのが嘘ってことは、その中身で人が殺せるってことかよ。でも、そんな毒物をどうやって……?」
「ここは病院だ。人が口に入れちゃヤバイ薬品ならいくらでもあるさ」
「それを十分足らずで入手してきたってのか? あんた一体何者だよ?」
「んー、このアタイ、四塩虎子はごく普通の女子高生であって、盗みのテクニックなんて持ってないよ」
 あくまで嘲弄するような態度。
「それもダウト。四塩先輩は予想以上にとんでもない人だったんですね」
 氷華梨は、すっと立ち上がり四塩先輩が持っていたペットボトルを受け取った。
「やめろ氷華梨!」
 俺は大慌てで彼女の腕を掴んだ。
 でも、氷華梨は俺の手を振り払う。
「もういいの! もういいいよ! 私がいなくなれば、全ての問題は解決だよ」
「そんなわけないだろう!? 俺は氷華梨に死んでほしくない!」
「私は死んでしまいたい!」
「俺は……氷華梨がいない世界なんて嫌だ! そんなの生きていたって意味がないじゃないか!」
 二人の間にあったのは憤怒と絶望。
 もはや救いようがない。
「じゃあ、二人で死ねばいいんじゃない?」
【死神】は陰惨な笑みを浮かべていた。
 そして、続けざまに言う。
「今世で結ばれない二人ならば、来世に期待するってのも次善の策としてはありかもね」
 軽すぎる言い回しには苛立ちを覚えるが、これが氷華梨への脅しに使えることに気づく。
「なあ、氷華梨。もしもお前がその毒を飲むなら、俺も残った毒を飲んで死ぬ」
 俺は氷華梨を助けるために、自分の命を人質にとった。卑怯な手段すぎて、自分が心底憎たらしい。
「嘘じゃないみたいだけど、でも、私は翔馬に生きていてほしい。だから、翔馬はこれを飲まないでね?」
 優しく微笑むと、氷華梨はペットボトルの中身に口をつける。
 容器の半分ほどの量が彼女の喉へと消えていった。

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