コンステレーションの夜

 天に瞬く星々も、地を行く人の眩い笑顔も、みんなまとめて死に絶えろ。
 私、綾峰真子《あやみねまこ》は、真夜中の学校屋上で、この世に生けとし生けるるものと、輝ける存在を呪ってみせた。
 私の住まう町は地方都市とも呼べないほどに田舎で、学校の周りには田んぼや畑しかない。
 だから天蓋には、無数の星が燦然と煌めいている。
 清少納言の記した枕草子には『夏は夜』なんて一文があったのを思い出す。夏の夜空は掛け値なしに美しい。
 仄かながらもしっかと輝く無数の星が、光の帯をなしている。夜空には天の川がせせらいでいた。
 乳白色の水のない川。吸い込まれそうなまでの美の極致。
 手を伸ばせば、その一欠片ほどには手が届くのではないかと妄想してしまう。けれど、当たり前ながら星には手が届かない。
 星に近づきたいと願うのは、稚拙で暗愚な無いものねだり。
 ――だから、私は死のうと思う。
 だって、どれだけ足掻いても私には星を手に入れられないのだから。
 届かない星の下で生きるのは無様だ。
 不幸な惑星《ほし》の上でゴミ虫みたいに這いずり回るのは屈辱の極みだ。
 私はいよいよ屋上の金網に手をかけて、生と死のボーダーラインの越境を試みる。
 星を手に入れられないなら、いっそ死んでしまって、自分が星になってしまえばいい。
 捨鉢な発想。
 負け犬の妄想。
 そんなことはわかっている。けれど、私は生きるということにほとほと疲れ果てたのだ。
 十五年しか生きていない小娘が言うには生意気な意見かもしれない。
 だけど、私は自分の未来が輝けるものだなんて想像できない。これから先の人生がこれまでの哀れな人生の延長だと考えると吐き気がする。
 だから、私は金網をよじ登ろうと、掌に力をかけた。
 その刹那――。
「はいはい、ストーップ! 早まった真似はやめてくれないかしら?」
 後方から女の子の声がした。
 突然の声に、心臓が縮み上がる思いで振り返る。
 そこにいたのは、歳の頃が私と同じぐらいの少女だった。ジーンズにTシャツという簡素な格好をしている。容姿はそれなりに美人だ。
 けれど、その少女の本当の特徴は頭髪にあった。
 月と星の明かりに照らされているだけだというのに、彼女のツインテールにまとめられた髪は金色に輝いていた。
 鮮やかなまでの金髪。けれど、容姿は日本人のもの。なので、その金色が作り物であるのは一目瞭然。
「あなたは……一体?」
 いきなり現れた少女に、私は誰何する。
「私は各務原流香《かがみはらるか》って者よ。それとも【鬱金の魔女《ゴールデン・バッド》】と名乗った方が、この学校じゃ通りはいいかしら?」
 まるで漫画かアニメのキャラみたいな通り名を、目の前の少女――流香は臆面もなく告げてくる。
 ――【鬱金の魔女】。
 その通り名は聞いたことがある。
 私と同じ一年生ながら、校則を破り、教師に盾突く生徒がいる、と。そして、困ったことにその生徒はトンデモナク成績優秀らしく、教師陣も文句を言うに言えないとか何とか。
 そういえば、試験後に学校掲示板に張り出される成績上位者一覧表に『各務原』の名前があった気がする。
 地味でグズで劣等生な私とは対極にいるような人だ。
「ど、どうしてそんな優等生がこんなところにいるのよ」
 自分のことを棚に上げて、私は相手に問いかける。
「あら、私は見ての通りの不良少女よ。真夜中の学校の屋上にいて何が不思議かしら。むしろゴールデン・バッドなんて大層な通り名があるくらいなのだから、それぐらいやらないと」
 流香はツインテールの一房を、指先で弄ぶ。その顔は清々しいまでのドヤ顔だった。
 唖然として何も言えない私に、更に流香は問いを重ねる。
「私からしたら、貴女みたいないい子ちゃんそうな奴が、夏休みの学校屋上にいることが怪奇現象よ。貴女も、下でやってるバスケ部の合宿に乗じて校内に侵入したってカンジかしら?」
「その通り……です」
 私はおずおずと答える。同級生なのに何故か語尾が敬語になってしまった。
「それで、どうして貴女は早まった真似なんてしようとしたの? 失恋? それともイジメ?」
 流香は、ずかずかと人の心に土足で踏み込んでくる。自称不良少女には相手に対する配慮なんてないようだ。
