アルカナ・ナラティブ/第15話/06

「お前、これからどうするの?」
 背もたれに身を任せ、脱力する俺。
「私は、翔馬との付き合いをやめるつもりはないよ」
 射抜くような眼差しの氷華梨。
「いや、俺は今日の部活をどうするか聞いたんだけど……」
 氷華梨の宣言が嬉しすぎた。逆にダイナミックに話の腰を折らなければ耐えられないほどに幸せだった。
「……そっち? えっと、部活は……今日はできそうにない。色々あって、ちゃんと練習に打ち込める気がしない」
 弱気な彼女を軟弱者とは叱責できまい。
「ちょっと参ってる?」
 すっかりしょげてしまった氷華梨に聞いてみた。
「うん。もっと言えば、すごく怒ってる」
「カレシの浮気は許せない、と?」
「カレシの浮気を許す女子が、世界のどこかにいるとでも?」
「ごもっとも。ここはやっぱり土下座でしょうか。必要とあらば、痣ができるまで額を床に押し付ける所存」
「……それ、私からすると見ていて辛いからやめて」
 聖女降臨。あとちょっとレベルを上げれば、この娘はこの世のすべての罪を許しちゃうかもしれない。
「だったら、俺は無罪放免?」
「概ねは。でも、腹いせはしたいかも」
「ですよね~」
 やらかした側の男が何の制裁を受けなかったら、社会秩序が崩壊しますわな。
「だから、翔馬はじっとしてて」
 なるほど、俺の動きを封じた上での報復か。よかろう、たとえ動けずとも脳内で辞世の句ぐらいは練り練りできよう。
 ――氷華梨さん、どうか痛くは、しないでね。
 駄目だ。五七五調ってだけで歌心がまるでない。しかもこれだと単にビビってるだけだ。
 まさか生爪剥ぐとかないだろうけど、覚悟とかはちゃんとしておこう。
 氷華梨はぴったりと俺の横に座り、密着してくる。
 ほほう、この大勢からどんな仕打ちを繰り出してくるのかね、チミィ。
 来たるべき脅威に腹をくくる。部屋の隅でガタガタ震えながらお祈りしたいけどしょうがない。
 なのに……。
 俺にひっついた状態で氷華梨は動かない。
 ついに恐怖に耐えられなくなった俺は、
「お前、何がしたいの?」
 何もアクションを起こされないのは、待つ側からすれば一番怖い。
「私に口答え?」
「滅相もない! ただ自分がすべきことをがわからないから聞いてみただけだ」
「何もしなくていいよ。じっとしてて」
 そう釘を刺すと、氷華梨はやっぱり俺によっかかるだけ。
 何もしないことが、すべての目的みたいな穏やかさだった。
 何も言わず、何もせず、何も起こらない。
 淡々と流れる時間に二人して身を任せる。
 よくよく考えずとも、これって贅沢な時間の使い方だな。
 単位時間内に実行するタスクを増やせば作業を効率化したといえる。あるいは実行するタスク量はそのままで時間短縮すればこれも効率化だ。
 ところが今の俺たちはどうだろう。
 わざわざ時間をかけて、わざわざ何もしていない。
 言葉を交わさずに一緒にいられるほどに慣れた関係なのか。
 交わす言葉を考えようともしないほどにダレた関係なのか。
 どちらなのか答えも出せないまま、滾々と胸から湧き出す愛おしさを噛みしめていた。
 そんなことをしばらくしていると、緊張が緩んですっかり俺はまどろんでいた。
 ここで眠ったら氷華梨に悪い。気を引き締めて彼女の方を見た。
 心配をよそに氷華梨の方がすっかり寝落ちしていた。
 だったら俺だけ頑張るのも理不尽だ。俺もまどろみに身をまかせることにしてみた。

   ◆

 自分の人生の主人公は自分だが、その主人公が即落ちしてしまった。
 いや、寝落ちって意味だけど。本気で俺を落としたいなら、二コマでは足りませんよ?
 隣で未だ眠りこける氷華梨の寝顔を眺めつつ、これからどうしようか考えてみる。
 これから――。
 二通りの意味がある。
 一つ目のこれからは下校をどうするかだ。
 窓の外が暗くなっているので下校した後どうするかだ。
 駅までであるが、氷華梨と道を歩んでいいものだろうか。どんな距離感で彼女と接すればいいのか決められない。
 二つ目のこれからは、ずっとこれからの話。
 結局として俺は氷華梨とどうなりたいんだろう。
 このまま、彼女を好きでいてもいいのか不安がせり上がってくる。命の時間は有限で、高校時代なんて多分あっという間。
 メディアから入手できる大人の話を総合すると、青春時代は黄金に匹敵する価値を持つようだ。
 だったら、氷華梨にとっての黄金を俺みたいな人間に投資させるのはいかがなものか。
 むしろ、俺以外の人間と道を歩く可能性は?
 想像してみよう、氷華梨が俺以外の男と一緒になって幸せになる未来を。
 別の男との結婚式に呼ばれて引出物のバームクーヘンを頂戴する結末。
 ……全力で粉微塵にしたくなってきた。
 こりゃ、氷華梨をチョロインとか言っていられないな。
 本当にチョロいのは俺だ。俺の方が、すっかり恋人に依存してしまっている。
 自分の幸せは自分で決められない。ほとんど病気だ。
 女の子がチョロいならチョロインみたいに可愛げのある呼び方も用意できる。
 一方で男子がチョロい場合は単に『馬鹿な男』で終わってしまう。もうちょっと、男子に優しい世の中になってくれませんかね。
 気持ちよさそうに寝息を立てる氷華梨の温もりを感じていると、馬鹿な男でも悪い気はしないけど。
「ったく、お前は油断しすぎだ。俺に牙を剥かれたらどうするんだよ?」
 眠れる美少女の頭を撫でてみる。
 国宝指定したくなるキューティクルの滑らかさ。断裁して分離するクライムエッジの所持者に狙われる危険性も視野に入れておこうかしら。
「ふにゅ?」
 天が割れんばかりに可愛らしい腑抜けた声。うっかり氷華梨の眠りを妨げてしまったみたいだ。
「おはよう」
 目覚めた氷華梨に言ってみた。といっても、もう夕方だけど。
「あ、うん、おはよう」
 寝ぼけ眼をこする氷華梨。
 薄暗くなった部室を眺めて、彼女は慌てだす。
「ごめん……寝てた」
「知ってる。俺へのじっとしてろって指示はそろそろ解除できる?」
 まさかここで一晩頭を冷やせとは言わんだろうが、念のために聞いておく。
「うん……まさか、ずっとここで私を待ってた?」
「大丈夫、俺も寝てた」
「私に寄りかかられて、重くなかった?」
「よもや女性に重かったとは言えまい。男子を困らせる質問をするんじゃない」
「あ、はい。気を付けます」
 悪いことをしていないのに謝りだす氷華梨。
「遅くなっちゃったから帰ろうか」
 ここに居続けてもしかたないので提案してみる。
「翔馬は私と一緒に帰りたい?」
「あえて言おう、今日のみならず、ずっと一緒に帰りたいと思ってた」
 誤魔化しても無駄なのは百も承知。ならばもう、本心を告白してしまえ。
「距離を置くのはどうなったの?」
「お前がそれを聞いちゃうかよ」
 こうして俺の隣に座ってきたのはどちら様でしたっけ?
 ……とは言うまい。無粋な男は嫌われるって雑誌に書いてあったってクラス男子が言ってた。
 ならばこそ、ここは俺からアクションを起こすのがいいのだろうな。
 俺は立ち上がって、氷華梨に向き合った。
「一緒に帰ろう」
 キザったらしく彼女に手を差し出してみる。
 ここで拒否されたらトラウマものだがしかたない。「想い出」って言葉のルビに「トラウマ」と振るのも一興ということにしておこう。
 とはいえ、氷華梨は俺の手を振り払うことはなく、満足げに微笑んでいたわけだが。
「帰る前に制服に着替えなきゃ。置いてあるの教室だけど……来る?」
「ぜひお供しよう」
 勘違いするなよ。別に氷華梨の着替えをみたいとかいうんじゃないぞ。俺はただ、彼女と一緒の時間をつくりたいだけだ。
 下校時間に近づいて、人気の少なくなった校舎を二人で歩く。足音が壁や床で反響して不気味だったけど、それさえ氷華梨といれば人生のスパイス足りえた。
 俺たちの教室が視界に入ってくる。教室の扉の曇りガラスから室内の明かりがこぼれていた。
 遅くまで残っている生徒がいるらしい。
 部活終わりの生徒がだらっとたむろしてるのかな。
「んじゃ、着替えとって来いよ。俺はここで待ってる」
 氷華梨に言うと、彼女は頷き扉を開ける。
 俺は壁にもたれてちょっとだけ待ち時間をぼーっとして過ごすつもりだった。
 けれど、そんな油断はあっという間に壊された。
「有馬……さん?」
 教室を覗き込みながら、氷華梨は愕然としていた。
 氷華梨が口にした名前に驚いた俺は急ぎ教室の中身を確認する。
 室内には明らかに校則違反と断じるに足りる赤髪の少女。
 氷華梨の席に悠然と腰かけて、【悪魔】がこちらを眺めていた。
 口の端は苛立たしいまでにつり上がっていた。
「ここにいればいつか周防さんが制服を取りに戻ってくると思ってた。翔馬と大喧嘩して、一人で泣きながら現れると踏んでたのに二人で来ちゃうんだ」
 口元の歪みは正さず、目元に悪意を滾らせた有馬。
「【悪魔】の囁きごときで俺たちを引き裂けると思った?」
 氷華梨の前に立ち、有馬に啖呵を切ってやった。
「甘ーい! 胸焼けしちゃいそう! 二人の絆をブチブチに、ズタズタに、グチャグチャにしたくなってきた!」
「やらせるものかよ!」
 俺は有馬を睨み付ける。
「ふふふ、すっかりと騎士を気取るわけね。でも私の魔法の正体がつかめずに、どうやって対処する気かしら?」
 依然、有馬は余裕の態度を崩さない。
 彼女の指摘には反論できない。
「お前の目的は何だ?」
 馬鹿正直かもしれないが、ストレートに問う。
「私は……そうね、周防さんと勝負がしたいわ」
「私と……?」
「ええ。といっても、殴り合いとか野蛮なものじゃないわ。そうね、ポーカーなんてどうかしら?」
 いきなりにつぐいきなりな言い分。
 有馬の動機に心当たりがないか氷華梨に聞きたかった。でも、彼女に視線を送ってみても首を横に振るだけ。
「ねえ、勝負しましょうよ。そうだ! もし周防さんが私に勝ったら、私は二度と【悪魔】の魔法を使うことはないと約束しましょう」
 堂々と宣言する有馬は嘘を言っているように見えない。
 これに氷華梨は、俺に頷く。
 本当に嘘ではないみたいだ。
「もし私が負けたら、有馬さんは私をどうする気なの?」
「大丈夫、殺しはしない。別にギャンブルに勝った相手の命を奪うなんて能力は私にはないもの」
「……もう一つ、私が勝ったときの条件を追加する。それを聞いてくれたら、有馬さんのおふざけに付き合ってあげる」
「あら、周防さんにしては強気な態度! 何かしら?」
 嘲弄する【悪魔】。氷華梨はひるまない。
「私が勝ったら――私たちに謝って。翔馬を誑かしたあなたを私はただでは許せない!」
 これに有馬は腹を抱えて大爆笑。
「いい! あなたすごくいい! オーケー、オーケー! その提案乗った! さあ、そっちの席に座ってちょうだい」
 有馬は恭しく、隣の座席の椅子を引いてみせた。

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