空気の王に君は成れ/第10話

~空気の王~


 涙は女の武器という至言が脳内で明滅する。図書室での久我島の涙は、少なからず僕を動揺させた。
 僕の胸に宿った久我島を泣かせたくないという想い。参ったな。僕は完全に久我島に参ってしまっている。
 実は久我島の涙は嘘泣きで、僕は彼女の術数にまんまと引っかかっただけ――人間不信を全開にして吟味すれば、その可能性も捨てきれない。さりとて、賢しげに懐疑論者になったところで問題が解決するわけでもない。
 クラスをまとめないと、そのとばっちりが僕に優先的に飛んでくる。なのに、僕には肝心のリーダーの資質がない。友達がいないので相談する相手もいない。
 そうなってくると、もう本かネットで調べるくらいしか僕にはアイデアが出てこない。
 現在僕は、学校最寄り駅近くの本屋にいた。学校の図書室ではめぼしい本を見つけられなかったからやってきた。他にもネット検索という手段もあったが、いかんせんネットは情報が玉石混合すぎる。
 本屋を探すとリーダーになるためのハウトゥ本がゴマンとあった。ビジネス関連の書籍が主だった。考えてみれば社内での地位が向上するということは何かしらのリーダーであるということ。経営者は言うに及ばず、中間管理職だってリーダーといえる。
 残念なのはリーダー養成本の中に学級運営について書かれたものが見つけられない点。それはビジネスというよりは、教育関連の書籍かな? でも、その中に正しいクラス委員長のあり方なんて本はないだろうな。
「困ったときにまず調べ物から始めて、安心が得られるまで行動に移れないのが君の悪い癖。自分でそうは思わないかい、多々良君?」
 背後からいきなり予言めいた言葉と、僕の名前が投げかけられて慌てて振り返る。
 確かに僕は勉強であろうと実生活に関わることであろうと、困ったら実際に行動するより先に調べ物から始める。それ自体は誇るべき長所だと自分では思っている。しかし、そのまま調べることが目的になってしまい、結局行動に移せないなんて経験はざらにある。
 でも、それをいきなり看破されると身構えるしかない。
「水鏡さん、なぜそれを?」
 そこにいたのは、特徴がないことが特徴であるというある意味で哲学的な青年、各務原水鏡だった。今日は僕の高校の制服は着用しておらず、彼の在籍する知波大付属高校のブレザーを纏っていた。
「ただの趣味の応用だよ」
「趣味って、小説の執筆ですか?」
「どっちかっていうと、それをするための人間観察と性格分析だね。それにしても、僕を『文芸部長』ではなく、名前の方で呼ぶ人は少数派だからとても新鮮だ。他には精々虹川さんくらい?」
 妙なところで感激していた。よくわからん人だ。平均的な見た目とは裏腹に中身の方は突き抜けた人なのかもしれない。
「こんなところで立ち話ものなんだから、あちらで話合おう。リーダーについての悩みがあるんだったら、多少は力になれると思うよ。一応これでも一つの部活動の長なわけだし」
 水鏡さんの向いた方向にはコーヒーショップ。この書店にはコーヒーショップが併設されており、客は買おうか悩んでいる本を、コーヒーを飲みながらゆっくりと吟味できるのだ。
 水鏡さんに誘われるがまま、僕らはコーヒーショップへと移動。
 それぞれが好みのコーヒーを購入すると、窓際の席に付く。
「ところで水鏡さんは、どうして僕がリーダーについて悩みを持っているとわかったんです?」
「だって君、ずっとリーダー関連の本の背表紙を眺めていたじゃないか」
「まるで僕の視線の先にあるものが何なのかわかるみたいな言い方ですね」
「僕には相手が注意している対象がわかるんだ。各務原家は家庭環境が複雑でね。色々あってそういう特技が身についていた。自分ではこの力を【ロスト・ワン】と呼んでいるけど、虹川さんからは『厨二病、乙』と一蹴された」
 屈託ない苦笑の水鏡さんは楽しそうだ。
「そんな特技があるなら、だったら逆に相手が注意してない死角に移動すれば、その相手に気付かれないで接近できますね」
 僕は半ば冗談として言ってから、言葉の意味を再検討する。相手に気付かれずに接近できるって、それじゃあまるで……。
「お見事。君は実に鋭い。僕は相手の注意の隙を縫って、まるで自分が空気であるかのように振舞える。だから僕には【姿なき徘徊】という二つ名がある。なんなら【姿なき徘徊】に【ロスト・ワン】というルビを振ってもいいくらいだね。でも、これだとまた虹川さんに厨二病と揶揄されるかな」
 拍手交じりに賞賛してくる。
 この人、話せば話すほどに奇人度が上がってくる。
「まさか水鏡さん、挙句の果てに『自分は魔法使いだ』とか言わんでしょうね」
「さあね。じゃあ、今度はこちらから質問だ。どうして君はリーダーについての悩みを?」
「そこら辺は質問しないとわからないんですか?」
「僕は相手が注意しているものに目敏いだけで、読心術の心得はないからね」
 僕は一口コーヒーを口に含む。この人に、どこまで喋って良いものなのだろうか。
 変な人ではある。しかし、見ず知らずの僕を助けるために他校に侵入するほどにはお人良し。
 ええい、どうせ相談できる相手はいないんだ。
 意を決して僕は水鏡さんに打ち明ける。
 クラスが担任不在でクラス委員長が取りまとめ役になったこと。久我島がクラスの女子から白い目で見られていること。そして、図書室で見せた涙のこと。
 水鏡さんは、僕が喋っている最中は、質問は最低限に、頷きは最大限に傾聴してくれた。
 全てを説明し終えて、そして僕は胸の内を吐露する。
「僕はリーダーなんてやりたくなかった。僕はリーダーには向いていない」
「じゃあ、久我島さんを助けたいとは思わないのかい?」
 柔らかい声で、水鏡さんは訊いてくる。その声は優しく、逆に叱責されるより辛い。
「助けたいです。でも、僕にはリーダーの資質がない。だって僕は空気人間なんだから」
 自分の言葉が深く胸に突き刺さる。そうだ、僕は空気だ。僕は空気になりたかったのに、どうしてこんな事態になっているんだ。
 久我島の助けになりたいけど、空気にはそれは無理な相談。絶望的な結論だ。
「僕も文芸部長になったときは、似たような気分だったよ。僕は元々部員不足で仕方なく文芸部長になったんだ。本当はリーダーなんかじゃなく、観察者とか傍観者になりたかった」
 彼の告白が僕には意外だった。
「でも、水鏡さんは文芸部長を務めている。新聞を発行できたりするからには、それなりにちゃんとした部なんでしょう? どうやって部をまとめたんですか?」
 これに水鏡さんは、
「僕は今でも目立たない存在に、君の言葉を借りれば空気になりたいと考えているよ。だから、空気を目指してリーダーを頑張っているんだ」
 水鏡さんが言う内容が、僕には意味不明だ。
 訝る僕を察して水鏡さんは言葉を続ける。
「多々良君は、最も優れたリーダーってどんな人だと思う?」
「どんなって、阿呆みたいにカリスマがあって、皆から愛されるような存在ですかね」
 自分では一般的な解答を述べたつもりだった。
「普通の人が犯しがちな誤りだ」
 しかし、水鏡さんの辛口評価。
「だったら、どんな人だって言うんです?」
「最も優れたリーダーはね、言ってみれば空気みたいな存在だよ」
 水鏡さんの言葉は奇奇怪怪。
「空気みたいな存在なら、そもそもリーダーと呼べないのでは? 相手に歯牙にも掛けられないようではリーダーとは言えない」
「そうだね。そういう一面もある」
 僕の反論に、水鏡さんは反論を返さない。それどころが肯定してしまう。これでは彼の言っている内容が矛盾してしまう。
 困惑していると、水鏡さんは諭すように語り出す。
「昔々、はるか古代の中国にそれはそれは素晴らしい国がありました。その国はとてもよく治められていました。その国の民は皆が幸せそうに活き活きと生活していました。その国に一人の旅人がやってきました。その旅人は、このような国を治める王ならばさぞ立派な人物に違いないと思い、街行く人にどんな人物なのかと尋ねました。――さて、ここで問題。尋ねられたその国の民は王様をどのように評したでしょう?」
 水鏡さんの設問に、僕は虚をつかれる。いきなりクイズを出されるとは思っていなかった。
「みんなに愛される素晴らしい王様、ですか?」
 回答に自信はない。そんなありきたりな答えだったらそもそも問題にしたりはしないだろう。
「ハズレだよ」
 案の定の判定。
「だったら、どんな評価だったんです?」
「答えは『どんな人なのか、私たち庶民は知らない』だよ」
 予想外の解答に、僕は面くらってしまう。
 目を全力で瞬かせる僕の反応に満足したのか、水鏡さんは揚々と解説する。
「要するにね、あまりに素晴らしい国だから、民は王に不満を持っていないわけだよ。王に不満がないからわざわざ王がどんな人なのか知る必要がない。民はみんな、素晴らしい人が上に立って何かしらの政治をしているけど素晴らしい政治なら気にしなくていいや、ということなんだ。あるいはこの逆の場合を考えてみればわかりやすいかな。例えば、日本の総理大臣がとんでもなくダメな政治家だったとする。するとその人はひっきりなしにマスコミに叩かれる。四六時中マスコミにボロカスに言われるから、逆にどんな奴が総理大臣なのかという認知度は上がる。勿論、悪評と言う形だけどね。だから、僕はこう思うんだ。本当に優れたリーダーは、下々の者には気にされないような空気みたいな人間であると」
「それは一理ありますね」
「そもそも、わざわざ国民に愛されたり、あるいは恐れられたりしなければ統治できない王では二流だよ。一流のリーダーは万人を幸せにするシステム作りに長けているものだ。だから、僕は空気の王になりたい。各務原水鏡という人間がいなければ文芸部がなりたちません、ではダメなんだ。僕が目指している文芸部とは、僕がいなくても部員たち一人一人の力で回していける文芸部だ。だから僕は、いつか空気になる為に粉骨砕身している」
 水鏡さんの語り口は熱かった。冷静さの中に確かな情熱がある。それはまるで完全燃焼している青い炎。彼の放つ熱量は僕にも伝播してくる。
「いいですね、空気の王。僕も目指したいです」
「目指せば良い。空気の王に君は成れ、なんてね。それに君の場合は最高のパートナーがいるようだしね」
「それって久我島さんのことですか?」
「いかにも。僕は活オタクサミットのときに一度会っただけだけど、彼女の人柄が理解できた。彼女は人の役に立ちたがっている。多分、それが彼女にとっての生きがいなんじゃないかな。だから、リスクがあっても放送室を占拠して君を助けようと担任教師を告発した。それにメイド服なんていう虹川さんの趣味に巻き込まれても楽しそうに振舞っていた」
「本当に他人をよく見てますね」
 恐ろしい観察力だ。この人、平凡そうな外見とは裏腹に、この界隈で一二を争う敵に回しちゃいけない人かもしれない。
「人間観察力は物書きの生命線だからね。それはともかく、久我島さんは人の役に立ちたがっている。それはきっと囚われといっても良いくらいに。ならば君がやるべきは、彼女を生かすシステムを作ることだ。彼女を生かし、そしてクラスの子たちを生かす。そういう空気人間の在り方もあるはずだ」

次へ→

←前へ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする