アルカナ・ナラティブ/第20話/04

 結論だけ言うと、天野先輩はその日のうちに緊急手術を受けることになった。
 手術が終わったのは夕方過ぎ。
 命に別状はないが、少なくとも年明けまでは面会謝絶が必要な容体であるとのこと。
 天野先輩の手術が終わっても、ヒノエ先輩は病院に残っていた。
 病院に残っていたが、何をするというわけではない。
 ただ、病院の待合所で茫然としていた。
 俺と氷華梨はそんな彼女を遠目から眺めているしかできない。
 二人とも、こういうときにかけるべき言葉を知らない。
 どんなに励まそうと、それが嘘になってしまいそうで怖かった。
 ヒノエ先輩に声をかけることはできないが、一人にも出来ない。
 どうするべきか考えていた俺たちに、ヒノエ先輩が気づく。
「何をしている? こちらに来たまえ」
 彼女は困ったような笑顔で言ってくる。
 俺たちは無言で彼女の隣に座る。
「まるで葬式みたいな雰囲気だな。安心しろ。篝火はまだ生きているし、あいつは存外しぶといぞ」
 俺たちを元気づけるようにヒノエ先輩は言ってくる。
 本当は、彼女が一番辛いだろうに。
「ヒノエ先輩は、天野先輩が心配じゃないのか?」
「わ、私は大丈夫だ。何の問題もない。迷いなんて……ない」
 ヒノエ先輩の言葉は強がりなのだろう。
 そんなものは例え阿呆でも分かる。もしも分からなかったら人間観察スキルを上げるべきだ。
 でも、どんなに強がりだと分かっても、それに対してどう対処すべきかが分からない。
 それはどんなに頭が良くても分かるはずがない。
 なのに。
「ダウト。ヒノエ先輩は嘘をついています」
 氷華梨は容赦なく魔法を使う。
 彼女の魔法はどんな言葉も、それが故意に発せられた嘘なら見逃しはしない。
 真実は劇薬だ。使い方を間違えれば人を死に至らしめることもできる。
 それを知らない氷華梨なわけがない。
 でも、氷華梨は容赦なくヒノエ先輩の嘘を指摘する。
 魔法による絶対的な看破の前にはヒノエ先輩も白旗を振るしかない。
「そうか……そうだね。私は多くの迷いを抱えている。不安はいくら拭っても拭いきれない。認めよう。本当は、私は怖いのだ」
 氷華梨への返答というよりは独白に近い形の物言いだった。
 ヒノエ先輩は続ける。
「もしも篝火が死んだらどうしよう。どうしよう……どうしよう……!」
 ヒノエ先輩は顔を両手で覆って、うわごとのように声を漏らす。
 やっぱり俺は何も言えない。
 何を言っても彼女の心を誤魔化すことができそうにない。
 一体俺は、何のために口先三寸で人を騙す詐欺師だったのだろうかと考えてしまう。
 もちろん、氷華梨も何も言わない。だけど、彼女の眼差しは何も言えないから言わないという様子ではなかった。ただ、すべてを受け入れて、選んで何も言わないような、そんな様子だった。
 氷華梨はすっかり参ってしまったヒノエ先輩を横から抱きしめた。
「すまない。私が弱いばっかりに……」
 ヒノエ先輩は力ない声で言う。
「いいえ、悪いのはヒノエ先輩の我慢を無碍にした私です。だから私がすべて悪い。どう考えても私が悪い」
 氷華梨は泣きたいのだか、それとも微笑みたいのだか決めかねるような顔。
 ヒノエ先輩の全身から少し力が抜けたように思えた。
 ヒノエ先輩は言うのだ。
「そうだ。私が今、こうしてみじめな思いをしているのは氷華梨君が悪い。全部悪い。どう考えても氷華梨君が悪くて私は悪くない」
「はい。その通りです」
「氷華梨君はなんて酷い人間なんだ。ハッキリ言って悪の権化みたいだ。君さえいなければ私はちょっとここで休んでから家に帰っていた。無茶苦茶だ。君のせいで私の心は無茶苦茶になった」
 ヒノエ先輩の責任転嫁も甚だしいのに、氷華梨は怒りはしない。
 先ほどは泣きたいのか微笑みたいのか決めかねるような表情だった氷華梨は、結局微笑むことに決めたらしい。
「ごめんなさい。そう――私は実は悪辣で、根が腐ってて、厚生の余地のない人間なんです。だから、ここでヒノエ先輩の心が折れてしまっても、それは私のせいです。精々私を怨んでください」
 世にも優しい嘲笑。
 ヒノエ先輩はすっかり参ってしまったらしく、本格的に泣き崩れたいた。
 そんな様子を見ているしかなかった俺に、氷華梨は視線を送ってくる。
 彼女は力強く頷いていた。
 そうなったらもう、俺ごとき小悪党がここに居座る理由もない。
 すっかりと大悪党と化した氷華梨に任せて俺は病室に戻ることにした。
 ヒノエ先輩のことは心配だが、氷華梨については案じるところは何一つない。
 だからまあ、大丈夫なのだろう。

   ◆

 翌日。十二月二十六日。
 俺は退院することとなった。
 荷物をまとめて叔父夫婦と共に病院を後にする。
 叔父の運転する車で、ただボーっと窓の外を眺めていた。
「どうした翔馬? 妙にたそがれて」
 フロントミラー越しに俺を見た叔父が聞いてきた。
 俺としては、本当にたそがれていただけであり、たそがれに意味はない。
 だけど、ここ数日考えていたことを聞いてみた。
「叔父さん、生きているってなんでしょう?」
 偉くぼんやりとした哲学的と言うか抽象的と言うか、もっと言えばまったく役に立たない問いかけ。
「生きているとは、いのちがあることだ」
 叔父はえらくあっさりと返してくる。
「いやまあ、そりゃそうですけど……」
 ぐう根の出ない答えに、俺はかえって言葉を拾えきれない。
 そんな俺を見かねて、叔父は言葉を続ける。
「生きていることとは、いのちがあることだ。そして、いのちがあることとは何かとつながっていることだ」
 今度は叔父の方がとらえどころのないことを言ってきた。
 なおも叔父は続ける。
「しかるに、いのちがいのちとして成立するためには、いのち単体では意味を成さない。他の個体を捕食する、他の誰かや何かの力を借りる、あるいは蹴落とす、そういったことを積み重ねなければいのちはいのち足り得ない」
「何かと関係している必要があると?」
「そうだ。そして自分以外の何かと関係している以上、プラスかマイナスかの方向性は考えないモノとして他に影響を与えてしまう。それが生きているということだ」
「でも、それだと死んでなお後世に影響を残した人は生きているということになりますが?」
 揚げ足取りかもしれないが、俺は反論した。
 しかし、叔父は否定語は使わない。
「そうだ。死んでなお後世に影響を残すということは生きているということだ。生体としての活動が終わったからと言って、すぐに生きていなくなるというわけではあるまい」
 おっと、何か複雑なものいいだぞ?
「手垢のついた言い回しだが、たとえ死んでしまっても心の中で生きているという状態がそれだ。生命活動は終了しても、それはまだいのちとして生きているということだ」
「難しい……ですね」
「ああ。難しいな。なにしろ相手は『いのち』なのだ。一筋縄でいくわけもないだろう?」
 フロントミラー越しの叔父は、人を食ったように笑っていた。
 彼の言うことの半分以上は意味不明だったが、俺は、
「まあ、そういうものですか」
 考えてもしょうがないこともあると判断して、とりあえず納得したフリをしておいた。
 案外、それが生きていることなのかもな、とか思いながら。

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