アルカナ・ナラティブ/ヒノエ日記/第10話

7月14日(月)

 ネーサンと見せかけて妹だった。
 という旨を来海君が去った部室で言おうと思ったけれどやめておいた。
 いくら私でも、そこまで空気が読まないわけではない。
 しかし、まさか翔馬に腹違いの妹がいたとは。
 昨今のライトノベルではなぜか主人公に妹がいることが多いが、翔馬君も主人公属性を持っているということだろうか。
 思えば、家族という存在はそれだけで運命だ。
 人は自らどの家族に生まれてくるかを選べない。
 人の身では計り知れない【運命の輪】の下で、人は生を受ける。予め与えられた運命の中でどう生きるのかが問われる。
 昔読んだ本に、こんな例え話を聞いた。
 同じベートーヴェンの『運命』を演奏する場合でも、著名な指揮者が率いるオーケストラと、学生オケでは当然にチケットの値段が違ってくる。学生オケの場合、どうやってチケットを売るかにも四苦八苦することだってある。
 楽譜は同じ、使う楽器の種類も大体は同じ『運命』であっても、演奏者の技量によって値段が違うのだ。
 人間の運命というのも、本質的にはそういうものだと思う。
 生まれる家族は選べない。生まれ育つ環境もよっぽどのことがない限り子どもに選択権はない。
 この世界に絶対はないなんて考え方は間違いだ。
 この世界には絶対しかない。
 決められた枠の中で、定められた制約の中で、どうやって生きるか。そこに人間本来の価値があるのではなかろうか。
 制約を生きる達人みたいな奴が、私の恋人であるというのは誇らしいことであり、切ないことでもある。
 同時に、私自身は篝火の支えになれているのか不安になる。
 篝火はいつでも陽気に笑っている。
 だけど、本当は、あいつにも泣きたくなるときだってあるのではないだろうか。
 自らは道化を演じ、人の悲しみと寄り添い、ときに勇気づける。
 それ自体は素晴らしいことだが、それで篝火の心が磨り減ったりしないだろうか。
 そんなものは篝火本人に聞いてみるしかないが、はたして聞いてみて本音を口にするのかが問題だ。
 言葉巧みにはぐらかすのはあいつの十八番だしな。
 となると、最終兵器の氷華梨君でも召喚してみようか?
 ……篝火の場合、氷華梨君がいようと言葉のあやを操って誤魔化しかねないな。
 ふーむ。我ながら面倒臭い奴を恋人にしてしまったものだ。
 もっとも、それが『運命』の恋というなら、それは悪くない話だが。

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