アルカナ・ナラティブ/ヒノエ日記/第8話

6月17日(火)

 これからの正義の話をしようなんてつもりは毛頭ない。
 残念ながら、この世は正義と正義のぶつかり合いだ。換言すれば正義の行使とは、所詮は自分の都合の押し付けにすぎない。
 だから、私は【正義】のタロットに天秤が描かれているのが不思議でならない。天秤を傾かせず、水平に保つ行為が正義という解釈には納得がいかない。
 自分の都合を押し付け合いに、平等などありはしない。あるのは空疎な勝利と敗北のみ。
 それだけなのだ。
 今回の名壁司の【正義】が巻き起こした一件も、きっと天秤の傾きは水平に是正されないだろう。
 名壁司は、声を失っても自身の正義の歪みには気づけないだろう。
 正義の闘争に敗れた者が抱くのは憎悪と憤怒と悲嘆。どこまでも救われない。
 一方で、今回の戦いに勝った翔馬君も、きっと自分の中に宿る正義の心が歪んでいることを自覚しているはずだ。
 彼の正義感は、奇怪なまでに捻じ曲がっている。
 下手をしたら名壁司以上に破綻している。
 だからこそ、名壁司の声を奪うという手段に打って出られたのだと私は思う。
 他者の正義を蹴落として、それでも守ろうとするものが翔馬君にはあったのだ。
 どうしても譲れないもののためならば、覚悟を決めて正義を遂行するしかない。
 彼は氷華梨君を、亡者の魔の手から守ったのだ。
 きっと翔馬君は、今回の一件において立派な正義の味方だ。
 同時に名壁司にとっての怨敵だ。
 それだけが真実。
 氷華梨君は、果たして翔馬君の歪みに気づいているだろうか。
 恋は盲目というからな。彼女に客観性を求めるのは酷というものかもしれない。
 あるいは、盲目だからこそ恋は強いとも言えよう。
 あの二人が愚直に自分の想いを貫いた先には何があるだろう。
 私としては、あの二人にはゆっくりと確実に道を歩んで欲しい。なぜならば、速く走る者ほど転びやすいのだから。
 あの二人は、私の可愛い後輩だ。
 晴れの日も、嵐の日も、どうか笑顔でいて欲しい。
 いつまでも私の記憶の中で、あの二人の笑顔が咲き誇っていますようにと願わずにはいられない。
 普通なら、リア充など見ていても虫が好かないものだが、やれやれ、私も随分と丸くなったものだ。
 自分が素直になれない分を、後輩の幸せを願うことで満足しようとしているのかもしれん。
 ああ、嫌だ嫌だ。
 自分の暗い部分に目を向けるのはうんざりだ。
 これ以上考えると、つまらない自己分析に成り果ててしまいそうだ。
 今日はこの辺で日記を閉じるとしよう。

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