空気の王に君は成れ/第15話

~過去~


 そして、室内からは完全に歌が途切れた。彼女の独白は、防音処理の施された室内の壁を透過することなく、反射し宙を舞う。
「私は中学三年生のときに地元の中学で生徒会長を務めていた」
 彼女の告白は、別に驚くには値しなかった。久我島の活発な性格だ。別に生徒会長を務めた経験があったとしても何ら不思議ではない。
「それと、これとどういう関係が?」
「大有りだよ。私は生徒会長だったから、違う中学の生徒だった涼と出会えた。涼もアナタの中学の生徒会長を務めた経験がある――これは間違いないよね」
 久我島の確認に僕は絶句。
 そう、僕は彼女の指摘通り、中学三年生のときに通っている学校の生徒会長だった。それは僕が一番消してしまいたい過去の過ち。同じ失敗を二度と繰り返さないために、僕は高校では空気人間になる道を選んだ。
 しかし何故、久我島が僕の過去を知っている?
 同じ中学だった奴なら、まあ知っていても不思議ではない。あるいは僕が辣腕生徒会長だったというなら、他校にその噂が知れ渡るなんて話もありえた。だが、あいにく僕は凡庸な生徒会長だった。
 だとしたら、彼女はどこで僕を知った。いや、そもそも彼女は『出会った』と口にした。他校の生徒会長と出会う機会など……あった。
 すっかり失念していた。
 僕の通っていた学校のある市では、夏休み前になると交流会という行事が催される。この交流会では市内の中学校の生徒会役員の代表が一同に集って、合宿形式の討論会を行う。
 僕はその交流会に参加していた。
「もしかして君も、交流会に参加していたの?」
「もしかしなくても、そうだよ。私はそこで涼と出会ったんだ。本当に忘れてたんだね」
「ごめん」
 謝罪するしかない僕。言い訳を言えば、あの当時、僕は生徒会長として大きな悩みを抱えていて交流会自体がどんな内容だったか覚えていない。
「じゃあ、一日目の夜中に廊下で一人の女の子が泣いてたのも覚えてない?」
 一日目の夜? 泣いている女の子?
 僕は必死になって記憶の再生に努める。
「思い出した。確かにそんな子いた。ん? でもそれってもしかして……」
 確証の持てない僕に、久我島は言うのだ。
「その女の子は私だよ。そして、そんな私に涼は優しく言葉を掛けてくれた」
 そうか、あのときの少女は久我島だったのか。
 あれは討論会一日目。
 その日の議論はヒートアップした。盛り上がる分には大いに結構なのだが、その盛り上がり方は誹謗中傷合戦という様相を呈していた。そうなった理由は、とある中学の生徒会長が一方的に意見を押し付けてきて、他の連中が反発したため。
 その一方的に意見を押し付けた生徒会長は、最終的には議場の全員を敵に回す。いたたまれなくなったその生徒会長は議場となっている教室から泣きながら逃亡。それが久我島だった。
 なんていうことだ。そんな劇的な事件があったのに彼女の名前を忘れていたなんて。
 逃げ出した生徒会長を僕は追った。議論なんて二の次にして。
 そして、僕は彼女を見つけ慰めた。
「あのとき、涼が私を見つけてくれて、慰めてくれたから今の私はいるの。そのときの言葉を覚えている?」
 僕には答えられない。内容を忘れてしまったからではなく、今の僕にはその言葉を言う資格がないからだ。
「リーダーに必要な条件は、ちゃんと人の話を聞くことだ。一人で突っ走ったら独裁者と変わらない――涼はそうやって私の身勝手を叱ってくれたんだよ。それから私は反省して、人の意見を賛否両論聞くようにした。涼の言ったことはその通りだった。そうすることでバラバラだった生徒会を私はまとめることができたの」
 久我島の言葉が、笑顔が、僕の胸に重くのしかかってくる。
 そして、久我島は続ける。
「だからね、今年涼と同じクラスになれて嬉しかったの。私はずっと思っていた。私はあのときに私にアドバイスをくれた人と、何か仕事をしてみたいって。だから、私は涼をクラス委員長に推薦したの。もっとも、あのときは興奮してて、手段を選ばずみたいな形になっちゃったけど」
 結局は自分で撒いた種だったんだ。
 僕は中学のときに自分ではできもしないアドバイスを久我島にした。それを真に受けた久我島が僕をクラス委員長に引きずり込んだ。
 自業自得。
 因果応報。
 運命のしっぺ返しに深々とため息をつくしかなかった。
「違うんだ、久我島さん。僕は君が思っているほどに立派な人間じゃない。むしろ最低の人間なんだ。最低の生徒会長だった。だから、お礼なんて言わないでくれ」
 頭を抱えて、髪をクシャクシャと掻き毟る。
 久我島の陽光の言葉が、僕を焼き、苦しめる。
 僕は恐る恐る、言葉を紡いでいく。
「久我島さんの僕への感謝は勘違いなんだ。僕は自分ではできもしない理想論を君に押し付けたゴミなんだ。そんなゴミに感謝するのは間違ってる」
「涼はゴミなんかじゃない!」
 絶叫が室内に木霊する。
「久我島さん……」
「どうして涼は、そんなに自分を責め続けるの? 仮に私の感謝が勘違いだったとしても、そんなの私は構わない。私は涼のアドバイスのおかげで生徒会の仕事を完遂できた。だから、自分をゴミなんていわないでよ」
 久我島の瞳から涙が零れ落ちた。
 いつぞやみたいな、笑いながらの涙ではなかった。彼女は完全に泣き顔になっていた。感情を押し隠そうともせずに、子供みたいに泣きじゃくっていた。
 彼女の滂沱に、僕の自責の念は激しく増していく。
 こんなことで彼女を泣かせてしまうなんて。
 もう、久我島を泣かせないと誓ったはずなのに。
 なんて僕は脆弱な人間なんだ。
 自己嫌悪は、更なる自己嫌悪を誘発し、僕の思考は悲劇的思考の螺旋に囚われる。
 僕は久我島に掛けるべき言葉を見つけられない。謝ればすむ問題だろうか。しかし、仮に謝っても僕は自分を責めることを止められない。否、止めてはならないのだ。
「ねえ久我島さん、もう帰ろう。これ以上、一緒にいてもお互い辛くなるだけだ」
 僕が吐き出したのは逃げ口上。これ以上話し合っても実りのある結論に達するとはどうしても考えがたい。
 混沌の渦へ、深く、ただ深く僕たちは囚われていた。

   ◆

 カラオケ店を出ると、僕と久我島は別れた。
 僕は他に用事があるからと言い、久我島を一人で帰らせた。けれど、本当は用事なんてない。久我島と一緒にいることが辛かっただけだ。ありもしない用事についてこようとしなかったあたり、久我島は僕の嘘など見抜いていたのかもしれない。
 久我島が去っていく方向とは反対に、僕は歩きだした。
 目的地なんてない。ただの惨めったらしい彷徨。
 彼女と駅で鉢合わせい程度には時間をつぶさないといけない。
 映画でも観ようかと思ったが、財布の中身と相談して却下。
 結局ゲーセンのベンチで、僕はただ茫然と過ごしていた。
 賑やかな人の流れを一人で眺めるのは、一人で部屋に籠っているよりも孤独感を抱かせる。いつもなら孤独感など微塵も気にならなかった。むしろ、その場における空気であることが気楽ですらあった。
 なのに今は只管に虚しい。
 胸にぽっかりと穴が空いたような、身体の半分を失ってしまったような、そんな空虚さが僕を苛む。
 自分から付き離した癖に、久我島と一緒にいたかった。久我島の声を聞きたかった。久我島の笑顔を見たかった。
 なんて、自分勝手。
「ははは……」
 自嘲は、ゲームセンターの喧騒にかき消される……はずだった。
「何が可笑しいのかしら?」
 予想だにしない背後からの声。声は氷点下の冷たさ。僕の背筋は凍りつく。
 慌てて振りかえると、声の主は確かにそこにいた。
 最初は幻影かと目を疑った。夢か現かの区別がつかないまでに、僕は混乱していた。
 その人物は、一言で言って毒々しかった。
 血のような深紅色の髪を肩まで伸ばした少女。切れ長の目の下にはクマが出来ていてお世辞にも健康的な印象を抱かせない。
 背は高くない。精々百五十センチに届くか届かないかくらい。なのに僕は彼女から見下されているかのような印象を受けた。
 事実その少女は、まるでゴキブリを睨みつけるごとき視線で僕を突き刺していた。
「赤沢?」
 呼吸さえも止まりそうな緊張感を内包しながらも、僕は彼女の名前を口にした。
 赤沢蛍(あかざわほたる)。
 それが彼女の名前。
 僕が最も再会を恐れた少女。
「ハロハロ~。超お久しぶり。元気だった?」
 赤沢の物言いは軽く陽気なのに、目は全然笑っていない。
「うん、まあ……」
 言葉に詰まった僕は、そんな返答しかできない。
「へえ、元気だったんだ。すごーい残念。私はいつだって涼を呪っていたよ」
 赤沢の言い分には容赦がない。ブラックジョークとかではなく、本気で僕を憎んでいるような口ぶり。
 僕には返す言葉が見つからない。否、彼女に言うべきことは膨大にあるのに、膨大すぎて何から言えばいいのかわからない。
「私が中学を不登校になって以来だから、もう二年ぶり?」
 不登校という単語に、僕の心がぐらつく。
 そう、赤沢蛍は中学の三年半ばから不登校だった。
 その原因は僕にある。
 赤沢自身、それが僕にとってのアキレス腱であるのを知った上で言ったのだろう。嗜虐的な笑みを顔に張り付けている。
 尚も言葉を詰まらせる僕。吐き気すら催すくらいだった。
「これもまたシカト? だったら質問を変更。さっきまで一緒だった可愛い女の子はダーレー?」
 脳天を横殴りにされた気分だった。
 大慌てで取り繕う言葉を探すが、そんな都合の良いものはなかった。
 僕はただ酸欠間際の金魚みたく、口をパクパクさせるだけ。
「キャハハハハ。凄い慌てっぷりだね。超楽しい。そっかそっか、あの人は涼にとってとても大事な人なんだ。ていうかカノジョ? 凄いねえ涼は。中学時代に私にあれだけの仕打ちをしておいて、自分はカノジョを作って幸せ者ですって」
 赤沢は壮絶な勘違いをしていた。
「違う。あの子は僕のカノジョじゃない」
「嘘は駄目よ。だって涼ったら、昼間、彼女と楽しそうにここでゲームしてたじゃない。それに映画を観たり、挙句二人きりでカラオケ。なになに、個室でどんなことしてたの?」
 卒倒しそうになった。
 どうやら赤沢には、今日の僕らの行動が筒抜けだったらしい。
「ああ、ちなみに勘違いしないでね。別に私はアンタらに興味なんてなかったんだけど、ツレの連中が、アナタの御連れ様に興味津々だったのよ。もう盛った男どもが久我島さんに夢中過ぎてうざかったわ。マジでぶっ殺したいわ」
 久我島の名前まで知ってるのか、こいつは。
「久我島は僕とは無関係だ。アイツに手出しをするな」
 何の考えもなく、僕は叫んでいた。
「命令? アンタ何様? っていうか、そんな言い方されると、逆に久我島さんをイジメたくなっちゃうわ~」
 しかし、僕の嘆願は火に油を注いでしまった。
「いいわ、いいわ、超ノッてきたわ。ねえ、涼。あそこにいるガンシューティングしてる連中が目にはるかしら?」
 赤沢に促された方向に僕は視線を滑らせた。
 そこには御世辞にもガラが良いとは言えない男どもが集まっていた。総勢で五名ほど。
「あの人たちが、今の私のお友達。とっても品が無さそうでしょう? 事実、アイツらはとっても鬼畜なの。そんな連中に久我島さんが目を付けられたら、それはそれは大変でしょうね。ねえ涼。中学ではマジメで大人しかったグズみたいな私が、どうやったらあんな奴らのお友達になれると思う?」
「ちょっと想像し難いな」
「散々に体中の、それこそ穴という穴を嬲られればお友達になれるわよ」
 赤沢の壊れた笑顔に、僕は目眩がした。
「赤沢……君は……」
「そうよ、私は堕ちるところまで堕ちゃった。出会いは夜の街。私は優しく声をかけてくれたオニイサンたちにホイホイついていって、パクリと食べられちゃいました。でもね、私にはそれがチャンスだと思ったの。だってそうでしょう? 私はあの連中に身体を提供できる。だから、その見返りに私を仲間にしてくれないかと頼んだの。そしたら、あの男たちは鼻の下を伸ばしてOKしてくれたわ。男なんてみんな野獣で、ちょっと欲望のはけ口を与えたら素直に従ってくれるの。本当に馬鹿みたいよね」
 僕と同い年の少女から吐きだされる、壮絶な猛毒。
「お前の目的は何だ?」
 恐慌状態に陥りながらも、僕は問う。
「私の望みは只一つ。涼、アナタをどん底に突き落とすことよ。でも、どうせやるならアナタが幸せの絶頂にあるときが良い。そんな中で、今日アナタを見つけられたのはとてもラッキーだったわ。久我島さんとの蜜月をどうやってぶっ壊してやろうかしら」
 今一度、やめてくれと訴えようとも考えた。しかし、それは先の反応からもわかるように逆効果。
 だったら――
「やるならやればいい。久我島がどうなろうと、僕には無関係だ。むしろ、僕を狙わないでいてくれるなら大助かりだ」
 賭けだった。あえて久我島を見捨てるような発言をして、逆に久我島から興味を逸らそうという稚拙な作戦。
「ふーん、それは本心なのかしら。まあいいわ。そこら辺は要検討としましょう。じゃあ、今日はとりあえずバイバイ。あっ! でも、その前に一つ言っとかなきゃ。ねえ、涼。私には心からのお願いアナタにあるの」
 そこまで言って赤沢の顔から表情が消失。そこには能面みたいなのっぺりとした顔があるだけだった。
 まるで、のっぺらぼうのような少女が、純粋に、ただひたすらに純粋な呪詛を紡ぎあげる。
「早く死にやがれ。このクソゴミ野郎」

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