アルカナ・ナラティブ/ヒノエ日記/第9話

7月4日(金)

 どうして私は、今まで素直になれなかったのだろう。
 多分、ずっと前から私は天野のことが好きだった。
 足りなかったとしたら、それはたった一つの小さな許し。私は幸せになっていい人間なのだという、普通の人間なら誰しもできること。
 天野に対して思いを告げて、拒否され、それでも私は彼を手に入れた。
 ヘンデルとグレーテルの話ではないが、幸せとは存外身近にあるものだ。
 けれど、天野の話ではあいつに残された時間は短いという。
 未だに私はそれが信じられない。
 信じたくない。
 そんなのはおかしいではないか。どうしてあんなバカでアホで人畜無害な人間の命の刻限が後一年とないのだ。神様がいたとしたら、そいつは最低最悪の性格の持ち主だ。
 それと同時に私はようやくわかった。高校に入ってから、天野の言動がより一層バカっぽくなったのを。
 多分、あいつはそうでもしていなければ耐えられなかったのではないだろうか。
 誰だって死ぬのは怖い。そんなことを日々考えていたら、頭がおかしくなってしまう。
 だから、彼は笑い、ふざけ、人を笑わせようとする。
 もっとも、天野のギャグのセンスが優れているとは到底思えないが。あれは下手をすれば電波発言だ。
 もしかしたら、もはや天野は正気ではないのかもしれない。
 でも……いや、だったら。
 私は天野の狂気に付き合ってやろう。
 例え、あいつが最期の最期で我を失ってしまっても、私だけはあいつのことを覚えていてやりたい。
 問題はない。
 私の魔法は【ハイブロウ】――一切の記憶を忘れない力。
 卒業すれば魔法は使えなくなり、私の記憶がどうなるのかはわからない。
 けれど、私は忘れない。
 最悪、忘れたとしてもこうして日記をつけているのだ。天野と過ごした時間は、確かに刻まれている。
 まったく、記憶を失う恐怖から書き始めた日記が、天野との思い出を書き留めるために機能しはじめる思いもしなかった。
 しかしまあ……。
 私はついに大切な人と一緒になれた。
 これ以上の幸せがこれから先の人生にあるのかと考えると怖くなる。いや、あるのかないのかは迷う必要もあるまいか。例え、時間が残酷な存在だとしても、制約の中で幸せな思い出をもっと作っていけばいい。
 さあ行こう。どんな終わりが待ち受けていようと、私は天野と一緒に歩いていこう。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする