アルカナ・ナラティブ/第14話/10

「ちょっと二人でお話をしようか」
 江原先生の印鑑を指先でくるくると回しながら各務原先輩は俺に言う。
「なにとぞお手やわらかに」
 断れるわけもない俺は、身をすくませるしかない。
 んで、体育館裏の人気のないスペースに二人で腰掛ける。
 体育館からは生徒たちが部活に励む音が聞こえてくる。本来は隣にいる各務原先輩に集中しなければいけないが、どうにも気が散ってしまう。
「三百六十度すべてに警戒を払うのは得策ではないね。大丈夫、僕は君に罠を張っているわけではない」
 魔法【ロスト・ワン】を使って俺の注意の矛先を感知したのだろう。各務原先輩の魔法は便利すぎる。
「僕が話し合いたいのは、この印鑑をどう使うかだ。君はどうしたい?」
 彼の口調は俺を煽るわけでもなく、弄ぶわけでもないような平坦さ。どうしょうもなく単なる質問だった。
「それを概要書に捺印すれば、書面上はクラス企画が許可されたことになるよな」
「いかにも。江原先生が知らない勝手な行動だからチートだけどね」
「後で絶対に怒られるだろうな」
「さてどうだろう。あの人が文句を言っても彼が印鑑の管理を怠ったと言い張れば、彼は泣き寝入りするかもね」
「上手くいくかね?」
「なにしろ自分の身にトラブルが降りかかるのが嫌いな人だ。江原先生は保身のためならばズバ抜けた行動力を発揮するよ」
「後ろ向きな努力だな、オイ」
「瀬田君、人間を侮ってはいけないよ。守りたい大切なもののためなら、案外、人はなんでもできるものだ」
 相変わらず風のない水面みたいな穏やかさ。
 彼の指摘は正しい。問題なのは大抵の人にとっての『大切なもの』とは自分自身だ。自分のことは誰よりも特別扱いし、そんな自分が不幸になるのは許せないものだ。
「……ところでその印鑑は各務原先輩がパクったんだよな?」
「せめて拝借したと言ってもらいたいな」
「先輩の魔法を使えば、相手に気づかれずにスリを働くのは……簡単なんだろうな」
「相手の集中のスキを縫って自分の存在をかき消せるんだ。スリに使えないわけがない」
「タイミングよく江原先生が印鑑を持ってたからって大胆すぎるぜ」
「いやいや、江原先生が印鑑を持っていたのは偶然ではない」
「はい?」
「江原先生が実行局室に来たのは僕の電話があったからだ。電話で僕は一年五組が概要書を持ってきたと彼に伝えてあった」
「ああ、なるほど。江原先生は電話の内容にトラブルの臭いを感じたと同時に、自分に都合がよく進むかもと思っていたわけか」
「だろうね。君の概要書に問題があったら全力で拒否するべき。でも問題がなかったら即刻許可を出して受理すべきだ。自分に都合のいい内容なら再検討の時間を与えるのは馬鹿げている」
「まんまと江原先生は誘導されていたわけか」
「物事は流れるようにスムーズに。【節制】のアルカナ使いとしてはそれぐらいできないと格好がつかないよ」
「各務原先輩が俺的敵に回しちゃいけない人ランキング上位に躍り出た」
「買いかぶりすぎだよ。ちなみにそのランキングの一位は?」
 彼は難易度の高い問いを投げてくる。
 アルカナ使いには敵対したくない人が多い。
 北出先輩のエネルギッシュさにはかなわないし、天野先輩には散々世話になっている。四塩先輩には迷惑をかけたりしたし、藤堂先輩の誰にも臆さない勇気は尊敬できる。
 この学校の濃い部分を集めたのがアルカナ使いなのだ。
 でも、一番敵にしたくない人は考えるまでもない。
「俺のカノジョだな。敵に回しちゃいけないっていうか、常に味方でありたいって意味だけど」
「驚いた。そんな台詞をさらりと言える人間がいたとは」
「嘘つくのは嫌いなんだよ」
「そこまで自分に正直だと、君は確かに問題児なんだろうね」
「先輩が言うかい、それ」
「大丈夫、再三言うけど北出君の魔法では僕は問題児ではないみたいだから」
「印鑑を教師から盗む輩が問題児じゃないっておかしくないか?」
 各務原先輩が問題児じゃないなら、この学校の生徒の大多数は善良で無害な良い子な気がする。
「そうでもないよ。僕はね、問題行動を起こせないんだ」
 ちょっと悲しそうに言ってくる。
「だったらその印鑑は?」
 言っている内容とやっていることが矛盾している。
「言い方が悪かったね。正しくは僕の問題行動は問題化しなかったり表面化しないんだ」
「……完全犯罪やり放題みたいな話だな」
「極端に言えばね。僕はいつでもこそこそと他人の目を気にしながら生きてきた」
 空を仰ぎながら回想モードの各務原先輩。
 彼の過去には興味がある。
 アルカナ使いである以上、なにかしらの過去を背負っているに違いない。
「僕はね、『いない人間』なんだ」
「……戸籍は持ってるよな?」
 各務原先輩の言葉で真っ先に連想したの四塩先輩だ。あの人も法的な意味ではいない人間と言える。
「面白い発想だけど戸籍は持っている。僕は正真正銘、各務原水鏡だ。僕の家族はお世辞にも仲がいいとは言えなかった。父親がちゃらんぽらんな人間でね。そのせいで母親はいつもイラついていた」
 重そうな話だが、特に抵抗はない。俺とて人のことは言えた義理ではない。
 彼は続ける。
「なにかあると子どもに対して八つ当たりさ。だから僕は母親のご機嫌を損ねないように細心の注意を払ってきた」
「……その究極の形が『いない人間』ってわけか」
「自己主張せず、問題も起こさず、摩擦を避ける。そうすれば母親の雷も落ちはしない」
「それが魔法の名前の由来か。【ロスト・ワン】――つまりはいない子」
「そのまますぎて逆に使うのがためらわれる名前だけど、他に思いつかなかった」
「他の人に決めてもらうとかなかったのか? 藤堂先輩あたりがイイカンジなの付けてくれたかもよ?」
「彼女からの提案はあったけど僕は断った。高校ではね、僕は自分のやりたいようにやるつもりだった。なによりも自分の決めたことを基準に生きるつもりだった」
「結果は出たのか?」
 と聞くのは残酷かもしれない。
 だって北出先輩の魔法基準で彼は問題児ではなく、つまり自分の物語を生きていない人間なのだから。
「高校入学前に僕は家族に嫌気がさして家から飛び出した。そしてあのボロアパートで暮らし始めた。身の丈以上の自分に憧れて、夢と妄想と野望を抱いていざ入学! でも、そこで夢は潰えた」
「【節制】の魔法か」
 想像には難くないが確認作業はしておこう。
「誰がなにに注意を向けているのがわかってしまうはね、本当に辛かったよ。出しゃばった言動をすればみんな自分に注目する。子どもの頃からの条件反射で僕は萎縮してしまう」
「先生から印鑑を盗める人が言うことかよ」
「僕ができるのは相手に気づかれないように動くぐらいだ。悪事が完璧すぎて問題化しない。僕はその程度のつまらない人間さ」
「悪事がバレて人生が一度壊れた俺に言うことかよ」
「重く受け止めておこう」
 各務原先輩はため息をつくだけだった。
「でも各務原先輩って高校生活にワンチャンあると思ってるんだろ?」
「察しがいいね」
 表情を曇らせたまま、つまらなそうに頷く各務原先輩。
 彼は言う。
「僕は学園祭実行局の副局長で、しかも局長はトラブル・ウェルカムな北出君だ。これでなにもなかったら絶望しかない」
「希望は見いだせたか?」
 俺が聞くと、彼は一瞬考えて首を横に振った。
「あいにくと僕は仕事ができる人間でね。のうのうと優秀な補佐役をやっている」
 失敗がないなら良いじゃないか、とは今までの文脈では言えるわけもない。
「だったらさ、江原先生の印鑑を俺に預けてみない?」
 俺からの申し出に各務原先輩はきょとんとした。
「君はこの印鑑をどう使う?」
「ちょっとイイことを思いついたから有効利用する」
「とか言うけど、とても悪い顔をしているよ?」
「そりゃあもう! これから江原先生なんて小者を乗り越えて、校長にクラス企画の直談判をするんだ。ゲス顔とかしてみたくなるだろう?」
 少し偉い人に話が通じないなら、とても偉い人に頼むのはありきたりな方策だ。
「やっぱり君は問題児だ」
「せっかくだから各務原先輩も来る?」
 手を伸ばす俺。旅は道連れというか、地獄への道連れである。
「僕は……」
 各務原先輩は手を取らない。
 わざわざ昨日知り合った人間に振り回される義理もあるまいか。
「んじゃ、ちょっと揉め事を起こしてくるわ!」

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