アルカナ・ナラティブ/第19話/08

『もう一人の周防氷華梨』を名乗る少女の出現に俺はたじろくしかない。
 俺だけでなく、もう一人の俺もぽかーんとしていた。
「これはどういうことだか説明を求む、笹倉先輩。あんたの魔法で作った夢の中の産物なのか?」
「いいえ、これは私の魔法とは関係ありません。その女の子は烏丸さんの魔法で炙りだされた周防さんの影です」
 笹倉先輩の説明に、俺はますます混乱する。
「ど、どういうこと?」
「私、翔馬に謝らなきゃいけないことがあるの」
 氷華梨は申し訳なさそうに言う。
「ほほう、氷華梨がやましいことをするとは思えないわけだが?」
「実はね、私、翔馬に内緒で烏丸さんに会いに行ってたの」
「はい? えっと、それはいつ?」
 混乱はますます深くなる。
「翔馬が烏丸さんに魔法をかけられた三日後くらい」
「な、何だって!?」
 ちょっと待て、それだと結構な期間、氷華梨も『もう一人の自分』と一緒にいたってことになるぞ。
「ごめんね。でも、翔馬に相談したら絶対に止められると思ったから独断で走っちゃった」
「あ、当たり前だ。みすみす烏丸の魔法の餌食にさせられるものかよ!」
「うん、そうなるのは目に見えてるから。でも、もしも翔馬の心が折れそうになったとき、私はあなたを支えたかったから」
「それともう一人の自分に会うこととどういう関係があるんだよ」
「もう一人の翔馬は私の本心を疑ってたんでしょう? 本当にあなたのことが好きかが疑わしい。本当はお情けで付き合ってるだけなんじゃないかって。はっきり聞いたのは今日の帰り道だけど、そんなの普段の翔馬を見てればわかるよ」
「そりゃ言ってたけど……」
「私は絶対にそんなことはないと思ってる。でも、無意識のことまでは私の意識じゃわからない。だったら、無意識に聞いてみるのが一番早いよね」
「だから、わざと烏丸の魔法にかかってみた、と?」
「うん」
 とんもなくあっさりと頷いてみせる氷華梨。
 おいおい、俺ってばどんだけクレイジーな娘さんをカノジョに選んだんだよ。
「もしもお前の影がトンデモな存在だったらどうするつもりだったんだ? 最悪、お前も潰れるリスクだってありうんだぞ?」
「その時は、粛々と翔馬と共倒れしてあげる。でも、私は自分は自分の影に飲み込まれないと確信していたよ」
「その論拠は?」
「私は翔馬のことが大好きだから。それこそ、あなたのために烏丸さんに会いにいくリスクを厭わないくらいには。だから、きっと大丈夫だって信じてた」
 自信満々に言ってくる氷華梨に言い返すだけのロジックは俺にはない。
 ただただ、凄いとしか言い様がない。
 俺が言葉を失っていると、横で笹倉先輩が肩をすくめていた。
「やれやれ。ラブラブなバカップルなんて見ていて不愉快です。というわけで翔馬様、あとはあなたとそこのクソアマの二人、いえ、それぞれの影を合わせて四人で話し合ってくださいな」
 吐き捨てるように言って、笹倉先輩の姿がこの場から霧散した。
 残された四人は、しばし立ち尽くす。
 沈黙を破ったのは、もう一人の俺だった。
「そのクソ女とクソチビ。僕に何の用だ? どうせ、僕をバカにしに来たんだろう? こんなに汚くて惨めな僕はさぞ滑稽だろう? 笑いたければ笑えばいいさ!」
 相変わらず、もう一人の俺は悪態をつくことしか知らないらしい。
 一方で、氷華梨ともう一人の氷華梨は小揺るぎもしない。
 それどころか、
「やれやれ、この男の子は口の聞き方を知らないようね」
 不敵な笑みを携えて、もう一人の氷華梨が一歩、また一歩ともう一人の俺に歩み寄る。
「ひっ……」
 その堂々たる態度に、もう一人の俺は後ろずさろうとする。
 が、よっぽど慌てていたのだろうか。
 脚をもつらせて尻餅をついていた。
 そんな彼を、もう一人の氷華梨が見下ろしていた。
「なんだよ……そんな目で、僕を見るな!」
 必死に彼女と距離を取ろうともう一人の俺がジタバタしていた。
 そんな彼に、もう一人の氷華梨が手を差し伸ばす。
「な、何がしたいんだ、お前?」
「あら、転んだ人に手を差し伸べて何か変かしら?」
 当然のことを、当然のことのように言うもう一人の氷華梨。
「はい?」
 もう一人の俺はポカーンとする。
 しかし、もう一人の氷華梨はしびれを切らせたのか無理矢理にもう一人の俺の手を取った。
「いつまでもボケっとしてないの!」
 強引にもう一人の俺を立ち上がらせると、彼女は彼の顔を覗き込む。
「ひぃ!」
 もう一人の俺は、大慌てで自分の顔を腕でガードする。
 もしかしたら、彼は自分が殴り飛ばされるのかと思っているのかも。もしも、相手が俺の両親だったらあの構図は張り手か打撃が飛んでくる予備動作だったし。
 でも、もう一人の氷華梨が取った行動は意外なものだった。
 彼女の伸ばした二つの手は、もう一人の俺の両手を取っていた。
「え? お前、何がしたいの?」
