アルカナ・ナラティブ/第17話/03

 氷華梨の部活動が終わるのを待って、俺たちは一緒に下校する。
「氷華梨は勇気についてどう思う?」
 学校の最寄駅まで歩く道すがら、俺は何の脈絡もなく聞いてみた。
「どうしたの? 妙に抽象的っていうか、哲学的な話題だけど」
 唐突に聞かれた氷華梨は戸惑っていた。増加する瞬きの数をもって、内心での混乱を表現していた。
「いやさ、さっき部室で水橋先輩と真の勇気とは何ぞやみたいな話をしててさ。ざっくりいうと、勇気と優しさはイコールだって話に落ち着いたんだ」
「へえ、何というか青春の悩み相談みたいだね」
 からかうというよりは、むしろ感心するような氷華梨。
「どっちかというと、益体のない話だった気もするけど。ほら、水橋先輩のカノジョさんは『勇気』とか『意志』を意味する【力】のアルカナ使いだから」
「えーっとね、じゃあ私なりの勇気についての考えを言うと、勇気って希望を持てるかだと思うんだ」
「ほほう。勇気って言葉だけでも難しいのに、さらにそこに希望か」
 話が深淵な方向に行きそうなので、俺はちょっと身構える。
「希望って言葉だと大げさかもしれないけど、信じる力といってもいいかも。例えばね、何かに挑戦する勇気を持てるってことは、目の前の壁を自分が越えていけるって信じてるからでしょ?」
「確かに、敗北が確定しているなら何かに挑もうとはしないわな」
「うん。だから、勇気と希望はワンセットだと思うの。勇気のない希望はただの希望的観測になってしまうし、希望のない勇気はただの蛮勇。と、私は考えてます」
 自信なさげに氷華梨は言うが、心配ご無用、俺の胸を十分に打っています。
「水橋先輩にとって、藤堂先輩って勇気であり、希望なんだろうなあ」
 ふと、学校一のイケメンを思い出しながらひとりごちる。
「なんだろうね。私が個人的にすごいなあと思うのは、水橋先輩って藤堂先輩のために歌ってることだと思う」
「それな。俺さ、学園祭のときに水橋先輩の歌を聞いたんだけど、圧倒されたよ。歌がうまいだけじゃなく、心というか魂というか、そういう五感だけでは捉えられない力を感じた」
「そうだったんだ。私も聞きたかったなあ」
「まあしょうがないよ。あのときは、ほら、氷華梨はクラスで魔王の腹心としてカード勝負で無双してたんだから」
「ちょうどあの時のことね! ……ん、でも翔馬、そうなると聞きたいことが一つ」
「ほいほい、なんでしょうか?」
「あのときって、翔馬は爆弾を探してたんだよね?」
「お、おう、せやな」
 氷華梨の指摘に俺は自らの失態に気づく。
「ってことは、翔馬は爆弾探しをサボって水橋先輩の歌を聞いていた、と?」
 おやおや、二学期最大級のピンチがいきなりやってきたぞ。
「う、うん。まあ、色々とありまして」
「水橋先輩の歌、一体誰と聞いたのかなあ?」
 あのとき、俺の傍らには有馬がいたわけですが、そんなことを言おうものならバッド・エンドは免れない。
「あのときは藤堂先輩が傍にいた。いやあ、あわや舞台の上の水橋先輩の姿が見れないかもしれずに四苦八苦しましたわい」
「そうなの。どうやって、藤堂先輩を助けたの?」
「肩車をしました」
「翔馬が?」
 ぎくり。
 氷華梨の質問には最大限の警戒をもって答えねばならない。
 だって、あのとき肩車をしたのは俺ではなく有馬だったのだから。
 けれど、それを言おうものなら有馬といたことがバレるわけで。
 いやはやまいった。ここがお座敷でないのが悔やまれる。もしもここがお座敷ならば、即座に何の迷いもなく土下座ができるのに。
「あ、あのときは俺の隣でライブを見ていた人が機転を効かせて助けたんだよ」
「へえ。それはどんな人?」
 氷華梨の追及は終わらない。
 やれやれ、入学当初と比べて氷華梨はとても強くなられました。
 もうね、なんというか彼女はアルカナ使いの中で最強かもしれない。少なくとも竹刀や木刀を持った時の戦闘力は他の追随を許さない。
 魔法【ブーステッド】で身体強化した【戦車】の槍先先輩ですら勝利は難しいやも。
「あ、有馬紅華が隣におりました!」
 ついにプレッシャーが俺のメンタルの耐久値を上回る。
 俺はもはや、隣の【女教皇】に怯えきっていた。
「うん、素直でよろしい。そっか……有馬さんがいたんだ」
 途端に悲しそうな顔をする氷華梨。
「あ、でも、あのときは有馬とは何もなかった。それは本当に本当だ!」
「うん、嘘じゃないみたいだね。大丈夫だよ、私だってそこまで馬鹿じゃない。最近、有馬さんが前ほど翔馬にちょっかい出さなくなったから、気になってたんだ。それだけ」
「すまない」
「本当に悪いことしたと思ってる?」
「当たり前だ! 本当ならお前に隠し事をするべきじゃなかったと思ってる! それでも、氷華梨に嫌われるのが怖くて言い出せなかった」
「大丈夫。私も隠し事されて、ちょっと意地悪したくなってみたくなっただけ。ねえ、翔馬。私を正面から見て」
 氷華梨の願い事に、俺は素直に従った。
 彼女の瞳は、少しだけうるんでいた。下手を打とうものなら、彼女を泣かせてしまうかもしれない。
「翔馬は今、怖い思いをしたよね?」
「高校に入学して以来、最高の恐怖だったかもしれない」
「でも、翔馬はちゃんと私を見てくれてる。私も臆病にならずにそれに応える。だからね、こういうのがきっと勇気っていうんだよ」
「なるほど」
 俺は感嘆の声をもらすしかない。
「隠し事は禁止とは言わないけど、隠されるとちょっと悲しい。……これって単なる独占欲かな?」
「かもね。とはいえ、お前がそこまで俺を欲してくれてるってのは嬉しいよ」
 これは本心である。嘘をついても魔法の力でバレるのだから、真実を言うしかないのだが、それでもこれは口に出しておきたかった。
「あのね、翔馬。私ね、日に日に幸せなことが不安になるんだ。私みたいな人間が幸せになっていいのかって思ったりして。変だよね、こんなの」
 氷華梨は吐露する。
「幸せの限界――アッパーリミットを越えようとしている?」
「かもしれない。堪えられる幸せに対して、度を越した幸せを手に入れると人間は正気ではいられなくなる、か」
 ぽつりと自分の考えをまとめるように氷華梨は喋る。
 元々、入学当初は自己評価が壊滅的に酷い子だったしなあ。まあ、俺が言えたことではないんだけど。
「でも、俺は氷華梨を諦めたくない。これもわがままといえばわがままだけどさ」
「私も、翔馬ともっといたい。もっと幸せになりたい。幸せにしてほしい。幸せにしたい。ごめん、なんだか頭の中、自分でも信じられないくらいにぐちゃぐちゃになってきた」
 言いながら彼女は笑うが、どこかに影の指すような表情だった。
 だから、俺は氷華梨の手を繋いだ。
 彼女の手は少しだけ冷たく、それが心地よかった。
「俺に触れられて、氷華梨は逃げ出したいと思うのかい?」
 俺は聞いてみた。それこそ、なけなしの勇気を振り絞って。
「大丈夫だよ、翔馬。私は幸せから逃げない。幸せになる勇気を捨てたりしない」
 氷華梨は俺の手を握り返してくる。
 そんな彼女の隣にいられることが幸せで、幸せすぎて、なんだか自分が世界の支配者になった気がした。
「そっか。俺も幸せから逃げないことをここに誓うよ」
 大げさな言い分。人間の感情なんて一時的なことなはず。だから口約束なんて狂気の沙汰。
 なのに、俺はそんな狂気を最後の最後まで貫けると確信した。
 誰かとつながっていることは弱さにもなるし、強さにもなる。
 ならば、俺は強さの部分を最大限まで引き出していこう。
「私たちって、恵まれてるね。アルカナ使いなんて得体のしれないものになったけど、そのおかげで新しい自分を手に入れられた」
「そうだな。そう考えると、まだ見つかってないアルカナ使いたちにも会ってみたいよ」
「だね。その人たちは、まだ一人で悩みを抱えているかもしれないから。傲慢な言い分かもしれないけど、困っているなら助けてあげたい」
 氷華梨は強く言い切る。
「自分が幸せだから相手にそれを分けようとするのはおせっかいかもしれないけど、でも、氷華梨のそういうところ俺は好きだよ」
「一番気になるのは【星】のアルカナ使いかな。先輩たちの予想では三年生。その人は入学から二年半の間、ずっとアルカナ使いであるのに気づいていないんだよね」
「もしくは、気づいているけど隠している可能性もあるけどな」
「どっちにしろ辛そうだね。気づいてないなら、一人で悩みを抱えてるんだろうし、隠しているならそれはそれで何か事情があるんだろうから」
 氷華梨は憂うように、目線を落とした。
「どうやったら、その人と会えるんだろうな」
 俺は誰なのかもわからない相手のことを思って、ちょっと胸が痛くなった。
「三年生だったら、探すのはやっぱり三年生の先輩たちにお任せするしかないのかな?」
「三年生の先輩たちは基本的には優秀な人たちだから、それもありかもしれないけどな」
 基本的に、という枕言葉をつけたのはヒノエ先輩に関しては優秀か否かギリギリのラインだからである。完全記憶能力を除いては、割合ポンコツな節がある人だから。

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