「そんなんじゃない。ただ、私はいつもそんな役回りを押し付けられるのが嫌になった。だから……!」
 つい、ムキになって本音を吐露してしまった。
【鬱金の魔女】の口元には邪悪な微笑み。
「興味深いわね。もっと話を聞かせてちょうだいな。どうせ死ぬつもりだったなら、話しても問題はないでしょう?」
 言い方は優しいのに、有無を言わさぬ強制力を持っていた。
 私はため息を一つ。そして、語る。
「私の人生はどうやっても上手く転がらない。私の家は大家族で、私は長女。お父さんは借金を残して失踪して、貧しいながらもなんとか生活してる。でも、そのせいでお母さんは毎日夜遅くまで働き詰めで、弟や妹の面倒は全部私が見るハメになって、私は自分が遊んだり勉強したりする時間も作れない。学校に友達だっていない! なのに、弟たちはのうのうと笑いながら生活している。それなのに私が我侭を言おうものならお母さんは『お姉ちゃんなんだからしっかりしなさい』と言い出す。そんなの不公平じゃない! みんなが輝いているのに、私だけが不幸を背負っている! だから、だから……」
「それで死を選ぶ、と。なんというか、育児疲れした母親みたいな言い分ね」
 私の切なる主張に、流香はやれやれと肩を竦める。
「あなたに私の何がわかるっていのよ!?」
 私は怒鳴り声を上げるが、流香はまったくたじろがない。
「私にわかることはただ一つ。どうしても苦労を背負い込むことが、貴女のコンステレーションであるということね」
 あまつさえ、流香は意味不明な単語を吐き出す始末。
「コンステレーション?」
「ダイレクトに日本語訳すれば『星座』って意味なんだけど、ここでは『布置《ふち》』と訳して欲しいわね。貴女、ユング心理学って知ってる?」
 これまた初耳の単語に私は首を横に振る。
 困惑する私に対し、流香は嬉々として解説する。
「ユング心理学っていうのはカール・グスタフ・ユングって人が創始したちょっとオカルト寄りの心理学の学派よ。コンステレーションというのは、ユング心理学で用いられるいわば学術用語ね。コンステレーションとは、個人の精神が困難な状態に直面したり、発達の過程において重要な局面に出逢ったとき、個人の心の内的世界における問題のありようと、ちょうど対応するように、外的世界の事物や事象が、ある特定の配置を持って現れてくることよ」
 役者が長ゼリフを暗唱するように、流香は説明する。しかし、私の頭ではちんぷんかんぷんだった。
「えーっと、もうちょっとわかりやすくまとめてくれる?」
「そうねえ、誤解を恐れずに言えば個人個人が抱える運命みたいなもの、と言ってもいいんじゃないかしら。人の心の中には、その人固有のコンステレーション――すなわち星の配置があるの。そして、それは星座である以上はちょっとやそっとじゃ変わりはしない。人はみんな、自分の内側にある星の配置と悪戦苦闘しながら生きていくものなのよ」
「それってつまりは、……決定論?」
 流香の言っていることをもっとまとめてしまうと、人の運命は決まっていて変えようがない、ということではないか。
「雑に言うなら、そういう言い方もあるかしら」
「だったら、私はそんな星座なんていらない。私の星座はまったく輝いていないじゃない! みんなは夜空に燦然と輝くような星座を持って生まれているのに、私にはない。そんなの不公平じゃない!」
 私の憤慨は、流香に対するものというよりは、むしろ運命の理不尽さへのものだった。
 どうして神様は、私にばっかり重荷を押し付けるのだろうか。
 いつまで私は、その重荷に耐えなくてはならないのだろうか。
 矮小で、自意識過剰な癇癪なのはわかっている。それでも叫ばずにはいられない。
 なのに、流香は微笑みを絶やさない。
「空を見上げてごらんなさい。そこには一体なにがある?」
 私は流香に言われるがまま、天を仰ぐ。
「忌々しく星が輝いている」
 自分でもぞっとするぐらい平坦な口調で答えた。
「その星の連なりが星座を作る。星や星座には様々な神話がある。悲しい神話や、甘い恋の神話だったりと、色々な物語がね。けれどね、ギリシャ神話においては、そんな夜空の物語をたった一人で支えている神様がいるの」
 再び視線を流香に戻す。やはりというか、不敵な微笑を浮かべていた。
「星座を支える神様?」
 頭をひねってみる。ギリシャ神話の知識なんてないに等しい。大神がゼウスで、そいつがやたらに浮気性で、いつも正妻のヘラがゼウスの浮気相手に報復して回っていた、みたいな印象しかない。
「アトラス――それがその神様の名前よ。アトラスはティターン神族の一員として、ゼウスに戦争を仕掛けるけど敗れてしまう。そして、いわば戦犯になったアトラスは罰としてゼウスにより、世界の西の果てで天空を背負うという役目を負わされるの。これはアトラスにとっては苦役以外の何物でもなかった。罰として空を背負うなんて途轍もないスケールよね」
 流香は朗々と語るが、私はそれを白けた態度で聞いていた。
「そんなに嫌なら、投げ出してしまえばいい。私だったらそうするわ。別に空を背負うのを放り出しても周りが困るだけじゃない。あるいは、空を放り出して自分も巻沿いを喰らうというのであっても、自分ひとりだけが苦しむのよりは何倍もマシよ」
「そういう考え方もありね。けれど、アトラスは空を支え続けるの。一度だけヘラクレスという神様に空を背負うのを肩代わりしてもらうこともあった。ヘラクレスがアトラスにしかできない仕事を依頼する対価として、アトラスは自分の代わりに空を支えてほしいと頼んだ。実際、空を支えながら、別の仕事なんてできっこないわけだしね。これってアトラスにとっては、空を支え続ける罰から逃げ出す大チャンスよね。だって仕事をするフリをして、ヘラクレスに全部押し付けちゃえばいいんだから」
「というか、私ならそうするけど……アトラスはしなかった、と?」
「もちろん、それも考えたでしょうね。だけどアトラスはきちんと仕事をこなした。その上で、空を支えるヘラクレスのところに戻ってきて仕事の事後処理も自分がやっておこうと提案した。だけど、ヘラクレスは一計を案じるの。自分では上手な空の支え方がわからないから、もう一度実演して欲しいと言ってね。その申し出にアトラスはホイホイと乗ってしまい、空はヘラクレスからアトラスへ移動。そして自由の身になったヘラクレスに逃げられて、アトラスは空を支え続けるハメになりましたとさ」
「アトラスって……すごくバカ?」
「かもしれないわね。でも、こうも考えられるわ。上手な支え方を教えて欲しいと頼まれて、それに答えるってことは、アトラスは天を支えるって役目に自負を持っていたのかもしれない。つまり、それは自分にしかできない役目だってね。現実世界にも結構いるわ。辛い仕事でも逃げずに自負心を持って、それに当たる人って。うちの兄さんもキツイ職場で働いて、文句を垂れながら、それでも必死になって戦っている。だからね、そういう人って、他の人の星座を支えるアトラスみたいなものなのよ。だから貴女は、自分が他の人の心に宿る星座を支えていることに誇りを覚えてもいいんじゃないかしら?」
 人を支える、か。
 正直言って、そんな観点から自分の境遇を眺めたことはなかった。
 自分がしていることが、誰かを支えているというのならば、辛い境遇も、ちょっとは報われるのだろうか。
 もし、そうだとしたら、本当に必要なのは自負心だ。
 どんな星座も、天空も支えてやろうという、愚昧で、しかし気高い自負心。
 私は再び星々が輝く夜空を仰ぐ。
 いいだろう。やってやる。
 支えること。それが私のコンステレーション。
 私は再び視線を落とし流香を見据える。金髪の魔女は妖しく佇んでいた。
「では、私は本来ここにやってきた目的に戻るわ」
 私の瞳を覗き込んだ流香は、満足した様子だった。
「……そもそも、あなたはどうしてこんな真夜中に屋上に?」
「もちろん、星が綺麗だったから、最高のロケーションで眺めるためよ。それに真夜中の学校に侵入なんて不良っぽくて素敵よね」
「それはもう不良っぽいではなく、不良なんだけどね」
 流香の無茶苦茶な言い分に苦笑するしかなかった。
 そして、更に言葉を紡ぐ。
「あなたみたいに自由に生きられたら、きっと毎日が黄金色でしょうね」
 この皮肉に対して、流香はこう切り返す。
「なにせ私は【鬱金の魔女《ゴールデン・バッド》】。ミダス王のごとく、手当たり次第に万物を黄金に変えてしまうのが私のコンステレーションなのよ」

【コンステレーションの夜】了

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