アルカナ・ナラティブ/第21話/02

 人一人の想い出が否定されると、波及する効果は計り知れない。
 特に天野先輩はお節介焼きな人間だ。
 彼がこの学校に与えた影響は大きい。
 放課後。
 俺は本館校舎と南館校舎との間にある体育館一階のとある部屋へ向かう。
 その部屋は元々は学園祭実行局の活動拠点だった部屋だ。しかし、学園祭が終わってから次の学園祭の準備期間が始まるまでの間は別の部活動に部屋を貸すことになっている。
 いわずもがな、メンタルヘルス部である。
 普段なら、放課後にこの部屋に誰かがしらが立ち寄っているはずだ。
 でも、今日は誰もいない。
 それどころか、部屋の扉は施錠されたままだった。
「……やっぱり」
 俺はつぶやく。
 覚悟は出来ていたが、事実確認ができてしまうと心が折れそうだ。
 メンタルヘルス部に人がいないのは、そもそも誰もメンタルヘルス部なる部活動があると覚えていないからだ。
 何しろ、この部を作ったのは天野先輩だ。
 天野先輩との想い出が否定された余波で、メンタルヘルス部の存在も丸っと抜け落ちてしまったのだろう。
 扉についた擦りガラスの向こうには明かりなど灯っていようはずもない。
 誰もいない部屋の前で俺は立ち尽くしていた。
 でも、いつまでも茫然とはしていられない。
 俺は体育館一階を更に進み、部室棟の方へ。
 部室棟の最奥には魔法研究部の部室もある。
 いつもなら、ヒノエ先輩がすでに部室にいる時間帯だ。
 でも、魔法研究部の部室も施錠されていた。
 中に誰かがいる気配はない。
 しばらく待ってみたけど、誰も来ない。
 まるでこの部室が世界から切り離されたみたいに孤立していた。
「はあ、参りました。本当に参ったよ、これは」
 誰に言うでもなくひとりごちる。
 これは……やっぱり俺が招いてしまった事態なんだよな。
 俺があのとき、名壁に刺されなければ。
 俺があのとき、七星の魔法を俺に使わないように言っていれば。
 そもそも俺がこの学校に来なければ……。
 自己嫌悪で頭が痛い。
 ――俺がしてきたこと……全部が無駄になったんだ。
 その事実に今さらながら打ちのめされる。
 氷華梨との時間も失われた。
 クラスメイトとのバカバカしくも楽しい時間も無に帰した。
 他のアルカナ使いたちとの絆も全てがほどけた。
 全部、全部、全部。
 なくなってしまったんだ。
 やがて俺は、その場に崩れ落ちた。
「う、うわあああ」
 それまで冷静であろうと努めていたが、いよいよ我慢の限界だった。
 気づけば俺は泣き崩れていた。
 何で。
 どうして。
 どうしてこうなった。
 どこで俺は間違った。
 こんな思いをするくらいなら、初めから誰とも関わらなければ良かったんだ。
 そうだ。
 誰かに心を開いたことが間違いだ。
 誰かに関わろうとしたことが間違いだ。
 元詐欺師の人間の屑が幸せを求めたのが間違いだ。
「ははは、そうだ。そうだ。そうだ!」
 俺は吠えた。
 ――俺はもう、一人で生きればいいんだ。
 ――そうすれば、こんな悲しい思いをせずに済むんだ。
 ――全部拒絶してしまえば、これ以上不幸にはならないんだ。

   ◆

 そして。
 翌日からも学校生活は続く。
 どこまでも果てのない砂漠みたいに続く。
 一週間。
 二週間。
 三週間。
 無駄に時間ばかりが過ぎていく。
 それなのに、自分で何かを変えようという気は起こらない。
 一月の間、俺はクラスで一人ぼっちだった。
 天野先輩がいなかったということは、俺が元詐欺師だとバレた時にフォローしてくれる人がいなかったことになる。
 つまり現在、俺はクラスメイトからも嫌悪の対象と化していた。
 教室の机には『消えろ犯罪者』とか『人殺し』とか『学校来るな』とかマジックで書かれている。
 否定できないから否定しない。
 というか、そっか~。やっぱり天野先輩なくしては俺の高校生活って過去バレの段階で破綻してたのか。
 こりゃ、本格的に天野先輩には足を向けて寝られない。ついでに言えば、俺のせいで七星に病気を治してもらう計画がぐちゃぐちゃになったのだから顔向けもできない。
 ははは。
 死にたい。
 割とマジで。
 俺は授業中であるにも関わらず、ささっと携帯電話を取り出してメールを打っていた。
 相手は二年で【死神】のアルカナ使いの四塩先輩だ。
 メール本文は極めて簡潔に、

 ――死にたい。

 自分でやっておいてウケるよ、これ。
 四塩先輩に自殺企図の相談を送るって、もう死にたみマックスじゃん。
 これもこれで否定はできまい。
 ちなみにその日の放課後を迎えても四塩先輩から返信はなかった。
 当り前だ。
 四塩先輩もメンタルヘルス部のメンバーであり、そうであるなら天野先輩の影響は受けていてしかるべき。
 彼女が高校生活を通して、天野先輩からどこまで影響を受けたのかは知らない。でも、四塩先輩の面倒見の良さは天野先輩の影響が大きかったのかもしれない。
 そりゃそうだよ。普通に生きてたら、『自殺を考える奴が嫌い』って理由なだけでわざわざ助けようなんて考えない。
 無視するのが一番健全で安心安全。
 そもそも、現在の四塩先輩に俺との想い出が残っているかもわからない。
 もしも俺との想い出も書き換えられていたら、彼女は知らない人間から自殺企図のメールをもらったことになる。
 うわ、それは反応に困る。
 ははは。
 何もない。
 俺の学校生活には何もない。
 放課後になって、俺はそそくさと学校を出た。
 家に帰るべく学校最寄駅へ。
 電車を待つ間、俺はずっと考えていた。
 生きるべきか死ぬべきか。それが問題だ。
 ……いや、ちょっと違うな。
 本当のところは、どう死ぬか、それが問題だ。
 うん、やっぱり俺は生きていてはいけないんだ。
 そうだ。
 そうだ。
 お前なんて死んじまえ!
 俺の中で何かが叫んだ。
 ホームに電車が到着することを知らせる電子音が鳴り響く。
 さあ、おしまいの時間だよ。
 俺はふらりと黄色い線の向こう側へと歩みを進める。
 その時だった。
「瀬田君ッ!」
 叫び声に驚き、俺は立ち止まり、声の方を見た。
 そこにいたのは氷華梨だった。
「氷華梨……いや、周防さん?」
「どうしたの? そんなに前に出たら危ないよ?」
 俺とは距離をとりながらも、氷華梨は俺に声をかけてくる。
「あ、ああ。そうだな。ちょっとぼーっとしてた」
「もしかして、クラスでみんなから酷いことされてること、気にしてる?」
 氷華梨は聞いてくる。
「あれは俺が犯罪者だから悪いのさ」
「でも……私は……あそこまでやる必要はないと思う」
「へえ、どうして? っていうかさ、周防さんは俺と関わるべきじゃないのでは? 俺と話してたら、クラスの連中の次のターゲットにされちゃうぞ?」
 最悪の言い回しで俺は氷華梨を脅した。
「そ……それは……」
「確か周防さんってさあ、中学時代にイジメに遭ってたんだっけ。また酷い目に遭いたいのかなあ?」
「……何でそれを知ってるの?」
「さあ、何ででしょう、ね。詐欺師は何でも知っている。知らないことなんて……ない。例えば――」
 俺は氷華梨に近づき、彼女の腕をつかんだ。
「きゃっ……」
 小声で悲鳴を上げる氷華梨。
「例えば、お前、中学時代に元カレに騙されてから男が怖いんだろう? ほーら、俺も男だぞ? 何をするか怖くて怖くてたまらないだろう?」
 精一杯、氷華梨の恐怖心をあおる。
 なあ、氷華梨。
 もういいんだよ。
 ここで突き飛ばしてもいい。
 大声で悲鳴を上げて俺を暴漢として社会的に殺してもいい。
 とにかく、すっかり変わってしまった学校を生きるには俺と関わらない方がいいんだ。
 どうせ、俺はこの後にはこの世とはオサラバする予定なのだ。
 俺がどうなろうと関係ない。
 すっかり自暴自棄になっていた。
 でも氷華梨は声を押し殺して、俺を悲しそうな眼差しを向けていた。
「どうして、周防さんは黙ってるんだ?」
「わからない。でも、うん。瀬田君はみんなが言うほど悪い人じゃない気がする」
「いいや、俺は極悪人だね」
 俺はより氷華梨の腕を握った。
 氷華梨は震えていた。
 でも、逃げようという素振りを見せない。
「ねえ、瀬田君。一つだけ聞かせて」
 氷華梨の眼差しは、未だに輝きを失わない。
「一つだけだぞ」
 断ることができず、俺は妥協した。

次へ→

←前へ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする