空気の王に君は成れ/第1話

~受難のハジマリ~


 存在感は空気くらいがちょうどいい。
 教室に響き渡る喧騒も、僕にとっては蚊帳の外。僕は世界に対して殻を作る。羽虫一匹侵入できないように。
 本当は、僕はどこにも居たくない。教室にも、家にも、そして誰かの視界の中でさえも。
 出来れば風化したい。この無意味な身体が塵芥として、虚空へと消えていけたら、それはどれだけ幸せなことだろうか。
 そんな風に世界から消失したい癖に、だけど自殺しようという気は湧いてこない。死が怖いわけじゃない。さりとてこの世に未練があるわけでもない。
 ダラダラと惰性で生きているだけ。それとも呼吸をしているだけでは生きているとは言えないのかな?
 この世からいなくなりたい癖に、死ねない僕は半端者。
 べったりと自分に嘲笑を浴びせたくなるくらいに滑稽だ。
 世界はまるで灰色の砂漠みたい。
 高校二年に進級した僕が配属されたクラスは二年七組。現在は四月の下旬。仲良し集団が形成されつつある。
 けれど、僕は必要最低限しか誰とも関わらない。例えばすでに体育の時間とかに『二人一組になれ』なんて号令されれば、現状百パーセントの確率で僕は誰ともペアを組めずにあぶれてしまう。
 それは少し悲しいことだけど、同時に気楽なことでもあった。
 そういう場合、体育担当教師とペアを組む。教師は笑顔だけど、同時に噛み潰した苦虫の風味が口一杯に広がっているような顔。
 まだ体育の授業は数えるほどしかしていないが、全ての回において大層迷惑そうに僕の相手をしてくれた。
 クラスメイトは、当に僕と距離を置いている。いじめられるではないけれど、親しくなるでもない。
 きっとこの先、クラスメイトとの距離は変わらないだろう。この先、学園祭とか体育祭とか友情形成のテンプレート的な行事があったとしてもだ。
 だって、そもそも、張本人の僕に誰にも心を開くつもりがないのだから。
 このクラスがどうなろうが、僕の知ったことではない。
 僕は、二年七組の生徒というラベリングがなされているだけで、そのラインからは既に脱落しているのだ。
 僕と他のクラスメイトとの温度差は、相当なものだ。他の連中はこの学校で1年を過ごして、かなり高校生活になれた調子。キャラが確立している奴も少なくない。
 皆が皆、楽しそうに笑う。けれど僕は笑い方なんて忘れてしまった。
 クラスとの温度差は、温帯性低気圧となり、あるいは台風にでも変化しそうなまでに歴然としていた。なんてふざけた感慨に耽ってみたが、極の片方が僕では台風みたいな高エネルギーな現象は起こりようもない。
 台風を起こせるということは激突できるだけの気力があるということ。人と人がぶつかるということは、その両者がそれなりの気概なり意見なりイデオロギーなりを持っているもの。
 僕には無理だ。そんなヤル気に満ちた心は僕のどこにもありはしない。
 それに、この世界のどこの誰が、空気と激突できるというのだ。
 そうだ、僕はもう誰かと衝突したくない。
 だから僕は口を閉ざして暗い海底に生息する貝になる。誰にも気付かれない空気人間として、ただ教室に一人たたずむ。
 始業のチャイムが鳴り響くと同時に、担任教師が教室に入って来る。
 現在は六限目。一日の授業の最後。これが終われば学校という未成年の収容施設から晴れて開放される。
 本日の六限目のカリキュラムはロングホームルーム。ロングホームルームとは、クラスが一丸となって学級運営を討論したり、親睦を深めるレクリエーションを行う時間だ。
 僕は数学や英語といったお堅めな授業より何よりも、このロングホームルームが大嫌いだった。
 学級運営をみんなで話し合って決めていく。なるほど、さも民主的だ。でも、実際のところ学級会議なんて名前だけ。皆が皆、自分の都合を押し付けあってクラス委員長に文句を垂れ流すだけの時間に過ぎない。
 去年のクラスが割とそんな感じだった。学園祭のクラス企画決めは凄惨たるありさまだった。派手な出し物をしたいクラス委員長とその他の生徒たちの対立。物語の中なら、それら葛藤を乗り越えて最後に最高の出し物になってハッピーエンドなのだろうが、残念、ここは現実だ。
 結局、委員長はクラスメイトから蛇蠍のごとく嫌われてバッドエンド。収拾がつかなくなったところでクラス企画は労力をさして要さないアンケートの展示とあいなった。
 その後も、クラスはギクシャクとしたものだったが、空気の僕には元々関係ない話。
 夢も、希望も、情熱も、マジョリティの悪意の前には完膚なきまでに叩きのめされる。
 あるいは、一部のカリスマか声のでかい奴が鶴の一声を上げれば意見は恙無く通るのかもしれない。しかし、それは到底、民主主義とは言えない代物だ。
 結論。クラス委員長なんてやるものじゃない。リーダーなんて苦労と孤独ばかり背負いこんで、ウツになるだけのポジションだ。
 なんて長々とクラス委員長について考察したのはさもありなん。今日のロングホームルームの議題のメインは、クラス委員長を決めることだから。
 二年生が始まって一カ月弱が経過。お互いの性質がわかってきたところで、さあ学級運営をするリーダーを決めましょうという話だ。あまりに早くに決めようと議題に上げても皆が様子見に走って立候補者は現れにくい。さりとて、決定が遅くなってしまうとそれはそれで学級運営に支障が出てくる。
 なので、クラス委員長を決めるには今が程良い時期なのだろう。
 まあ、僕には関係ないけれど。
「前々から知らせてあった通り、今日のロングホームルームではクラス委員長を決める。いいか、クラス委員長はやってみる価値のある役職だ。それはクラスの仲間たちの要であるポジションだからだ。仲間たちのために動くっていうのは自分の殻に籠って学校生活を送るよりもずっと有意義なものだ。確かに、クラスをまとめるということは苦労を伴うことかもしれない。みんなと意見が衝突するかもしれない。でも、それをまとめ上げるのがクラス委員長という存在だ。それはつまり自分を成長させるチャンスだ。少しでもやってみたいと考えている奴は、臆することなく立候補して欲しい」
 教壇のクラス担任である男性教諭が朗々と演説を始める。フルネームは大橋成平(おおはしなりひら)。
 大橋先生は、二十代後半という生徒に近い年齢で、かつ爽やか系なイケメン。なので女子からは凄まじく人気がある。同時に気取らず兄貴分的な態度の持ち主であり男子生徒からの信頼も厚い。カリスマという言葉が非常にお似合いの御仁だ。
 大橋先生の演説は完璧といってよいものだ。
 まず、『クラス委員長はやってみる価値のある役職』という自分の主張を冒頭で簡潔に主張。こうすれば聞いている人間にとって自分が何を言わんとしているのかがわかりやすい。その次に、そう考える論拠をいくつか挙げて説得力を加算する。
 ただ、それだけでは聡い人間からは訝しがられる。プラス面だけの説明にはどうしても胡散臭さが残ってしまうからだ。だからプラス面を提示した後で、あえてマイナス面も説明する。これにより自分が、クラス委員長という役職の両面を知っているという印象を与える。そして、最後のまとめとして自ら挙げたマイナス面を打ち消すまとめ方をする。
 カリスマ先生は、説得術の心得もお持ちのようで、きっとこのクラスは誰がクラス委員長になっても安泰だ。最悪の場合、この人が介入すれば事態は収拾できそうだ。なので僕は安心して空気人間に徹していられる。
 大橋先生の演説を受けて、にわかに教室がざわめき立つ。
 特に男子が近い席同士の連中と相談し合っている。みんなして、「お前やってみろよ」とクラス委員長という面倒臭そうな役職を押し付け合っている。
 片や女子の方はといえば、まあ、クラス委員長に向いていそうな奴が一人いる。
 高校生女子の一般的傾向として、でしゃばる奴は嫌われるというものがある。女の子集団とはフラットである状態を好むもの。そして、流動性が少ない。大抵は三、四人くらいのグループが昼食から御手洗いまで一緒に行動するもの。つまり、リーダーという出る杭がいなくてもまとまってしまうのだ。
 しかし。
 このクラスには、そんな女子の心理像から外れた変わり者がいる。
「私、クラス委員長をやりたいです」
 案の定、僕の予想した女子生徒が名乗り出た。
 溌剌とした太陽の明るさの声だった。
 声の主の名前は久我島風花(くがしまふうか)。
 小顔、スリム、容姿端麗という女子からすれば嫉妬したくなるであろう三拍子がきっちりそろっている。アーモンド形の眼は愛らしく、それでいて艶やかな唇は男を魅了する。
 軽く脱色した髪が活発さを更に演出している。髪の脱色染色は校則違反だが、彼女の脱色具合は極軽めなものなので言いようによっては自毛で通せなくもない。それは校則のグレーゾーンを通る柔軟性を意味する。
 一年生の時は、僕と彼女は違うクラスだったし、僕は友達ネットワークという情報網を持っていなかった。なのに僕の耳にも久我島風花の噂は耳に届いている。要するに席が近かった奴の雑談が耳に入ってきただけだ。
 曰く、この学校で一番の美人。そして、一年生のときもクラス委員長もしていたらしい。クラス委員長としては優秀で、独裁に走らず、民主的にみんなの意見をきちんと吟味した上で意思決定をしてくれるらしい。更に成績優秀でスポーツ万能でありながら、少し抜けているところもあって放っておけない人物像。
『それ本当に人間?』と傍から聞いているとツッコミを入れたくなるプロファイルだ。それはきっと友達一杯で、かつ素敵な彼氏さんもおられ、さぞリア充な生活をなさっているのだろうと僕は思っていた。
 ところが噂によると友達は一杯いるが彼氏はおられないようだ。
 日に一回は男子から告白を受けているという。そして、それを全部断っているとか。はたして、彼女が男を見る目が厳しいのか、恋愛に興味がないのか、はたまた同性愛者なのかは意見がわかれている。
 まあ、全部噂で真偽は確かめてないんですけどね。というか、そもそも彼女に興味ないし。
 久我島が立候補し、彼女の対抗馬になろうという女子は現れない。そもそも他の女子はクラス委員長なんてやる気がないだろう。あるいはいたとしても、多数決をとったら久我島が当選するのは火を見るより明らか。誰もわざわざかませ犬になって恥をかきたくはあるまいよ。
 というわけで女子のクラス委員長は久我島風花に大決定。となると必然的に久我島狙いの奴が男子クラス委員長に立候補する。
 いやはや、万が一にでも僕に無理矢理クラス委員長という労役が押し付けられなくて良かった良かった。
 あとは皆さんで、久我島ハートの争奪戦をやってくださいませ。
 とか、僕は完全に傍観者モードのスイッチが入る。
「では、女子の委員長は久我島で決定だな」
 担任が朗らかな笑顔で言った。彼としてもスムーズにクラス委員長が決定するのは願ってもないことなのだ。
「先生、本格的に私がクラス委員長をやっていいなら、一つ要望があります」
 久我島は再び挙手。
「改まってどうした? 言ってみなさい」
「男子クラス委員長として推薦したい人がいます」
 久我島の宣言に、男子一同は驚いた。
 学園のアイドルから直々の推薦。呼ばれた奴はさぞ箔がつくだろう。そして、他の男子からの嫉妬と憎悪を一心に浴びるに違いない。誰なのかは知らないが、僕は心中で十字架を切って、黙祷を捧げる。
 男子一同からゴクリという唾を飲み込む音が聞こえた気がした。
「そいつは一体……?」
 担任も興味津々だ。
 そして久我島は、ビシッと一人の生徒を指さした。まるで推理ドラマで探偵が犯人を明らかにするときのポーズ。
 ところが久我島が指名した男子は、とんでも無い人物だった。
「私が推薦するのは多々良涼(たたらりょう)君です」
 タタラ……リョウ……?
 あwせdrftgyふじこlp!
 思わずそんなネットスラングが出てくるまでに僕はパニックを起こした。
 だって多々良涼って僕だから。
 茫然としているのは僕だけではない。
 担任を含む教室にいた全ての人間の表情が瞬間冷凍されていた。
 目を瞬かせながら僕は、一応、冷静さを取り戻すために素数を数えてみた。五十七の次の素数が出てこなかったのでそれ以上は断念。
 僕は背筋に氷でも突っ込まれたかのような悪寒が走った。
 クラス中の視線が僕に殺到していた。
 特に男子の視線は凄惨たるものだった。明らかに僕を敵視している。
 驚愕と嫉妬と憎悪が、等配合されていそうな邪視。みんなして僕を殺る気満々だ。
 逃げなければ!
 このままでは僕の空気としての学校生活が破綻するだけにはとどまらない。最悪、死を覚悟しなければならなくなる!
 これが元で、クラスで悪目立ちしたらどうしてくれるんだ。
 いや、そもそも僕はクラス委員長なんてやりたくない! 例え相方が学校一の美少女であろうが、三国一の名宰相であろうが、その決意は揺らがない。
「僕にはきっとクラス委員長とか、そういうのは向かないと思うよ?」
 まずは腰低く、謙虚な態度で丁重にお断りを入れてみる。
 しかし久我島は、
「そんなことはない。一緒にやりましょう」
 雲一つない蒼天の明るさで言ってくる。その顔はニッコニコ。
 く、騙されるな。あれは餌を待つチョウチンアンコウの発光器と一緒だ。油断して手を伸ばそうものなら食いつかれるに決まっている。
 しかし、みんながいる手前、大声で怒鳴って回避することはできまい。
 理性的に、かつ論理的に、時限爆弾を解体するが如き慎重さでこの事態を処理するんだ。
「確かに推薦でクラス委員長を決めるのも一つの手かもしれない。でもね、それは最後の手段だと思うんだ。つまり、男子の中に立候補者がいなかったら推薦で決めるしかない。でも、まだみんな考え中だと思うんだ。もうしばらく待ってみて、それでも立候補者が現れなかったら、クラスのみんなで誰を推薦するか考えようよ」
 我ながら筋道の通ったお断り方だ。
 教室の連中の反応をさりげなく横目で観察。頷いている奴が多数。
 僕は勝利を確信した。
「わかった」
 久我島はしゅんと肩を落とす。
 さて、あとは久我島目当ての男子の誰かが立候補すれば全てが完了……と思っていた矢先、またもや久我島の爆弾発言が炸裂した。
 彼女はクラスのみんなに向かってこう言うのだ。
「ごめんなさいみんな。私がクラス委員長をやるという話は忘れて下さい」
 深々と頭を下げて陳謝する久我島。
 これはマズイ。
 久我島が立候補を取り下げたら、このクラス委員長決めは白紙に戻される。否、白紙どころかマイナスだ。
 久我島以外の女子はおそらくクラス委員長などやりたくない。そんな中、久我島の辞退宣言。
 今度は女子の方から、僕への厳しい視線が突きささる。しかも、女子は男子よりも露骨な形で非難してくる。
「多々良、アンタ風花ちゃんに指名されたんだからクラス委員長やりなさいよ」
「空気読めないなんてサイテー!」
「アンタがクラス委員長すれば全てが丸く収まるのがわかんないの?」
 ブーイングの嵐が教室に吹き荒れる。
 これには僕を含めた男子はドン引きだ。というか、どんだけアンタらクラス委員長やりたくないんだ。
 最後の手段と言わんばかりに、僕は大橋先生に視線を投げた。
 大橋先生はこちらに寄って来て、僕の肩に手を置いた。
「多々良、クラス委員長をすることは良い人生経験になると思うぞ」
 先生、笑顔が引きつってますよ?
 そして、教壇に戻ると先生は黒板にこう書き込んだ。

・男子クラス委員長 多々良涼
・女子クラス委員長 久我島風花

 女子の方からは声援が上がり、男子の方からは呻き声が上がった。教室の中に働く力学の歯車に、早くも僕はすり潰されそうだ。

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