空気の王に君は成れ/第3話

~告白は突然に~


 僕は玄関に向かって走っていたが、一つ忘れ物をしているのに気付く。
 鞄が教室に置きっぱなしだ。
 虹川先輩に腕をひねりあげられて落としてから、僕の鞄がどうなったかがわからない。放置して帰るのもありだったが、虹川先輩に回収されたら面倒だ。『鞄を預かっているから生徒会室に来たまえ』とか言われた日にはたまったものではない。貴重品は入っていないが、一応教科書やノート類が入っているので奪われると後々面倒臭い。
 僕は進路を自分の教室に変更する。
 遠回りは虹川会長に捕まるリスクを上げるわけだが仕方がない。何かを得るには常にリスクはつきものだ。
 二年七組の教室に舞い戻る。現在、四時半少し前。生徒は部活に行くか帰宅するかのどちらかで教室はもぬけの殻だろうとタカを括っていた。だが実際は違った。
 窓際の席で、一人思案に耽る女子生徒が一人。
「あ、やっと戻ってきた」
 その生徒、久我島風花は僕の登場に破顔する。しかし、嘘をついてまで帰ろうとした僕にとっては気まずさしかない。
 彼女の席の上には僕の鞄が置いてあった。落としていったものを今の今まで預かってくれていたらしい。
 というか久我島は、僕が戻ってくるのを信じて、ずっと待っていたのか? なんて奇特な奴なんだ。
「たーたーらーくーんー、どこにいるのかなー?」
 狂気に満ちた虹川会長の声が廊下から聞こえてくる。声の大きさからしてその距離は十メートルほど。彼女にこの教室を見分されたらアウトだ。
「涼、誰かが呼んでるけど?」
 事情を知らない久我島は、きょとんとしている。
 このまま廊下に出て、逃走を再開するか? 否、虹川会長のスペックは計り知れない。本気で追い駆けっこになった際に振りきれる保障などない。
「久我島さん、誰が来ても、この教室には久我島さん一人しかいないと答えてくれ」
 僕は久我島の肩を両手で掴み懇願。
 そして返事も聞かずに、鞄を持ったまま掃除道具入れに隠れた。逃げきれないなら、どこかに隠れてやりすごすしかない。
 僕が掃除道具入れに隠れて数秒後、
「ここに多々良涼君は来なかったかな?」
 虹川会長の声。僕は時計に隠れて狼をやり過ごす七匹の子ヤギの末っ子の心境。
「いいえ、この教室には私一人だけです」
 と久我島。グッジョブ! ナイスワーク!
「そうかね。それは失礼した。たーたーらーくーんー」
 なんというか、今の虹川会長のテンションは『かゆ……うま……』とか言い出してもおかしくない。
 もう少し経ったら虹川会長も僕の捜索を諦めるだろう。それまではここに引きこもっておこう。ああ、狭くて暗いところは落ち着くなあ。
 根暗極まりない感慨に耽っていると、また教室に入ってくる足音がする。
 その人物はガラガラと教室の扉を閉めた。
 まさか虹川会長が、久我島の嘘を見破って舞い戻ってきたかと背筋が凍る。
 しかし、
「久我島、こんな時間まで居残りでクラス委員長の仕事か?」
 声の主は男性。多分、大橋先生のものだ。
「ええまあ、そんなとこです」
 おずおずと久我島は答える。
「今日は他に居残る奴はいるのか?」
「いいえ、この教室には私一人しかいません」
 僕の指示を、律儀に大橋先生にまで実行する久我島。
「なら、ちょっと俺の話を聞いてくれないか。これはとても大事な話なんだ」
 僕は掃除道具入れの上部にあるスリットから外の光景を観察する。
 久我島と大橋先生は、ちょうど僕から見える位置にいた。
「大事な話……ですか?」
 久我島は、大橋先生の様子に躊躇っていた。
「久我島に、今彼氏はいるのか?」
「何をいきなり?」
 唐突な問いに、久我島はきょとんとする。目を何度も瞬かせていた。
「答えてくれ、俺は真剣なんだ」
 ふざけた調子を微塵も感じさせない大橋先生に、久我島の表情も自然に真剣味を帯びてくる。
「いませんよ、彼氏。でも、どうしてそんなことを?」
 心底不思議そうな顔で首を傾げる久我島。大橋先生は燃えるような目付きで久我島を見つめる。
「それは俺がお前を愛しているからだ」
 教室の時間が止まった。それは紛うことない愛の告白だった。
「え?」
 いきなりの事態に、久我島は動揺するが、大橋先生は言葉を紡ぎあげていく。
「好きだ久我島。俺は一人の女性としてお前に恋をしてしまった。だから俺と付き合って欲しい」
 奇を衒わない、ストレートな物言い。それはそれは男らしかった。これが生徒同士の恋路なら久我島の返事の是非を問わず問題ではなかっただろう。
 しかし、
「あの、私は生徒で、先生は教師で、そのそういうのは……」
 逡巡する久我島。そうなのだ。久我島は生徒で大橋先生は教師。
 それは学校生活における禁断の恋というやつだ。
「もちろん、そんなことは知っている。そしてそんなことは関係ない。一人の男が、一人の女性を愛した。ここにあるのはそれだけだよ」
 大橋先生の目は本気だった。彼は久我島の両肩を掴む。
 とんでもない現場に居合わせてしまった。これでは本格的に掃除道具入れから出られない。
 嘆きながらも、恋の行方をまるで映画でも観るかのように楽しんでいる自分もいた。これでは思いっきり変態だ。
 教師と生徒との垣根はあれど、しかし、大橋先生はイケメンで人気者。これは我がクラスから禁断のカップル誕生か? と二人の動向を見守る。
 ところがこれに久我島は、こう答えた。
「ごめんなさい、先生。私は先生とお付き合いはできません。これは教師と生徒だからとかではなく、とにかく駄目なんです」
「どうして?」
「私には他に好きな人がいます。今の私にはその人のことしか考えられません。だから、先生と、いいえ、先生じゃなくても、その人以外とは誰とも付き合う気はありません」
 きっぱりと断言する久我島に、大橋先生は久我島の肩に置いた手を放した。
 ほほう、恋したう誰かのために、他の男と付き合おうとしない。それが久我島ほどの美少女に彼氏ができない理由か。
 しかし、一体誰なんだろうね。久我島の心を射止めた色男とは。
「多々良か? お前は多々良が好きなのか?」
 思い出したように大橋先生は言った。ってオイオイ、どうして僕の名前がいきなり浮上するんだ。
「だから、お前は昨日、多々良をクラス委員長に指名したのか?」
 唖然としながら大橋先生は言うが、僕もその推理には吃驚です。
 それ、普通に考えてあり得ないから。
 肝心の久我島は答えない。口を真一文字に噤んで、一言も発さない。
 なのに、大橋先生の暴走は止まらない。
「クソ、あんな根暗ヤローのどこが良いって言うんだ! あんなのはな、クラスに最もいらない空気人間じゃないか。それがクラス委員長? 久我島が推薦するから黙認したが、俺はあんなのをクラス委員長とは認めないぞ」
 彼の言葉が、僕の心を大きくえぐっていく。
 僕は先生にまでそんな風に映っていたのか。
 大橋先生なら、僕の存在を認めてくれるんじゃないだろうかと甘い考えをしていた。けれどそれは本当に甘い考えだったようだ。
 僕の存在を認めてくれる人は、本当にどこにもいないようだ。
「そんなことはありません」
 叫ぶような声が上がった。声の主は久我島だった。
「なんだと?」
「クラスに要らない人間なんていません。クラスに要らない人間がいるなんて言うとしたら、それは先生の目が節穴なだけです」
 まるで聖者のような物言いだったが、僕にはそれが偽善にしか聞こえない。なのに久我島の瞳は透き通っていた。だから、腐っているのは僕の方だ。
「綺麗な目だ。是が非でも、君を俺のものにしたいよ」
 不敵に微笑むと、大橋先生は教室をあとにした。
 教室の扉が開閉する音を確認した後に、僕は掃除道具入れから出る。
 その際、久我島と目があった。
「ふざけるな。僕が何をしたっていんだよ」
 僕の全身が憤怒から震える。
「涼……」
 久我島は僕を憐れむような目をしていた。
「やめろ、そんな目をするな! それもこれも、全て久我島のせいだ! どうして何もしてない僕が人から悪意を向けられなきゃいけない! 全部、久我島が僕をクラス委員長なんかに推薦したからだ!」
「涼、聞いて。私は悪ふざけなんかであなたをクラス委員長に推薦したんじゃないの。私は!」
「うるさい!」
 久我島は話の途中だったが、僕は怒鳴ってその言葉を中断させた。そして、久我島の元にあった自分の鞄をひったくるように掴むと教室から退場。
 学校には部活動に勤しむ生徒の賑やかな声が響いていたが、それが僕には果てしなく耳障りだった。

次へ→

←前へ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする