アルカナ・ナラティブ/ヒノエ日記/第3話

4月25日(金)
 私の魔法は単に『情報を一切忘れないこと』なのだと身につまされる一日だった。あくまで見聞きしたことを忘れないだけであって、そこから新たな発見や推理をするのは、私ヒノエ個人の能力によるところが大きい。
 ということを、翔馬君が語ったハナエ君に関する推理を聞いていて思った。
 私の説明下手は、論理的思考ができない頭の回転の悪さに起因するのかもしれないな、と改めて自覚した。
 記憶力の良し悪しとは、料理に例えるならば、持っている食材の量に例えられる。食材が多いには越したことはない。しかし、それを上手く調理する方法や技術がなければ宝の持ち腐れだ。
 推理する、論述する、説明する。
 はっきり言って、私はこの三つが致命的に苦手だ。
 自分に自信が持てない理由の根幹をなしているプレゼンテーション能力の欠如。どうやったら改善できるのやら。時折、言葉の砂漠で遭難しているような気分になる。なまじ、全てを忘れられないだけあって、私の砂漠は広大だ。いけどもいけどもオアシスなど見つからず、言葉と文法の流砂の深み嵌まるだけの彷徨。
 それが私の背負った業なのか……。
 いや、そうならそうで良しとしよう。むしろ、この齢にして自らの背負うべき業が判明したなら僥倖ともいえよう。
 業は誰もが背負うもの。幸せの形はみな似偏っている。されど、不幸の形は人の数だけ存在するもの。私が説明下手なのは、まあ、数ある不幸のうちの一つの形なのだろう。
 そもそも、今回の事件の中心となったハナエ君の不幸と比べれば、私の不幸など大したことではない。
 ハナエ君は、私から見ても不幸な少女だ。
 彼女が妊娠したことに関しては、私には、その幸不幸を判別できない。厳しい言い方だが、そんなものは自己責任だ。カレシ、親、教師など自分と関わっている人間とよく吟味して、最良の道を選んでもらいたい。
 私が気になっているのは、そういった現実的な問題ではなく、ハナエ君の心の有り様だ。
 三国君の話では、彼女のアッパーリミットは激烈に低いらしい。心の問題は重大な問題だ。なぜならば、人は各々が固有の世界を持ち、その固有の世界の形成の大きな要因が心なのだ。歪んだ心では、正常な世界を形成することは不可能だ。
 アッパーリミットが低ければ、それだけ耐えられる幸せの量も制限されてくる。
 何が原因で、ハナエ君のアッパーリミットが壊滅的な事態に陥ったのかは想像し難い。しかし、今はただ、彼女が幸せから逃げないことを祈るばかりだ。
 さて、アッパーリミットといえば、翔馬君と氷華梨君もそれが低い人間に属されると煌君はいっていたな。
 あの二人も、中々難儀な人生を送っている。
 ただ、私はあの二人の場合、現在アッパーリミットが低いからといって、今後もずっと同じままとは考えられない。それは私の過大評価なのだろうか。
 彼らが心に抱えている闇は、相当なものだろう。けれど、あの二人はその闇に抗おうという態度がある。
 そういう直向きさは評価できるし、敬意を表するに値する。前向きな姿勢ならオールOKと極端な言い方はしないが、しかし、人間ネガティブよりはポジティブな方がいいに決まっている。
 私は、煌君とは違い、彼らの頭上に幸福度を示す数値は見えない。けれど、『同じ部の先輩』として、近しい所で彼らの成長を見守っていきたい。
 ただ、最近、翔馬君に関して気がかりなことがある。真相いかんでは、私が翔馬君に抱く感情が、憤怒と憎悪に塗り替えられるかもしれない。それくらい重要なことである。
 翔馬君がケータイを操作しているシーンが、私の頭に記憶の断片として残っている。覗き見するつもりはなかったのだが、周辺視野に入っているだけで長期記憶に貯蔵されるのが、私の魔法の辛いところだ。
 その記憶では、彼はクラスメイトからのメールを読んでいた。問題なのは名前の表示され方だ。
 翔馬君は、相手の名前を几帳面にフルネームで登録していた。
 そういう人間のメモリーは、得てして全員分がフルネームだと思われるが、いかがなものだろう。
 この推理が正しければ、彼は私の名前までフルネームで登録しているという結論に達してしまう。
 私は推理が苦手だ。よって、この推理にもきっと穴があるに違いない。むしろ、迷推理であって欲しい。
 だが、嫌な予感ほど的中しやすいのはこの世の摂理。
 もしも、私の推理が当たっていたとしたら、それは許されることであろうか?
 否! 断じて否である!
 これに関しては、早急に真相を究明し、事態によっては厳重に注意する必要がある。それでも注意に従わない場合は実力行使も視野にいれておきたい。
 ……もうイヤだ、こんな名前。

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