空気の王に君は成れ/第2話

~三分間待ってやる~


 久我島風花の推薦で僕はクラス委員長を務めるハメになった。決定してしまった以上は、きっとどう足掻いても覆らない。ならばせめて久我島のしたことが純粋な推薦であって、悪意からの策謀でないのだけを祈るばかりだ。
 クラス委員長が決定したら、次はクラス委員長以外のクラス委員や係を決定するだけ。
 こういったものは、各々やりたい委員会なり係にテキトーに立候補して、被ったらジャンケンで勝負という流れが定番だ。
 しかし、久我島はそれをしなかった。被ったらまず当人たちで話し合いをさせて、お互いの合意を得たら決定する。
 なるほど、確かに民主的なやり方だ。これなら最終的な意思決定はその委員なり係になった奴がしたことになる。ジャンケンでやりたくもない役職に割り振られるよりはよっぽどマシだろう。
 というのを僕はただ傍観していただけ。はいはい、久我島さんは優秀ですね。
 そうだ、僕は久我島に金魚のフンのようについていくことにしよう。僕みたいな奴が無理をしてリーダーシップを発揮しようとしても皆から反感を買うだけ。
 久我島が一人でクラスをまとめた方が、断然丸く収まるに決まっている。

   ◆

 次の日はすっかり崩れてしまった僕の高校生活におけるグランドデザインを再考しながらの登校。
 問題解決のためには、まず根本的な問題を洗い出す必要がある。それはちょうど数学の文章題に似ている。最終的に求めたい解を得るためには、しっかりと問題の本質を見抜く必要がある。
 僕が高校生活において求めたい解は、次の一つに集約される。
 どうやったら無難に、誰にも悪意を向けられずに学校生活を送れるのか?
 たったそれだけなのだ。
 学年首位になりたいとは言わない。恋人が欲しいとも言わない。ただ、僕は空気でいたいだけなのだ。
 ん? だったら今まで通り過ごせば良いだけじゃないのか?
 どうせ皆、僕のことなんて眼中にないだろう。皆、僕というクラスにおけるエキストラに注意を向けていられるほど暇でもないに決まっている。
 問題解決。
 すっきりした気分で僕は教室の扉を開けた。僕の想定では、扉の先には誰にも気にされないという、安楽の光景が広がっているはずだった。
 ところが、扉を開けたのが僕だとわかるや、一斉に教室にいた人間の視線が僕を突き刺した。なのに誰からも挨拶の声は投げかけられない。
 まるで異世界人の闖入かのごとく、皆は僕に対して距離を置きながらの観察。
 更には僕を見ながらヒソヒソ話をする輩まで現れる。小声なので何を言っているのかわからないが、きっと悪口に決まっている。
 僕は鞄を自分の席におくと、そそくさと教室から撤退。逃げるように男子トイレの個室へと籠った。
 個室は狭いながらも隔絶された空間であり、誰の視線もそこに介入してこない。
 一人は孤独。けれど落ち着く。人間は社会的な生き物とか言うが、可能ならば僕は将来山奥で隠者のように暮らしたい。
 しばしの静寂は、しかし集団でやってきた使用者の雑談によってぶち壊される。
「マジでショック。何で多々良が久我島に指名されるわけ?」
 用をたす音に混じって、そんな声が聞こえてきた。
 僕の名前が出てきたので、心臓が縮みあがる。
「またその話かよ。でもまあ、実際ありえねえよな。どうして、あんなのがクラス委員長なんだ?」
「実は久我島が多々良に気があるとか?」
「それこそあり得ねえって。あんな冴えない奴のどこがいいんだよ」
 冴えない奴……。自分なりに自覚はあったけど、自分で思っているのと他人から言われるのは別物だ。冷水を頭からかぶせられるような思いだった。
「だったらどうして久我島は多々良と一緒にクラス委員長をやりたがったんだ?」
「お情けじゃねえの? クラスで浮いてて可哀想だったから採用したとか」
「うわ、何それ。ルナティック良い人じゃん久我島。マジ彼女にしてーわ。どんな我儘でも聞いてくれそうな良い女じゃね?」
「それじゃ、良い女っつーか、都合の良い女だぜ。あんな美人が御奉仕してくれるならサイコーだけどな」
 下品な笑い声を上げる男子生徒たち。
 可哀想だったからクラス委員長に採用。その言葉が僕の胸にグサリと突きささる。
 きっと実際にその通りなのだろうが、無性にやるせない気分になった。
 クラス委員長なんてやりたくない。だけど、無理矢理に引き抜くならせめて好意からであって欲しかったと思うのは欲張りなことだろうか。
 なんだよ、可哀想だからって。そんな下らない同情だったら無い方が一億倍マシだ。
 下らないことで僕の安息を潰しやがった久我島が憎くてたまらなくなった。
 そして、何よりやっぱり誰からも期待されていない自分はゴミだ。
 僕は世界に要らない人間なんだ。
 頭を掻き毟りながら、僕は自嘲の声を漏らすことしかできなかった。

   ◆

 その日の授業内容は、クラスメイトの視線が気になって全く頭に入ってこなかった。
 とりあえず板書されたものはノートに写したが、半ば自動書記。先生の中には『書いて腕に覚えさせろ』とか言う人もいるが、きっとあれは妄言に違いない。
 針のむしろで座禅を組まされるが如き一日だった。
 六限目の終了のチャイムと共に僕は脱力した。
 帰りのショートホームルームは少々長引いた。進路希望調査表が配布され、それについての説明と、この時期に進路について考えることがいかに重要かを延々と力説したからだ。
 進路ねえ。どうにか誰にも関わらずに仙界に遊ぶ方法が現代に無いものか。
 不毛な考えを巡らせながら進路希望調査表を眺めていた。
 そして十分くらいして大橋先生のご高説から解放される。
 さあ帰ろう、やれ帰ろう。放課後までにこんな所に居残る理由なんてありやしない。三十六計逃げるに如かず。逃走こそが最善の計略。
 すっかり帰宅モードの僕だったが、
「涼、ちょっといい?」
 そんなときに限って背後から声が掛けられる。
 下の名前を、それも呼び捨て。フレンドリーな態度に少なからず僕は驚く。高校に入学してから、僕を下の名前で呼ぶ人なんていなかった。
 振り返ると笑顔の久我島。表情を作るのも面倒で僕はジト目だったのに、久我島は笑顔を崩さない。
「何?」
 僕は低い声で問う。それは不機嫌さの表明だったが、久我島には効果なし。彼女が怯むようだったら『呼び捨てはやめてください』とか文句をつけようとも思ったが、彼女はのほほんとしていたので毒気を抜かれてしまった。
「あのね、来週のロングホームルームに何をやるか、放課後二人で残って考えていかない?」
 反吐が出る。
 一つ目はロングホームルームのことなぞ考えるのも嫌だ。もう一つは久我島と一緒に話し合うことが気に食わない。
「今日は、歯医者の予約があるから無理」
 ありもしない予定をでっち上げ、鞄を持って教室の扉へと向かった。
 あえて久我島の反応には興味を向けない。嘘をついたら、言い逃げするのが最良のアフターケアだ。相手に余計な詮索をされたら、嘘を嘘で誤魔化さなくてはならなくなる。それは下手な嘘のつき方だ。
 僕は振り返ることなく教室の出口へ。扉に手を掛けようとする。ところが触れずとも、まるで自動ドアのように扉はスライドした。
「失礼するよ」
 出口に立っていたのは女子生徒。ありていにいって美人だ。
 腰まで伸ばした艶やかな黒い髪と、凛とした切れ長の目が印象的だった。その瞳からは強い意志が感じられた。死んだ魚の目をしている僕からすれば眩すぎて目がつぶれてしまいそうだ。背の高さは百六十五センチの僕と同じくらい。ただし僕は猫背気味で、目の前の女子生徒は剣道家のような姿勢の良さ。ちゃんと身長を測れば僕の方が少し高いくらいだろう。
 僕は彼女を知っていた。おそらくは一方的に。
 彼女、虹川美弦(にじかわみげん)は、この学校の生徒たちの元締めである。要するに生徒会長だ。生徒会選挙や全校集会などで何度か見かけた覚えがある。
 そんな人がうちのクラスに何の用だろうか?
 まあ、十中八九僕とは無関係なのでスルーすればいいんだけど。
 とか考えていたら、虹川会長は目があった僕に対してニタリと蛇のような笑みを浮かべる。
「探すのに手間取るかと思っていたが、これは何と言う僥倖。多々良涼、君に話がある。生徒会室まで御足労願おう」
 いきなり言うと、更にいきなりに僕の腕を掴んだ。
「ちょ、一体何なんですか!?」
 驚いた僕は、必死に虹川会長の手を振り払おうとするが、それは失敗に終わる。
「いいから来るんだ!」
 彼女は僕の右手首を掴みあげ、そのままひねりあげる。
「ちょ、い! 痛い!」
 ちょっとした関節技を決められたようなものだった。僕は無様に悲鳴を上げた。更には右手に持っていた鞄を落としてしまう。
「抵抗は無駄と知りたまえ。いざ、君と私のワンダーランドへ」
 ノリノリな声で言う虹川会長に引っぱられ、僕は引きずられるように連行される。落とした鞄を回収する暇など微塵もなかった。
 ドナドナで売られる子牛だって、もう少し丁重に扱われたというのに……。
 連れていかれた先は生徒会室だった。
 生徒会室は僕の教室のある棟の一階に位置している。なので、距離としては大したものではなかった。ただ、有名人の虹川会長が男子生徒をホクホク顔で連行している姿は壊滅的に目立つものだった。通り過ぎる生徒たちの視線は、みんなして僕たちに釘付けだった。
「入りたまえ」
 生徒会室の扉を解錠した虹川会長は、僕に入室を促す。しかし僕は、
「あの、僕はこれから用事があるんで時間はないです」
 虹川会長は確か三年生。二年生の僕からすれば先輩にあたるので自然口調は敬語になる。
「ほう、それはどんな用事かね?」
「歯医者の予約です」
「予約は何時からかね?」
 鋭い視線に気押されながらも、僕は言葉を探す。予約時間までは考えていなかった。ありもしない予約なのだから、即座に回答できない。
 逡巡する僕に対し、鬼の首を取ったかのような虹川会長の笑み。
「嘘をつくときはディテールにこだわりたまえ。神は細部に宿るという言葉は、虚言においても適応されるものだ」
 その堂々たる宣告に、僕はただ項垂れるしかなかった。
「実はこれ、キャッチセールスの類とかじゃないでしょうね?」
「ハハハ、まさか。ここは神聖な学び舎だぞ。悪いようにはしないから入室したまえ。お茶と茶菓子くらいは馳走する」
 本格的にドナドナでも口ずさみたい気分になりながら、渋々生徒会室に入室。
 生徒会室は生徒が使う部屋にしては備品が充実していた。職員室にありそうなしっかりとしたデスクが生徒会役員の人数分。冷蔵庫も完備。そして、壁にはメイド服が掛けられていた。
 ってメイド服? どうして?
 見てはいけないものを見てしまった気がする。なので、あえて触れない。余計な話に巻き込まれないためには、そもそもそこに触れなければいい。触らぬ神に祟りなし。
 適当なデスクに着席させられた僕に、冷蔵庫で冷やされたペットボトルのお茶が振舞われる。
 僕の対面の席に腰かけた虹川会長は、重苦しい雰囲気で話を切り出す。
「君はオトコノコという概念を知っているかね。ちなみに、漢字ではこう書く」
 虹川会長は立ちあがりホワイトボードに『男の娘』と書いた。
「話ぐらいは聞いたことはありますよ。要するに女装男子ですよね」
「身も蓋もない言い方だが的は得ている。そもそもだ、私が知る限りにおいて日本最古の男の娘、君の言い方を借りれば女装男子になるが、それは日本神話に登場するヤマトタケルノミコトである」
 ツッコミを入れようか迷ったが彼女は研究発表する学者のような真面目さで言っている。そんな調子で虹川会長はおよそ三十分に渡り男の娘についての論考を、図解を交えて説明してくれた。破滅的に無駄な時間だった。
 そして、虹川会長はツカツカと僕の方に寄って来て、その手で僕の前髪を掻きあげる。更には距離にして二十センチくらいのところまで顔を近づけて、僕の容姿を確認。あまりに顔が近いため不覚にも顔が熱くなる。
「私は以前から君が気になっていた。君は普段、まるで自身を封印するかのように前髪でその顔を隠しているが、それは勿体ないことだ」
「嫌いなんですよ、自分の顔」
 僕の顔は母親似で女顔だ。そのせいで子どもの頃から周りの連中にからかわれてきた。
「自己嫌悪かね、それは良くない。どんなに嫌い抜いても、人は自分自身という存在からは逃げられないのだから。君のその中性的な顔立ちは至宝だよ。なので、あそこに掛けてあるメイド服を着て、男の娘になってくれたまえ」
 前半部分は良いことを言っている臭いが、後半部分がそれをブチ壊した。
 虹川会長は一仕事を終えたようなしたり顔だったが、僕は席を立ち、そして言う。
「帰らせて頂きます」
 僕は席を立った。
「待ちたまえ」
 虹川会長は僕の腕を掴もうとするが、僕は学習できない馬鹿ではない。掴まれたら最後、また腕をひねりあげられるに決まっている。
 立ちあがった僕はバックステップを二回ほどして、生徒会室の出入り口へ。即座に扉を開けて廊下へ出ると走り始めた。この際『廊下を走るべからず』なんてルールは無視。
 一心不乱に走る僕の背後から虹川先輩の声がした。
「いいだろう! 三分間待ってやる」
 アンタはどこのラピュタ王の末裔だ?
 ともあれ、向こうが余裕をかましてくれているのはこちらにとっては願ってもないチャンス。
 逃げろ、逃げろ、逃げろ。
 メイドなんかになってたまるか!

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