夕凪シズカは、じっとしない/第1話

~じっとしない少女~


「ノってきた! 超ノってきた! 超々ノってきた!」
 僕の幼馴染である夕凪《ゆうなぎ》シズカの奇声によって、教室の沈黙はズタズタに引き裂かれる。シズカは今年で高校一年生だというのに、まるで幼稚園児並みの天真爛漫さだった。
 シズカは、座った状態で上半身を前後に激しく揺さぶる。彼女自身が自らハサミを入れた不揃いな長さの髪が激しく舞い踊る。
「夕凪、うるさい! 黙れ! 騒ぐな! そして、じっとしていろ!」
 シズカに負けず劣らずの大声で、数学教師がどなり散らす。
 我が校の一般教室にはエアコンはなく今は梅雨。ただでさえ高い室内の不快指数が、教師の怒号により水増しされる。
 けれど、教師と違いクラスメイトたちは冷静だ。シズカの突飛な行動は日常茶飯事なのだ。
 クラスメイトたちは一瞬だけシズカをチラ見するだけ。真面目に板書を再開する者もいれば、こそこそとケータイいじりを再開する者もいる。
 むしろ、二か月近くシズカを受け持って、未だ怒声で彼女を御そうとする数学教師に学習能力がないと言わざるを得ない。
 シズカは、数学教師の怒鳴り声に一瞬だけ身を竦ませる。一拍置いて「はーい」と気のない返事をすると、A4用紙にシャーペンを走らせる。
 隣の席の僕からはよくわかるが、シズカは紙に黒板の内容など写していない。紙に描かれているのは精緻で幻想的なデッサン。紅白の巫女服の少女と白黒の魔女風衣装の少女が、月夜の下で飛翔しているシーン。
 まだ下絵の段階だったが、この絵が傑作になるのを僕は容易に想像ができた。スキャナーでパソコンに取り込んで、数時間ペイントソフトと格闘すれば超絶美麗なCG作品の完成だ。更にそれをイラストの投稿サイトにアップロードすれば、何万というアクセスが見込めるだろう。
 シズカは掛け値なしに才能の塊だ。凡人である僕とは見ている世界が違いすぎる。
 けれどシズカは、じっとしていられない。
 なぜなら、シズカは注意欠陥多動性障害という脳の機能障害を患っているからだ。
 注意欠陥多動性障害の特徴は、大きく分けて三つに分類される。それは不注意と多動性、そして衝動性である。
 不注意とは、そのままの意味だ。集中力が途切れがちで、自分の世界にトリップしてしまう傾向をいう。
 多動性とは、理由もなく動き回る状態だ。ずっと椅子に座っていられない。あるいは座っていなければならない状況下では激しい貧乏ゆすりをするなどが挙げられる。
 衝動性とは、後先考えず、思い付きで行動してしまう傾向をいう。例えば、車が往来する道を危険を顧みず横断するなどがある。
 これらの特徴のうち、どれが強く表れるかによって注意欠陥多動性障害は「不注意優位型」「多動性優位型」「混合型」に分類される。
 シズカは医者に言わせると「不注意優位型」に分類されるらしい。
 確かにシズカは、任意に集中ができない。授業の内容なんて上の空。授業中は得てして趣味であり特技でもあるイラスト作成に取り組んでいる。それこそ何かに取り憑かれたように。
 逆にいえば、シズカはイラスト作成に関してのみ凄まじい集中力を発揮する。しかし、特定の物事にやたらにこだわり没入するのも注意欠陥多動性障害の特徴らしい。
 なんとも厄介な体質である。そんな奴の世話を腐れ縁でしている僕も僕だけど。
 けれど、最近シズカの調子は僕から見て常軌を逸している。元々、イラスト作成への情熱は並々ならぬところがある奴だった。だが、ここ二週間のシズカは度が過ぎているのだ。それを数値的に表すなんてことはできないけれど、十年来、幼馴染として付き合ってきた僕は感覚的にわかるのだ。
 しかし、彼女が悪化した原因まではわからない。
 彼女が悪化を感じてから、ずっと僕は考えていたが結論は出ない。ベストなのは、シズカの主治医である児童精神科の先生に相談するという手。しかし、単なる幼馴染なだけで家族でもなんでもない僕には無理な相談だった。
 実際に病院に電話してシズカの主治医に繋いでもらったりもした。けれど、主治医は『医者としての守秘義務』を掲げて僕を拒絶。真面目とも頭が固いとも取れるが、どっちにしろ僕には都合が悪い。
 なので僕は、代替え案として当校のスクールカウンセラーに相談してみることにした。注意欠陥多動性障害はあくまで脳の機能障害。一方でスクールカウンセラーは心の障害の専門家。多少畑違いな部分はあるだろう。だけど、他に相談できる人が思い当たらない。藁をも掴む心境で、僕は放課後にカウンセリングルームでスクールカウンセラーへの面会を希望した。

 ――なんだけど。
「結論から言うわ。君の幼馴染――夕凪シズカさんの問題は私の管轄外よ」
 当校のスクールカウンセラーである淵井《ふちい》先生は、僕を一刀両断。僕としては吐血したい気分だった。
 僕は今日までスクールカウンセラーが、包容力とか慈悲の象徴かと勘違いしていた。しかし、淵井先生から抱くイメージは全くそれに該当しない。
 見た目からして冷たそうな人だった。他者を寄せ付けない印象は孤高という言葉がよく似合う。身なり、顔立ちともに整っており美人ではあるが、シャープすぎる瞳は氷細工のようだ。
 更に僕の話を聞く態度も、どこかよそよそしい。テンポよく頷いてくれるのだけど、終始無表情。話し手に茫漠たる不安を抱かせる様子は傾聴とは評し難い。
 そして、話を聞くだけ聞くと一気に結論で斬りつけてくる。
 これはカウンセラーですか? いいえ、プログラムの類です。
 完全に僕の見込み違いだった。
 淵井先生は更に言う。
「例えば、私は君の言う注意欠陥多動性障害――すなわちADHDの子が心理的な面で困難を覚えていたら支援できる。けれど、私は精神科医ではないから病気自体の悪化の原因までは推し量れない。それだけの話よ」
 言葉の弾丸に、僕はこめかみに鈍い痛みすら覚える。きっと淵井先生のご高説は専門的には正しいのだろう。けれど、もっと言葉を選んでほしかった。
 更に欲を言えば、張り付ける表情にも気を付けるべきだ。淵井先生の顔には笑みが浮かんでいるが、どこか機械的。ケータイの顔文字の方がまだ親近感が湧くような怜悧さを湛えていた。
 どうしてこんな人がカウンセラーなんて仕事を選んだのだろう。世の中にはもっと一杯職業があるというのに。
 しかし、ここまで来て収穫ゼロでは空しすぎる。僕は可能な限り言葉を選び、目の前の職業不適合者との対話を試みる。
「アナタだけが頼りなんです。シズカの主治医からは面会を拒絶されているし、担任はシズカをすでに見放しています。それに、シズカの両親だけに負担をかけていては、彼女の家庭が破綻しかねない。だから、もう僕にはアナタしかいないんです」
 僕が取ったのは同情を誘う作戦。いくら淵井先生がカウンセラーに向いていないからといっても、それでも彼女とて人の子だ。『アナタしかいない』の一言には多少は心動かされる……はずだ。
「それは甘えね。そもそも、家族でもない君がシズカさんの面倒を見ようとするのが理解不能ね。君はシズカさんの人生すべてに責任が持てるのかしら?」
 前言撤回。目の前の女性はきっと人の子ではない。欠陥品の人工知能プログラムかなにかだ。
「……どうしてそんな言い方しかできないんですか!? こっちは必死に頼み込んでるんですよ!」
 今度は声を荒げてみる。半分は本気でキレていたけれど、半分は計算あっての行為。下手に出て駄目なら、逆に圧力を与えてみるのも交渉においては一つの手。こうなったら、あらゆるアプローチを試してやる。
「声の大きさだけでは何も解決できないわよ。まずは冷静になりなさい。君は彼女の全生活の世話を焼ける立場にあるのか吟味してちょうだい」
「それは……」
 僕は押し黙るしかない。悔しいけれど、淵井先生の言うことは正しい。僕がシズカの家族ではない以上、彼女の全てを見守ることはできない。いや、家族であっても『全て』なんて不可能だ。
「君にできるのは、精々シズカさんの学校での成り行きを見守る程度よ。医者が医者の役割を果たして、家族が家族の役割を果たしていればきっといずれは良くなるわ」
 言いながら自分で頷く淵井先生。彼女はどこまでも理路整然と破綻していた。
「医者の役割ってなんですか? 家族の役割ってなんですか? そいつらがちゃんとしてないからシズカが日に日におかしくなってるんでしょうが!」
 僕は猛然と抗議する。この意見ばかりは譲れない。譲ってはならない。譲ってしまっては、シズカが壊れていくのを許すことになってしまう。
 今回は計算抜きの完全なる憤怒。けれど、淵井先生はなびかない。
「しいて言うなら医者の仕事は症状を診察し、そして処方箋を出すこと。家族の仕事は出された薬がちゃんと飲めるような環境を整えることよ」
 淡々と空疎な響きだけが、そこにあった。
 これ以上の対話は無駄だ。これなら独り言をつぶやきながら自問自答していた方がまだマシだ。
 僕は退室するべく席を立つ。
「何が薬だ。そんなもの……」
 扉に手を掛けながら、一人ごちる。
 そして、脳裏に一つの仮説が閃く。
「……それだ!」
 僕は半ば放心状態だった。
「どうしたのかしら?」
 突然の奇声に、淵井先生の声は狼狽している様子だ。
 僕は振り返り、淵井先生に訊く。
「もしもですよ、病状を劇的に改善させた薬の服用を、突如やめたら、その人はどうなります?」
「薬学は専門外だから一般論しか言えないけれど、劇的に症状が悪化するんじゃないかしら。……もしかして、シズカさんは薬をちゃんと飲んでないの?」
「そこまではわかりませんが、その可能性は高いかと。あくまで僕の直感ですけどね」
 僕の中から暗澹たる気持ちが晴れていく。
 けれど、これはまだ足がかりが掴めただけだ。
「直感とは、非論理的ね。まあ、好きにやってみなさい。じゃあ、私の役目はお終いかしら?」
「十分に助けになりました。ありがとうございました」
 淵井先生への謝辞は八割が皮肉だ。同時に残り二割は本当に感謝の気持ちを抱いていた。
 どんな駄目人間にでも話はしてみるものだな。
 僕はカウンセリングルームを退室する。ケータイをシズカに繋ぎ、これから彼女の自宅を訪問する旨を伝えた。

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