夕凪シズカは、じっとしない/第4話

~超々愛してる~


 保健室の奥まったところにある面談用のスペースに、僕とシズカ、そして淵井先生は腰掛ける。
 ちなみに淵井先生が保健室に来た理由は、相談者の生徒と喧嘩をしたからだとか。収拾がつかなくなったため養護教諭が現在カウンセリングルームでその生徒と話し中。淵井先生は保健室で待機と言う形になったらしい。……駄目カウンセラーすぎる。
「はじめまして、私はスクールカウンセラーの淵井という者です。君が夕凪シズカさんでいいのかしら?」
 淵井先生は自己紹介と共に、初見であるシズカに確認を取る。
 落ち着かない様子で体を揺さぶりながら、シズカはコクコクと頷く。
「了解したわ。とこで夕凪さん、アナタは自分の最近お薬をちゃんと飲んでいるかしら?」
 単刀直入に話を切り出していく淵井先生の様は、まるで人斬りのようでもあった。
「飲んでないです。飲みたくないです」
 首を横に振って否定と拒絶。
「あらそう? でも、飲んでおいた方がお得よ。いつもそわそわして落ち着かないのは、身体的にも精神的にも疲れるでしょう?」
 シズカは淵井先生を不快そうに睨みつける。上半身の前後動を、こんどは苛立たしげな貧乏ゆすりに変換させる。
「答えられないということは、肯定ということに等しいわね。ならば、一応は訊いておくわ。どうして君は薬を飲むのをやめちゃったのかしら?」
 淵井先生は質問を重ねるが、シズカは依然として憮然とした態度。答える気はなさそうだ。
「君が答えないと、君の大好きな隣の彼が愛想を尽かすかもしれないわね? どうかしら?」
 僕に話を振ってくる淵井先生。
「愛想は尽かさないですよ。でも、教えてほしい。僕はシズカの力になりたい。でも、教えてくれないと、僕としても君を助けようがない」
 正直な気持ちを告げた。下手な駆け引きをするよりも、そっちの方がシズカには有効と判断したからだ。
「……薬を飲み続けたら、私はヨウ君にまで見捨てられるかもしれない。そんなの嫌だ」
 ついに観念し、シズカはようやく口を割ってくれた。けれど、僕には彼女が言わんとする意味がわからない。
「どうして薬を飲むことが僕に見捨てられることに繋がるんだ? 僕は精神科に出された薬を飲む人を差別するような人間ではないんだけど」
 世の中には、未だ精神科に通う人へ偏見を持つ人が一定数存在する。そして、そういう連中は決まって精神科で出された薬は危ない薬だという偏見を持っている。なんとも思慮の浅い連中だ。薬物療法は用法容量を守ってきちんと行えば、高い確率でちゃんとした成果が出るというのに。
「だって、イラストが描けなくなったら、ヨウ君は私のお手伝いをする必要がなくなるでしょう?」
 やはり意味不明だ。薬とイラストに、どんな関係があるというんだ?
「薬を飲むとね、絵を描こうって気持ちがどんどんなくなっていくの。心は穏やかになるけど、でも、なんだか絵を描くことへの情熱が奪われていくような、そんな気がするの」
 消え入りそうな声で、シズカは告白する。
 その言葉でようやく僕は合点がいった。
 注意欠陥多動性障害における特定の物事への異常な執着は、見方を変えれば一種の才能なのだ。
 天才とは、一つの物事にエネルギーを注げる人のことだ。シズカの注意欠陥多動性障害は幸か不幸か、彼女にそうした才能を授けてしまった。
 けれど、薬で注意欠陥多動性障害という才能が改善されてしまったら?
 それはシズカのアイデンティティを揺るがしかねない事態だ。そういう理屈なら、まあ薬を飲むのを投げ出してしまうのもわからんでもない。
 ただし――。
「薬を飲んだら才能がなくなる、なんてことが実際にありうるんですか?」
 僕やシズカの考えはあくまで憶測の域を出ない。なので、僕らよりは知識があるであろう淵井先生へ質問してみる。
「私に訊かれても困るわねえ。前にもいったけれど、私の専門領域は心であって、薬学は門外漢よ。でも、薬を飲んでなくなって才能がなくなるなら、しょせんはその程度の才能なんじゃない?」
 心の専門家を自称しながらも、淵井先生の言葉には容赦も配慮もない。
 当然、シズカは激怒。
「私はヨウ君だけには見捨てられたくない! だから薬なんて飲まない!」
 シズカの怒鳴り声に、淵井先生は肩を竦めるのみ。
 これは正面から『薬を飲め』といっても聞き入れそうにない。仕方ないので、僕は迂回することにした。
「僕だけには見捨てられたくないって、それだとまるで他の全てに見捨てられたような言い方だな。確かに学校の先生は割とお前を白い目で見てる。けど、でもご両親はお前を見捨てたりしないさ」
「そんなことない……。だって私はお母さんたちの願いを叶えられなかった。だから、きっと、お母さんたちはウンザリしてるもん」
「願い?」
「私ね、お母さんのお腹の中にいた頃から落ち着きがない子だったんだって。しょっちゅうお母さんのお腹を蹴って困らせていたみたいなの。だから、お母さんたちは、大人に成ったらせめて落ち着きのある子に育ってほしいから、私に『シズカ』って名前つけたんだって言ってた」
「そう……だったのか……」
 彼女の『シズカ』という名前が全く体を表していないのを、僕は『お面白い皮肉だな』と思っていただけだった。しかし、彼女がそのことに深いコンプレックスを抱いていたとは。
 現状の彼女と両親の関係が、どのような状況に置かれているのか僕は知らない。けれど、この前シズカの部屋を訪れた際に彼女は言った。最近は散らかった部屋を見ても両親は叱ってこないと。
 もしかして、これは悪い兆候かもしれない。叱るという行為は、立派に教育の一部なのだ。それを放棄するということは、シズカの両親は彼女とどう接したらいいのか困っているのかもしれない。
 僕は何も彼女へ言ってやれない。何の異常も持たず、平凡な僕の言葉ではきっと、シズカの心の闇を癒すには足りない。
「君の悩みは贅沢に過ぎるわね。君はこの世界にどれだけ注意欠陥多動性障害の人がいると思うの? そして、その中に周りの全ての人から愛想を尽かされて、本当の孤独に喘いでいる人がいるか想像したことはある?」
 淵井先生が言う。その顔は一言で表すなら鉄面皮。カウンセラーにあるまじき、冷徹な表情だった。
 淵井先生は続ける。
「世の中にはね、信用できる人が一人もいない人だっているの。では、君はどうかしら? 親から見捨てられようと、教師が匙を投げようと、それでも世話を焼いてくれる人がいるじゃない。なのに、その人からも見捨てられたらどうしようなんて滑稽にもほどがあるわ。それは結局、君が心の底から隣の彼を信用していないという証明に他ならないわ」
 鋼鉄武装の理論は、容赦無用でシズカを突き刺していく。
 シズカは言い返せない。悔しそうに体操服の裾を握っている。
 無慈悲な言葉に串刺しにされるシズカを、僕は守りたかった。
「……アンタがシズカの何を知ってるっていうんだ」
 僕は悔しかった。目の前の駄目カウンセラーに言い返してやらなければ気が済まない。
「その自意識過剰な娘を庇《かば》おうというのかしら?」
 目の前の妖人は、相変わらずの無表情。
「そうだ。僕はどんな奴からだってシズカを庇ってやる。それが僕の決めた僕の人生だ!」
 勢い任せに、何も考えず、ただ心の底から湧きだす言葉を紡ぎあげる。
「ヨウ君……」
 隣でシズカが僕を眺める。彼女は半分涙目だった。
 僕は淵井先生の理論武装の第二陣を予想して、歯を食いしばる。
 ところがだ――。
「ならば、好きになさい。面倒だから私は一端退室するわ。あとは二人で話しなさい」
 淵井先生は、一瞬だけ満足げな笑みを浮かべ、席を立って退室した。
 もしかして……。淵井先生は僕がシズカを庇うようにわざと冷徹な言葉を吐いて、僕を誘導した……のか?
 淵井先生の思惑はわからない。けれど、結果だけ見ればそのように解釈が可能だ。
 買いかぶりすぎだろうか?
 ……まあいい。今はシズカのことに集中しよう。
「ねえヨウ君。ずっと前から言いたかったことがあるの。でも、私はそれを言うのがずっと怖かった。もしも言った後に、ヨウ君に拒絶されたら、私はヨウ君に見捨てられるんじゃないかって。でも、今回のことで決心がついた。だから言うね――」
 シズカは、やや長い前置きの後に、シズカはその言葉を彼女の心から解放した。
「私はヨウ君が大好きだよ。超愛してる。超々愛してる」
 シズカの顔には不安げな笑顔。
 こんな時にまで『超』をつけますか。いや、そこら辺を含めて僕は彼女を可愛らしいと思うけどね。
 僕は腹を括った。
 僕は今までどこかシズカに対して一歩引いているところがあった。彼女は才能豊かな天才で、僕は単なる凡人だ。
 そんな二人が一緒になっても、幸せになれるわけがない。彼女を幸せにできるのは、彼女と同じ才能豊かな天才しかありえない、と。
 それぐらい、僕はシズカのことが大切で、彼女に幸せになって欲しかった。
 だけど、そんな消極的な考えでは駄目だったんだ。
「――お前のことは、僕が幸せにするよ。ずっと、絶対に」
『ずっと』も『絶対』も、向う見ずで傲慢な言葉かもしれない。だけど、それらの言葉は僕の覚悟。これから永久に夕凪シズカという女性を支え続けるという、迷いなき宣言。
「夢みたい。あれ、これ夢じゃないよね?」
 感情の奔流を御せなくなったシズカから、また涙があふれ出す。
「馬鹿だな。これは現実だよ。この通り――」
 僕はシズカを力強く抱きしめた。
「でも、赤ちゃんはもうちょっと後回しな。一応、高校は卒業しておこう。堅実さもずっと幸せでいるには必要なことだろうから」
 最後にヘタレたことを言うあたり、やっぱり僕は僕だな。
 内心苦笑しながら、僕はシズカを見つめる。
 そして、彼女に口付けを。
 先ほどのような、力任せなものでなく、優しくいつくしむような口付け。
 そんな一時にだって、彼女は身をよじらせる。
 どんなときでも、夕凪シズカは、じっとしない。そんな彼女がたまらなく愛おしかった。

【夕凪シズカは、じっとしない】了

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