ギフテッドな僕ら/第1話

~タイムラインの少女~


 人間関係に、リセットボタンがあるなら押してみたい。
 現在は五月の下旬。
 僕の新しいクラスでの生活は暗礁に乗り上げていた。座礁した海域は冥府の暗さ。明日を照らす灯台なんてありやしいない。
 ケータイをいじるフリをしながら、僕はこっそりと目線だけでクラスの様子を観察する。
 席替えによって配置替えされた僕の席は、教室の窓際の一番後ろ。教室の様子を観察するのには最適なポジションだ。
 始業前の教室には、クラスメイトの楽しそうな雑談と笑い声が飛び交っていた。
 雑音は複雑に混ざり合い、僕の耳では、なにを話しているかまでは解析できない。きっと、流行りの音楽の話だったり、マンガの話をしているのだろう。
 クラスの様子を冷静に観察しながら、僕はそんな自分に嫌気がさしていた。
 観察癖こそが僕の最大の短所だ。人を観察するだけで、人の輪の中に入っていこうとしない。
 高校二年生に進級してから二ヶ月弱。僕は教室の中の人間関係を客観的に観察し、分析するように努めてきた。
 けれど、客観的になるということは主体性の欠如につながる。
 結局僕はクラスの様子を見ていただけ。クラスの輪の中に入ることに壊滅的に失敗していた。
 仲良きことは素晴らしきかなと言うけれど、それは仲良し集団に入れた側の言い分だ。和気藹々とした雰囲気から脱落した負け犬にとっては孤独感を助長させるだけ。
 クラスメイトとのコミュニケーションの取り方がわからない。
 何週間とクラスメイトを観察しても、合理的な結論をはじき出すことは叶わない。
 いや、そもそもの話。これまでの人生で、学校でクラスメイトと、きちんとコミュニケーションを取れたことがあったかすら怪しい。
 いつも僕は冷静な観察者を気取っていただけで、人と関わることを恐れていた。
 それは客観的な態度ではなく、実はただの臆病だったのではないだろうか。
 そんな疑念が内心で渦巻き、自己嫌悪が増幅されていく。
 きっと、クラスメイトと良好な人間関係を築けない僕を、世の人はこういうだろう。
 コミュニケーション障害――すなわちコミュ障、と。
 治さねばならない。
 コミュ障は、人生に立ち込める暗雲に他ならない。晴らさなければ、僕の人生にいつまでたっても日の光は照りはしない。
 幸いにして僕には策がある。
 確かにクラスでの仲良し集団は固定されつつある。新しく仲間に加えてもらうのは至難の技だ。
 だったら学校外の人とコミュニケーションを取れば済む話だ。
 幸いにして、現在はネットによってフラットにつながれた世界。
 僕はケータイを、SNSに接続する。
 そのSNSは、一四〇字以内で思ったことをつぶやくミニブログだ。
 SNSを介して、まずはオンラインで人脈を形成する。しかる後、オフでの出会いにつなげていけばいい。
 僕の作戦は順調に進展している。
 先週のこと。僕はSNSで、よくやり取りする相手とオフで出会う約束を取り付けた。
 僕は、リアルではコミュニケーション能力がない。けれどネット上では違う。人と面と向かって話すのは苦手だが、文面でやり取りするのは得意な方だ。
 僕と、その相手が会うのは今週の土曜日だ。
 リアルで会って話すのは緊張する。コミュ障の僕に一から人間関係を構築できるかは不安も大きい。
 ネット上でやりとりをした限りでは、その相手は大人しそうな女の子だ。こっちから会話をリードする必要も生じるかもしれない。けれど、聞いた限りでは僕と彼女は同い年。共通の話題はきっとどこかにあるはずだし、話が合うからネット上で仲良くなったのだ。
 あとは僕がコミュ障だということがバレないようにするだけ。
 別に相手の女の子と付き合いたいなんて贅沢はいわない。ただ、僕は同年代の人間と、コミュニケーションを取れると証明したいのだ。
 とか、僕が考えていると、教室の空気が一変していることに気づく。
 それまで賑やかだった室内からは雑談が消え失せていた。
 僕は目線を上げて、再度クラスの様子を観察。
 すぐにみんなの沈黙の意味が理解できた。
 我がクラスの暴君が、登校してきたのだ。
 虎目茨(とらめいばら)。
 学校一の美人と評されながらも、同時に準戦略兵器とも恐れられる女傑だ。
 虎目さんは、絶世の美人でプロポーションもいい。大人しくしていればモデルのバイトをやっていますと言っても疑われないであろう。
 しかし外見に騙されてはいけない。虎目さんの内面ではマグマがたぎっている。気に食わないことがあれば、校長にも臆することなくクレームを叩きつける凶戦士。絡んできた街の不良どもを、一人で締め上げたとも噂される一騎当千の戦闘力の持ち主。
 加えて神経質な性格らしく自分の噂には敏感。なんの関係もない話をしていた連中に、自分の悪口を言っていたとふっかけること、僕の知る限りで十数回。
 虎目さんは僕とはまったく違うタイプの人間だが、はやりこう言うことができよう。
 彼女もまた、まったきコミュ障である――と。
 制服ブレザーのポケットに手を突っ込んだ状態で虎目さんは歩く。姿勢はあまり良くなく猫背だ。
 せっかくのモデル体型なのだから、もっと優雅に歩けばいいのに。実にもったいない。
 虎目さんは、静まり返ったクラスメイトを一瞬だけ睨めつけるように一瞥。クラスの連中の表情がこわばる。
 下手に触れれば爆発しそうな緊張感。虎目茨という一人の少女の登校により、教室は殺伐とした地雷原に変容した。
 大股で教室を闊歩し、虎目さんは自らの座席につく。
 ちなみに虎目さんの座席は僕のすぐ前。
 手を伸ばせば、虎目さんの背に触れられる位置が僕の座席。もっとも、不用意に虎目さんに触れようものなら、きっとそれは死を意味する。なので、僕は安易な行動は起こさない。
 席替えで新しい席になってから僕は、毎日胃が痛い思いですごしてきた。
 想像してみていただきたい。
 プリントが前の席から手渡しで配布されるたびに、僕は虎目さんに睨まれるのだ。
 また、後ろから提出物を前に送る際、僕は虎目さんに一声をかけなければならない。
 綱渡りの日々。いつか僕が円形脱毛症を発症しても不思議ではない。
 窓際の一番後ろの席で僕は、たった一人で毎日戦っているのだ。
 いっそ、これを機に虎目さんと仲良くなってみるか?
 それこそありえない。
 僕には虎目さんとフランクに会話するコミュニケーション能力などない。そんな社交性があったら他の人と友達になっている。
 僕はため息すら吐けなかった。ため息が虎目さんの機嫌を損ねる可能性がゼロではないからだ。
 懊悩する僕。
 一方で虎目さんはというと、机に両肘をついてなにかをいじっている。
 彼女の真後ろからだと、なにをやっているのかわからない。
 触らぬ虎目に祟りなし。
 変な好奇心を起こして、虎目さんがなにをしているのか確認するのはハイリスク・ノーリターン。
 でも僕は、一時間目に使う教科書とノートをまだ机横に掛けたカバンから取り出していない。
 カバンを取るときに一瞬だけ虎目さんの様子が目に入っても、それは不可抗力だ。
 僕は仕方なしに、カバンを取る。
 その時に一瞬だけ見えた。虎目さんはスマートフォンをいじっている。スマートフォンの画面には、僕もやっているミニブログのSNSが表示されていた。
 まさか、虎目さんもSNSをやっているなんて。
 意外だ。
 虎目さんのような御仁は『ネットでのつながりなど軟弱者の発想。拳と拳のぶつかり合いこそが真のコミュニケーション』とか言う人種だと思っていた。
 僕は教科書とノートを机の上に出すと頬杖をついた。頬杖をつくと当然僕の身体は傾き、ちょうど虎目さんがスマートフォンを操作する様子が見えてしまう。
 でも、見えてしまうものは仕方がないよね? 頬杖をつくのは僕の自由なんだし。
 それに、虎目さんの背中に目があるわけでもあるまい。僕が後ろから覗き込んでいるなんてわかるわけが……。
「一体なんの用だ、飯豊悠司(いいとよゆうじ)?」
 スマートフォンの画面を、右手で覆い隠ながら虎目さんは不機嫌そうな声で言った。
 呼んでますよ、飯豊悠司さん。
 って、飯豊悠司は僕なんですけどね。
 僕の時間は凍結した。ついでに僕自身も凍結した。それはもう、液化窒素を頭からかけられたような凍結ぶりだった。
「え、えっと、なんの話でしょうか?」
 即座に僕は頬杖をやめ、座ったままの状態で背筋をピンと伸ばす。
「お前、オレがケータイいじってるの覗いてただろう?」
 虎目さんは振り返り、獰猛な瞳で僕を刺し殺す。
「な、な、なんのことやら記憶にございません」
 僕は、ガタブルと震えながら言い訳の言葉を吐き出す。
 しかし、虎目さんの表情から怒りの色は消えない。それどころか、彼女の表情はより険しさを増していた。
「知らばっくれるなよ? 照り返しにはっきり映ってたんだよ。お前がオレのケータイをガン見してるところが」
 なるほど、それなら背中に目がついてなくても、後ろの様子がわかる。
「どうして、お前はオレのケータイを覗いてたんだ? ああん?」
 虎目さんは、僕の襟首を掴んで尋問してくる。
 僕の人生は崖っぷち。それでもまだ返答次第で生存ルートがあるかもしれない。
 誰か、荒ぶる神をなだめるコミュニケーション能力を僕に分けてくれ!
 追い詰められた僕は、言った。
「今日も虎目さんが可愛かったから……つい」
 ……僕のコミュニケーション能力では、今はこれが精一杯。
 さようなら、僕の人生。
 僕の脳裏に走馬灯がよぎる。さりとて、僕の人生は家族以外とはほとんど一人で過ごしてきたようなもの。走馬灯の内容は悲しいぐらいにスッカスカだった。
 ところが、なぜか虎目さんは僕の襟首から手を放してくれた。
「ば、ば、ばかじゃねえの? オレは可愛くなんてねえっての!」
 顔を真っ赤にして怒鳴る。ぷいっと僕に背を向けると、再びスマートフォンを操作し始めた。
 虎目さんが顔を真っ赤にさせた理由は、怒りだろうか、それとも照れたのだろうか。
 怒り……なんだろうな。鉄血武装の戦乙女が、高々『可愛い』と言われただけで照れるとは考えがたい。
 慎ましく生きていただけの僕でさえ、虎目さんに怒られる。虎目さんは、誰にでも分け隔てなく怒りを撒き散らす存在のようだ。
 今後、一層僕は虎目さんから警戒されるのだろうな。
 ちょっと虎目さんを刺激しただけで、彼女の拳が飛んでくることも覚悟せねばならない。
 例えるならば今の僕は、独裁者に虐げられた民衆だ。SNSで同志を募って革命運動を起こしたい。
 憂鬱な気分で僕は、虎目さんによってクシャクシャにされた襟元を正す。
 気分転換を兼ねて、僕はケータイ端末からミニブログのSNSに接続。
 SNSにつなぐと、タイムラインは多くのつぶやきで溢れかえっていた。タイムラインとは、自分がチェックしているアカウントのつぶやきを時系列順に並べたものだ。
『早く席替えをしたい』
 僕は書き込む。
 僕以外の人間には、なんのことやらわからないかもしれない。けれど、今の気持ちを率直に表現したい気分だった。
 現在は学生でいえば始業前の時間帯。社会人でいえばちょうど出勤時間。
 通学・通勤でのヒマを潰すべくSNSにつぶやく人は大勢いる。僕のつぶやきは、タイムラインの流れの彼方に消えていく。
 自分の切なる思いが、電子の海に消えていくのは切ないものだ。しかし、それも一つのネットを介したコミュニケーションのあり方だ。
 僕らはネットを介して淡白につながっていく。
 頭の固い大人は、人と人とのつながりが希薄になるのは由々しき事態と騒ぐかもしれない。
 けれど僕は、濃厚な人間関係が、手放しに素晴らしいものとは思えない。
 昔の人の言葉に『君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し』なんてものもある。
 物事をわきまえた人の交際は水のようにさらりとしている。逆につまらない人間の交際は醴(甘酒)のようにベタベタしているものだ。
 ネットでのつながりは究極の淡き水。
 ネット社会も、それほど悪いものではない。
 つらつらとタイムラインを確認する僕。タイムラインの更新を行うと見慣れたアカウントのつぶやきが書き込まれていた。
『どうしよう、さっきクラスの男子に可愛いって言われた。私、可愛くなんかないし……。超恥ずかしい』
 つぶやきの主は、今週末に僕と出会う予定の子だ。『ローザ』という優雅な女性を連想させるハンドルネームを持っている。
 詳しい状況はつかめないけれど、ローザさん、中々やりおる。
 それに草食系男子が主流の昨今、女の子に可愛いと言った男子の勇気にも敬服する。
 これは話としては面白そうだ。もうちょっと情報が欲しい。
『どんなシチュエーションで言われたんです?』
 僕はローザさんのつぶやきに対してメッセージを送った。
 二分ほど経ってから、ローザさんからのメッセージ返しが来た。
『クラスで後ろの席の男子が、私をじっと見てたから、なにかあったのか聞いたんです。そうしたら、君が可愛いから見てたって言われました』
 うぉい!
 それは、その男子からの事実上の告白ではないか?
 ローザさん、モテモテだなあ。
 その男子もやるな。少し女ったらしっぽくはあるけど、面と向かって異性を褒められる勇気は羨ましい。
 それに比べて僕なんて点でダメだ。
 好奇心から前の女子のケータイをガン見して、その子に絡まれて、苦し紛れに『君が可愛いから見てた』みたいなことを言ってお茶を濁そうとする。
 ……あれ?
 ローザさんに可愛いといった男子と僕、言われた側からしたらそんなに大差ないな。
 というか……。
 今更ながらではあるが、ローザさんのアカウントに僕の目が止まる。
 アカウントとは要するに、SNSに登録する際に作成する利用者固有の名前だ。アカウントは任意の英数字と一部の半角記号の文字列で構成される。
 このSNSでは、ハンドルネームの横にアカウントが表示されている。
 ローザさんのアカウントは『taiga-eye-thorn』だ。
 今までは特に気にせずに見過ごしていた。しかし改めて、それぞれの単語の意味を日本語に直してみて僕は愕然とした。
 taiga→虎
 eye→目
 thorn→茨
 三つまとめると『虎目茨』
 もしかして、ローザさんの状況って、虎目さんに状況が似ているのではなく……ご本人?
 いや、まさか……ねえ?
 僕の中でなにかが壊れる。一体なんなのかまではわからないが、とにかく壊れた。
『それはすごいですね』
 僕はローザさんに更にメッセージを送った。なんの変哲もない文章だが、僕には確かめたいことがあった。
 僕は耳を澄ます。
 すると、虎目さんの席からケータイがバイブする音が聞こえた。
 このSNS、設定次第では誰かからメッセージをもらった際、ケータイに通知してもらえる機能がある。
 いやいや、まさか。
 僕の意識は驚きの白さ。
 呆然としながらも、僕は席を立ち、教室から一番近いトイレの個室に逃げ込んだ。
 虎目さんは、暫定でローザさんなのだ。彼女の真後ろで、SNSに書き込みをするのは危険すぎる。
 それでなくとも、ローザさんからメッセージが返されるとバイブするのが僕のケータイの設定。
 僕は虎目さんのスマートフォンがバイブしたタイミングから、彼女がローザさんと推測した。
 ならば逆もありうる話だ。虎目さんがメッセージを送信して僕のケータイがバイブしたとする。そのせいで虎目さんが、メッセージを送った相手が僕だと感づいたら一巻の終わりだ。
 僕は厳しい尋問の末、SNSをやっていることを自白させられる。
 化物と戦うとき、人は一つの格言を心得なければならない。
 ――深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。
 ありがとう、フリードリヒ・ニーチェ。アナタのおかげで僕は化物と戦うための指針を手に入れられました。
 僕がトイレの個室に逃げ込んで一分ほど経過。タイムラインを更新するとローザさんからのメッセージがあった。
『すごくなんてないです。きっと向こうはからかってただけですよ。私、ガサツで男子に好かれるような女子じゃないですし』
 ここからはローザさんが虎目さんとイコールであったとして話を進めさせてもらう。
 そうなると、言いたいことは二つだ。
 一つ目。僕がアナタを可愛いと言ったのはからかいではありません。単なる命乞いです。
 二つ目、あなたの野性味は『ガサツ』なんてレベルじゃありません。
『ローザさんは、ガサツなんです?』
 僕は口元をヒクつかせながら、ローザさんに聞いた。
 ローザさんからの返答は、
『もしかしたら乱暴者かも……』
 もしかしたらじゃない。あなたは十人いれば十五人が乱暴者と回答するほどにワイルドだ。
 白目を剥きながら、僕はメッセージを返す。
『ローザさんは、おしとやかになりたいんですか?』
『それは……わからないです。私は人に近づきたい。でも、傷つけられのが怖い。だから高圧的な態度をとってしまう。私はそんな自分が大嫌いです』
 絵文字も顔文字も書かれていない簡素な文面だった。なのに僕は、なぜだろう、ローザさんが泣いているように見えてしまった。
 ローザさんは十中八九、虎目さん。虎目さんほどの豪傑が涙を流すなんてあるはずがない。ましてや自己嫌悪なんてありえない。
 けれど、僕は想像してしまう。
 実は虎目さんは、肉食獣の皮をかぶった、か弱い羊だったりしないだろうか、と。
 人に傷つけられるのが怖いというのは僕も一緒だ。
 だからこそ、僕はコミュ障なのだ。
 今度の土曜日、ローザさんに会うべきか会わざるべきか。
 僕の懊悩は深まるばかり。
 僕には虎目茨という少女を御せるだけのコミュニケーション能力はない。
 コミュニケーション能力さえあれば、全ての問題は解決できるのに……。

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