アルカナ・ナラティブ/第18話/04

 その日の夜。
 夢を見た。
 気持ち悪い夢だった。
 駅から学校への通学路を俺は歩いていた。
 生徒たちはみんな学校へ向けて歩いているのに、空は燃えるような夕焼け色。
 まるで狂気症状に陥ったみたいな空の様相。
 ムンクの『叫び』という絵画みたいだな、と思った。
 更に気持ち悪いと思ったのは、道行く生徒たちだった。
 みんな、顔がなかった。
 のっぺらぼうと化した人の波が、呻きながら学校へ向けて生ける屍みたいに歩いていた。
 だけど、顔のない一団の中に一人だけ顔がある生徒の姿を見つけた。
 氷華梨だった。
 彼女はこの異様な光景に立ち尽くしていた。
 俺は彼女の元に駆け寄る。
「翔馬……?」
 俺の姿に気づいた氷華梨は、安心したような顔をする。
 これは明らかに夢だ。しかも、悪夢寄りのやつだ。
 なのに、氷華梨の姿があるだけで妙に嬉しかった。
 まさか夢でも氷華梨に会えるなんて、それだけでも明日の目覚めはいいものになるだろう。
「これが夢でも、氷華梨に会えるとわくわくするな」
 俺は氷華梨に手を伸ばしてみる。
 彼女のさらりとした髪は、触り心地が最高だ。なんて言うと、変態っぽく聞こえるかもしれないが、まあ、そこは完全否定しきれない。
「私も、変な夢だからちょっと怖かったけど翔馬にあえて嬉しい」
 氷華梨はてへへ、と笑った。場にそぐわない表情であっても俺はそれだけで嬉しい。
 こりゃあ、明日は縁起のいい日だな。
 だというのに、夢の世界というのは無粋なこしらえをしているものらしい。
 リアルどころかドリームすら充実した恋人たちに水を指す輩が出現する。
「翔馬様……そのクソアマから手をおはなしください」
 冥府の主のごときどす黒い声。
 俺と氷華梨を睨みつけていたのは制服姿の笹倉先輩だった。
「おいおい、夢の中でまで俺に執心するかね、この先輩は」
 俺は辟易しながら言った。
 だけど、笹倉先輩は悪びれずに言うのだ。
「いえいえ、ここは翔馬様の夢ではありません。ましてや、そこのクソアマの夢でもありませんよ」
 口から膿が吹き出したみたいな気味の悪い笑みの笹倉先輩。
「だったらなんだよ? ……まさか!」
 そこまで言って俺は一つの情報を思い出す。
 理事長は言っていた。
 笹倉先輩の魔法は『自分の夢に他者を引きずり込む』ことだと。
「おそらくは翔馬様のお察しの通りかと。ここは私、笹倉奈魚の夢なのです。私の魔法は【エルドラド】と申します。いかがです? 最高に美しい、まるで黄金に匹敵する輝きだとは思いませんか?」
「ここがエルドラド……だと?」
 笹倉先輩の言葉に、俺は寒気がした。
 エルドラド――日本語で言えば【黄金郷】。
 当然ながら、俺はここが黄金郷には思えなかった。
 どっちかというと暗黒郷と評するべきだ。
「先輩のセンス、中々に個性的だな」
 とりあえず、相手を刺激しないように言っておいた。
 平均値からずれているから個性的。うん、嘘は言っていない。
「そう……ですか。翔馬様にはこの世界の奥深さはわかっていただけませんか」
 残念そうに言う【エルドラド】のマスター。
「この世界、なんというか人間の不安をぶちまけたような、そんな印象なんだけど?」
 この台詞は笹倉先輩を刺激するかなあとも思った。
 でも、思わず口をついてしまった。
「ほ、本当ですか! 翔馬様にそこまで褒めていただけるなんて恐縮です! やった! これは素晴らしいことです!」
 狂喜乱舞する笹倉先輩。
 彼女がお使いの感覚はかなりネジがぶっ飛んでいるらしい。
 彼女は更に続ける。
「博識と名高い翔馬様ならお気づきかもしれませんが、これはノルウェーの画家ムンクの世界観に影響された光景です。かの画家は生前に『叫び』や『思春期』に代表されるような、影や不安が蠢く作品を残しました。ムンクの作品は私の原風景とも言えるのです」
 なるほど、先ほど俺はこの世界をムンクの『叫び』みたいだと思ったが、どんぴしゃりだったようだ。
 あまり嬉しくない偶然の一致だな。
「んで、笹倉先輩は何がしたいんだよ?」
「私は翔馬様を正気に戻したいと考えております」
「……何を言っているんだ?」
 どっちかというと、この夢の世界の方が狂気的なんだけど。
「私は思ったのです。どうして至高の詐欺師だった翔馬様が、今の学校生活のような腑抜けた態度を取っておられるのか不思議だと。そして、考えに考えてわかったのです! やはり全てはそこのクソアマ、周防氷華梨の責任であると!」
 ぶっ飛びすぎた発想。
 けれど、笹倉先輩の血走った目に俺は臆するしかない。
 あったのは完璧なる狂気。
 彼女の狂気は、正気であるはずの周囲を狂気と認識しているに違いない。
「そこで、周防氷華梨には私が考えられ、そして行える範囲で最大級の天誅を下すことにしました」
 そう言うと、笹倉先輩は指をパチンと鳴らす。
 すると……。
 周囲の顔無し人間たちがこちらに向かって殺到する。
 まるで、ゾンビ映画の様相と化していた。
 顔無し人間たちは俺を無視して、氷華梨に群がり始める。
 明らかな氷華梨の窮地。
 俺は顔無し人間たちを彼女から引き離そうとする。
 しかし、数が多すぎる。
「おやめください、翔馬様!」
 笹倉先輩の叫びと同時に、顔無し人間数人が俺を拘束する。
「翔馬ッ!」
 俺の姿を見て、氷華梨も叫ぶ。
「おっと、もちろんあなたも逃しませんよ」
 再度指を鳴らす笹倉先輩。
 すると氷華梨もあっけなく顔無し人間に捕らえられる。
「笹倉先輩の目的はなに!?」
 噛み付くように氷華梨が言う。
 氷華梨の眼差しにあったのは明確な怒り。
 俺は彼女の、そんな剣呑な表情を見るのは名壁絡んだ事件以来だった。
「さっき言ったでしょう? 私の目的はあなたに天誅を下すことだと。周防氷華梨、あなたは瀬田翔馬という存在が秘めた残虐性を殺し、あんな腑抜けた下らない男に貶めた! これは万死に値する!」
 そして笹倉先輩は制服の胸ポケットから折りたたみ式のナイフを取り出し、振り上げる。
「やめろッ!」
 顔無し人間に拘束された俺は、絶叫するしかできない。
 だけど、
 ――ぶすり。
 笹倉先輩の凶刃はあっけなく氷華梨の右腿に突き刺さる。
「ッッゥゥッ!」
 声にならない悲鳴を上げる氷華梨。
 だけど、笹倉先輩はそれだけで飽き足らない。
「テメエだ! テメエさえいなければ翔馬様は正気でいられたんだ! 今でもきっと、世界中の馬鹿で阿呆なゴミどもを食い物にして、くだらねえ世の中を面白おかしく混沌に塗りつぶしてくださってたんだよ!」
 刺す。
 刺す。
 刺す。
 氷華梨の脚を、腕を、横腹を、首を。
 荒れ狂う憤怒が氷華梨をメッタ刺しにする。
 刃が自身を貫く度に、氷華梨は嗚咽を漏らす。
「くそ、やめろ! 氷華梨! 氷華梨ッ!」
 叫ぶことしかできない俺の虚しさは、その都度、中空に拡散するばかり。
「翔馬……」
 全身刺されても、氷華梨は意識を保っていた。
 夢だからそんな芸当が可能なのだろう。
 しかし、全身穴だらけにされた状態では、そちらの方が見ていて痛々しい。
「やめろ笹倉! 許さねえ! お前だけは絶対に許さねえ!」
 噛み付くように叫ぶ俺。
 なのに目の前の人の形をした悪夢は酷く楽しそうだ。
「そう、それです! ああ、翔馬様はそのように獰猛でなくてはなりません! 凶暴でなくてはなりません! それでなくては何が瀬田翔馬か!」
 せせら笑いながら、さらに笹倉先輩は氷華梨を刺していく。
 いや、それだけでは飽き足らず、刺し口をナイフでぐちゃぐちゃにかき混ぜたりとやりたい放題だ。
 結局、彼女の強行は氷華梨が声を失うまで続く。
 夢の中であったとしても、氷華梨が壊れていく。

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