アルカナ・ナラティブ/第21話/05

 翌日。
 灰色の学校生活をお茶漬けのごとくさらりと平らげて、放課後に三年生の教室のある棟へ向かう。
 ヒノエ先輩のクラスで、彼女を探すが見つからない。
 おかしい。このクラスは帰りのホームルームが長引いていたらしく、終わったのは今。だから、彼女が既に帰ってしまったと言うのは早退でもない限りありえないはず。
「すまない、ヒノエ先輩って今日はもういない?」
 教室からクラスの人を呼びとめて、聞いてみた。
「ヒノエさんなら、窓際の一番前の席にいるぜ? ほら――」
 俺の問いに対して、彼女のクラスの人が指を射す。
 よく見てみると、確かにヒノエ先輩がいた。
 俺は彼女の教室に入っていく。
「よお、ヒノエ先輩。お久しぶり」
 帰り支度をしていた彼女に声をかける。
「君は……確か一年の瀬田君だね。新入生キャンプぶり……だったかな」
 ヒノエ先輩は自信なく聞いてくる。
 新入生キャンプ――四月の行事以来とは中々に傷つくなあ。
「実は、先輩に話があってここに来た。このあと時間あるかい? というか、ないなら作ってくれ」
 横暴な物言いかもしれないが、ここで逃げられたら話がこじれる恐れがある。
「ほう……後輩にナンパされるとは驚きだよ」
「そうかい? 先輩は普通に美人だから普通にしてればモテると思うぜ? そう、例えば今日みたいに黒マントを羽織ってなければ真っ当な美人だよ」
 俺は言う。
 そう、今日のヒノエ先輩は彼女のトレードマークというか、アイデンティティに等しい黒マントを羽織っていない。
 だからこそ、俺は教室の入り口で彼女を見つけられなかったわけで。
 ヒノエ先輩イコール黒マント。下手すれば黒マントこそがヒノエ先輩の本体……と言ったら失礼にあたるかな?
「黒マント……どうして、そんな単語が出てくるのだ?」
 ヒノエ先輩は驚いていた。
「そっか……その想い出も書き換えられてるのか。黒マントってのはね、ヒノエ先輩と幼馴染の天野篝火って人の想い出が詰まった代物だ。思い出さない?」
「翔馬君……ここで話すような話じゃないかもしれない。場所を移さないか?」
「そうだな……だったら、魔法研究部の部室を使いたいがカギって持ってる?」
「その部屋は……部室棟の一番奥にある部屋、だね?」
「ああ」
「いいだろう。私も君には聞きたいことがたっぷりある」

   ◆

 場所を魔法研究部の部室に移して話は変わる。
 彼女と俺はソファの対面する席について話していた。
「単刀直入に聞くが、ヒノエ先輩は天野先輩との想い出を忘れてしまったのか?」
「どうして君が天野のことを知っているのかは後で聞くとしようか。君の質問への答えは、中学のときまでならもちろん覚えている。あいつはくどいくらいに私に告白してきて、その都度、私は断った」
「高校時代の想い出は?」
「高校時代に関しては……いや、そもそも天野はこの学校にはいないのだ。私とは接点がないはずだ」
「本当に……? なんの記憶も残ってない?」
「それは……いや、荒唐無稽な話になるからやめておこう」
「いくらぶっ飛んだ内容でも俺はヒノエ先輩を笑いはしないよ。何かあるなら教えてくれ」
「ならば話そう。私はこの一か月、変な妄想に苛まれていてね」
「詳しく教えてくれ」
「実はね、この学校に進学しなかったはずの天野と一緒に過ごした記憶がある。でも、そんなわけがないのだ。だから、これはきっと妄想だ」
「もっと詳しく話してくれ。あんたのいう妄想の話を」
「君は変わった子だな。だが……ああ、話すべきだろう。妄想の中では私はアルカナ使いと呼ばれる特殊能力者みたいなものになっていて、『一切の情報を忘れない』魔法が使えるんだ。確かに私は高校生になってから恐ろしく記憶力がよくなった。でも、それが魔法だなんて……」
「他には? 天野先輩とヒノエ先輩はどんな感じだったんだ?」
「私と天野は、お互い相思相愛で交際していた。ときどき喧嘩もしたりしがた、でも、三年生の夏休み前に付き合い始めてな。幸せな時間だった。夢のような時間だった。あいつは私にとっての憧れで、生きる意味で、最愛の人だった」
「そうか……ヒノエ先輩。それは妄想じゃないよ。事実なんだ」
「私をからかうつもりかい?」
「違う! だったらその妄想の続きを当ててやるよ。天野先輩は実は不治の病でもう助ける方法がない。そして、生徒会長の創木が【カーナーティスト】って魔法で天野先輩はこの学校にいなかった想い出を全校生徒に植え付けた。違うかい?」
「すごいね君は」
「いいや、俺は事実を言ったまでだ」
「君の言うとおり、三学期の始業式で今の生徒会長が不思議な魔法を使っていた記憶はある。もしかして、あれは妄想ではなく事実?」
「そうだ。でも、分からないのはだったらどうしてヒノエ先輩は天野先輩からの連絡を拒否した? 携帯電話にメールとか通話あっただろう? これは天野先輩から直接聞いた」
 俺の問い。
 ヒノエ先輩は、溜息を一つ。
 そして答える。
「私はきっと、天野のことが……篝火のことが大好きだった。大好きなんだ! でも、もしも天野篝火との想い出が本物だったら、この先、死んでしまうことになる。篝火が死んでしまうなんてイヤだ。そんな悲しみを背負うくらいなら、私は篝火との想い出が妄想であって構わない! そうすれば……少なくとも……私はあいつの死に向き合わなくても済む」
 嗚咽交じりにヒノエ先輩は叫ぶ。
「ヒノエ先輩は……それで本当にいいのか? 悲しみから目を背けるために、天野先輩との想い出を全否定する。そんなのは間違ってる!」
 俺が人に説教をできるほど偉い人間でないのは百も承知。
 でも、ヒノエ先輩の判断が誤りなのは断言できる。
 だから納得なんてしてやるかよ。
 ああ、絶対に納得なんてしないね。
「う、うるさい! 翔馬君に何が分かる! 大切な人が死ぬんだぞ!? こんなに悲しいなら、こんなに辛いなら、私は篝火との想い出なんていらない! 幸せでないとしても不幸ではない偽物の想い出を生きる!」
「ああ、もう! ヒノエ先輩がここまでバカだとは思わなかった! というか、黒マントくらい羽織っておいてくれよ! あれがないとヒノエ先輩だと識別できないんですけど!?」
「そっちこそバカかね!? あんなの羽織っていたら、篝火との想い出を肯定するようなものだ! そうだ。だったら、こんなもの要らない!」
 と言って、ヒノエ先輩は自信の鞄を開けた。
 そして中から件の黒マントを取り出すと、テーブルの上に投げ捨てた。
「……持ってはいたんだな、黒マント」
「悪いかね? 妙に気になるアイテムだったから、何かに使えるかと思って持ってはいた。でも、そんなものはもう要らない! 私は篝火のいない想い出を生きる!」
 ヒノエ先輩は立ち上がり、そそくさと退室してしまった。
 残されたのは俺と黒マントだけ。
 まったく、感情的になるべきではないな。いや、これはヒノエ先輩に対してではなく、俺自身に対しての教訓だ。
 俺は念のために黒マントを拾うと折りたたんで机の上に置いておく。
 もしかしたら、ヒノエ先輩の気が変わって回収しにくるかもしれない。
 あーあ、こんな体たらく天野先輩にどう報告すればいいんだよ。

   ◆

 んで、ホウレンソウは手早くという不文律にしたがってその日のうちに天野先輩の入院する病院へ。
 事情をざっくり説明しておく。
「なるほど。ヒノエらしいっちゃらしいなあ。あいつ、何やかんやで頑固者だから」
 病室のベッドで横になりながら、しみじみと遠い目をする天野先輩。
「あんたのカノジョだろう? あんたがどうにかしろよ」
「いやー、ワシのスイートハニーがとんだ失礼をば。そっかあ、オレとの想い出が悲しいものになるくらいなら、なかったことをするのを選ぶか。一理ある。だったら、それでいこうか」
 天野先輩はあっけらかんと言ってくる。
「お断りだ! どうしてそこで諦めるんだ!」
 激昂する俺。
「お、おう……。翔馬が怒ってるところなんて珍しい。でもさ、翔馬。俺の命の時間はもう短い。ヒノエにしてやれることなんてないんだ」
「違う」
「いいや、違わない」
「違わないとしても、俺は認めない」
「うわお、ここに来て翔馬の頑固さも結構なものだな」
「何と呼ばれても結構。いくら俺でも許せることと許せないことがある」
「みゅみゅみゅ~」
「変な擬音でごまかさないでくれ!」
 天野先輩のペースに巻き込まれないように細心の注意を払っていく。
「ならオレも正直なところを言おう。オレも疲れた。だからさ、オレは一人……というか、まあ、家族を含む身内だけに看取られて終わっていこうかな、と」
「ふざけるなよ」
 自分の声が震えているがわかった。
 高校に入ってから今まで、心地よい想い出だけじゃないのは当たり前だ。不愉快な想いをしたことは幾度となくある。
 でも、入学から今まで不快な想い出を足し合わせても、今以上の憤怒には足りないだろう。
 それぐらい、天野先輩の言葉は受け入れられないものだった。
「翔馬、人間はいつか死ぬ生き物だ。オレはずっと前から、自分の命が短いことを知っていた。だからお前が考える以上の覚悟はできていたさ」
「ほう……だから、あんたはヒノエ先輩に忘れられてもいいと?」
「そうだ。ヒノエはオレのことを忘れるべきだ」
「認めない」
「認めなさい」
 天野先輩は諭すように言ってくる。
 まるでこの世の理を語る【司祭】のようだ。
 でも、認められるわけがない。
「大丈夫。オレはもう、みんなから大切な想い出をたくさんもらったから。仮にみんなの方が忘れてしまったとしても、オレはそれでも構わない。ここらでオレに休憩させてくれないかな?」
 穏やかすぎる天野先輩の表情は凄絶すぎて、俺は直視できなかった。
「天野先輩は間違ってる」
 負け惜しみくらいは言っておくしかない。
「知ってる。そして翔馬の言ってることは正しい。残酷なくらいに正しい」
 否定しない天野先輩の優しさが、オレには一番堪えた。
「なあ翔馬、お前にはお前の仕事がある。お前は周防さんのことが大切なんだろう? だったら、ほら、オレなんか構ってないで周防さんをもう一回惚れさせる手だてを考えるべきだ」
「そうだけど……でも……でも……!」
 言葉が詰まって何というべきか思いつかない。
「翔馬は翔馬の道を行きなさい。それがオレからのお願いだ。……さあ、翔馬。オレ、そろそろ定期健診の時間だから、話はここまでにしよう! ありがとう。今まで本当に楽しかった。お前に会えて良かった。俺のことを覚えてくれていて良かった。でも、これからはお前も俺のことを忘れなさい」
「忘れるなんて……できない」
「いいや、できる。時間と共に悲しい想い出も風化していくさ」

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