ブルー・ナインティ/第2話

~運を持たざる少年の結論~


 叶矢と出会った日の夜、私の両親は家を空けていた。
 明日から三連休。両親は私を家において夫婦水入らずで旅行に出かけていた。
 本当は私も行かないかと誘われたけど、結婚十五周年を記念した旅行なので、私が付いていくのも無粋なので、私自ら旅行は辞退。
 夕飯は自分でまかなうことになったが、いかんせん普段料理は母親にまかせっきりなので急に自炊が出来るわけもない。
 炊飯器の使い方すらも分からない辺り、我ながら情けない。
 なので、コンビニ弁当に頼ることにした。
 普段はコンビニに行くとしたら、外で遊んできた足で皆で賑やかに商品を見るのだけど、今日は一人で夕飯選び。
 友達は家族でご飯を食べているか、塾で勉学に勤しんでいる。
 トマトサンドとナポリタン、そしてコーヒー牛乳をカゴに入れてレジへ。
 夕飯を買いに来た客のラッシュが過ぎてていた為か、すぐに店員に清算してもらえた。
「いらっしゃいませ」
 と、にこやかに言う店員。
 至ってありふれた接客。
 むしろ、ハキハキとした発声は他の店員にも見習って欲しいくらいの良い接客態度。
 それだけなら、良い気分で買い物できて終わった。
 店員の顔をまじまじと見るまでは。
 見たことのある顔。
 店員と私の目が合う。
 店員は思わず、
「あ……」
 声を漏らしてしまってから『しまった』と言わんばかりに目をそらしてくる。
 そこにいたのは、北出叶矢に酷く似た人物。
 むしろ、十中八九張本人。
 しかし、店員が叶矢だとすると問題が一点。
 中学生って、コンビニで働けたっけ?
「叶矢クン?」
「えっと、誰ですか? 僕の名前は三枝と申します。ほら、この通り」
 胸のネームプレートには確かに『三枝』とある。
 他人の空似……いや、ならどうして私を見たとき『あ……』なんて驚く必要がある。
 もしかして、訳あり?
 学校の帰りに初めて叶矢に出会ってから、またいつか会いたいと思っていた。
 初対面のインパクトが大きすぎたのだ。
 そして、そんな事を考えている中での叶矢(らしき人)との再会。
「今日バイトいつ終わります?」
「十時にあがる」
「私の知り合いに北出叶矢って人がいるんだけど、十時頃に店の裏で待ってて良い?」
 彼は一瞬、怪訝そうに眉間に皺を寄せる。
 そりゃ、あってその日のうちに奇妙な形で再会を果たして、更にまた会いたいなんて言われたら警戒もするよね。
 けれど彼は、
「OK。北出クンにはそう伝えとく」
 回りくどい言い回し。
 まあ、その点も後で訊いてみよう。
「とりあえず、これ清算しますね」
 気まずい空気を察して、店員はカゴの中の商品をレジに通していく。
 バーコードが商品を読み取っていく様を見ながら、しかし、一瞬だけ嫌な映像が視えた。
 視える時はいつも突発的で困る。
 また、九十秒後の嫌な未来だ。
 ガラの悪そうな中年男性が、目の前の店員を凄い剣幕で睨みつけている映像。
〈九十秒の憂鬱〉発動である。
 この未来を彼に言うべきか、言わざるべきか。
 言っても彼はガラの悪そうな男性に絡まれる。
 言わなくても結果は同じ。
 いつもなら、九十秒間憂鬱な気分を引きずって、精々とばっちりを食らわないように身構えておくだけ。
 けれど、彼は車に轢かれるかと思われた未来を、車を跳び越すという未来に変えてしまった。
 ならば、言ってみるのもありなのではないかと思う。
 でも、いきなり『九十秒後にアナタは客に絡まれます』と言っても信じないか、私は頭の可哀相な子扱いされるだけ。
「どうしました? 何かありましたら、何なりとお申し付け下さい」
 店員口調で言う彼は、きっと私の顔色の変化を読んだのだ。
 もう、どうにでもなってしまえ。
「えっと、最近みんな余裕が無いですからお客さんに絡まれないように気をつけて下さいね。特にガラの悪い中年男性とか。えっと、すぐに災難って起きるかもしれないし」
 何をどう伝えていいのか自分でも混乱している。
 ところが彼は、
「ガラの悪そうな中年の客? ああ、もしかして……」
 思い出したように言って、カウンター下の引き出しからプリンやヨーグルトを買った客に付ける小さなスプーンを取り出した。
 私はスプーンを使うようなものは飼っていない。
 更に彼は、
「ゴメンナサイ、何かあったら後で弁償します」
 私の買ったコーヒー牛乳と今しがた取り出したスプーンをレジ袋に合わせて入れた。
 彼が客に絡まれる未来まで残り約三十秒。
 ふと、外から荒々しい音が聞こえるのに気づいた。
 出入り口に一番近い駐車場に猛スピードで駐車する軽自動車が現れた。
 中から出てきたのは、未来視の中に出てきた出で立ちの中年男性。
 舌打ちをした上で、
「おい、そこの店員の兄ちゃんよぉ」
 ドスの聞いた声。
 もしかして、どこかの組の方?
 にしては乗っている自動車が可愛らしい。
 単なる小心者の虚勢ぐらいにしか思えない。
 対して店員は、
「ああ、先ほどは大変失礼しました。そちらから来て頂いて当方としましてもとても助かります」
 腰低く対応。
 店員を睨む中年男性という九十秒前に見た映像の完成。
 しかし、この先の未来は誰も知らない。
「兄ちゃんよ、さっきこの店で俺はヨーグルト買ったんだけど、スプーンが付いてねえんだよ。お前さあ、スプーン使わずにどうやってヨーグルト食えつうんだ。どうなんだ、ええ?」
 このオッサン、器が小せえ。
 恫喝の大きさにが器の小ささを際立たせていた。
 スプーンの付け忘れってよくあることじゃん。
 クレーム言うにしても、『スプーン無かったんで一本下さい』くらいしか普通は言わない。
 というか、それ以上は言えない。
 明らかにイチャモンを付けに来ただけとしか言えない客に店員は深く頭を下げる。
「全くその通りでございます。先ほどその事に気づきお客様をどうにか探せないか思案していたところです」
「ああん? テキトー言ってるんじゃねえぞ!」
 声を張る客。
 ウザイからとっとと消えてよ、と言いたかった。
「いえ、本当でございます。ですから、こうして先ほど付け忘れたスプーンとささやかですが謝罪の品を用意してお待ちしていた次第です」
 店員の手には先ほどからスプーンと私のコーヒー牛乳の入った袋があった。
 手渡された男性は中身を確認。
 スプーン一個の付け忘れに対して、百円相当のコーヒー牛乳を無料で貰える状況。
 更に店員は事前にそれを用意していた。
 以上の事から男性は気を良くしたらしく、
「いやいや、何かスマンね。分かってくれてれば良いんだ。んじゃ、お仕事ご苦労様な。いや、実に良い店だ。今後贔屓にさせてもらうかもな」
 ホクホクの笑顔で帰っていく。
 下手すれば切れて暴れだしかねない客に、逆に好印象を与えてしまった。
 恐ろしく頭の切れる店員である。
「いやー、スイマセン。お客様のコーヒー牛乳を勝手に使ってしまって」
「いえ、良いんです。私が飲むよりよっぽど役に立ったみたいなんで」
 私の未来視がまた役に立った。
 夢みたいな出来事がコーヒー牛乳で引き起こせるなら、何本でも失って構わない。
 だけど、今のはコーヒー牛乳が起こした奇跡ではない。
 この店員が起こした奇跡だ。
 車を跳び越えた中学生と、目の前の店員がきっと同一人物だ。
「今夜十時に待ってます。絶対に来てください」
 叶矢って何者なの?

 そして、夜十時過ぎ。
 彼は店の裏に現れた。
「よう。さっきは本当にありがとうな。ほい、これ」
 彼から手渡されたのは絡んで来た客の手に渡ったのと同じ商品のコーヒー牛乳。
 ……いいって言ったのに、律儀な人だ。
「ここだと、誰かに話聞こえてるかもしれないし、近くの公園に行こうか」
〝店員〟は言った。
 場所を百メートルほど移動して近所の小さな公園。
 外灯照らすベンチに私たちは座った。
 とても静かだ。
 闇の中で仄明かりに照らされた隣の少年の顔がとても神秘的で印象に残った。
 まず聞きたいことは決まっていた。
「アナタは叶矢……だよね」
「そうだよ。ちなみに三枝ってのは偽名。やー、店で流美に会ったときはマジ焦った。まさか他の店員に中学生の子が同級生なんてバレたら即刻クビだからね」
「なんで中学生なのにバイトしてるの?」
「貧乏人だからだよ」
 彼は臆面も無く言うが、言い方が明るすぎる。
「貧乏人でもご両親がいるでしょ。……そんなに家庭の事情が切迫してるの?」
「いや、家庭が切迫してるというか、そもそも家庭が無い」
 今度こそ私はポカンとしてしまった。
 家庭が……無い?
 家庭が荒れているとかじゃなく?
「うーん、あんまり詳しく話すとヘビーで引かれるだろうから、掻い摘んで話すと俺の両親ってずっと前に事故死してて、そもそも死んだ両親って里親で俺自身は生みの親を知らないから天涯孤独の身の上なんだ。んで、色々あって今では某組織の下っ端さんの家に同居中。ただ、生活費や学費は金は自分でどうにかしろって事で履歴書を偽ってバイトしてた、っていう話」
 彼は『掻い摘んで』と言ったが十分にヘビーな内容となっている。
 詳しく話したらどれだけの話になるやら。
 とは言え、それぐらいの事情がないと中学生がコンビニでバイト、なんて事は起こらないだろうなと納得した。
「んじゃ、次はこっちが訊く番ね。さっきといい、今日の帰りといい、流美は妙に勘が良いね。いいや、ちょっと違うな。勘が良すぎる。帰りの時は車が死角にいた筈なのに俺より早く危険に気づいているし、さっきはまるで客が絡んでくるのが分かっているみたいに俺に警告してきた」
 勘の良いのはそっちでしょう。
 普通、そこまで深く考えないじゃん。
 どうしよう。
 彼は凄い人だと思う。
 身体面でも頭の切れも。
 だけど『私は未来が視えます』なんて言って信じるものか。
 ちらりと横目で彼を見てみる。
 嘘など容易く看破してしまいそうな底が見えない漆黒の瞳。
「叶矢は超能力って信じる?」
「まあ、広い世の中、一人二人そんな力を持ってる人がいてもいいんじゃないかな」
「うんとね、馬鹿げた話だと思ったら途中から聞かなくてもいいよ。私はね、時々、ちらっと未来が視えるの。今日のことは偶々見えたから助けようとした、っていうだけなの」
「ほうほう。荒唐無稽だけどそれなら筋が通るね」
 荒唐無稽って段階で筋が通っていないのでは? と突っ込みたかったが言葉の正しい使い方を論議しても無価値なので胸に留めた。
「しかし、未来が視えるとはね。随分便利な力じゃん。確かに『便利だから利用してやろう』なんて輩は世の中わらわら居そうだから厳重に秘密にしておいた方が良いね。けど、でも使いようによっては流美を助けてくれる力になる。大事にしなよ」
 彼は勇気付けるように言うが、私の力の本質を知らないからだ。
「私の力は役立たずだよ。どうやっても見えてしまった悪い未来は変えられないから。変えようの無い未来を見たって絶望的な気分になるだけなの」
「仮にどうやっても悪い未来を変えられないとしても、そうなった時の為に備えくらいは出来るんじゃないかな」
 彼の提案は勿論不可能な夢物語。
「私が見た未来は、いつだって九十秒後にやってくるの。九十秒間で出来る備えなんて無いよ。ううん、無いはずだった。どうして叶矢はあんなに短時間に私が予想してた最悪の未来を回避できたの? 車を跳んで避けたり、絡んでくる客に上手く対応したり」
 不思議なのは、つまりそこなのだ。
 九十秒、いや私が彼に伝えてからならもっと短い時間に彼は上手くやった。
「あなたも変な力を持ってるの?」
「いいや、俺は至って平凡なつまらん人間さ。しいて言うなら生まれてこの方〝運〟とか〝月〟に恵まれなかったのが俺の力かな」
 運や月が〝無い〟?
 運や月が〝有る〟なら未来視以上の力だけど、何故〝無い〟ことが力になる?
「重い話をしちゃうとね、俺はさっきも言ったように、まず生まれてから親に捨てられて絶対的に庇護してくれる親を手に入れられなかった。俺を拾った里親は俺をお受験教育で縛りつけるような奴らで、結局小さい頃から甘えが許されなかったんだ。そして、次は里親が死んで里親の親戚を盥回し。今度はどうやったら赤の他人に過ぎない家族と上手くやれるか考えざるを得ない。試行錯誤の毎日さ。そうやって悪意を持って接してくる人間をどう相手にするか掴んできた。でも、そこにも居場所がなくなって小学生なのにホームレス生活もやったよ。生き延びる為に必死で力を付けようと努力した。知力、学力、教養は図書館を利用したり、運動神経は自衛の為に必須だったから鍛えたりもした。酷いときは怖い人たちに東京湾にコンクリート詰めにされて沈めさせられそうにもなったし、そういう、もはや笑いの神が光臨しちゃった人生さ。そうやって、逆境を越えていくうちに大体どうにか出来る様になりましたとさ、チャンチャン」
 軽く締めるが内容は軽くない。
 彼が嘘を言っているとは思えない。
 だからこそ、彼に掛ける言葉が見つからない。
 気まずい沈黙。
 彼は沈黙を割る。
「でもさあ、十年ちょっとのちっぽけな経験の中でも一つ重要な発見があってね。
 結局〝生きている〟ってのは〝足掻き続ける〟ってのと一緒なんだと思う。例え神様が待ってくれる時間が九十秒間だけでも、でも九十秒間で精一杯、無様でも良いから足掻き続けることが俺たちにできることなんだよ。足掻いて、血ヘド吐いて、自分を不遇な扱いする神様を憎んで中指立て、それでも絶望しないで前に進む意志さえあれば、九十秒間の猶予が贅沢な時間に思えてくるよ。
 ってのは、あくまで運が無かった奴の言い分だから話半分に聞いてくれれば良いよ」
 語る叶矢の目にあったのは強固な覚悟。
 しかし、鬼神の如き荒々しいものではない。
 風の無い日の湖面の静けさが黒い瞳に広がっていた。
「そうだ、流美。明後日ヒマ?」
「うん」
 唐突な問いに戸惑いながらも、私は頷く。
「じゃあ、今日のお礼させてよ。車と絡んで来た客のを」
「え、でも、あんなのは気にしなくてもいいよ」
 むしろ、貴重な体験が出来た私の方がお礼をしたいくらいだ。
「ええっと、俺のこと嫌い?」
「え、いやそんなことは……」
 むしろ……。
「じゃあ、決定ね。明後日の朝九時にN駅北口に集合ってことでOK?」
「うん、OK」
 強引に押し切られた気がするけど、でも悪い気はしない。

次へ→

←前へ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする