ブルー・ナインティ/第3話

~確定未来に抗う者~


 二日間、〈九十秒の憂鬱〉のことで悶々としていた。
 これまでは、九十秒先の未来が視えても無意味だと諦めていた。
 九十秒間なにもしないで、悲嘆にくれるだけの無力さを〝だって九十秒で出来るなんて無いし〟と自分に言い聞かせて、自分の心を守ってきた。
 けれど、叶矢は違った。
 たった数秒しかなくても足掻いていた。
 足掻いた末に未来を切り開いてみせた。
『〝生きている〟ってのは〝足掻き続ける〟ってのと一緒』
 前向きな意志には、自分の行いに対する言い訳が無い。
 でも、私には叶矢みたいな超人並の運動神経もなければ、鮮やかな頭の切れもない。
 彼は自分を不運に鍛えられただけ、と明るく笑った。
 明るすぎる太陽は、見る者の目をくらます。
 彼の怒涛の人生と比べれば、私の悲嘆も憂鬱も塵みたいなもの。
 自分がとんでもなくつまらない人間に思えて憂鬱。
 後ろ向きの気持ちを引きずって、私は叶矢とのデートの待ち合わせ場所にいた。
 叶矢は嫌いではない。
 でも、叶矢に会うのを考えると辛くなる。
 だけど、彼から逃げるのも嫌。
 葛藤を処理できないうちに彼は待ち合わせ場所にやってきた。
 グレージーンズに、トップスはVネックのカットソーとカーディガンの重ね着。
 厳しい目にファッションチェックしても十分合格の彼のセンス。
 これも不運から学んだことなんだろうか。
 例えば、ダサい格好をしていて周りになめて掛かられたから、みたいな感じで。
「やあ、待った?」
「ううん、今来たところ」
 なんてドラマやマンガでよく見る定番のやり取りを素でやりながら、私の気分は晴れないままだ。
 叶矢の表情は、今日も今日とて太陽の明るさ。
 こんなとき、自分はどんな顔をしていればいいのだ。
 精一杯の笑顔を取り繕って、彼と一緒に歩き始める。

 やってきたのは電車で二十分ほど行った駅の北口にある複合商業施設。
〝複合商業施設〟なんて言い方をするといかめしい場所に聞こえるが、実際は家族連れやカップル、友人同士の客が集う場所となっている。
 数年前にオープンしたこの施設は、数十にも渡る店舗とワゴンショップで構成されている。建物としては四階建てで、一階中央のステージでは週末や祝日を中心に、ラジオの公開生放送をはじめ、お笑いショーやアマチュアアーティストによるライブなどが開かれている。ちなみに今日はアマチュアアーティストの演奏が行われるらしい。
 とにかく色々な店を見て回った。
 服飾関連、楽器店、花屋に雑貨店。
 ただ漫然と見ているだけでなく、叶矢がやたら博識で花言葉だったり、楽器の弾き方だったり、パワーストーンの効能だったり、普段私が興味も持たないような分野の話を教えてくれたりした。
 ダラダラ薀蓄は話している感じは受けず、退屈せず楽しい時間だった。
 四時間くらいあちこち回って、お昼時ということもあって一旦ファーストフード店で休憩をいれた。
「どうやったらあんなに話の引き出しって増やせるの?」
 混み合った店内で空いていた窓際の席。
 カウンターテーブルに隣り合って座っていた。
 テーブルを挟んでいないので叶矢との距離が近い。
「小学生の時ホームレスをやってたから、出来る限り壁と屋根のある学校に居残ろうとしてね。居残るのに一番場所が図書館だったんだ。あそこなら遅くまでいても先生が良く本を読む子として許してくれたから。その時に知識が蓄えられていったんだよ。努力の成果ってこと」
「やっぱり前向きに解釈してくんだね」
「後ろ向きに考えても現実は変わらないからね。特に俺みたいな運に見放された奴は神様から援護射撃してもらえないんだ。だったら、自分でどうにかするしかねえじゃん、っていうだけの話」
 ……それに比べると私って恵まれてるのに何もしてない。
 でも、今から頑張っても彼みたいになれるわけじゃない。
 このまま〈九十秒の憂鬱〉に振り回されるのかな。
「未来が視えてからアクションを起こせるまでが九十秒しかないって、神様がいたとしたらとんでもなく意地悪でへそ曲がりで性格破綻者なんだろうね。もっと長い時間をくれて、しかも必死になって行動したら悪い未来を回避できる未来視だったら、私みたいな奴でも上手くやれてたのに」
「神様が性格破綻者って意見には賛成するね。そんなのニュース観てればすぐに分かることさ。真面目な奴ほど救われない、悪貨が良貨を駆逐するのが人間社会だ。俺はそれはそれで刺激的でアリだと思うけどさ。でも、後半の〝私みたいな奴〟っていうネガティブな言い方は嫌いだな」
「どうして? 私なんて所詮平凡な中学生で、そんな奴が人と違うモノを持ってたって振り回されるだけじゃない」
 愚痴と嫉妬を混ぜ合わせ、刺々しい態度で言ってしまった。
「絶望するのは最後に取っときな。俺みたいな運の無い人間でも何とか出来てるんだから、流美だって自分の運命を逆手に取れるようになるよ」
「そんな保証は無いじゃない。誰もが叶矢みたいに強い人間だと思わないでよ!」
 楽観的な叶矢の考え方は最初憧れだった。
 でも、今は聞いていてイライラする。
 不甲斐ない自分が、何もしなかった自分が責められている気分になる。
 きっと被害妄想だ。
 触れられたくない患部に触れて自分を痛めつけているのは自分自身。
 そんな自分に対する怒りを、憧れを嫉妬に捻じ曲げて叶矢に押し付けているだけ。
 自分が情けない。
「いいんだよ、今すぐに変わろうなんて思わないでも。ゆっくりちょっとずつでも」
 叶矢の優しさが、逆に苦しいよ。
 こんな痛いものなんていらない。
 このまま一緒にいれば初めて〈九十秒の憂鬱〉に希望をくれた人を嫌いになっていく。
「ねえ、叶矢。九十秒間目を閉じていて」
「九十秒? 何が起こるんだ?」
 九十秒というキーワードに彼は辺りを見回す。
 また私が良くない未来を視たと思っているのだろう。
「いいから! 私の言うとおりにして!」
「わかった」
 強く言う私のなすがままに、叶矢は目を閉じた。
 私は嫌な未来は視ていない。
 これは時間稼ぎ。
 持っていたペンでレシート裏に彼にメッセージを残した。

〝今日は楽しかったです。ありがとう〟

 書置きして、そっと店を後にした。
 我侭で身勝手な行動に叶矢は呆れるだろう。
 きっと私を嫌いになるに違いない。
 それでいい。
 だって、未来も自分も変えられないどうしょうも無い奴の相手を叶矢がする必要なんてないんだ。
 残り三十秒で叶矢は目を開ける。
 早く逃げよう。
 じゃないと追いつかれる。
 幸いにも今日は休日。人込みに紛れれば彼はきっと私を見つけられない。
 相手の運が良かったら偶然私を発見するかもしれないけど、相手が叶矢ならば心配は無い。
 彼は運の無さではきっと世界屈指の逸材だ。
 ファーストフード店は四階。
 一階に降りるまでは迅速に行動したいが、エレベーター、エスカレーター共に混雑中。急いで階段を下っていく。
 自分が単なる逃亡者で負け犬である自覚はある。
 叶矢から逃げた以前に、自分自身から逃げ出した。
 でも、自分自身からはきっと逃げ切れない。
 逃げ出した自分への嫌悪感が秒刻みで刻々と酷々と増大していく。
 一階にたどり着いた。
 後は吹き抜けを突っ切って、駅まで逃げれば私の逃走は完成する。
 でも、本当にいいの?
 自分を問いかける自分の声がした。
 今日逃げ切っても明日からの学校でも彼を避けて通ることになる。
 ずっといつまでも彼から逃げ続けられるのか。
 彼に嫌われて、白い目で見られる覚悟はあるのか。
 ああ、本当に私は何もかも中途半端だ。
 未来視が中途半端なんじゃない。
 私自身が中途半端なんだ。
 そんな私では何秒、何分、何時間も先の未来が視えたところで結局中途半端で、未来を変えるなんてできやしない。
 馬鹿な奴。
 もっと、早く気づくべきだったんだ、そんな簡単な事実。
 事実に気づいても、もう遅いのかもしれない。
 叶矢を騙しておいてきてしまった。
 きっと彼を傷つけた。
 私に勇気をくれた人を裏切った。
 ならば、やるべきことは決まっている。
 戻ろう。
 戻って謝ろう。
 それで許して貰えるかは分からない。
 許してもらえないなら、それはそれで構わない。悪いのは私なんだ。
 吹き抜けから四階を仰ぐ。
 ファーストフード店の前で私を探す叶矢がいた。
 次の瞬間、視界に写真が割って入ったような感覚があった。
 その写真は私にしか視えない映像。
 私の特異な力が見せる幻。
 九十秒後に絶対に襲い掛かる未来。
 未来視の中では誰かが四階の手すりを突き抜けて転落していた。
 背中から落下している様子から、自発的に柵を飛び越えたとは考え難い。
 しかも、転落する人物の後ろ姿は叶矢のものだ。
 今ほど私は自分の力の存在を呪ったことはない。
 けれど、私は叶矢を守りたい。
 決心と覚悟が私の胸に宿った。
 初めて抱く不思議な気持ち。
 それが何なのか思索するのは後回し。
 訪れる未来まで後八十秒。
 私は足掻き始めた。
 大切な人を守るために。
 不幸中の幸いなのは、視えた叶矢の姿が落下後ではなく、落下中であること。
 ならば、やるべきことは決まっている。
 一階のフロアを一瞥。
 中央のステージではアマチュアミュージシャンがMC中、それを取り囲む人混み、家族連れ、恋人たち、友達集団、ステージに客を取られて暇そうにしているワゴンショップ。
 残り七十秒。
 あった。
 叶矢を助けられるかもしれない手段があった。
 ワゴンショップを凝視する。
 リアカーのような車体の上に商品を陳列する棚と、雨からそれを保護する為の布製の屋根が乗っている。
 人力で何とか動かせそうだ。
 残り六十秒。
 ワゴンショップまで駆けてゆく。
 残り五十秒。
 人目なんて気にしない。
 後でどんなお咎めを受けても構わない。
 私は叶矢を助けたい。
 私はリアカーの引き手に手をかける。
「ちょ、お、お客さん?」
 店員のおたおたした声。
 残り四十秒。
「人の命が懸かってるんです。動かすの協力して下さい」
「え、え、えっと何言ってるんですか?」
 残り三十秒。
 詳しく説明している時間はない。
「いいから早く! あなた人を死なせたいんですか!」
 大声で怒鳴ったのが功を奏したのか、〝死〟という究極的に重たい単語に怖気づいたのか店員は、
「わかりました。で、これをどうしたいんですか?」
 弱弱しい声で訊いてきた。
 残り二十秒。
 ステージのMCがスペシャルゲストを紹介が来ているような内容を話しているが極めてどうでもいい。
 自分の仕事に集中せねば。
「あっちまで押してください。せーの」
 落下中の叶矢の行き着く先と思われる地点まで全力でワゴンショップを移動させる。
 残り十秒を切った。
 横では群集の黄色い声が響いていた。
 上の階からドタバタと凄い音がした。
 ステージのスペシャルゲストとやらに反応したようだ。
 残り五秒。
 四階を仰ぐ。
 真上には叶矢。
 柵に背を向けてその場を去ろうとしていたが叶わなかった。
 柵に身を乗り出してステージを観ようとする観客の腕に当たって後ろによろける。
 叶矢が不注意だったと言うには可哀相すぎる。
 更に間が悪いことに一歩引いた足元にポイ捨てされた空き缶が落ちていて、彼は後方へ派手に倒れた。
 そこで終わるのが普通の人。
 そこで終わらないのが叶矢が不運の申し子を自称する所以。
 倒れこんだ衝撃で叶矢の乗りかかった部分だけ手摺がバキッっと折れる。もはや、奇跡に類別されるレベルの不運の因果として彼は四階から一階へ転落してきた。
 九十秒経過。
 九十秒前の未来視と同じ像を私は見ていた。
 この悲劇は九十秒前に視ていた。
 だから、私はクッションの代わりになるものを探して、彼の落下地点まで移動させた。
 四階から転落してきた叶矢は布張りワゴンショップの屋根に転落。
 そして、屋根でバウンドした彼は再び宙に投げ出されたが華麗に着地。
 これが体操競技で審査員がいたら全員満点を出していたであろうほどの鮮やかさ。
「あー、マジでビビった」
 着地した叶矢の第一声。
「だ、大丈夫?」
 余裕そうだけど、念の為訊いておいた。
「ああ、クッションがあったおかげで助かった。さっき上から流美が動かしてたのはこういうのが起こるからなわけね。九十秒前に視たんだな」
「ええ。というか、上から私の様子を見てたの?」
「こんなデカい物が動いてるのなんて上から見てたら一目瞭然だって。流美って力持ちなんだな」
 顔が耳の先まで熱い。
 上からワゴンショップの店員を扱き使っている様子まで見られていたのか。
 叶矢はニコニコ笑っている。
 頭を撫でてきた。
「な、何?」
「九十秒の間にちゃんと悪足掻きできたじゃん」
「だ、だって叶矢が落ちてくるシーンが視えたんだよ。そんなの……」
「そんなの?」
「……そんなの助けるしかないじゃない!」
 やけになって大声で叫んだ。
 今までモヤモヤと胸に滞留していた感情が全て吐き出せた気がする。
 絶叫に叶矢は目を丸くしたが、すぐにいつもの優しい笑顔に戻って、
「ありがとう」
 と言った。
 その言葉の為に九十秒足掻いた、と言っても間違いではない私に勇気を与える魔法の言葉だった。

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