アルカナ・ナラティブ/第15話/04

「もう少し詳しい話をしてくれれば、俺も相談に乗れるかもよ?」
 あくまで可能性を提示しただけで、絶対にできるとは言わないけど。
 あるいは俺が有馬の問題を解決できなくても、他のアルカナ使いの人々が知恵を貸せたりしないかな。
 うん、ここは頼れる先輩たちの胸を借りよう。
 大きな蕪が一人で抜けないなら、みんなの力で抜けばいい。
 大きな株が一人で買えないなら、共同で出資すればいい。……いや、こっちはやめておこう。これでは投資詐欺師だった自分に逆戻りしかねない。
「へえ、翔馬はどんな相手でも話せばわかるって思ってる手合い?」
 心臓が凍る感触さえ覚える有馬の微笑み。
 天使のような悪魔の笑顔なんて比喩では手ぬるい。
 悪魔のような魔王の嘲笑。
 これから俺が黒魔術の生贄にされたとしても不思議ではない。
 事実として、有馬は俺に呪詛をふりかける。
 鼓膜を踏みにじり、脳髄を切り刻む呪いの言葉を。
「ねえ、翔馬。周防さんなんかより、私と付き合わない?」
 ――と。
 自然災害みたいに悠然と有馬は言ってくる。俺は大混乱するしかない。
「え、え、えっと何を言いたいのか理解できない」
 腰を抜かしてしまったため、退避行動すらできない。
「失礼ね。素直な意味で受け取ってくれないかしら」
 目の前の悪魔は、ぺろり、と舌なめずりする。
 その瞬間、俺の脳裏で宮沢賢治の『注文の多い料理店』の一節が明滅。

 料理はもうすぐできます。
 十五分とお待たせはいたしません。
 すぐ食べられます。

 もちろん、ここでいう料理は俺であり、食べられるのも俺。ビンの香水を頭からかけるように指示されたら完全にアウト。
「つまり、これは……告白?」
「そうよ。私、翔馬のことが好きなの」
 有馬はそっと俺に手を伸ばす。親指の腹で俺の唇をなぞってくる。
「やめろッ!」
 一度は彼女の手を振り払った。
 でも、拒絶する俺を有馬は楽しそうに眺めていた。
「あらら、可愛らしい態度だこと。もしかして周防さんとのキスはまだかしら?」
「答える義務はない」
 真実は脇に置いておいて、俺は声を張る。
「ふーん、じゃあ、周防さんとはやることはやったのかしら?」
「それも答える義務はない!」
「今のあなたたちを見ていると、胸のあたりが焦げ付く思いなの。私だったら翔馬にあんなおあずけしないわ」
「……氷華梨にも聞いたけど、俺みたいな人間のどこがいいんだよ。もっと男を見る目を養え」
「ご謙遜を。頭がいい、行動力がある、クラスを率いるリーダーシップもある。それだけでも魅力的よ」
 彼女の言い分がどこまで真実なのか検分できない。
 それどころか彼女の好意がどこまで本心かも読めない。
「俺は……氷華梨を裏切りたくない! だから、お前の告白にはイエスと言えない!」
 悪魔の誘惑は断固として跳ね除けるべき。
「私の魔法、知りたくない?」
 有馬は最悪のタイミングで切り札を使ってくる。
「確かに興味はあるが……今日はお開きにしよう」
 撤退戦は格好悪いが、最悪の手でもない。
 最悪に陥らないために無様に引き返す勇気もときには必要なのだ。
「ああ、それは無理よ。そろそろ彼女がここに来るから」
 艶やかにソファーにしなだれかかって、有馬は言った。
「……お前は何を言っているんだ?」
 彼女って誰?
 当然の疑問だけど、それの一瞬の迷いが命取りだった。
 魔法研究部の扉が開け放たれる。
 そこにいたのは……周防氷華梨だった。
 現在、午後三時五十分。一般的な部活動開始の十分前。これから剣道部に参加するとみられる氷華梨は道着姿だった。
「どうして氷華梨がここに?」
 バッドタイミングにすぎる登場に、俺は目をしばたかせるしかない。
「えっと、有馬さんからメールがあったの。実は自分はアルカナ使いで、五分でいいから相談に乗って欲しいって。それでこの時間に指定されたの」
 有馬の見事すぎる誘導に、頭が下がる思いだった。
「二人は……ここで何をしてたの?」
 氷華梨から飛び出したのは当然の疑問だ。
 それに答えられない。
 まさか『実は有馬から告白されていた』とか正直に言えるわけもない。
 とはいえ嘘はつきたくないし、そもそも氷華梨に嘘は無意味だし。
 チェスならば投了である。対戦者の技量に敬意を示す場面だ。
 しかし、俺の置かれた盤面は白と黒で区切られているわけでもない。むしろ、最適解が導けださせない玉虫色の局面。
 退くことも進むこともできず、【悪魔】の鎖につながれて俺は立ち往生するしかない。
 一方で悪魔はやっぱり楽しそうだ。
 楽しそうに、氷華梨に言ってのける。
「実はね今、私は翔馬に告白していたの」
 包み隠さず、地獄のようにあけすけに。
 氷華梨の顔色は青ざめていく。
「え……え……嘘じゃ……ない?」
 パニックに陥りながら、氷華梨は目の前の出来事を飲み込もうと必死だった。
「あらら、周防さんは嘘か嘘じゃないかを見破れるみたいね。周防さんにも情報が伝わってるかもだけど、私もアルカナ使いだから魔法については隠さなくても大丈夫よ」
 言質を取った有馬は愉悦にひたっていた。
「……確かに、私は相手の言葉が嘘かどうかを判断できる。だから、有馬さんが翔馬に告白したのは事実だとわかった」
 途端に厳しい顔をして、有馬を見据える氷華梨。
 修羅場は突然にやってくるのが人生ときたか。いやはや、参りましたわい。
 ……今だけでいいから、自宅まで瞬間移動する魔法とか使えないかな。
「なら話は早いわ。ねえ周防さん、あなた翔馬とどう距離を作ればいいのかわかってないでしょ? だったら翔馬と別れてしまいなさい。大丈夫、翔馬は私が貰い受けるから」
 有馬はソファーから立ち上がり、俺の方まで歩いてくる。
 音もなく。
 優雅に、不気味に。
 そして、背伸びして腕を俺に回してくる。
「ちょ……おま……!」
 慌てふためくしかない俺。
「翔馬から……離れて!」
 氷華梨の憤怒に、有馬はこゆるぎもしない。
 それどころか、
「だったら翔馬に決めてもらいましょう。周防さんと私、どちらを選ぶかは彼に任せる」
 狂気的なまでの有馬の自信の源泉が掴めない。
 そんなの氷華梨を選ぶに決まってるじゃないか。
「もしも翔馬が私を選ぶなら、ねえ、キスしてちょうだい。そうすれば周防さんの心はズタズタに傷ついて、翔馬を諦められるから」
 挑発に次ぐ挑発。
 そこまでいくと、逆に氷華梨は落ち着きを取り戻す。
 話がごたごたしてしまったが、最終的に俺を信じてくれている。
 だったら、こんな茶番は早く終わらせよう。
 俺が有馬の腕を振りほどこうとした。
 瞬間――彼女は悪あがきと言わんばかりに、
 腕の力を強くする。
 だけど逃れられない束縛ではない。
 俺は一気に有馬からすり抜けようと試みた。
 しかし【悪魔】は俺の耳元で囁く。
「瀬田翔馬、あなたはかつて詐欺によって多くの人を傷つけた。これは決して許されない。よって――今度はあなたがあなたの大切な人を傷つけなさい」
 有馬の言葉は文字通り魔法の言葉だった。
 俺の思考が、感覚が、感情が、一気に吹き飛んだ。
 更地になった理性の上に芽生えたのは、どす黒い罪悪感。

 ――さあ、断罪されなさい。
 ――罪は償うべき。
 ――お前の大切な人も傷つかなくてはならない。

 声に体中の制御を乗っ取られる。
 朦朧とした意識で俺は……。
 有馬紅華の唇に、自分の唇を重ねていた。
 俺の口内で、有馬の舌が蠢いていた。
 舌先から付け根にかけて、有馬の舌が這ってくる。
 数秒後、正気を取り戻した俺は有馬を引き剥がす。
 取り繕おうとしたけど後の祭り。俺と彼女の唇から、粘性の高い唾液がだらしなく一筋伸びていた。獲物を篭絡させる蜘蛛の糸を連想させて、俺は身震いがした。
 慌てて唾液を手の甲で拭うが、氷華梨は今の流れをすべて目撃しているわけで。
 彼女は怒るでも喚くでもなかった。
 ひたすらに呆然としていた。
 視点がどこにも定まっていない。口元は何か言葉を紡ごうと開けたり閉じられたりしている。
 見当識さえも剥ぎ取られたみたいだった。
「氷華梨……」
 どうにか彼女を現実に帰還させるために呼んでみた。
 だけど、それは逆効果だった。
 氷華梨の目の焦点は戻ってきたものの、顔中に絶望が広がっていた。
「今の……何……?」
 氷華梨は背後の扉に力なくもたれかかる。
「それは……」
 俺には答えようがない。俺だって、自分が何をしたのか把握しきれていない。
「今の……トリックだよね? 実は角度のせいでキスしてたように見えただけ……だよね?」
 氷華梨が確認してくる。俺は答えられない。
「ええそうですとも! 実は翔馬と私はキスなんてしてないわ。――と言えば信じてくれるかしら?」
 有馬は妖艶に自身の唇をなぞりながら告げる。
 彼女の言葉は事実と相違がある。つまりは嘘だ。
「嘘……どうして」
 ついには氷華梨の手が震えだす。
「さて何故かしら。私は翔馬に大切な人を傷つけてみて、と囁いた。翔馬は私に従ってキスしてきた。これも嘘と言えちゃうかしら?」
「嘘じゃ……ない……」
 氷華梨の震えは止まらない。それどころか悪化していく。
「待て、氷華梨! 俺が有馬と、つまり、唇を重ねたのは認める! でも、違うんだ!」
「違うって……何が?」
 切れば膿が吹き出しそうな笑みの氷華梨。
「俺は……多分……操られていたに違いない! 有馬はアルカナ使いなんだ。彼女が人を操れる能力を持っていても不思議じゃない!」
 事実として、俺の理性が吹き飛ぶ前に有馬は何かを言っていた。
「失礼な。私が【悪魔】のアルカナ使いなのは事実。けれど、入学と同時に人を操れるような魔法を持っていたなんてことはない」
 あくまで知らばっくれるつもりなのか、有馬はいけしゃあしゃあと言ってくる。
 なのに氷華梨は、
「それも、嘘じゃない」
 残酷なまでに嘘と嘘でない言葉を分別していた。
「つーまーりー、以上のことからどんな結論に達するかしら?」
 大仰に両手を広げて、【悪魔】の少女は問いかける。
「俺は……!」
 言葉につまりながら、どうにか無罪を主張しよとした。
「もういいよ……! うん、もういいんだ……」
 俺が紡ごうとした言葉は、氷華梨によって遮られる。
「いいって……何が?」
「私のこと、気にしなくてもいいよ」
「どうして!?」
「私のこと、迷惑だった?」
 氷華梨の全身の震えは止まっていた。気丈そうな顔で俺に聞いてくる。
「違う!」
「嘘じゃない。でも、私のせいで辛い目に遭ったでしょ?」
「それは……」
 否定しきれない。
 例えば、氷華梨の両親からの罵倒や、氷華梨が剣道部でいじめに遭っていた件。彼女の下駄箱に悪意ある贈呈品が入っていたこと。
 それらは俺の心を苛むに足りる出来事だった。
 だから、氷華梨と付き合っていて、いつも能天気な幸せを手に入れられたとは言えない。
 回りくどくて、頭でっかちな検証だ。
 本当ならば、今こそ俺が氷華梨を安心させるべきときなのに。
「悔しいよ。私、悔しいよ」
「氷華梨……」
「胸の奥で翔馬が許せない気持ちが膨らんでくるの。好きなはずなのに、許さなきゃいけないはずなのに、憎悪が止められない」
 そして氷華梨は部屋の扉を開け放つ。
 もはやこの場に一秒だっていたくないと主張するように。
 去り際に氷華梨は、
「ごめんなさい、私、駄目だね」
 俺は氷華梨の後ろ姿を眺めるばかり。
 彼女を追うことができなかった。
「ではでは、私もおいとまさせてもらおうかしらね」
 愕然とする横をすり抜けて、有馬も部室の出入口へと歩みを進める。
「お前は……お前は一体何なんだ!?」
 叫ぶしかない。
「私は有馬紅華、翔馬のクラスメイトで【悪魔】のアルカナ使い。それ以外は普通のつまらない女子高生よ」
 爽やかに手を振って有馬は退室。

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