アルカナ・ナラティブ/第18話/07

 気がついたら、俺の意識は駅から学校への道の上にあった。
 だけど、空だけは心が病んだみたいに赤黒く、ぐにゃりぐにゃりと気持ち悪い渦を巻いていた。
 十中八九、笹倉先輩の夢の世界【エルドラド】だった。
「翔馬……」
 俺の隣には氷華梨が立っていた。
 彼女の部屋にいたとき、氷華梨はパジャマ姿だったのに今は制服姿。
「そんな不安そうな顔しないでくれ……というのはちょっと酷か」
「うん。でも、翔馬は割合平気そうだね」
「まあね。まずなにより、夢の世界に送り込まれた先で氷華梨が隣にいてくれてよかった。離れ離れの位置からスタートじゃ何かと不都合だ」
 これは勿論、氷華梨探しから始めなければならないのは手間だという意味もある。でも、氷華梨を一人にしておくのが怖くて不安であるという意味の方が大きい。
「これから……どうしよう」
 氷華梨は狂気の異世界を眺めながら聞いてくる。
「こういう場合は、まあ、探索だよな」
 言いながら俺は、以前にクラスメイトの誘いで参加してみたTRPGを思い出した。
 それはとある創作神話を元にした世界観だった。探索者となったプレイヤーが異貌の神々への恐怖と戦いながらダンジョン脱出を目指すというストーリーだ。
 実はこの夢の世界にもSAN値設定があって、それがゼロになったら永久発狂とかになったりして。
 ……完全否定できないから怖いな。顔のない人間たちが闊歩する世界だしな、ここ。ある意味で幻夢郷である。
 周囲には、一応、学生服を着た顔のない人間たちが散見できた。
 でも、昨晩と違って彼らは俺たちに無関心だ。
「おかしいな、今日は顔無し人間が襲ってこない」
 俺はポツリと言った。
「もしかして……彼らは笹倉先輩の指示がないと無害なのかな」
 と氷華梨。
「その可能性は十分にあるな。笹倉先輩は今どこにいるんだろう?」
「はっきりとはわからないけど、あの人が今日、普通に通学してるなら今はまだ起きている?」
「なるほど、夢の支配者である笹倉先輩でも、きちんと寝ないとこっちには来れない仕様なのかな」
 憶測で決め付けるのは危険だが、そう考えると説明はつく。
 まるでネトゲのログインとログアウトみたいだな。
 俺らは寝たら強制的に【エルドラド】にログインさせられる。しかも、目覚めない限りはログアウト不可能。
 おいおい、これじゃ、一昔前に流行った仮想現実のネトゲを舞台にしたラノベみたいじゃないか。
「とりあえず、探索してみるか」
 ここで立ち止まっていても何も前には進まない。
 リスクを背負ってでも歩き出すのが一番のリスクヘッジな気がする。
 どこに行こうか。
 とりあえず、ここが学校への通学路ならば学校まで行ってみるのがベターだろう。
 俺は氷華梨の手を引いて、学校まで歩いていく。
 焼け爛れたような空の下でも、俺たちの通う学校はきちんと存在していた。
 玄関をくぐり、校内へ入る。
 人気はない。日中の学校にあるような賑やかさは皆無。生命が死滅したような静寂だけが辺りを包んでいた。
「気持ち悪いくらい何もないね」
 二階への階段を上りながら、氷華梨は周囲を観察。
「だな。ここが笹倉先輩の精神世界だっていうなら、本格的に笹倉先輩が恐ろしい」
 専門家でない俺が講釈を垂れるのも筋違いかもしれないが、夢ってのは人の心の表れだ。それがこんな世界で、しかもそれを【エルドラド】と呼ぶなら本格的に心の病気だ。
「とりあえず、私たちの教室に行ってみる?」
「そうしてみよう。他に行くあてもないからな」
 というわけで一年五組の教室に進路を向けてみる。
 教室の扉を開けてみる。
 だけど、そこに教室はなかった。
 ぐちゃぐちゃに散らかった、おそらくは女の部屋と思われる空間が待ち構えていた。
「うわー、これは触らずに分かるアウトだな」
 ここまで露骨に壊れた世界観だと、逆に笑うしかない。
「氷華梨はちょっとここで待っててくれ。俺が先に入るから」
「う、うん。でも、何かあると嫌だから、翔馬を引き戻せるように手は握っておくね」
 不安げな氷華梨は、俺の手をギュッと握ってくる。
 まさに氷華梨の勇気が命綱だ。
 俺は廊下と謎の部屋の境界を超えてみる。
 とりあえずは何も起こらない。
「大丈夫?」
 氷華梨が聞いてくる。
「ひとまずは、ね。しっかし、本当に薄気味悪い部屋だな」
 改めて部屋を見回してみる。
 ここが笹倉先輩の夢の世界なら、おそらくは笹倉先輩に縁のある部屋なのだろう。
 だとしても、精神的に身震いする。
 部屋にはテレビがあった。
 テレビはつけっぱなしだった。
 テレビから垂れ流されるのはニュース映像だった。
 ニュースの内容は、十代の少年が投資詐欺で逮捕されたという内容。
 明らかに、俺が捕まったときの報道だった。
 その映像に、俺の呼吸はみるみるうちに浅くなる。
 わかっていた。笹倉先輩が俺に狂気的な行為を向けている以上、こういったニュースを知っているのは覚悟していた。
 それに部屋にはゴシップ記事が主体の雑誌が散らばっていた。
 見出しには『投資詐欺少年の正体!?』とか『どうして少年は犯罪に手を染めたのか?』とか見出しが踊っていた。
 他にも本棚には俺の起こした事件の考察本だとか、あるいはインターネット記事がプリントアウトされたものだとかが散らばっている。
 そして、更に呼吸は浅くなる。
 というか、やばい。
 呼吸ができなくなってきた。
 どうして……どうして……どうして俺はあんな事件を起こしてしまったんだ。
 俺は本当に、氷華梨と一緒にいる価値なんてあるのか?
 本当に氷華梨は俺と一緒にいて幸せなのか?
「はあ、はあ、はあ……」
 もはや呼吸困難に陥るしかない。
「しょ、翔馬!?」
 廊下と部屋の教会を乗り越えて、氷華梨が俺を介抱する。
「ご、ごめん……く、苦しい……」
 世界がくにゃりと歪む。
 胸を抑えて、俺はその場にしゃがみこんだ。
 そんな俺の頭を、氷華梨は覆うように包み込む。
「大丈夫。私はずっと翔馬のそばにいるよ」
「でも……俺は……この部屋のニュースみたいに最悪の人間で……」
「違う! そんなことはない!」
 氷華梨の怒鳴り声が、室内に響いた。
 あまりの気迫に、俺は驚き、少しだけ我に返った。
「こんなの……翔馬の苦しみを知らない人間が勝手につくった記事だよ。翔馬が事件を起こしたのは事実だとしても、そうなるまでにはいっぱい辛いことがあったんでしょ? だから……自分だけを責めないで」
 氷華梨は俺の無理矢理に頭を上げて、必死に微笑んでみせた。
「俺は……俺は……」
 狂気的な室内で俺は懊悩する。
 俺は……何を信じるべきだ?
 ニュースや雑誌記事の言葉?
 笹倉先輩の狂気的な信奉?
 違う。
 俺が信じるべきは、目の前の少女の泣きたいんだか笑いたいんだか今一歩判然としない、それでもひたむきな顔つきだ。
 決して変えられない過去が、この部屋には横溢している。
 でも、せめて、信じよう。氷華梨と過ごす未来だけは変えられると。
「氷華梨……」
 俺は氷華梨の顔を正面から覗き込んだ。
「何?」
 氷華梨の表情には、不安げな部分はなかった。
 俺はそんな彼女がたまらなく愛おしく、だから、頭の中にあった理屈だとか、後悔だとか、諦念だとか、そういうものが一瞬だけだとしても全て吹き飛んだ。
「俺は氷華梨のこと大好きだよ」
 これまでの文脈にそぐわない台詞。
 でも、ここではそう言うしかなかった。
「うん。私も翔馬が大好き」
 夜の奥底みたいな室内に、太陽に見たいな氷華梨の笑顔が咲き誇る。
 ああ、俺はきっとこのために生きているんだ。
 俺はこれまで、どうしょうもなく悪いことをしてきた。
 きっと、これからも生きている以上は悪いことをし続けるのだろう。
 だから、俺は死んだ後に、もしも死後の世界があるなら地獄に落ちるだろう。
 それは構わない。
 でも、その前に氷華梨のことを目一杯幸せにして、彼女に降りかかる不幸を例外なく蹴散らしたい。
 だから――まずはこんな気色悪い悪夢から駆逐してやろう。

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