ギフテッドな僕ら/第13話

~コミュ障脱却~


 僕と美術部三人娘は虎目さんの弁護を試みた。
 虎目さんが黒馬君を殴ったのは事実だけど、そこにはちゃんと意味がある。
 にもかかわらず、蟻川先生は全く聞く耳を持たなかった。
 説田さんの意見すら蟻川先生は拒絶していた。
 教師とて所詮は人の子だ。トラブルを起こすような生徒を受け持つのに限界が来たのだろう。
 翌朝。
 教室では既に、虎目さんに退学の話が持ち上がっていることが噂になっていた。
 別に箝口令が敷かれているわけでもなし、不思議なことではなかった。
 噂の繁殖力はゴキブリ並だ。湿気った影をカサカサと増殖していく。
 往々にして噂には尾びれや胸びれがつくもので、教室では虎目さんに関して真偽が不明なことが好き勝手に囁かれている。
 いつもならば、そんな噂は虎目さんが登校してこればピタリと収まる。
 けれど、虎目さんはいつまで経っても教室には現れない。
 クラスのみんなは、陰口という形で言論の自由を謳歌する。
 まるで、圧政をしいていた独裁者でも始末されたかのようだ。
 このクラスにもついに民主化の波が押し寄せてきた。と、でも言っておけばよいのだろうか。
 他の連中からすれば、虎目さんがいなくなることはめでたい話かもしれない。
 けれど、僕の心は空虚だった。
 虎目さんは凶暴かもしれないし、力で相手を威圧するかもしれない。
 でも、彼女は友達がいないことに悩み、友達ができれば大喜びするような普通の女の子でもあるのだ。
 どうすれば、虎目さんを助けることができるのだろう。
 僕は無い知恵を振り絞るが、無から有は生じない。
 そうやって懊悩していると、黒馬君が登校してくる。彼の頬には痛々しくガーゼが貼られている。
 僕と黒馬君の目が合った。合ってしまった。
 気まずさから僕は目を逸らそうとするが、
「飯豊、おはよう」
 意外にも、黒馬君は気さくに挨拶してきた。
「お、おはよう」
 ここ最近、虎目さんと行動することが多かった僕に、どうして黒馬君は友好的なのか疑問だ。
 普通は坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの精神に則って、僕を避けるはずだ。
 黒馬君に対し、僕は内心で警戒する。
 ところが、黒馬君が嬉々とした表情で僕に近づいてきて、さらに言うのだ。
「昨日は助けてくれてありがとうな。お前がいなかったら、虎目さんに殺されるところだったよ」
 よく通る声で彼は言った。
 その声に反応したのは、僕ではなく周りで聞いていたクラスメイトだ。
「黒馬、怪我は大丈夫なのか?」
 質問したのは、クラスで黒馬君とよく一緒にいる男子生徒。
「まだ痛むけど大事ではないよ。最悪の事態になる前に、飯豊に助けられたからな。昨日の飯豊はスゲー勇敢だったぜ。般若みたいな顔した虎目さんに、臆するところなく立ち向かっていった。俺は感動すら覚えたね」
 黒馬君は興奮気味に語る。
 そんな彼の語り草に、みんな僕に大注目。
「へえ、そうだったんだ」
「いつぞやの生徒会長の件といい、実は飯豊ってハンパないやつ?」
「虎目さんを止めるなんて最強じゃん」
 などなど、みんなして僕を囃し立てる。
 けれど、僕はそこまで褒められるようなことはしてない。
 ちゃんと訂正しなければならない。
「僕は……」
 おっかなびっくり、僕は口を開く。
 ところが、
「飯豊はばガチで勇者だ。尊敬に値するやつだ。だからさ飯豊、これからはもっと俺たちに絡んでこいよ。これまでは虎目独裁政権のせいで重い雰囲気のクラスだったけど、圧制者はもういない。俺たちは自由だ!」
 黒馬君の鬨の声に、クラスが一瞬にして沸いた。
 盛り上がるクラスメイトたちに僕は反論の言葉が出てこない。
 真実を告げることでさえはばかられた。
 もしここで、みんなを盛り下げることを言おうものなら、今度は僕が批判の的になりかねない。
 僕が勇敢? そんなのは勘違いも甚だしい。
 僕は女の子一人助けられない役立たずなのに。
 昼休みは、黒馬君たちの仲良しグループと食事した。
 当然、僕が自分から人を誘うわけがないので、向こうにお呼ばれしての合流だった。
 僕を含めた五人で、学食の席に陣取る。
 みんなでする会話は、たわいもないものだった。
 クラスの女子で誰が可愛いだとか、どの教師が気に食わないだとか、学生らしさあふれるフリートーク。
 ただし、フリートークと言っても、そこに自由はない。
 お互いに空気を読み合い、話の間を調整しながらの会話。
 みんな愉快げでありながら、同時に周りに置いていかれまいと焦る気持ちがあるように思えた。
 ちなみに僕はすでにみんなから置いていかれている。僕はテンポやリズムとは無縁の世界で生きてきた人間。トークの経験値は皆無。
 それでも僕は一応は周りの話に相槌を打ったり、無理矢理に笑顔をひねり出したりして場をやりすごず。
 精神的に堪える。
 思えば、休み時間にクラスメイトとおしゃべりをしたり、一緒に食事をとるのは僕の目標のファーストステップだったはずだ。
 コミュニケーションを重ねていけば、友達ができて、みるみるうちに人生が豊かになる予定だった。
 けれど、実際は違う。
 僕の目の前に広がっていたのは、孤独なときよりも乾ききった荒野。
 コミュニケーションの迷子――そう評されてもしかたながい体たらく。
 友達作りは、コミュ障には過ぎたものだったのかもしれない。
 けれど、僕はここから撤退できない。もし、理由もなく退散しようものなら、相手からは空気の読めないやつと謗りを受ける。
 人の評価なんて、存外簡単に決まる。
 人はなんとなくで良いやつになったり、なんとなくで悪いやつになる。
 安易に他者にレッテルを貼っていくのが人間なのだ。
 そして、負のレッテルを貼られたら最後。それはちょっとやそっとじゃ取れやしない。
 なにか楽しい会話をしなければならない。
 僕は無い知恵を振り絞る。
 幸いにして情報の備えはある。
 僕とていつかは友達を作りたいと考えていた身の上だ。
 一応、最新の音楽・芸能、あるいはネットでの流行りの情報は仕入れている。
 そうやって僕はコミュニケーションのために自分を殺す。
 一旦自分というものを抑圧して、周りに合わせる。
 けれど、グループ内でトークをしていると、ふいにこんな話題が出る。
「虎目って、相当に残念なやつだよな。美人だけど、俺は絶対に付き合いたくないぜ」
 それは本当になんとなく出た話題だった。
 なのに、その話題は梅雨時のカビのように増殖していく。
「そりゃそうだ。本当にマジで惜しいよな。アレが素直に一発ヤらせてくれるような女だったら最高だったのになあ」
 とか、
「案外、彼氏には従順かもしれねえぜ。ああいう女に限って」
 とか、
「うわっ、逆にありうる。あいつ裏ではヤリまくりだったりして」
 とか、みんなして虎目さんのことを知りもしないで好き勝手に言う。
 お前らが、虎目さんのなにを知っているっていうんだ。
 彼女の苦悩も知らない連中が、彼女を平気で嘲笑う。
 だけど僕は、そんなやつらに文句の一つも言えない。
 もし、ここで反論してトークの流れを変えようものなら、僕は孤立しかねない。
 元々、僕はクラスに友達がいないようなダメ人間。
 だけど、虎目さんと一緒に行動するようになって、人と共に過ごす喜びを知ってしまった。
 それは同時に孤独の恐怖を覚えてしまうことだ。
 もう、一人ぼっちは嫌だ。
 けれど、虎目さんはもういない。
 僕は彼女のいない世界で、孤独から必死になって逃れなければならないのだ。
 僕の周りでクラスメイトの笑顔が毒々しく咲いていた。
 ここは眩い太陽の世界。一切の影は許されない。
 影は疎まれ、排除対象となる。
 コミュニケーションは、薄っぺらい笑顔を貼り付けるだけの簡単な仕事。僕は自分にそう言い聞かせて溺れるように笑う。
 本当はそんなことをするのは本意ではないが、しかたがない。
 だって僕が本当に見たい笑顔は学校のどこにもありやしない。
 虎目さんは、今、どこでなにをしているのだろうか。
 会いたい。
 僕は虎目さんに会いたい。
 昼食が終わると、僕は黒馬君とトイレに立った。
 いわゆる連れションというやつである。まさか、僕に一緒にトイレに行くような友達ができるとは夢にも思わなんだ。
 用を済ませ、手を洗っても僕らはトイレから出ずに話し込んでいいた。
「虎目さんのこと、許す気は……ないよね」
 僕はおずおずと聞いてみる。
「当たり前だ。どうして自分を殴った人間を許す必要がある? むしろ暴行事件として警察に届け出なかったのを感謝して欲しいくらいだね」
 憤慨した様子の黒馬君。
 その答えは想定の範囲内。僕は彼に怒りも同情も覚えない。
「……ところで、この前、生徒会室でキスしてた相手は一体誰だったの?」
 このまま虎目さんの話を続けても彼の怒りに油を注ぐようなものと判断して、僕は話をずらす。
「彼女の一人だよ」
「その言い方だと他にもまだ彼女がいるみたいだね」
「みたいじゃないくて、いるんだよ。どうよ、羨ましいか?」
 黒馬君は嫌味な笑みを浮かべる。
「羨ましいというよりは、大変そうだなあというのが印象かな。よくバレないね」
「確かに隠すのにはエネルギーがいる。けど、説田は俺が副数人と付き合ってのは知ってるぜ?」
「へ?」
 黒馬君の言葉に、僕は目を点にする。
「俺に彼女がいるのを知った上で、説田は交際を申し込んできた。あいつも相当なあばずれだよ。まあ、俺としては都合のいい女が増えるのは嬉しい限りだ。精々可愛がってやるよ」
 傲慢に鼻を鳴らす黒馬君。
「そう……なんだ……」
 僕は愕然とした。
 虎目さんは黒馬君の浮気が許せずに、彼に殴りかかった。だというのに、当の説田さんは黒馬君の浮気を知っていた。
 これでは虎目さんが報われないではないか。
 僕は、グッと両手の拳を握る。
「おいおい、どうした急に怖い顔をして。モテモテな俺に嫉妬してんの? まあ、飯豊はコミュニケーション苦手そうだもんな。でもさ、人は努力次第でどうにでも変われるぜ。かくゆう俺とてかつてはコミュ障だったんだから」
 彼の意外な独白。
 黒馬君は壁に凭れて続ける。
「俺はさ、中学時代はデブでダサイ、相当にイケてない豚だったわけ。学校の連中からは蔑まれる日々を送っていた。だけど、俺は自分が特別な存在だと信じて努力した。ダイエットやファッション研究をしてルックスを磨いた。もちろん、トーク番組を観るなりして話術も磨いていった。そうやって、俺はコミュ障を脱却して、モテる側の人間になった。そして俺は磨きに磨いたコミュ力をフルに発揮している。彼女が一人できるだけでも大したコミュ力なのに、それが何人もとなれば、それはもうコミュ力の極地といってもいいだろう」
 自慢げに語る黒馬君の目は濁っていた。
 コンプレックス。彼がコミュニケーション能力を手に入れた背景には、並々ならぬ自己への劣等感が透けて見えた。
「複数の女の子に不義を働くのがコミュ力なの?」
「当たり前だ。女は中学時代に俺を豚呼ばわりして、散々蔑んできた。これは復讐だよ。俺を見下してきた連中に対する復讐なんだよ」
 ゴムタイヤでも燃やしたような炎が、黒馬君の背後に立ち上る。
「そして、俺は真性のコミュ障の人間も許しはしない。そういう連中を見ていると、かつての自分が目の前にいるみたいで腸が煮えくり返るからなね。だからさ、飯豊。俺はお前を許しはしないよ」
 呪いでも込められていそうな視線で、黒馬君は僕を射抜く。
「それは一体……?」
「お前だって、本質的にはただのコミュ障だ。俺はね、お前みたいなやつが大嫌いだ。だから、こういう遊びを考えた。まずコミュ障のお前をまるで英雄であるかのように担ぎ上げる。クラスの連中はしばらくお前と友達ヅラをするだろう。でも、所詮お前はコミュ障だ。いずれ、クラスの連中に馬脚を現す。そうなったら、クラスの連中はさぞ失望するだろうね。これまではただの傍観者止まりだったお前は、今度は謗りと蔑みのターゲットになる。これは中々に楽しそうじゃないか。もし、それが嫌だったら、みんなと上手にコミュニケーションすることだ。空気を読んで、気を使って、くだらない連中たちの間ですり潰されればいい」
 怨嗟の嘲笑が毒液となって黒馬君から滴り落ちる。
「それまでは精々『トモダチ』とやらをやっていてやるよ。では、みんなの元に戻ろうかね、ディア・マイ・フレンド」
 生贄を前にした悪魔のように舌なめずりをして、黒馬君は僕に言う。
 僕は背筋に悪寒を覚える。
 そして僕は改めて認識する。学校は学びの場でもなければ、遊びの場でもない。自分という存在を誇示し守るための、世界でも有数の陰惨な戦場なのだ。

   ◆

 昼休み終了後の五時間目。
 みんな気だるそうに授業を受けている。教師も気だるそうに授業をしている。現在の教室には熱が足りない。きっとみんなしてダルダルの実でも食べたのだろう。能力効果は終始無気力になる。世界で一番役に立たない悪魔の実だ。
 とかなんとか、益体のないことに考えが及ぶまでに授業は退屈だった。教師が教科書を丸々読んでいるだけで、創意工夫なんてありやしない。国はもうちょっと教師の人材育成にカネを出してもいいんじゃないかなと、社会派なことを考えてみるが無意味にすぎる。だって僕、選挙権持ってないし。
 僕は珍しく授業中にケータイをいじってみることにした。
 つないだ先は、ミニブログのSNS。昼時なのでタイムラインの流れは緩やか。しかし、完全に停止しているわけではない。
 この時間帯のタイムラインは、みんなの無気力の結晶体である。
 勉強したくない。仕事をしたくない。そんなニートフルな思いでいっぱいだ。
『数学が、数楽ならぬ、数が苦だ』
 現在の心境を五七五で綴ってみた。数学ほど教師のエンターテインメント性に左右される教科もない。我がクラスの数学は、黒板の数字と記号をノートに写すだけの簡単なお仕事。
 でも、黒板の内容自体が教科書の丸写しなので、ノートの中身がコピーのコピーになるのは必定。
 劣化コピーを作成するのに青春の一ページを費やすのは間違いである。なので僕は、あえてノートなんて取らない。ノートを取って勉強をした気になる方が、よっぽど脳に悪そうだ。
『勉強しろ、ボケが』
 僕がミニブログにうつつを抜かしていると、先ほどのつぶやきに返信が来た。
 相手はローザさんだった。つまり虎目さんである。
 直近のタイムラインにつぶやきがなかったので、てっきり虎目さんはいないものだと勘違いしていた。
 ミニブログではあくまで『ローザさん』の虎目さんが、乱暴な言葉遣いでコメントとは、予想外だった。
『【急募】あの数学教師の授業を楽しく受ける方法』
 僕は返信するが、五分ほどローザさんからの反応はなかった。
『友達と雑談するとき、語尾に「~ズラ」と付けてみる』
 僕は吹き出した。
 我がクラスの数学教師にはズラ疑惑が浮上している。故にローザさんの回答は、嫌がらせの極み。
『座布団一枚。ただし、雑談しようにも、一番の友人が不在なので不可能』
 僕は改めて、空席となった前の席を見た。
 傲岸不遜な虎目さんの背中は、もうない。
 虚しい空っぽだけがそこにあった。
『お前さ、もうちょっと空気読めよ。お前の前の席の人は、来週中には退学の予定だ』
『やっぱり、そういう流れになっちゃんだね』
 僕は、釈然としない思いを抱えながら、タイムラインにつぶやく。
『そういうこった。みんなオレみたいな乱暴者は要らないと考えているんだろうよ』
 活字の羅列なのに、彼女のつぶやきからは哀愁がにじみ出ていた。
『〝みんな〟って誰? 少なくとも僕は君にいて欲しい。だから、その言葉は間違いだ』
『でも、どんなにあがいても未来は変わらない』
 彼女の弱気な発言に、僕は歯をきしませた。
 怒りの矛先は、自分自身だった。どうして僕は、友達の一人、守ってやれない?
 虎目さんが学校からいなくなる?
 ふざけるな。そんな未来なんてクソくらえだ。
『だったら、僕が未来を変えてやる』
 僕の書き込みは、つぶやきというよりは叫びだった。
『ありがとう。その言葉だけで十分だ』
 弱々しい返信。
 だけど、言葉なんて要らない。
『僕は虎目さんの笑顔を見たいんだ。コミュ障を舐めるな。周りの空気なんて一欠片も読んでやらないぞ。覚悟しておけ!』
 宣言して、僕はケータイをしまう。虎目さんからは、まだ返信があるようだけど、そんなもの知ったことではない。
 後で直接彼女の口から聞けばいいだけだ。
 ――そう、直接。
 僕は闘志を胸に秘め、虎目茨の退学を取り消す方法を策定し始める。

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