アルカナ・ナラティブ/第20話/07

 中庭に向かう途中。
「すまないが温かい飲み物と、その他に買いたいものがある。ちょっと売店に寄っていくぜ?」
 売店は中庭に向かう道すがらにあったので、ヒノエ先輩が特に断る理由はない。
「何か欲しいものある? ジュースとかコーヒーくらいなら俺が奢るぜ?」
「いや、一応私が先輩なのだから、後輩に奢られるのは……」
「いいってことよ。女性をエスコートするのは男子のお仕事です!」
「なら……あったかい緑茶を頼む」
「了解! ヒノエ先輩は先に中庭に行っててくれよ」
 俺が言うとヒノエ先輩は頷き、先へと歩みを進める。
 寒空の下に女性を待たせるのは紳士として考えものなので、俺は手早く買い物を済ませる。
 俺は腹部をぽんぽんと叩いてから、中庭へ向かう。
 そこには当たり前だが、ヒノエ先輩の姿。
 彼女は、寒空の下で立ち尽くしていた。
「お待たせ、お茶、これでいいよな?」
 俺はヒノエ先輩にミニペットボトルを放り投げる。
 それを受け取ると、ヒノエ先輩は、
「ありがとう」
 と泣き崩れそうな脆さで言うのだ。
 さて、と――。
「ヒノエ先輩、烏丸に一体何と言われたんだ?」
 ベンチに座るでもなく、少しヒノエ先輩と距離を置いた状態で立ったままで彼女に問う。
「私は……」
 ヒノエ先輩は自身の手を震わせながら、その手を見ていた。
「ヒノエ先輩は、天野先輩を助けたい」
「そうだ」
「ヒノエ先輩はそのためなら何でもする」
「そうだ」
「ヒノエ先輩はそのためなら悪魔にでもなれる?」
「ああ――そうだ!」
 嗚咽を漏らし、叫び、ヒノエ先輩は自身のズボンのポケットから折り畳み式のナイフを取り出す。
 そして、俺に向けて構える。
「それは……それが烏丸からの条件なのか?」
「そうだ。そうだよ、そう通りだ! あの二人とはすでに約束済みだ。君を私の手で殺せば、篝火を魔法で助けてくれる、と!」
 震える手を必死に制御しながら、ヒノエ先輩は俺を睨みつけてくる。
 だけど、泣きじゃくりながらそんなことされても微塵も恐怖を感じない。
 憐れみも感じない。
 ただ、心が痛むだけだ。
「自分たちの手を汚さずに俺に報復できる、か。胸くそ悪い方法だが、合理的ではある」
 批判をするつもりはない。
 ただ、彼らのやり口を客観的に評価するだけ。
「この光景を、あいつらは今どっかから見ているのかな?」
 この中庭は病院の棟から廊下の窓から見える位置にある。ここまでお膳立てしたのだったら、彼らが今どこかから見ている可能性はありうるだろう。
「そうだな。ここで、今日、私が君を殺せば、篝火は救われる!」
「だから、俺を殺す――と」
「私のやろうとしていることは間違っている。私は彼らに利用されているだけなのだろう。でも……私は……!」
「それ、ヒノエ先輩がやらないとダメ? そんなに俺に死んでほしいなら、俺が自害するのじゃダメ?」
 念のために聞いておく。
「わからない。けれど、彼らの命令は私が君を殺すことだ」
「そっか、まあ、それならその命令に従うのが無難な一手だわな」
「どうして君は、私に凶器を向けられてそんなに穏やかな表情をしていられる!? 私は、君を裏切ったのだぞ!?」
 憤怒混じりにヒノエ先輩は言ってくる。
「さあ、どうしてだろうね。それは答えないことにしよう。さて、ヒノエ先輩、俺を殺したければ殺してもらって構わない」
 そう言って、俺は両腕を開き、ちょうど腹部を晒す形になる。
「どうして君は抵抗しない?」
