夕凪シズカは、じっとしない/第3話

~夕凪シズカが欲しいもの~


 僕がシズカと口を効かなくなって三日目に突入した。
 隣り合った席なのに、一切のやりとりはない。僕たちが幼馴染であると知っているクラスメイトからは何事かと心配された。
 だけど、何事かを知りたいのは僕の方だ。
 僕がシズカの家を訪問してから、シズカの体調は下降の一途を辿っている。今ではイラスト作成に全身全霊を尽くすことすらできていない。
 A4用紙にちょっとシャーペンを走らせたかと思えば、十分程度で作業を中断。次に授業を聞き出したかと思えば、それは十分と続かない。
 終始落ち着かない様子で体を揺らしながら、シズカは不機嫌そうにしていた。
 更に困ったことは、シズカの不機嫌さは周りに不快感を与えている点だ。
 シズカが教師から何度も叱られたのは言わずもがな。クラスメイトの方の苛立ちも限界にきている。
 真面目な生徒からすれば、シズカが教師に叱られて授業が中断されるのは迷惑千万。まあ、こっちは今まで通りか。
 問題は不真面目な生徒からの評判の方だ。彼らはこれまではシズカの奇怪な言動も、多少は目を瞑ってくれていた。退屈な授業を引っ掻き回す天真爛漫で明朗な少女は、不真面目な連中からは日常に刺激を添えるスパイスだった。
 ところが、現在のシズカからは肝心の天真爛漫さと明朗さが欠如している。これによりシズカへの認識は、やかましいだけの困ったチャンへと失墜。
 ――といった旨のクラスメイトからの感想は、昼休みや放課後を通じてシズカのいないところで僕がかき集めた。
 いつもの朗らかな少女に戻ってもらわないと、シズカは全クラスメイトを敵に回しかねない。そのためには、シズカが現状の不機嫌少女になった原因を探り当てなければならない。
 というわけで僕はシズカと二人きりで話し合える機会を、この三日間探し求めていた。
 僕とシズカの教室での座席は隣同士。だが、さすがに周りにクラスメイトがいる環境では、彼女のプライバシーに関わるかもしれないことを訊くのは憚《はばか》られる。
 どうしたものかと考えあぐねていると、結局、六限目が訪れる。
 その日の六限目は体育で、男子は体育館の半分を使ってバスケットボール。
 体育館のもう半分では女子がバレーボールをしていた。そこにはシズカもいるわけで、僕は無意識的にシズカを視線で追っていた。
 ……激しくボールが行き交うバスケの試合中でさえも。
「ブフッッ!」
 完全によそ見をしていた僕の横っ面に、ボールがクリティカルヒットする。脳震盪《のうしんとう》から一瞬意識がブラックアウト。僕はコートに倒れこむ。
 試合は即時中止され僕のもとに、コートにいた一団と体育科教諭が集まってくる。体育科教諭は僕を介抱しながら「だ、大丈夫か!?」と訊いてくる。
「ええ、何とか生きています。一瞬、一昨年大往生を遂げた曾祖母《そうそぼ》がお花畑で手を振っていましたが」
「曾祖母って……とりあえず、保健室で休んで来い」
 僕としては曾祖母の話は軽いジョークだったのだが、先生は本気にしてしまったようだ。今さら冗談ですとも言えないので、僕はご厚意に甘えさせて貰うことにした。
「では、そうします」
 僕はクラスの保健委員の肩を借りて保健室のベッドまで担ぎ込まれる。
 あいにくと保健室の責任者である養護教諭は不在だった。それどころか、保健室には人っ子一人いやしない。
 ともあれ、僕としてはベッドで横になれるだけでも十分だ。
 ベッドで横になりながら、僕は今後の予定を思案する。
 どうやったら、シズカと二人きりで、落ち着いて話ができるものか。もういっそ、強引に彼女の家に上がりこんでしまうか?
 とか考えていると、保健室の扉が開く音がした。養護教諭が戻ってきたかとも思ったが、扉の開閉する音がいささか乱暴に聞こえた。僕の記憶では、当校の養護教諭は穏やかそうなオバ様だったので、イメージと一致しない。
 僕の違和感は、的を得ていた。
「ヨウ君、大丈夫!?」
 ベッドを仕切っていたカーテンが勢いよく開け放たれる。
 現れたのは夕凪シズカの姿。
 瞳は今にも泣きだしそうなまでに潤んでいた。
「お前こそ、どうしたんだよ?」
 予想だにしていなかった来訪者に、僕はボールを喰らった以上の衝撃を受けていた。
「よ、よかった! 生きてる!」
 と言って、シズカはいきなり僕に抱き着いてきた。
 彼女の瞳から、涙が零れ落ちた。
 どうやら、体育館でボールが激突した僕を心配して駆けつけてくれたらしい。反応が過剰すぎるが、それでも嬉しかった。
「馬鹿だな、あんなので死ぬわけがないだろう」
 僕は指でシズカの涙を拭ってやった。
「ところでシズカ、お前、僕と二度と口を利かないんじゃなかったのか?」
 僕は苦笑しながら訊いてみた。
「あーうー、それは……。そうだよ、私はヨウ君とは二度と口を利かないんだからね!」
「そういう宣言をしている時点で、僕と口を利いているわけだが?」
 僕が意地悪く言うと、シズカは答えない。
 しまった。ここは多少気が咎めるとしても、シズカの善意に付け込むべきだった。
 僕も存外駆け引き下手である。結局、振出しに戻ってしまった。
 重い沈黙が下りてくる。
 けれど、シズカは僕の元から逃げようとはしなかった。憤然とした様子ながらも、ベッドの脇に置かれたパイプ椅子に着席。
 口を尖らせながら、落ち着かない様子で上半身を前後に揺らす。
 そして、ぴたりと止まって、俯きながら訊いてくる。
「ヨウ君は、ずっと私を見捨てない?」
 ――ずっと。
 その言葉は僕に重くのしかかる。
 ずっと――すなわち彼女の生涯に渡って、僕が彼女の世話を焼くなんてことは不可能だ。
「いつか君は僕から独り立ちしなければならない。今は無理でも、少しずつでも自立しなければならない。そして――」
 僕は一端、言葉を区切った。そこから先の言葉を紡ぐには覚悟が必要だったからだ。しばし黙考した末に、僕は言う。
「――そして、いつか君が、素敵な彼氏を作って、その人と結婚して、幸せな家庭をつくることを僕は望む」
 僕の言葉は嘘にまみれていた。本当はそんなことは望まない。僕はいつまでも、彼女といたい。彼女の才能を見守りたいし、支えたい。
 でも、そんなことが子供の夢物語なのは知っている。
「ヨウ君は、私のこと、迷惑?」
 再びシズカの瞳に涙がたまっていき、零れ落ちる。
「そんなわけないだろう。僕はお前の願いなら、何でも聞いてやりたいと思ってる」
 シズカが笑っている顔を見ていたい。僕の願いは究極的にはそれだけなのだ。
「だったら、一つ私の願いを叶えてほしいな。私、今欲しいものがあるの」
「なんだよ。言ってみろよ。ただし、僕のお財布の最高限度額は考慮してくれよ?」
 何でも叶えてやると言った手前、引くに引けない。
 だけど、シズカは首をふるふると横に振って、
「私はヨウ君の赤ちゃんが欲しい」
 いきなり、シズカは僕の唇に彼女の唇を重ねてきた。彼女の下が僕の口内に滑り込み、僕の舌と絡みつく。
 ……その発想はなかった。
 でも、そうすれば、何の才能もない、凡人の僕でもシズカと一緒にいられる口実ができる。
 禁断の誘惑。僕にはそれに抗う術はない。
 いいだろう。彼女とだったらどこまでだって堕ちてやる。
 貪りあうように、乱暴に僕たちは唇を重ねる。
 そして――。
 ……保健室の扉が開いた。
 ちなみに、ベッドのカーテンは開放されたままだったりする。
 となると必然的に、保健室に入室しようとしていた者と目が合うわけでして。いやはや。
 扉を開けたのは淵井先生だった。
 淵井先生は数秒間瞬きを繰り返す。
 僕とシズカは大慌てで口付けを中断。
「一応言っておくけど、ここは学校で、今は授業中よ?」
 至極まっとうな意見に、僕らは反論の言葉が出てこない。
「……先生、できれば今のことは学校に報告しないで頂けるとありがたいです」
 僕は地雷処理をするような面持ちで、淵井先生に嘆願。
「あたりまえじゃない、そんなの。学校に報告して、私に何のメリットがあるの?」
「ですよね~」
 どこまでも利己的な淵井先生の理由に、逆に僕は深い安堵を抱くのだった。

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