夕凪シズカは、じっとしない/第2話

~腐海の部屋の主~


 淵井先生と話し込んだ後、僕は下校した。けれど、真っ直ぐ帰宅はしなかった。途中でシズカの家に立ち寄った。
 シズカと僕は幼稚園からの付き合いだ。そのため、彼女の母親は突然訪問した僕をすんなりと家に上げてくれた。
 シズカの自宅は二階建ての一軒家。彼女の部屋は二階の奥まったところにある。
「おーい、入るぞ」
 僕はシズカの部屋の扉をノックする。すぐに室内から無邪気な声がした。
「わーい、ヨウ君が来た! 苦しゅうない、入るが良い」
 ヨウ君とは僕のことだ。この部屋の主は幼稚園の頃からずっと僕をヨウ君と呼んでいる。
 中から扉が開けられる。現れたのはジーンズに黒のTシャツ姿のシズカだ。ラフな格好ではあるが、出るところが出ていて、くびれているところがくびれているので妙な色気を放っていた。
 世の男どもは『女の子の部屋に入れるなんて羨ましい』と言うかもしれない。しかし残念。シズカの部屋は男の夢とロマンを瓦解させるに足る凄惨さだった。
 一言で比喩すると、シズカの部屋は腐海だった。
 スナック菓子の空袋がゴミ箱からあふれ出し、飲んだジュースのペットボトルが散乱している。更に学校制服などの衣服は畳まれず、ハンガーにもかけられず無残に脱ぎ散らかされている。衣類の中には彼女の下着も交じっていたが、部屋のありさまから全く色気を感じさせない。
 某アニメ映画において、腐海の下には清浄な水と土が蓄えられていた。けれど、シズカの作った腐海の下層に何があるかは想像したくない。下手をしたら黒光りする害虫Gとエンカウントしかねない。
「相変わらず酷い部屋だな」
 月並みな感想だが、それ以外の言葉が浮かばない。この部屋で人類が生存できるとは僕には考えられなかった。
「むう、私だってこの前のお休みの日に片づけようとしたもん。ただ、見つけたマンガが面白くて、それに邪魔されただけだよ」
「その台詞、一体何度目だよ」
 僕はため息交じりに苦笑した。しかし、シズカを咎める気は湧いてこない。
 部屋を片付けらえないというのも、注意欠陥多動性障害を持つ人の特徴の一つだ。
 散らかった部屋という極端に情報量が多い空間は、注意欠陥多動性障害の人にとっては誘惑の罠で一杯だ。不注意と衝動性という特性から、部屋を掃除しているうちに次々と発見したものに心奪われる。その結果、いつまで経っても部屋は片付かず、最悪片づけの前より室内の状況は悪化する。
「いいじゃん。私はちゃんと生きてるし、お母さんも最近叱ってこないもん。ヨウ君も訪ねてきてくれるから全然問題ないよ」
「シズカ、人は他人から叱られてるうちが華なんだよ」
 一応僕は釘を刺しておくが、彼女は「むう」と唸るばかり。
「それよりもさ、見て見て、今日学校で書いた下書きを線画にしてるの!」
 シズカは部屋の奥の机に置かれたノートパソコンを僕に披露。その画面にはペイントソフトが立ち上げられていた。そこで描かれていたのは、今日の数学の時間に彼女が創作に勤しんでいたイラストだった。
 線画とは要するにイラストの輪郭線のことだ。僕はこの輪郭線が上手く描けるか否かが、イラストを名作と駄作にわける最大の関門だと思っている。
 輪郭を描くといっても、ただ同じ太さの線で下書きをなぞっても、深みのある線にはならない。影となる部分の線は太く、光が当たっている部分の線は細くするなどして、黒い線だけで絵に立体感を持たせなければならない。
 これは口で言うほど簡単な作業ではない。しかも、シズカのイラストの場合、人物が複数人で、背景にも凝っているため線画だけで膨大な労力を要するはず。にもかかわらず、彼女が帰宅してからスキャナーで取り込まれたはずの下書きは、半分以上が線画になっていた。時間的には一時間強の作業だろう。シズカの才能に驚愕を禁じ得ない。
「線画が完成したら色を塗っていくだけだよ~」
 そう言って、作業を再開する。
 その様子を見ながら僕は、
「やっぱり今回も、レイヤーは線画用と着色用の二つだけでやるのか?」
「レイヤーがうじゃうじゃあるのは嫌い。だってパソコンが重くなるもん」
 全国の絵師の皆様が聞いたら、正拳突きでも繰り出しそうなセリフである。
 ちなみにレイヤーとは、画像を載せる仮想的なシートである。レイヤーをいくつも作っておくと画像の加工・編集を容易にできる。
 普通の人は、複雑なイラストほどレイヤーの数も多くなる。そうしないと手直しするときに大変な手間がかかるからだ。だから、パソコンが重くなるから数を減らすなんて、プロの域の発言である。
 つっこむのも疲れたので、僕は彼女のベッドの上に腰掛ける。本当は床に坐するべきなのだろう。けれど、、床は物で溢れ、座れるようなスペースはありはしない。
「なあ、シズカ。もう一台のノートパソコンを使わせてくれ」
「いいよ。じゃんじゃん使って」
 シズカは快諾。
 シズカは贅沢にもノートパソコンを二台所有している。一台は最新式のモデルで、現在シズカがイラスト作成に使っているものだ。もう一台は彼女の父親のお古で型落ちしたもの。処理能力は最新式のものに劣るが、ネットゲームや動画サイトに繋がない限りは不自由しない。
 僕はパソコンを立ち上げると、いの一番にイラストの投稿サイトを確認。このサイトはイラストを通したコミュニケーションを謳い文句にしたSNSだ。
 ちなみにログインIDはシズカのものを使用している。悪い言い方をすれば本人公認のなりすましだ。
 シズカになりすまして何をするかといえば、友達設定しているユーザーの作品に感想を送ったり、シズカのイラストにコメントをくれた人々への返信だ。
 このSNSサイトでは、イラストの人気ランキングも行われている。多くの人が鑑賞し、多くの人から高得点をつけられたイラストがランキング上位に躍り出る。そうなってくると、イラストの良し悪しだけが順位の決定要因ではなくなってくる。どれだけ、ファンをつくり集められるかも重要な要素になる。
 シズカのイラストは超絶技巧で、非の打ちどころがなく上手い。僕は多くの人に彼女のイラストを観てもらいたいし、そうあるべきだと考えている。
 しかし、自由人過ぎるシズカには、ファンを大切にするという概念がまるっと抜け落ちている。初期のイラストには『もっと評価されるべき』といったコメントすらあるくらいだ。
 なので、僕はシズカのマネージャー兼営業係になって彼女を支援している次第だ。……チートと言うのは禁止の方向で。
 営業回りをあらかた終了させると、僕はいよいよ意を決する。
「ところでシズカ、お前最近ちゃんと薬は飲んでいるか? 名前はえっと、コンサータだったっけ」
 黙々と作業していたシズカの手が数秒間停止。
「な、なにを言ってるのかなヨウ君は。お馬鹿さんなの? 私は毎朝ちゃんと飲んでるよ。薬を飲んで十二時間くらいは元気ハツラツだよ」
 異様なまでの早口でまくし立てるシズカ。
 グレーゾーンなど存在しない、まごう事なき黒である。
「ダウト!」
 僕は宣言。
「うっ!」
 容疑者・夕凪シズカは言い返せない。
「シズカ、僕の目を見てもう一回答えてくれないかな? 君は、ちゃんと、薬を、毎朝、飲んでいますか?」
 シズカの頭を掴んで無理やり僕の方に回転させる。
「…………べ、別に飲まなくても死ぬわけじゃないからいいじゃんか! ヨウ君は横暴だ!」
 あっさりと自供した。
「あのね、衝動を抑えられなくて道に飛び出した挙句、何度も車に轢かれかけたのはどこのだれだい?」
「…………きゅ~」
「では、どうして薬を飲まなかったのか理由を教えてもらおうかな」
 飲んでいないことまでは半分想定内だった。なので本番はこれから。シズカが薬を飲まなくなった理由を解明して、もう一度飲もうというモチベーションを取り戻させなければならない。
 答えを窮しているらしく、シズカの瞳は泳ぎに泳いでいた。だけど、よく泳ぐ者は溺れるともいう。僕はチェックメイトを確信した。
 ところがだ――。
「い、言いたくない。その代わりに、取引をしませんか?」
 シズカの必死の抗い。しかし、彼女に切った張ったの才能がないのは長年の付き合いから熟知済み。あえて、僕はシズカの取引とやらに乗ってやることにした。
「言ってみなさい」
「ヨウ君が薬のことを訊くのを中止したら、……えっと……私にエロいことさせてあげる」
 俯きながら、上目づかいで僕を見つめてくるシズカ。
「ホワット?」
 処理が追いつかず、僕は訊き返すしかなかった。
「よ、ヨウ君! 聞き返すのは超々々無粋だよ!」
 手をバタバタさせながら、シズカは声を張った。
「いやシズカ、まずは、お、お、落ち着け」
 まずは僕が落ち着くべきだが、その辺は棚に上げてしまおう。
 あえて僕たちの関係を述べておく。僕らはただの幼馴染であって男女交際しているわけではない。にもかかわらず、何ですって?
「ヨウ君は私にエロいことしないの?」
 もじもじと体をくねらせながら訊いてくるシズカ。
「す、するわけないだろう! そういうのは、彼氏さんを作って、親密になってからその人としなさい!」
 僕の意見は至極まっとうなもののはずだった。
 なのに、見る見るうちにシズカの目がつり上がり、口はへの字に折れ曲がる。
「ば、馬鹿! ヨウ君の馬鹿! おたんちん! 朴念仁! チェリーボーイ!」
 激烈な勢いで罵声を浴びせながら、猛烈な勢いで床に散らばっていた物を僕に投げつけてくる。
「ちょ、待てって! なんだいきなり!」
 僕は恐慌状態に陥りながらも、彼女をなだめようとした。
 けれど無駄だった。
「出てけ! 部屋から出ていけ! 家から出ていけ! 二度と私に話しかけるな!」
 シズカが投げてくるものは、空のペットボトルや丸めた衣類なので痛みは感じない。
 けれど、彼女の激昂ぶりは筆舌に尽くしがたい。
 結局僕は、形勢不利と判断し、早々にシズカの前から撤退。夕凪家から脱出するしかなかった。

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