空気の王に君は成れ/第9話

~学級崩壊~


 担任教諭の仕事とは、きっとガーデニングにおける不要な枝葉の剪定作業に似ているのだろう。
 必要な要素は生かし、不要な要素は取り除いていく。つまり、受け持つ生徒やクラスの良い所は褒めるなどして伸ばす。逆に悪いところは叱るなどして取り除く。
 高校生にして、そんな悟りを開いてしまったのは活オタクサミットの翌日のこと。
 今日も今日とてクラスは荒れていた。というか、元担任の大橋先生がいなくなって三日しかたっていないのに、クラスの荒れ具合は指数関数的に悪化していた。
 担任というタガを外された生徒たちは無軌道に、自由気ままに振舞い始める。特に酷いのはショートホームルームのとき。みんな始業のベルがなっても着席しない。着席しないから、出欠席を取るこっちからすればどうすればいいかわからない。
 仕方なしに久我島は、
「自分の席についてない人は欠席扱いにします」
 と恫喝。これには渋々ながらみんな一端席につかざるを得ない。
 しかし、出欠席の確認が終わるとダラダラした空気は息を吹き返す。そのダラダラ感は一限目まで尾を引く。結果として一限目の担当教諭は『弛んでいる!』とブチ切れる。
 そしてとばっちりを受けるのはクラス委員長たる僕と久我島。担当教諭の言い分では、お前たちが二年七組の元締めなんだから、お前たちがどうにかするのが道理である、とか何とか。
 僕は担当教諭にド叱られながらも、しかし内心では全く納得がいかない。
 一体僕が何をしたというのだ。騒いでいるのは僕ではない。他の連中が悪いのは明明白白。けれどもその事実を告げようものなら、担当教諭のみならず、クラス中を敵に回し局面が悪化するのは火を見るより明らか。
 高校二年生にして厄年突入って、気が早くない?
 とはいえ、僕は理不尽に教師からキレられる以外はいつもと変わりなく空気人間だった。
 一方で変化が顕著だったのは久我島だった。
 僕が停学に入る前までは休み時間になると、久我島はクラスの女子とフレンドリーに接していた。なのに、今週に入ってからというもの、彼女は休み時間に一人ぼっちだ。
 まるでクラス中の人間から避けられているようだ。
 まあ、気付いたからと言って僕にどうこうできるわけではないのだけど。
 多少の理不尽もありつつも、それでもそれ以外は安穏とした日々が過ぎるのを僕は祈っていた。
 だけど、運命の女神は相当に性格破綻者らしく、僕と久我島にハードな試練を拵えていた。
 それは本日六限目に催されるロングホームルームであった。
 本日のロングホームルームの内容は、学園祭のクラス企画についての論議。
 我が校の学園祭は、六月末に行われる。本来ならクラス委員長が決定した次の週には議論しなくては間に合わないようなスケジュール。しかし、このクラスでは大橋先生の暴走事件があり議論は凍結したまま。
 学園祭まで一カ月強。順調に議論が進んだとしても、タイトなスケジュールになるのは必至。考えただけで頭痛がしてくる。
 しかも、僕が久我島を避けまくっていたせいもあって、今日のロングホームルームにそんな話し合いをするのを知ったのは昨日。活オタクサミットの終わった後に、久我島から伝えられた。虹川会長からも、クラス企画が決まっていないクラスは二年生では七組だけだと急かされている。
 僕にどうしろと?
 僕にはこれがやりたいというアイデアやプランの類など無い。
 クラスで勝手に話し合って、勝手に適当なところに収束していってくれ。そう祈らざるを得ない。
 クラス委員長とは即ちリーダーであるが、僕には人をリードする能力なんてない。そもそもカリスマ性皆無な空気人間にどうしろというのだ。
 というわけで、僕の出した結論。今回も久我島に仕切らせて、僕は書記に徹する。いずれ渾名が『書記長』とか『総書記』になるぐらい書記を頑張ろう。その呼ばれ方だと共産主義の偉い人になってしまうが。
 そして、六限目という戦争の火蓋は切って落とされた。
 戦線はいきなり伸びきっていた。いや、兵たちの士気が壊滅状態というべきだ。
 久我島が学園祭クラス企画の意義について説明しているのに生徒は聞きやしない。
 周りの奴らと雑談に興じる奴もいれば、寝ている奴もいる。誰ひとりとして久我島の話を真剣に聞こうとしない。
 久我島に熱を上げていた男子なら聞いていてもよさそうなのに、案外そうでもない。
 これは一体どういう状況の変化だ?
 僕はその状況を、テレビモニターの向こう側の世界でも眺める面持ちで観察していた。
 もしかして、久我島風花はクラス中から嫌われている?
 でもどうして?
 僕が停学を食らう前までは、クラスメイトと仲良しだったのに。
 原因を考察して、僕の背筋が凍った。
 ひょっとして、僕のせいなのか?
 久我島は僕を助けるために全校放送を使って真実を明らかにした。でも、明かされた真実は七組メンバーによって隠蔽されていた話。
 僕を闇に葬る予定の七組メンバーからすれば、それは裏切りだ。
 軽い目眩を覚えた。僕の危機なんて放置すれば久我島はずっと安全圏に居られたのだ。なのに僕を助けたばかりにクラスでの居場所を失ってしまう。
 馬鹿な奴め。
 冷やかな侮蔑が僕の中に生まれる。同時に、そんな彼女の愚かしさが妬ましかった。
 それは僕には持ちえない煌めき。眩い限りの本当の勇気。
 彼女は戦っているのだ。世界に横溢する理不尽と。
 必死にクラスをまとめようとする久我島。対してクラスの連中は相も変わらず話を聞かない。
 一人で戦うことは愚行。そんなものは集団心理という悪意に踏みつぶされるに決まっている。全く以って賢さ皆無の愚かさだ。
 救いようがない。
 そんな彼女をどうにか救いたいと焦躁する僕も、度し難い愚者。
「皆静かにしろ! 久我島の話を聞け!」
 僕は黒板を力の限り叩き、そして声を張り上げる。
 虚をつかれた生徒たちは、静まり返る。
 気まずい沈黙が教室に沈殿する。しかし、そんなものは一瞬間の幻だ。沈殿物はすぐに対流によって濛々と撒き上がる。
「おいおい、なに熱くなってるの?」
 まず、軽薄な口調での声が上がった。声の主は猿渡亜紋。このクラスの男子を本当の意味で仕切っている男だ。
 口元には嘲りの笑みを浮かべているが、眼差しは猛禽の鋭さ。
「え、えっと、久我島さんが話してるんだから、ちゃんと聞こうよ」
 猿渡から放射される無言の圧力に押されて、僕は委縮する。頭の中では彼に対する恐怖が洪水となって溢れ、思考回路はショート寸前。だけど、僕はギリギリのところで言葉を紡いでいく。
「俺に意見するとは、お前いつからそんなに偉くなったんだ?」
「偉いとか、偉くないとかそういう問題じゃない。久我島さんが真面目に話してるんだから、真面目に聞くのは当然の話だ」
 下らない正論を、下らない手順で並べていくしかない自分が嫌になった。
 すると、別のところから声が上がった。
 それはクラスの一人の女子だった。
「だって、久我島さんは裏切り者だよ。全校放送で七組メンバーを貶めた。そんな人の話なんて聞きたくないわ」
 一人が久我島を批判すると、後は簡単に連鎖反応を誘発する。女子の方から最初の意見に賛同する声が溢れだす。それはまるで傷口からぶくぶくと湧いてくる膿のようだった。
 僕は横目でちらりと久我島を見た。俯いて、唇を噛みしめていた。
 このままではマズい。何とか、話を逸らさなくては。
「えっと、僕はみんなと喧嘩をしたいわけじゃないんだ。ただ、クラス企画を決めるにあたって皆の意見が欲しいだけなんだ」
 相手は三十人強の久我島以外のクラスメイト。僕が強気に出ていっても空威張りにしか映らない。あくまで下手に出ていく。
 するとみんなからは、
「クラスで飲食物でも販売すれば良くない?」
「えー、私は舞台発表がいい」
「俺は地味で目立たない裏方でいいや。舞台に上がるのなんて面倒臭い」
「誰か女装でもしてみれば? 受けるかもよ?」
「この辺りの歴史調査して発表でもすれば? 図書館で調べたのまとめれば良いだけだから楽じゃない?」
 などなど、意外にも皆の中にはやってみたいクラス企画像が、多少なりともあるようで意見は出てくる。
 僕は言われたものを必死になって書記する。
 問題なのは、あまりにも意見がバラバラで収束させようがない点。
 当初の目的であった久我島批判は避けられたが、今度はクラスが自分勝手な意見を言うだけの集団と化す。
 駄目だ。これは誰かが鶴の一声でも上げないとまとまらないぞ、きっと。

   ◆

 放課後の図書室には西日が差し込み、室内は橙色に染め上げられる。落日に包まれた図書館には静謐な時間が流れていた。
 本に囲まれていると落ち着く。本は情報の塊であるが、しかし物言わぬ存在である。彼らは決して押しつけがましくない。調べたいときに開いても文句を言わない実に謙虚な存在だ。
 僕は窓際の席に腰かけ、一枚の紙を一瞥する。
 今日のロングホームルームで出た意見をまとめたものだった。いや、まとめたと表現するのは御幣があるかもしれない。紙に書かれている内容は、単にみんなの好き勝手な意見を箇条書きにしただけ。情報と呼ぶにはあまりに分散が大きすぎる。
 六限目が終わってから、黒板に書いた内容を必死に複写した。複写したが、複写しただけにとどまっている。
 こんなバラバラな意見を出す連中に対してどうやってリーダーシップを発揮しろというのだ。
 僕にはカリスマ性など皆無。それは久我島の領分のはずだった。なのに久我島は現状クラスから拒絶されている。
 更に現在我がクラスは事実上の担任不在。最悪の場合に教師が独断と偏見でチョイスするなんて奥の手も封じられている。
 冗談抜きで二年七組だけクラス企画無し、なんて事態もありうる。それはそれで前代未聞だな、きっと。
 惜しむべきは絶対にその御咎めがクラス委員長が受ける点。あるいは、一時の御咎めさえ我慢すれば、クラス企画無しも楽でいいのかもしれないな。
 とか、現実からの逃避について僕が計略を練っていると、
「だーれだ?」
 僕の瞳は何者かの手によって覆われた。声は晴れ渡った青空の明るさ。黄昏色に染まる図書室にはそぐわない。
 わざわざ脳内で声の主を検索せずとも、瞬間的に答えは掬い上げられる。
「久我島さん、何の用?」
 答えると目から手がどけられる。振り返るとやはり久我島の姿。
「反応薄いなあ、もっと驚くかと思ってたんだけど」
「これでも驚いてたんだけどね。僕にリアクション芸人的な要素を求めるのがそもそもの間違いだよ」
「じゃあ、冷めたおでんをさも熱そうに頬張るなんてできないんだ」
 久我島は冗談めかして言いながら、僕から九十度ずれた席に座る。
「それで何の用? というか、よく僕が図書室にいるってわかったね」
「私が図書館に来たのはたまたまだよ。考え事があるとよく来るんだ。そしたら涼がいたの。ところでこれってもしかして、今日の六限目に出た意見?」
 久我島は机の上に置かれた紙に目を通す。
「そうだよ」
「今日はありがとうね」
 ぽつり、と久我島は消え入りそうな声で告げる。
「お礼なんていらないよ。僕はみんが好き勝手言った内容を黒板やら紙やらに書いただけだし」
「そうじゃない。確かにそれも助かったけど、私が言ってるのは私がクラスの女の子から責められてるところで話題転換してくれたこと。それに怒鳴って雑談を黙らせてくれたのも嬉しかった」
「そんなこともあったね」
 僕としては考えなしに突き進んだだけだ。けど、久我島がお礼を言ってくるなら素直に受け取っておこう。
「あのときは世界に一人ぼっちになったみたいで心細くて、潰れてしまいそうだった。本当は泣いてしまいそうだったけど、涼のおかげで泣かないで済んだ。だから、もう一度言うよ、ありがとう」
 黄昏れる室内に、久我島の朗らかな言葉が染みわたる。
 だけど、そんな彼女の明るさが、僕には切なかった。
「泣きたいなら、泣けばよかったじゃないか。我慢なんてしないで、泣いた方が楽なときだってある」
「そうかもしれないね。でも、私は笑っていたいんだ。辛い時でも笑っていて、みんなを勇気づける存在でありたい。といっても、クラスの人からは嫌われちゃったけどね」
 だけど、久我島の目じりが潤んでいるのを僕は見逃さなかった。
「あ、あれおかしいな。ごめん、涼。今だけは私を見ないで」
 久我島の瞳から零れ落ちる一筋の涙。久我島は大慌てで、手で目をこする。
 久我島に言われた通り、僕は彼女から目を背けることしかできなかった。
 こんなとき、どんな言葉をかければいいというのだ。
 彼女は自身に泣くのを禁止しているが、そんなルール馬鹿馬鹿しい。
「ご、ごめんね。私ちょっと用事思い出したから帰るね」
「気をつけて」
 去りゆく久我島に優しい言葉一つ掛けられない。
 意気地なしの僕と、意地っ張りな久我島。どっちもタチが悪い。
 どうして、みんなが幸せになる方法がこの世界には存在しない?
 崩壊したクラス。泣きだす久我島。無力な僕。何もかもが気に食わない。

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