アルカナ・ナラティブ/第19話/07

 生徒会室から教室に戻って氷華梨と合流。
 その後は教室を片付けてから、下校の路についた。
「結局、烏丸に関しては許しをもらえなかったよ」
 一応、報告はしておく。
「そっか」
「それでも、彼女が何を思って俺に魔法をかけたのかはわかった。そういう意味では収穫はあったと言うべきかな」
「うん」
 氷華梨は頷くが、どうにもさっきから生返事ばかりである。
 彼女は彼女で、何か思うところがあるのだろうか?
 それを深く追求すべきなのか。でも、無理矢理に踏み込んでいいものかは迷うところだ。
「どうした? 心ここにあらずって感じだけど」
 曖昧な問いにとどめておこう。
 それで詳しいことを話してくれるならそれでよし。話したくないなら、まあ、ぼんやりとした返しをしてくれるだろう。
「んーっとね、そろそろもう一人の翔馬にも会ってみたいなあ、って」
 いきなりの物言いだ。
「そんなことして何になる? いや、そもそももう一人の俺は幻だから会う手段があるとは思えないけど」
「でも、私は会ってみたいな」
「やめてくれ。あんなの暗くて汚い、みすぼらしいだけのガキだ。会っても面白いとは思わないよ」
 むしろ俺が会ってほしくない。
 俺はもう一人の俺を見る。
 やっぱり憔悴した眼差しでこちらを睨みつけている。
 こりゃ、会わせられないや。
 そもそも、会わせる方法もないだろうけど。
「そうかい? 僕はある意味、そこの女に会ってみたいよ」
 俺の心を読んだみたいに、もう一人の自分が言ってくる。
 とりあっても仕方ないので、俺は無視する。
 でも彼は続ける。
「もしも、そこの女が僕を見たらガッカリするだろうな! ていうかさ、お前は本気で、そこの女がお前を好きだと思ってるの?」
 うるさい。黙れ。
 更なる無視を続行。
 だけど、向こうも躍起になって語る。
「どうせ、そこの女も心の底ではお前を軽蔑してるに決まってる! は! 詐欺師ごときが夢見てんじゃねえよ! お前が幸せになれるわけがない。どれだけお前が現実から目を背けたって、お前は僕から――お前の影から逃げられねえんだよ!」
 彼にしては楽しそうに、でも、陰惨に大笑いしていた。
 そして彼は道路に出ていく。
「あ……お前!」
 思わず俺は声をあげた。
 もう一人の自分めがけて自動車が突っ込んでくる。
 当たり前だが、自動車は彼をすり抜ける。
 だけど俺は一瞬ひやっとした。
 彼は道路でくるくると舞っていた。
「ほーら、こっちにおいで。そうすれば、自動車がお前を殺してくれるぞ! そうすれば生きてるよりずっと楽になる!」
「やめろ……」
 俺の呼吸が荒くなっていく。
 心拍数が増加し、目の奥が熱い。
「僕は瀬田翔馬の本音だ。だからお前は本音に目を向けろよ! 本音ではお前は死にたいんだよ!」
「やめろ……やめろ……」
 もう一人の痛々しい笑顔に、俺はどうにか彼を止めようとする。
「やめないね! 僕はお前で、お前は僕だ。だから、さあ、こっちに来い!」
 もう一人の自分が、自動車行き交う道路へと誘ってくる。
 大丈夫、いくら俺でもあんな奴の甘言に乗るわけがない。
「翔馬、今、もう一人の翔馬はあそこにいるの?」
 俺の様子を察し、氷華梨も道路の方を見た。
「ああ。何か、ふざけたことを言ってるけど、大丈夫。俺はあいつの言葉を無視できる」
「そっか、翔馬は無視……するんだね?」
 氷華梨は悲しそうに言ってくる。
「な、なんだよ。無視じゃ悪いのか?」
「うん、無視じゃダメだよ。もっと、もう一人の自分の話を聞いてあげて」
「冗談を言わないでくれ。あんな奴と話しても無駄だよ」
「どうしてそう言えるの?」
「逆に聞こう。どうしてもう一人の自分……一番見たくない自分と対話なんてできると思うんだよ?」
「それは……」
 しどろもどろになる氷華梨。
 俺は改めて道路上のもう一人の自分を見た。
 相変わらず彼の元に自動車が突っ込んでくる。
「あーあ。あいつだけ車に轢かれて死んでくれないかな」
 思わず、本音がぽろりと漏れてしまった。
「翔馬……何を言ってるの?」
「だってさ、あいつだけが死んでくれたら全てが万々歳じゃないか! 今回の騒動も解決だし、俺は見たくない自分を見なくて済む」
「……違う」
 氷華梨はうつむきながら、それでも強い声で言う。
「何がだよ? 俺はあいつが嫌いだ! あんな自分嫌いだ! だって、あいつは子供のときの馬鹿で阿呆で間抜けでクズでカスな俺そのものだから!」
「……違う!」
「いいや違わないね! 俺だってまともな人間になりたいんだ。だから、あんなのは切り捨てるべき!」
「絶対に違う!」
 氷華梨が泣き出しそうな悲鳴をあげた。
 そうなっては俺も引き下がるしかない。
 だけど、外野からゴミみたいなヤジが飛んでくる。
「ほーら、違うって! 何が違うんだろうな!? お前が思ってるほど、そこの女はお前を好きじゃないのかもしれないぜ!」
 道路上でもう一人の自分が叫んだ。
 悪夢みたいな光景に、俺は気が遠くなりそうだった。
「なあ、氷華梨。少しの間、俺を一人にさせてくれ」
「……わかった。私、学校に一回引き返すよ。図書館で本でも読んで時間をつぶしてる」
「ごめん」
「でもお願い。どんなに辛くても、苦しくても、生きて。それだけは絶対に守って」
「善処する」
 氷華梨に背を向けて俺は駅の方へと歩き出す。
 見事なまでの敗北だ。
 敗北の「北」って漢字は、お互いが背を向けている様子なんだとか。そこから転じて逃げるという意味もあるらしい。
 だから敗北って言葉は、本当に惨めだ。
 敗れた上に、逃げるのだ。
 でも、七星と烏丸や、氷華梨から逃げられたとしても、俺は自分自身からは逃げられるのだろうか?
 影は自分を逃しはしない。
 ああ、そうか。
 俺って本当に無様だな。

   ◆

 帰宅するまでが学校だというなら、家についた瞬間に冬休みが始まったといえるだろう。
 でも、全くわくわくしてこない。
 本当なら、氷華梨の前だけでは格好いい姿とか見せたいんだけど俺には無理らしい。
 自分の影は尚も俺に罵声を浴びせてくる。
 うるさい。
 ハエみたいにウザい。
「お前、結局何がしたいんだよ?」
 再三聞いたであろうことを、改めて聞いてみる。
 ちなみにここは自室。独り言みたいに幻と話しても変に思う奴もいない。
「僕はね、自分が生きているか知りたいんだ」
 妙に哲学的な物言いなもう一人の自分。
「意味不明だな」
「だってさ、僕はあのクソ親に散々罵倒されながら育ったんだぜ? 時には『お前なんて生まれてこなきゃよかった!』って言ってたよな?」
「それは……」
「否定できないよな? だって事実なんだから」
「でも、俺は……生きている」
「強がるなよ。生きてるフリをしてるだけじゃないのか? 生まれた時から未来のない人間が、さも未来があるみたいに振舞ってるだけ。おいおい、それは本当に生きてると言えるのか? むしろ死んでいる人間の方が価値があるんじゃないか?」
「でも……ははは、お前の言ってること無茶苦茶だぜ? 生きてるかどうかなんてどうやって確かめるんだよ?」
 俺の必死の強がりに、もう一人の俺は口を開いて暗黒の呪詛を吐き出す。
「死んでみればいい。生きてる者はいつか死ぬ。死ねば、それまで生きてたことが証明できるじゃないか!」
 もはや彼の理論は破綻していた。
 バカみたい。
 でも、同時に思う。
 こんなバカみたいなガキがもう一人の自分なのか、と。
 絶望したというよりは、ガッカリした。
「僕はいつでも問題ないぜ」
「何がだよ?」
「なあ、お前は一体いつ死んでくれるんだ?」
 彼の戯言に俺はいよいよキレた。
「うるさい! 黙れ! お前の方こそ死んじまえ!」
 俺は、それこそガキみたいに怒鳴ると毛布をかぶってベッドに横になった。
 眠ってしまえば彼から逃げられるとは限らない。
 なにせ夢の中にも出てくるような輩だ。
 何分か、それとも何時間かの時が経つ。
 俺が次に意識を取り戻したのは、眩しい朝日が差し込む丘だった。
 その光景は見覚えがあった。
 それを証明するかのように、背後から、
「ようこそ翔馬様。私の【エルドラド】へ」
 笹倉先輩の姿があった。
【エルドラド】――つまりは笹倉先輩の夢の世界。
「んあ、ここはどこ?」
 俺の傍らには憎たらしいことに、もう一人の俺がいた。
 そうか、もう一人の自分は夢にも現れるのだ。ならば【エルドラド】に引き込むことも可能なのか。
「ようこそ、幼い頃の翔馬様! 嗚呼! 相貌失人の私にはご尊顔はわかりませんがきっと可愛らしいに違いない! お、お姉さんのところにおいでませ!」
 鼻息荒く笹倉先輩は言う。マイペースすぎるだろう、この人。
 ……って、はい?
「笹倉先輩、こいつ見えてるの?」
「当たり前です。だってここは夢の中ですから。何が起きても不思議ではありません」
「確かにそりゃそうだ」
「さて、本当は敵に塩を送るのは好きではありませんが、他ならぬ翔馬様のためとあらば私も人肌脱ぐ義務があるでしょう」
 唐突に言い出す笹倉先輩。
「どうした? 笹倉先輩がもう一人の俺を撃退してくれるのか?」
「いいえ、それは私の仕事ではありません。そこにいるクソアマにお任せします」
 笹倉先輩は俺の背後を指差した。
 振り向くと、そこには照れたみたいに笑う氷華梨がいた。
 彼女は慈悲深くもう一人の俺の方を見ていた。
「こんちにちは、もう一人の瀬田翔馬。私が誰かわかるよね?」
 氷華梨はもう一人の俺へと歩み寄る。
 憎々しげにもう一人の俺は氷華梨を睨みつけるが、彼女は怯まない。
「なるほど、これでキャスティングは完了ってわけかい」
 俺は言うが、笹倉先輩は首を横に振る。
「いえいえ、翔馬様。今日のエルドラドは豪華版です。もう一人来ております」
 笹倉先輩は指を打ち鳴らす。
 すると氷華梨の隣に人影が現れる。
 黒髪で白いワンピースを着た小学校低学年くらいの女の子の姿。
 楽しそうに、朗らかに笑っている。
「えっと……君は誰?」
 俺とは面識のない相手だ。
 女の子は答える。
 太陽みたいに底抜けに明るい声で。
「私はね、もう一人の周防氷華梨だよ!」

次へ→

←前へ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする