ヒロモギ様と切れた鼻緒

 灯篭の明かりのみが室内を照らし、幻想的な雰囲気が醸し出されていた。普段は入れない神社の屋内で、白桐京子(しらきり・きょうこ)は占いをしてもらっていた。
 古い家屋の土間みたいな床に置かれた木製の椅子に座り、京子は占い師の顔を伺った。
 占い師は巫女装束を着込んだ老婆で、仄暗い室内ということもあって、黙っていても仰々しい。
 京子と占い師の間には、古めかしい机があった。机の向こう側では、占い師が筮竹(ぜいちく)を使って京子の運命を診断していた。
 占ってもらいたい事柄は、恋の悩みだった。京子には現在、片思いの相手がいる。けれど、中々告白できずに悩んでいるので、今後どうするべきかを相談したのだ。
 筮竹を捌き終えた占い師は、「ふむ」と意味深に頷いた。
 そして言うのだ。
「その相手に片思いし続けるのは諦めた方がよい。そうでなければ、お主の運勢は下がる一方じゃ」
 淡々と、それでいて重みのある口調で告げてくる。
「え……それって……」
 占い師の容赦ない言葉に、京子は半ば声を失った。
「そのままの意味じゃ。片思いすることが、お主の心に大きな負担になっておる。これでは、お主は恋どころか他の日常生活にも支障をきたすじゃろう」
 占い師の言い分に『そんなことはない!』と反論しようと思ったが、ついぞ声は出なかった。
 だって、彼女の言うことは事実なのだから。
「さあ、もうよいかな。他の相談者もおることじゃ。後はお主自身が自らの道を選ぶが良い」
 うなだれる京子に、占い師は言う。
 普段の京子だったら、きっと激怒していた。けれど今はそんな気力もない。
 肩を落としながら、京子は屋外へと出て行った。
 神社の境内は、祭囃子の音色や出店の明かり、訪れる参拝客の喧騒で彩られていた。
 八月も末頃。この神社では、本日は縁日が開かれていた。この縁日では例えば神輿が担がれたりと派手な行事も催されるが、京子が来た目的は今しがたの占いだった。
 この神社にはヒロモギ様という神様が祀られているという。そして、神社の巫女はヒロモギ様の声を預かり、迷える人の相談に応じるのだとか。
 ……なんだけど。
「はあ、最悪」
 京子は境内を行き交う幸せそうな人々に辟易する。
 実のところ、今日は二人の友達とこの縁日を回る予定だった。
 なのに、一人は急病で、もう一人は親戚に不幸があったとかで土壇場で来られない旨を連絡してきた。しかも二人揃って京子がこの神社に着いてからメールしてきたのだ。
 どちらも仕方ないことだとはいえ、素直に飲み込めるほど京子は出来た人間ではない。
 結局、京子は一人で時間を持て余していた。素直に帰るのも一つの手ではあった。けれど、せっかく慣れない着物や草履を用意したのだ。何もしないで撤退するのも勿体無い。
 というわけで、京子は長い行列を待ってヒロモギ様の占いを受けることにした。
 その結果に承った言葉がアレである。
 これで落ち込むなという方が無理である。
 ……もう帰ろう。
 これ以上、ここにいてもいい事があるとは思えない。
 京子は歩き出す。
 なのにだ。
 踏み出そうとした右足が、異常に軽くて、空を切った。
 あまりのことに、京子はその場に躓いてしまった。
 何事かと思って、自分の足元を見た。
 そこには、鼻緒の切れた草履があった。
「ははは、本当に最悪……」
 泣きたい気分になってきた。いや、ちょっと泣いていた。
 京子は、鼻緒の切れた草履を手に持って、その場に立ち尽くす。
 どうしよう。動けなくなった。
 いや、片足が裸足になったぐらいで帰れないわけではない。その気になれば、裸足だろうと人間は歩ける。
 でも、周りの視線が気になる。周りから同情の目を向けられるのなんて真っ平だ。
 世界中の人間が自らをせせら笑っているような被害妄想がこみ上げくる。群衆を眺めるのさえ億劫になって、京子は視線を地面へと落とした。
「はあ……もう嫌だ」
 ため息と、誰にでもなく向けられた恨み言。
「あれ、白桐じゃん。こんなとこで何やってんだ? 大丈夫か」
 ふいに名前が呼ばれて、京子は頭を持ち上げた。
「大高? ……え、ええ。大丈夫。特に問題はないわ」
 本当は問題だらけなのだけど、見栄を張るために京子は嘘をついた。
 そこにいたのは、大高浩紀(おおだか・ひろき)というクラスメイトの男子だった。
 大高は、うろんげに京子の足元と右手に持った鼻緒の切れた草履を見やる。
「いや、見たところ立ち往生してるっぽいんだけど?」
「それは……ええ、そうよ! 悪い? 笑いたければ笑えばいいじゃない」
 悪態をついてから京子は心底後悔した。
 だって、大高こそ目下、京子が片思いしている相手なのだ。だから、本当はもっと可愛げのある態度を取りたいと京子は思っていた。
 なのに、まったく素直になれない。ここで可愛こぶって『困ったよ、ふえぇぇん』とか言えたらどれだけ素晴らしいだろうか。
「あいにくと困ってる女の子を笑う趣味はない。というか、歩けないなら駅前のタクシー乗り場までおぶってくぐらいならできるぞ?」
 大高は京子に邪険に扱われても、手を差し伸べてくる。
 京子は、彼のこういうところを好きになったのだ。
 いくら素直になれない京子であっても、この提案を袖にするほど馬鹿ではない。実際問題、動けないで困っているのだし。
「じゃ、じゃあ、特別におんぶさせてあげるわ。へ、変なところを触ったりしないでよ!」
 恥ずかしさを隠すために、不自然なまでに刺のある言葉になってしまう。これではきっと、自分に対する好感度はダダ下がりだ。
 しゅんとする京子に、大高はなぜか微笑んだ。
「はいはい。それじゃあ、お姫様。失礼して担がせていただきます」
 そう言うと、彼は京子に背を向けてくる。
 京子は言葉に甘えて彼の背中を借りる。
 密着すると、彼の体温が直に伝わってくる。
 もしかして自分は人生の中で一番幸せな時間を過ごしているのかも。そんな感慨すら湧いてくる。
「大丈夫? 私、重くない?」
 怖くなって聞く京子。
「いや、全然。特に気にすることでもない」
 大高の優しさに、ますます胸が締め付けられる。
 これをきっかけにもっと彼と親密な関係になれないだろうかとも考えた。
 しかし、ここで先ほどの占いが今日この頭をもたげる。

 ――片思いし続けるのは諦めた方がよい。

 ヒロモギ様の言葉は呪詛となって京子の脳内で反響する。
 でも、実際にその通りかもしれないと京子は思った。
 自分には可愛げがないのだ。素直になれない性格に、口の悪さ。どこをとっても好きな人に愛されるとは思えない。
 だったら、確かに片思いなんて断ち切った方がいいのかもしれない。
「ねえ、大高。あんたはどうして一人で神社になんて来てるのよ? 友達とかいないの?」
「来るときはもう一人いたんだけどね。途中でそいつが親戚の出店を手伝う羽目になって、俺だけ一人で回ることになった」
「よく分からないけど大変そうね」
「そういう白桐はどうして一人だったんだ?」
「友達は急用ができて来られなくなっちゃった。だから一人」
「ふーん。じゃあ、恋人とかはいないの? 白桐ほどの美人だったら、いても不思議じゃなさそうだけど」
「い、いないわよ、そんな奴! ていうか、大高こそどうなのよ? 恋人とかいないの?」
 京子は思い切って聞いてみた。
「恋人はいない。ああ、本当にリア充が羨ましい」
「だったら、えっと、好きな人とかは?」
「それは……さて、どうだろうねえ」
 大高の声が上ずっていた。
「大高は隠し事が下手ね。絶対、好きな子いるでしょ? 一体どんな子なのよ」
 追求していく京子。
「そうだねえ……一言で表すと可愛らしい子かな。見た目もさることながら、性格がすごく可愛らしいと思う。その子を見てると、守ってあげたい気分になってくるんだよね」
 大高の言葉に、京子は大きなショックを受けた。
 大高に好きな子がいる。そして、その子は守ってあげたくなるほど可愛らしい性格。
 京子は自分の恋は終わったと悟った。
 そもそも、こんな可愛げのない性格の自分が誰に愛されるわけはない。そんなこと最初から理解していた。
 理解していたけれど、認めたくはなかった。
 ああ、そうだ。ヒロモギ様の言うとおりだ。
 これ以上、片思いなんてしても意味がない。
「最低……」
 思わず毒づかずにはいられなかった。
「ど、どうした?」
 大高は動揺するが、京子はなおも続けた。
「最低! もう下ろしてよ! 恋人でもない奴にベタベタと触られても嬉しくない! だから、早く下ろしてよ!」
 これが単なる癇癪で、本当に最低なのは自分自身だと京子は思った。
「いや、下ろすって……女の子を裸足であるかせるのはちょっと……。どうしよう……」
 困り果てる大高。
 やってしまったと京子は心の底から後悔した。
 とはいえ、これで大高が自分に呆れてくれれば片思いを断ち切るいい理由になる。
 こうなったら、もうやけくそだ。
「だったら、アレをとってちょうだい! あの草履をゲットすれば、私は一人で歩いて帰れるわ」
 大高は、首を後ろに向ける。するとそこでは京子が屋台の一つを指差していた。
 それは射的屋で、見ると賞品の中には赤い鼻緒のおしゃれな草履があった。
「なるほど、そこまでして白桐さんは一人で帰りたいのか。わかった。射的するよ」
 そう言うと、大高は射的の屋台へ。
「とりあえず、白桐さんを背負いながらじゃ射的はできないから、これを履いて待っててくれ」
 そういうと、大高は自らが履いていた草履の片方を京子に貸す。男性物の草履は、サイズが京子のものより全然大きかった。
「おじちゃん、これワンチャレンジいくら?」
 大高が中年男性の店主に聞く。
「三発で四百円だ。どれも豪華賞品ぞろいだよ。どうだい、やっていくかい?」
「もちろんお願いするよ。んじゃ、これだ代金だ」
 大高が百円玉四枚を財布から出すと、それと引き換えに玩具のライフルと三発分のコルク弾を受け取る。
 瞬間、大高の目が真剣味を帯びる。
「それじゃあ、しっかり射止めますかね」
 一発目。
 パンッ!
 空気が爆ぜる音がしたが、それだけだった。
 大高の放ったコルク弾は京子の所望する草履とは的外れな方向へ飛んでいく。賞品は何段かにわけられた棚の上に陳列されており、草履は上から四段目にあった。
 なのに、大高の弾は一番上の段へと飛んでいく。
「下手くそね。どうやって狙いを定めればあんな方へ飛んで行くのよ」
 京子は言うが、気にせずに大高は第二射を放つ。
 その弾も一発目と同様に草履とはかけ離れた場所へと射出されていた。ここまでくると、もはや的に当てることを放棄しているとも取れた。
「もしかして、私が急に怒り出したから大高も怒ってるの?」
 聞いてみるが、大高は答えない。
 要するに、彼が草履を狙わないのは無言の抗議なのではないかと京子は考えたのだ。
 ――誰がお前の言いなりになんてなるものか。
 ――間違っても草履になんて当ててやるものか。
 きっと大高はそう言いたいに違いないと京子は判断した。
 しかし、だ。
 それにしては腑に落ちない点が一つ。
 大高は無言で何かを狙いすましている。
 棚の上の賞品を見つめる眼差しは、まるで人生でもかけているかのように真剣そのもの。
 そんな眼光の少年は、ついに三発目の弾丸を解き放つ。
 その弾は、疾く鋭く虚空を駆けて、賞品の一つを棚から落とす。
 だけど、その賞品は件の草履ではなかった。
 的が当たった瞬間、パッと見ただけの京子にはその賞品の詳細が判然としなかった。
 何かが入った、透明な小箱だというのはわかったが、具体的な中身までは不明。
 それでも大高は、
「よしッ!」
 会心の笑みを浮かべガッツポーズ。
「おめでとう。これが射止めた賞品だ」
 店主から先ほどの小箱を受け取る大高。
「一体、あんた何を狙っていたの?」
 いよいよもって不安になってくる京子。
「これかい? これは――まあ、直に見た方が早いだろう」
 大高は小箱を京子に差し出してみせた。
 京子は透明な箱の中身を確認した。
 小箱に入っていたのは……ペアリングだった。
「は? どうして、こんなもの狙ってたのよ? こんなものあってもしょうがないじゃない」
 訝しげな顔をするより他のない京子。
 一方で、大高は首を横に振る。
「いや、これで問題は全て解決だ。というか、うん、俺も覚悟が決まったというべきかな」
 そう言うと、大高は小箱からリングを取り出す。
 大高の言っていることの意味が理解できず、京子は目をしばたかせるしかない。
「何が言いたいのよ?」
「白桐は恋人でもない奴にベタベタ触られるのが嫌だったんだろう? だったら……」
 そして、その次の言葉を彼は京子の耳元で囁く。この場の――京子以外には聞こえないような小声で。
 まるで、世界の理を書き換えるほどのまじないだった。

 ――もしよければ、俺の恋人になってくれないか?

 そして、大高は有無を言わさず、京子の右手薬指にリングを嵌めてくる。
 あまりに唐突な行動だったにも関わらず、京子はただそれを受け入れていた。
 しばし呆然としていたが、やがて我に返る。
「え、え、え、それって……」
 一気に脳内に吹き荒れる混乱に、京子の視線はぐるぐると回転する。
「恋の告白ってことだ。さあ、イエスかノーか答えてくれ」
「だ、だって、大高には好きな人がいるって……?」
「ああ、そうだよ。それは白桐のことだよ」
「いやいや、でも、守ってあげるほど可愛らしい性格だって。私、全然可愛げないし」
「……いや、お前の、素直な自分をさらけ出せないところは可愛らしいと思うぜ?」
 やがて、京子の混乱は沈静化し、徐々に今置かれた状況が現実のものだと認められるようになってきた。
 その上で、ようやく京子は彼の告白に対して答えを告げる。
「私も大高のこと、ずっと前から大好きだった」
 そして、二人は微笑み合う。
 同時に京子は、自分の中の重荷が下りていくのを感じた。
 先刻ヒロモギ様は占いで『片思いし続けるのは諦めた方がよい』などという不吉な予言をしていた。ところがどうだろう。結局、自分の恋は叶ってしまった。
 占いなんて当たるも八卦当たらぬも八卦。基本的に信用してもしょうがないものだなと京子は呆れてしまった。
 しかし、そこで京子ははたと気づく。
 自分と大高が両思いであった以上、そもそも片思いをし続けるのは無理な話だ。
 ――つまり、片思いし続けるのは諦めざるを得ない。
 本当だ。
 ヒロモギ様の言うとおりだった。

【ヒロモギ様と切れた鼻緒】了

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