 おっかなびっくりもう一人の俺が聞く。
「ここまで頑張ってきたあなたにお礼が言いたいの!」
 これにはもう一人の俺だけでなく、俺本人もわけがわからない。
「どういうこと?」
「だって、あなたはもう一人の瀬田翔馬として瀬田翔馬――私の大好きな人を支えてくれたんでしょう?」
 まるで全力で握手するみたいに、もう一人の氷華梨は彼の手をブンブンと振っていた。
「ば、馬鹿言うな! 俺はあんな奴、大ッ嫌いだ! 誰かあんな奴の味方をしてやるかよ!」
「ふふふ、まあ、あんたも私を同じ影の存在だから、自分を悪くいう気持ちはわかるけどね。でも、本当に瀬田翔馬が嫌いなら、自分自身を操って死に追いやるくらいできたと思うんだけどなあ? どう?」
「そ、それは……」
 少女の問いに、少年は答えを窮する。
 え、もう一人の俺にそんなトンデモ能力ってあったの?
 今更だけど身震いがするよ、オイ。
「それでもあなたはこうして生きている。あなた、本当は助けて欲しかったんでしょう?」
 女の子は、ずいっと少年に顔を近づける。
 女の子には恐れなんてない。
 それこそ、太陽みたいな朗らかさだ。
「う、うるさい! 仮に助けてくれって言ったら誰か助けてくれるのか!? 僕はずっとあのクソ親にバカにされて、生き物扱いされずに育ってきたんだ! なのに今更になって人を信じろだって!?」
 彼はわめき散らす。
 でも、もう一人の氷華梨は黙って聞いているだけ。
「そうだとも! 僕はずっと一人だった! そんな人間が助けの声なんてあげていいわけがない!」
 怒鳴る、怒鳴る、怒鳴る。
 痛々しいくらいに怒鳴り散らす。
 だけど、やがて彼の瞳からは涙がこぼれ落ちる。
「だって、僕、汚いだろう? みすぼらしいだろう? こんな奴、助けたい人なんて、いるわけないよ」
 最後には怒鳴り声は鳴き声に変わっていた。
 そして最後に彼は問う。
「ねえ、教えてよ。僕はちゃんと生きているの? 生きているか、そうじゃないかってどうやって確かめるの?」
 血を吐くような問いかけだった。
 こうなると俺の方が見ていて辛くなってきた。
 でも、もう一人の氷華梨はやっぱり怯まない。
「こうすれば、生きてるかどうか確かめられるよ!」
 もう一人の氷華梨は、もう一人の俺をためらいもなく抱きしめていた。
「ふぇ?」
 もう、こうなるともう一人の俺に勝ち目なんてない。
「んー、とっても温かい! だから君はとっても生きていますなあ!」
 天真爛漫にもう一人の氷華梨は断言する。
「うん、僕、生きてる。僕は、生きてるんだ」
 もう一人の俺は、いよいよ観念したらしくもう一人の氷華梨を抱き返していた。
「ふふふ、素直な子は私は大好きなのです!」
 もう一人の氷華梨の完全勝利である。
「うん、僕も君のこと、大好き。僕、決めたよ。何があっても君のこと守る。絶対に君の味方でいてあげる!」
 もう一人の俺は、笑いながら言った。
 いつもの陰惨な笑みではない。子どもらしい素直な笑顔だった。
「うんうん、そうこなくっちゃ! よーし、じゃあ、私も約束しよう!」
「何を?」
 不思議そうな顔をするもう一人の俺。
 それに対して、もう一人の氷華梨は誓ってみせる。
「もし私の味方になるならパピコの半分をあげよう!」
 なぜそこでパピコ! ……と突っ込むのは無粋だな。
 あのアイスを半分に割って食べるのは本来の仕様なのだ。
 ああ、そうか。
 ようやく天野先輩が言いたかったことがわかった。
【女帝】と【太陽】が示す幸福の違い。
【女帝】の幸せは、とにかく物資や食料がいっぱいあることだ。パピコで言えば、一人で全部食べられる幸せ。
 これはこれで幸福なことかもしれない。だって、アイスクリームを独り占めできるのだから。
 でも、【太陽】が示す幸せはたくさんあることとは限らない。
 太陽の光は地上に平等に降り注いだとしても決して減るわけではない。無償で、ほぼ無限に与えられるエネルギーだ。
 それと同じように【太陽】が示す幸せとは分け与えることなのだろう。それこそ、例えて言えば、パピコを半分に割って食べたからといって幸せが半分になるわけではないのと同じように。
 俺は氷華梨の方を見た。
 きっともう一人の周防氷華梨を会うのにはためらいもあっただろう。
 こうして夢の世界【エルドラド】という場をセッティングするには笹倉先輩に頼み込む必要もあったはずだ。
 つまり、彼女は俺のために色々動いてくれた。
 なのに、嫌な顔一つしていない。
 再三言うが、俺は氷華梨には勝ち目がないな。
 それこそ人間ごときが太陽には敵わないように。
 そんなことを考えていると、もう一人の俺ともう一人の氷華梨の体が光の粒子となって解けていく。
 彼らは二人して幸せそうな表情のまま、太陽の下に消えていった。
 いや、消えたのではない。
 きっと彼らは俺たちの中に還っていったのだろう。

   ◆

 そこで夢から覚めた。
 ハッとしてベッドから起き上がってみる。
 部屋には俺ひとりだけ。
 そう、独りだけ。
 俺の影はもういない。
 そこでふと、俺は自分の頬が濡れているのに気づいた。
 ああ、俺、泣いてたんだ。
 でも、どうして?
 泣く理由なんてどこにもないのに。
 それは、これまで俺のために奮闘してくれた氷華梨の好意が嬉しかったからなのか。
 それとも、ようやく影から解放されたことへの安堵か。
 はたまた、俺の代わりにひねくれた形といえど声を上げてくれたもう一人の自分への労いなのか。
 わからない。
 俺はもうちょっと、自分が頭のいい人間だと思っていたが残念だ。
 まあ、俺にだってわからないことくらいあるさ。
 ……ということにしておこう。
 時刻は既に朝。
 俺はベッドから出て、顔を洗ったり食事をしたりした。
 携帯電話を確認すると、そこには氷華梨からのメッセージがあった。
『今日、会える?』
 本日は大した用事のない俺は『大丈夫』という返信を送った。
 そして、氷華梨と俺の家の最寄り駅で待ち合わせ。
「お待たせ」
 駅のホームから出てきた氷華梨は笑顔で手を振ってきた。
「俺も今ところだよ」
 とか、待ち合わせのテンプレ台詞で彼女をお迎えする。
「今日はどうかしたのか?」
「ん、ちょっと翔馬に会いたくなったから来ちゃった」
「そっか。奇遇だな。俺もお前に会いたかった」
 ホームの前で立ち話も何なので、俺たちは駅の外へと向かって歩く。
「なあ氷華梨。どうやってお前は自分の影と良好な関係を結んだんだ?」
 当然の疑問であろう。
「いきなりそれ聞く? 実はね、最初は私の影も全てに怯えてたんだ。でも、ちゃんと話を聞いて、自分の思ってることを話したらわかってくれたよ」
「……本当にそれだけ?」
 意外すぎる方法に、俺は目を丸くするしかない。
「うん。だって、あの子はもう一人の自分だもの。ちゃんと対話すればわかるよ」
「そんなもんかね。いや、でも、事実として氷華梨のおかげでもう一人の俺は救われたのか」
「だからね翔馬、自分のことをいじめたり無視したりしたらダメだよ?」
「そう……だな」
「でね、翔馬はこれから七星君や烏丸さんとどうなりたい?」
 氷華梨の問いは俺にとっては劇薬だ。
 でも、彼女には嘘をつけるわけもない。
「俺は、あの二人に許してほしい。許されないことを許せなんて傲慢かもしれないけど、でも、許してほしい」
「なら、何度も謝ってみようよ」
「それでどうにかなるかな」
「わからない。でも、まずはそこからだと思うんだ」
 愚直に誠意を見せるのは苦手だ。
 でも、こういうのは策を弄してどうにかなるもんでもないか。
「了解! でも、もし俺がくじけそうになったら、せめて励ましのお言葉をいただけると嬉しく思うわけで」
「うん。頑張ろう! あ、そうだ。ここでちょっと待ってて」
 氷華梨は駅前にあるコンビニに入っていく。
 なんだろうと思って待っていると、氷華梨は後ろ手に何かを隠しながら帰ってきた。
「どうしたんだよ、いきなり?」
 と俺。
「ねえ、翔馬はこれからも私の味方でいてくれる?」
 唐突な質問だが、そんなもの答えは決まっている。
「当たり前だ。俺はずっとお前の味方だよ」
 宣言する。
 氷華梨は笑顔で頷いた。
「よーし、だったらこれの半分をあげよう!」
 氷華梨は後ろ手に隠していたものを見せてくれた。
 それはパピコだった。
 彼女は袋から出して、それを半分に分けた。
 そうだな。そのアイスクリームは半分にわけて食べるものだ。
 その時だった。
 これはきっと幻なんだろうけど、それでも氷華梨の後ろでもう一人の俺が、それこそ太陽みたいに朗らかに笑っていた。
 ああ、これからはお前と一緒に太陽の下を歩く高校生活を送ろう。
 俺は幻に笑い返してみせた。
 そして、俺は氷華梨からパピコの半分を受け取った。
 なんだか世界の半分を手に入れたような気分だった。

【XIX・太陽】了

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