アルカナ・ナラティブ/第18話/10

 目覚めによって【エルドラド】から現実世界に戻ってきた俺たちは、学校への通学路を歩いていた。時刻はすっかり夕暮れ時で空は赤い。けれど【エルドラド】と違って空は不気味な渦を描いていない。
 放課後に登校するなんて、ある意味で滑稽だが俺たちは授業を受けたいわけではない。笹倉先輩に会うことが目的だ。
 学校にいるヒノエ先輩や天野先輩たちに笹倉先輩を引き止めてくれるようにお願いはしてある。
 彼女たちの話では、保健室で廃人と化していたところを保護して、現在は魔法研究部の部室で待機中とのこと。
 んで、部室に到着する。
「お疲れ様。笹倉先輩、いる?」
 部室に入っていくと、そこにはヒノエ先輩と天野先輩、そして笹倉先輩の姿があった。
 笹倉先輩は上の空で天井を眺めながら、ぶつぶつと何かを呻いている。
 ちょっとSAN値を削りすぎたからな。永久発狂じゃないといいんだけど。
「笹倉さん、さっきからこんな調子だけど、何かあったの? ……いや、これは今学校に来たばかりのお前らに聞いてもしかたないか」
 天野先輩は肩をすくめて首を横に振った。
「いや、知ってる。というか、彼女をこんな風にしたのは俺だよ」
「へえ、そうかい。だったら責任とってどうにかしてくれ」
 笹倉先輩の隣に座っていた天野先輩は部室の奥、つまりヒノエ先輩の隣まで引っ込んでいく。
 俺は笹倉先輩の顔を覗き込んだ。
 それだけでは笹倉先輩に反応はない。
「おーい、笹倉先輩。俺だよ俺、瀬田翔馬だ。そろそろ異世界トリップをやめてくれないかな?」
 とりあえず声をかけてみる。
 というか、彼女の場合は俺が顔を見せただけでは、俺を『瀬田翔馬』と認識できないのだ。『なんじゃそりゃ?』という話かもしれないがそれは後述ということで。
 呆然としていた笹倉先輩だったが、俺が名乗りを上げたことでやっと我に返る。
「まさか、そのお声は……翔馬様?」
「そのまさかだよ。わざわざそんな風に確認を取るってことは、やっぱり笹倉先輩には俺の顔が見えてないんだな?」
 回りくどいのは嫌いなので、ストレートに聞いてみた。
 だけど笹倉先輩は返答に困っていた。
「顔が見えていないとはどういうことかね? これまでの言動から察するに奈魚君の視力に問題はないと思うのだが?」
 ヒノエ先輩は釈然としない様子。
「確かに。笹倉先輩は盲目とかではないはずだ。俺が言っているのは視力の問題じゃなくて認知機能の方だよ」
「わけがわからん」
 と首をひねるヒノエ先輩。
 一方で天野先輩は合点が行った様子で、
「ひょっとして、相貌失認?」
 さすが天野先輩。察しが早くて助かる。
「ソウボウシツニンって……?」
 氷華梨は首をかしげていた。
 そりゃあ、一般的な女子高生が相貌失認を知っているのは珍しいわな。
「相貌失認ってのは、脳障害の一種だよ。相手の顔を見ても、それが誰のものだか識別できなくなるんだ。だよな、笹倉先輩?」
 俺は簡単に説明してみる。
「……その通り……です」
 申し訳なさそうに笹倉先輩は頭をたれた。
 笹倉先輩が相手の顔を識別できないとあれば、彼女のいくつかの不可解な言動も説明できる。
 まず笹倉先輩が自分から俺を探し出そうとしなかった件。
 彼女は俺を探したくても探せなかったのだ。いくらクラスメイトなどの俺の知人に俺の居場所を聞いてみたところで、顔がわからない以上はピンポイントで俺個人を探し出すのは難しい。
 次に最初に生徒会室で水橋先輩と俺と会ったときのこと。
 笹倉先輩は俺と水橋先輩の区別がついていない素振りを何度かしていた。着ている制服が同じである以上、彼女にとっては俺と水橋先輩のどちらが『瀬田翔馬』なのか識別するのは難しかったに違いない。
「もしかして、夢の世界に現れた顔のない人たちって、笹倉先輩は顔がわからないからあんな見た目だったの?」
 ようやく氷華梨も真実を咀嚼できてきたみたいだ。
「多分ね。そりゃ夢の中であっても人の顔を再現するのは難しいわな。だよな?」
 一応、笹倉先輩に確認を取っておく。
 否定しないということは肯定と捉えて問題はないのだろう。
「そうか! だから夢の中で制服を交換した私と翔馬を取り違えて攻撃してきたわけね?」
「ですでーす。もちろん、髪型とかの要素で判断もできたんだろうけど、顔が見えない以上はやっぱり着ている服が一番の特徴だ。一種のギャンブルだけど、上手くいってよかったよ」
 とはいえ、元々は俺を攻撃させることで少しのスキができればいいな、くらいの計画だった。
 それがあそこまで取り乱すとは誤算だよ。
 ちなみに、俺まで氷華梨の制服を着ておいたのは夢の中で魔法【レンチキュラー】が使えるか不安だったから。
 一応、あのとき笹倉先輩には【レンチキュラー】を発動していたが、本当に効果があったのかは怪しいところだ。
「翔馬様は、私に刺されたことをお怒りですか?」
 笹倉先輩は聞いてくるが、どうにも質問がズレている。
「俺が許せないのは氷華梨をメッタ刺しにした方だ。俺は氷華梨を傷つけるやつを許さない。それが例え夢の中であってもだ」
 俺は釘を刺すみたいに言っておく。
「し、しかし……! あの女がいるせいで翔馬様は本来の性質を失っております!」
「本来の俺ってなんだよ?」
「一言で評すれば混沌の魔王たる翔馬様です」
 アイタタタタ。
 俺、どんだけ強キャラ認識を受けてるんだよ。
「笹倉先輩、俺がなりたい自分は、そんな世界の終わりを望むような孤高の存在じゃないよ」
「では一体、翔馬様はどうなりたいとおっしゃるのですか!?」
「俺は……俺の夢は、ささやかかもしれないけど周りの人を幸せにできる存在であること、かな」
「そんな……」
 唖然としながら笹倉先輩は涙ぐんでいた。
「笹倉先輩が過去に辛い思いをしたのは何となくわかった。俺を依存先にすることで心を保ってきたのも、夢の中の笹倉先輩の部屋の様子で理解した。でも、俺は笹倉先輩が期待するような人間ではないよ」
「だったら……私はこれから何を支えに生きていけばいいのです? 翔馬様という崇拝に値するお方がいるからこそ、この醜い世界にどうにか耐えられた。やはり私は夢の世界で生きるしか手がないのでしょうか?」
「そんなことはないよ。こっちの世界は良いことばかりではないけど、悪いことばかりじゃない。異世界を楽しむのもいいけれど、それに飽きたらこっちの世界に戻ってこればいい」
 諭すように言う。
「ですが、私は……不安なのです。顔が分からない自分などに未来があるとは思えない。不安で、不安で、不安で、いつも生きている心地がしない」
「それは先輩のわがままだよ。綺麗事を言うのが許されるなら――笹倉先輩が大好きなムンクだって晩年には輝きに満ちた素晴らしい作品を残しているじゃないか」
 俺は言うが、笹倉先輩は腑に落ちていない様子。
「ムンクの晩年?」
「……あれ、その顔は本当に知らない?」
「ムンクはあくまで人の不安を掻き立てるような影のある絵ばかりを描いていたのでは?」
 おっとっと。
 こりゃ本格的に、この人は重大な勘違いをしている。
 しょうがない。
「ヒノエ先輩、ちょっとパソコンをお借りしたい。インターネットを使わせてくれ」
「よかろう」
 ヒノエ先輩は俺に席を譲ってくれてる。
「なあ、笹倉先輩。この絵を見てくれ」
 俺はインターネットの画像検索で一枚の作品を呼び出した。
 検索ワードは『ムンク 太陽』だ。
「これは……」
 立ち尽くす笹倉先輩。
 彼女が見ているムンクの『太陽』という作品は、海から昇る太陽を描いた作品だ。
 太陽からは直線的な光線が放たれ、『叫び』みたいな不安げにグニャグニャした印象は全くない。
『太陽』という作品は、不安や影を描いてきたムンクという画家が晩年にたどり着いた人生の結論なのだ。
 眩いばかりの『太陽』に笹倉先輩はしばし言葉を失っていた。
「俺は別に芸術には詳しくない。けど、『叫び』みたいな絵を描いた人間だって、『太陽』みたいな希望に満ちあふれた作品を描けるようになる。だったら、もうちょっと生き延びてみるのもアリなんじゃない?」
 俺は言うが、やっぱり笹倉先輩からの返答はない。
 彼女はしばらく惚けてから、そして、無言で部室を立ち去った。
 彼女がこれから先、どう変わっていくか俺には知る由もない。
 でもまあ、今回のことがちょっとは薬になってくれたらいいと切に願う。

   ◆

 学校を去った俺は、周防家の前の公園に停めてあった自転車を回収する必要があった。
 二時間ほどかけて自転車を漕いで帰宅である。
 そのせいですっかりクタクタだ。
 家に着いたら夕食も取らないで自室で気を失うように眠りこけていた。
 ぶっちゃけてしまうと、眠った後に再び【エルドラド】の悪夢が再来したらどうしようかとも思っていた。
 実際問題、ひどく現実的な感覚を伴った夢を見た。
 夢の舞台は海を望む崖だった。
 だけど、空は不安げに捻じ曲がってはいなかった。
 海からは眩いばかりの太陽が昇り始めていた。
「ようこそ、翔馬様。私の【エルドラド】へ」
 背後から声。
 振り返ると、そこには笹倉先輩の姿。
 彼女もまた昇る太陽を穏やかな表情で眺めていた。
「ここ、やっぱり笹倉先輩の夢の世界なんだ?」
「はい。とはいえ、自分でもこの変化の激しさに戸惑っておりますが」
「夢の世界って、笹倉先輩が意図的につくってたものじゃないのか?」
「その部分も多少はありますが、完全に制御はできておりませんよ。何しろ夢ですので、半分以上は無意識の産物です」
「そっか。綺麗だな、太陽」
「ですね。……翔馬様、一つお聞きしたいことがあります」
「何かな?」
「翔馬様は、あの女……周防さん以外の女性と付き合うつもりはありませんか?」
 おずおずと聞いてくる笹倉先輩。
 でも、俺はきっぱりと、
「ないよ」
 こういうのは、正直に言うのが礼儀というものだろう。
 悲しそうな顔の笹倉先輩。
 でもすぐに頭を振った。
「まったく、翔馬様にそこまで愛されるなんて周防さんも果報者ですね。翔馬様を悲しませるようなマネをしたら許さないんだから」
「といってみたところで、氷華梨を悲しませるマネをしたら俺は笹倉先輩を許さないからね?」
 ちゃんと牽制しておかないと何をしでかすか分からないので言っておく。
「心得ました」
 彼女の宣誓を俺はしっかりと聞き届ける。
「それにしても、本当に綺麗な太陽だ」
 現実世界で太陽を直視するのは危険な行為だ。目が潰れてしまいかねない。
 でも、ここは夢の世界なのだ。
 夢ではなんでもアリである。
 俺はガラにもなく、明日への希望だとか、非日常が混じってしまった学校生活への感謝だとかを抱いてしまった。
 本当に、そんなのは俺のキャラに合わないと思う。
 夢から覚めたら、またあれこれと悩んでいるんだろう。
 でもまあ、今は悪い気分ではない。
 たまには夢オチも悪くなかろう。

【XVIII・月】了

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