「した方がいいかい? 言い訳してみたところで、俺が七星の親を死に追いやったのは事実だ。今さら逃げたりはしないさ」
 その言葉に、ヒノエ先輩は手を震わせたままで、
「うわーッ!」
 ナイフを俺の目がけて突き刺す。
 ゾブリという音がした。
 彼女のナイフは俺の着ていたダウンを突き破り、ずぶずぶとめり込んでいく。
 俺はその場に倒れこんだ。
「あ、ああ、ああああああああッ!」
 ヒノエ先輩の絶叫が聞こえた。
 その時だった。
「約束は守られた、か」
 中庭に人影が二つ。
 俺は倒れた状態で視線を無理矢理に上へ。
 そこにいたのは七星と烏丸だった。
「よ、よう。七星。やっと、会えた、な」
 息を切らしながら、俺は言う。
「そうだな。僕は……やり遂げた。復讐を成し遂げた」
「気分はどうだい?」
 確認作業は大事。相手が自分の命に害をなす復讐者でも。
「わからない。僕は、正しいのか? 僕は父さんの仇を討った。でも、どうしてこんなに空しいんだ?」
 半分うわ言みたいにつぶやく七星。
「浄夜、私たちは正しい。だって、こいつさえいなければ、何も起こらなかったのですもの!」
 烏丸が七星の弁護をする。
「でも、僕は……わからない。本当に、これで良かったのだろうか」
 まったく、人を殺すように命じておいて何たる優柔不断か。
「なあ、七星、烏丸。ヒノエ先輩を見てみろ」
 彼らの視線を誘導。
 そこにはすっかり茫然自失しているヒノエ先輩の姿。
「俺がお前たちの人生を狂わせたのは否定できない。でも、お前たちはヒノエ先輩の人生を狂わせようとしている。俺と同じ人間の屑になった気分はどうだい?」
 俺は邪悪に笑ってみせた。
 彼らは答えない。
 だから俺は冷ややかな罵声を浴びせる。
「馬鹿な連中だ。お前たちは俺と同じように地獄に落ちるぜ。人としての人生を歩めないんだ」
「やめろ……やめろやめろやめろ! 僕たちは、う、うわああああああ」
 ついに精神に不調を来しだす七星。
「浄夜、しっかりして! 浄夜!」
「ははは、こいつはもうだめだ。七星は俺が死んだ後に何日生きられるかな。地獄で楽しみにしててやる、よ」
 呼吸を荒げながら俺は舌をべーっと出して見せる。
「違う。私はこんなことをしたかったんじゃなかった。私はただ、これで浄夜がまた笑ってくれると信じていた。どうして……全部、瀬田のせいだ」
 まったくもって度し難い。
 人を殺すように命じておいて、その実、覚悟が伴っていない。
 バカバカしくなってきた。
 だから、俺は彼らに言うのだ。
「はあ、そんなこと言うなら、最初から殺人計画なんて立てなきゃいいんだよ」
 そして、俺はけろりとした態度で立ち上がった。
「へ?」
「は?」
「え?」
 七星、烏丸、そしてヒノエ先輩がそれぞれ間抜けた声を上げた。
 俺は失笑するしかない。
「罪を犯すってのは、つまりそういうことさ。バリバリのサイコパスでもない限り、どうしても心は耐えきれなくなる。覚えておくといいぜ?」
 はい、そういうわけで俺は無傷でした!
 いやはや、いくら俺でも死ぬのは御免だよ。
「翔馬君が、生きている?」
 ヒノエ先輩もようやく正気を取り戻してきた。
「見ての通りだ。つーか、やっぱり準備は大事だね」
 そういうと俺はダウンの下に装備しておいた漫画雑誌を取り出した。
 雑誌はナイフの直撃を受けてキズモノになっていた。さりとて、防具として購入したのでお値段以上の働きは見せたことになるだろう。

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