アルカナ・ナラティブ/第13話/09

 目の前で最愛の人が毒を飲む光景なんて悪夢でしかない。なのに、氷華梨は艶然としていて、蕩けるほどに美しかった。
 半分だけ中身が残ったペットボトルを、俺は無理矢理に彼女からひったくる。
 俺も中身を飲んでやった。容器が空になるまで一気に。
 中身は無味無臭で、毒を飲んだような感覚はなかった。
 俺の様子を氷華梨は、泣き崩れそうな眼差しを俺に向けていた。
 ざまあみろ。俺はお前が死を選ぶなら、後を追うと言ったじゃないか。
 あーあ、俺の人生はここで終わりかよ。
 無性に腹が立ってきた。欲を言えば、もっと氷華梨と一緒にいたかった。
 天国も地獄も来世も信じていない俺にとって、死とは無になることに等しい。死んだら辛いこととおさらばできるかもしれないが、楽しいことも虚無へと還る。
 そんな単純な原則に気づいたとき、死ぬってのは酷く理不尽な代物であると改めて思った。
 まあ、こうなったらすべてが手遅れなんだけどさ。
 俺の意識は徐々に薄れていく。……薄れていく?
 あれ?
 割と視界は鮮明で、頭の中はクリアだ。
 喉や胸が焼けるような感覚すらない。
 本当に、ただの水を飲んだ時のような喉が潤う感じしかしない。
 氷華梨を見ても、未だに命があるようだ。
 呆然と立ち尽くしていた。
「どうして……?」
 あまつさえ、四塩先輩に疑問を呈する始末。
「やれやれ、二人して死を選ぶとは情けない。本当に死んでしまったらどうする気だったんだよ?」
 俺たちに対して、四塩先輩は辟易とした様子だ。
 俺たちが悪いみたいな言い方をいている。いやまあ、実際にペットボトルの中身を飲んだのは俺たちの意思だから文句の言い様がないけど。
「つまり、俺たちは死なない、と?」
「我ながらとんだ茶番だよ。さてと、今のお気持ちはいかがだろうか、周防ちゃん?」
 あまりに人をおちょくったような態度。
 これに氷華梨は地面に崩れ落ちる。
 彼女は四塩先輩に怒鳴るような真似はしなかった。
「私……生きてる。翔馬も、生きてる……」
 すっかり放心していた。
 そして言うのだ。
「良かった……! 翔馬、生きてる!」
 ぽろぽろと涙をこぼし始める。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい!」
 やがて氷華梨は号泣する。
 まったく、俺もとんでもない娘さんをカノジョにしてしまったものだ。
「本当だよ。俺だってお前と死ぬか、お前と生きるかなら、当然生きる方を選びたかったよ」
 今回に関しては、俺もご立腹なので彼女に抱きついたりいたしません。氷華梨はもっと反省すべきだ。
「一応聞いておくけど、周防ちゃんはまだ死にたいかい?」
 泣きじゃくりながら、氷華梨は首を横に振る。
「んじゃ、問題はないな」
「もしかして、四塩先輩の狙いはこれかよ」
 四塩先輩の計略がうっすらとわかってきた。
「おうよ。死にたいって人間には、一度死んでもらった方が早い。そっちの方が命のありがたみを改めて実感できるからな」
「デタラメな理屈だな、おい」
「いやいや、これはアタイの経験則さ。今までも何度か死にたがりを見てきて、うっかりと未遂までいっちゃった奴もいた。けど、助かった奴は得てして『生きててよかった』とか言い出すんだぜ?」
「まるでギャグみたいな話だな」
「本人にしれみれば、真剣そのものなんだけどな。だから、アタイは思うんだ。人間は生まれ変わるためには一度は象徴としての死を経験しなくちゃいけないんじゃないかって」
 四塩先輩はしゃがみ込み、氷華梨に目線の高さを合わせる。
「ぐすん……ご迷惑、おかけしました」
「まあ気にするな、これがアタイの魔法だから。昨日から抱えてた死にたい気分は解消したかい?」
「はい」
 氷華梨は首肯する。
 俺には腑に落ちない点が一つ。
「昨日から死にたかったというのはどういう意味だろう」
「どうもこうもなく、そのままの意味だ。というかさ、昨日アタイに電話してきたのは周防ちゃんだっただろう? 普通に考えたら、あんまり接点のないアタイに相談してくるってのは変な話じゃん」
 言われてから、俺はハッとした。
「もしかして、氷華梨が四塩先輩に電話した理由って……」
「アタイの魔法【ソーヴ・キ・プ】は、自殺企図者に相談される力だからな。周防ちゃんが死にたがってて、アタイの連絡先がわかったら必然的に相談してくるってわけさ」
 今度は俺がこの場に崩れ落ちそうな気分だった。
「氷華梨が死にたがってた理由は、やっぱり両親が俺との交際を認めてくれなかったのが原因か?」
 俺の問いに、氷華梨は無言で頷く。
 もう、俺としても言葉がない。
 俺と氷華梨は二人とも、困り果てていた。
「とりあえずさ、お前ら一端は距離を置いた方がいいよ。お互いを大切に思うのは良いことだけど、それだけでは成立しないこともある」
 四塩先輩の言葉に、俺と氷華梨はお互いを見つめ合う。
 ここまでのことをしでかしておいて、二人とも四塩先輩に反論できようはずもない。
「俺は四塩先輩の言う通りだと思う。ちょっと、頭を冷やす時間を作ろう」
「だね。私たち、お互いが好きすぎてのぼせ上がってたのかもしれない」
 氷華梨は立ち上がると、そう言った。
「んじゃ、氷華梨ちゃんは両親にそのことを教えてやりな。完全に別れるってわけじゃないにせよ、お父さん的には心配事が減ると思うしさ」
「はい。四塩先輩、昨日と今日で大変ご迷惑おかけしました」
 深々と頭を下げると、氷華梨は両親のいる病棟へと歩いていった。
「さーて、これでひとまずは蹴りがついたかな。氷華梨ちゃんのお婆ちゃんは心配だけど、アタイらがいてもしょうがない。帰ろうか」
「その前に、一ついいかな?」
 すっかりエピソードを消化したみたいな四塩先輩を呼び止める俺。
「なんだろう……って聞くのは無粋か。さっきのペットボトルのことだよな」
「いかにも。つまりあのペットボトルにはそもそも猛毒なんて入ってなかったってことでファイナルアンサー?」
「あんまり深く突っ込まないで欲しいけど、説明責任は果たすべきかね」
「手品の種は何となくわかってるよ」
「あーあ、可愛げのない後輩だこと。言ってみな」
「あのとき、四塩先輩は『このアタイ、四塩虎子が持っているペッドボトルに致死量の毒なんて入っていない』と言ったよな?」
「言ったねえ。それで?」
「氷華梨はその言葉を嘘だと判定したのに、事実として毒は入っていなかった。なら、一体何が嘘だったのかが問題だ」
「答えを聞こうか、名探偵」
 事件の首謀者のふてぶてしさをもって【死神】のアルカナ使いは聞いてくる。
「あんた、実は四塩虎子ではないな?」
 荒唐無稽な結論だが、そうとしか考えられない。
「やれやれ参ったね、こりゃ」
 正解だったらしく、目の前の女性はホールドアップしていた。
「俺や氷華梨があんたを『四塩先輩』と呼んだとき、ロマンス星川だとかジャスティス鈴木だとか、ふざけた名前を自称したのも意味あったわけだよな。氷華梨の前で、四塩虎子という人間への返答を求めて、それに回答したら氷華梨の魔法で嘘だと判定される恐れがある。だって、あんた自身は四塩虎子ではないのだから」
「ご明察。つっても、流石に久留和ちゃんの魔法は誤魔化せないから、彼女には自白したけどな」
 横に佇んでいた久留和を見やると、彼女もまた困ったような顔をしていた。
「あんた一体、何者だ?」
「四塩虎子って人間の戸籍を乗っ取った人間だよ」
「えらく物騒な話だな」
「アタイはね、元々は無戸籍児として生きてきたんだ。母親の最初の夫がDVを振るう輩だったらしくてね。再婚相手のとの間にできた子どもがアタイだったけど、離婚後三百日以内に生まれた子の戸籍は、前の夫との間にできた子供と推定されてしまう。DV男が親権を持たないようにと母親が出生の届出しなかったからアタイは無戸籍児となったわけさ」
「でも、今のあんたは戸籍上は四塩虎子なんだろう? それでなければ高校入学すらできないはずだ」
「そこで出てくるのが戸籍乗っ取りの話だ。アタイが住んでいた街というか地域が震災に見舞われてね。アタイの住んでいた地区は大規模火災に巻き込まれた。多くの人が死んだけど、アタイはなんとか生き残った。そのときの身元確認でアタイが四塩虎子って聞かれてのさ。んで、アタイは自分こそがその四塩虎子とか言う誰かだと大嘘をついた。その後、本物の四塩虎子さんが現れない辺りから察するに、そっちはもうこの世にいないんだろうな」
 火傷痕をさする女性。自嘲してから、更に続ける。
「結局として、アタイは四塩虎子さんのご家族の遺産を相続したりでできた金で、引っ越したり高校に通ったりしているわけ」
「人に知られたらマズイ過去にも程がある。なのに、そんなリスクまで犯して氷華梨にペットボトルの水を毒だと騙した理由はなんだ? あんたに何のメリットがある?」
「純粋に、アタイは氷華梨ちゃんに、いや、この世界で死にたいとかほざく輩が許せないんだ。アタイは戸籍がないばかりに生きているのに生きていない人間として扱われてきた。もっといえば、本当は生きたかったであろう四塩虎子という誰かの人生を乗っ取った。だからさ、自分から生きることを終えようとする人間をアタイは憎む。どんな手を使ってでも、生き延びさせてやる――それが【死神】のアルカナ使いとしての使命だと思っている」
「【ソーヴ・キ・プ】――生きられる者は全力で生きろ、か……」
「当たり前のことなのに、ないがしろにする奴が多すぎて反吐が出る。周防ちゃんの後を追おうとした翔馬もだよ。お前ら、生きていることが当たり前のことだと勘違いしてないか?」
【死神】の言葉に、俺は返す言葉もない。
 すっかり萎縮する俺の頭を、目の前の女性は優しく撫でてくる。
「だからさ、何があっても死を選ぶのは間違ってる。生きて、生き抜いて、それから死ぬのでも遅くはないさ」
「あんたみたいな人に言われると重みが違うな」
「そりゃそうだ。それにアタイの場合、年齢的にお前らよりかなり年上だしな」
「へ?」
「四塩虎子って人は戸籍上で十七歳だけど、アタイ本人の年齢とイコールとは限らないってこと」
 ある意味で、これが『四塩虎子』という人の発言で最もインパクトがあったかもしれない。
「あんた、色々と酷いな」
「酷い女ってのは、案外と褒め言葉な気もするがどうだろうな」
 女性――四塩先輩は人を食ったように笑う。
 やれやれ。ただの高校生が【死神】にかなうわけもないって話か。

【XIII・死神】了

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