空気の王に君は成れ/第17話

~掌からこぼれおちて~


 教師の手によって救急車が呼ばれ、久我島と大橋先生は病院に運ばれていった。
 本当は、すぐに久我島が運ばれた病院に僕たちクラスメイトも急行したかった。しかし、それを阻んだのは救急車と一緒にやってきた刑事たち。
 この事件は、すでに刑事事件と化していた。
 当たり前だ。立てこもり犯が現れたのみならず、犠牲者が救急車で運ばれている。流石にここまでくると学校側も隠蔽は不可能だ。
 刑事による事情聴取は、大橋先生の元教え子であり、立てこもりが起きた教室の生徒である二年七組メンバー全員に対して行われた。
 警察としては、大橋先生による単独の行動であると判断しているらしい。しかし、一応、彼を手引きしたものがいないかを確認したかったらしい。
 事情聴取は一人五分から十分くらいの長さだった。しかし僕に対してはたっぷり三十分くらいの時間をかけて行われた。
 大橋先生は僕に対しての恨みを持っているのではないか、という話をした刑事にした奴がいたようだ。面倒臭いから隠しておいて欲しかったが、どうやら事情聴取というプレッシャーに耐えきれず吐いてしまった奴がいたようだ。
 しかたなく、過去に大橋先生が久我島を絞め殺そうとした際に、椅子でブン殴った件について自供した。
 もしかしたら傷害罪に問われるか、と怯えていた。しかし警察側は、殺人に及ぼうとしていた犯人を止めるためのやむえない行動と判断。僕は刑事事件の被疑者として捕まるでもなく、晴れて無罪放免となった。
 警察の事情聴取が終わり、解放が宣言されると、二年七組メンバーは久我島が運ばれた病院へと移動した。
 病院は学校から徒歩十五分程の場所にある。自転車通学の奴は先遣隊として自転車にて移動。その他の連中は徒歩で移動。
 病院まであと五分の所をあるいていると、自転車部隊の一人から僕のケータイに電話が掛かってくる。
『もしもし、多々良か? ヤベエよ。久我島さん、命は取り留めたけど、意識不明の重大だって』
「な……」
 僕は歩みを止めてしまった。
 そんな……。
 四階から転落して一命を取り留めたのは奇跡といってもいいだろう。しかし、意識不明の重体……。
 呆然とする僕に、一緒に歩いていた連中も足を止める。
「何があった? まさか久我島の奴、もう……」
 猿渡が詰め寄ってきた。
「馬鹿な! 久我島さんはちゃんと生きている。けど、意識不明の重体で……」
 僕の言葉に、その場にいた皆が息を飲む
「どういうことだ?」
 猿渡の更なる追及。しかし、僕は首を横に振るしかできない。
「わからない。病院に急ごう」
 僕は再び歩き出す。久我島の元へ。
 普段は神様なんて信じていなかったが、この時ばかりは神に祈らざるを得なかった。
 どうか、久我島を連れていかないでくれ。
 もしも、久我島を連れ去るようなことがあれば、神様、アンタは最低のクソッタレだ。

   ◆

 意識不明の重体である久我島は、集中治療室に運ばれていて、面会は叶わなかった。
 けれど僕たちは待った。
 久我島の意識が回復するのを信じない奴は、僕のクラスには存在しなかった。
 本当はみんな久我島が目覚めるまで待っていたかったんだと思う。けれど、久我島の親御さんから帰宅するように指示された。
 大橋先生の立てこもり事件は、すでにテレビで報道されているらしい。そんな日に子どもが帰宅しなかったら心配しない親はいない、と久我島の親御さんは言っていた。
 渋々ながら僕たちは帰宅の途についた。
 もしも、久我島が目を覚ましたら、久我島の親御さんからメールが来ることになっていた。
 けれど、吉報などもたらされないまま、夜は明けた。
 僕は一睡もできなかった。出来るはずもない。
 一晩中、彼女の無事を祈らずにはいられなかった。
 そして、その日に二年七組の教室に一番乗りしたのは僕だった。
 夜が明けて、日が高くなるにつれ、徹夜の副作用は出始める。
 段々と、段々と眠くなる。
 けど、あんなことがあった次の日だからこそ、僕は登校したかった。
 教室に入った僕は茫然と、ズタズタにされた学園祭のための準備を眺めた。
 痛ましい傷跡が昨日の出来事が現実にあったことだと雄弁すぎるほどに語る。
 時間が経つにつれ、教室に続々とクラスメイトがやってくる。
 あんなことがあった次の日だというのに、一人として欠けずにやって来た。
 そして、一人。うちのクラスには直接関係ない人物も入室してきた。
「失礼するよ」
 虹川会長だった。彼女は厳粛な面持ちで教卓の前に立った。
 教室の一同のざわめきを、虹川会長は全く無視し、口を開く。
「現在、このクラスのメンバーは全員そろっているかね?」
 まずは僕への質問。「はい」と端的に答えるにとどめる。彼女がここに来た理由はあえて問わない。
「では、諸君らには決断をしてもらう。すなわち、学園祭のクラス企画をするか、しないかをだ」
 彼女の言葉には遊びが一切含まれていなかった。零か百か、白か黒かをはっきりさせんとする峻険な物言いは、まるで法廷の長だった。
 それは僕も決断しなければならないと考えていた案件だった。
 僕としてはみんなの様子を見て、話せそうな雰囲気だったら話す、という計画だった。
 なのに、虹川会長はいきなり話の肝を爆撃してきた。
 僕は計画の破綻について、ピンチとチャンスを同時に感じていた。
 ピンチなのは言うに及ばず。しかし、僕の計画では話すかどうかの判断基準は『皆の雰囲気』という極めて曖昧なもの。
 極端な言い方をすれば、僕が臆病風に吹かれれば『なんとなく』雰囲気が悪いと決めつけて、話をダラダラと先送りする可能性すらあった。
 だけど、虹川会長が来たせいで、それはもう不可能になった。
 図らずも、僕がみんなと議論し決断すべき案件を、虹川先輩が提示。心が軽くなったような、重くなったような複雑な心境。
「昨日の一件は私なりに知っているつもりだ。あのような痛ましい事件が起きた翌日に、このような話をするのは残酷であるとは重々承知している。しかし、学園祭までは残り一週間。生徒会長として、二年七組がクラス企画を続行するか中止するのか、その総意を聞きたくやってきた」
「あんな事件があっても、学園祭をやるんですか?」
 僕の素朴な疑問。既に新聞やニュースでも報じられるような事件が起きて尚、この人は学園祭を取り行おうというのか。
「我々、生徒会サイドは学校側に学園祭を行うように要求している。失礼な言い方かもしれないが、高々嫉妬に狂った教師崩れが暴れただけで学園祭を中止してしまって、これまで準備を行ってきた全校生徒諸君に示しがつかない」
「では、僕たちに参加の是非を決めさせる理由は何です? 極端なことを言えばアナタは、このクラスで問題が起きたから、このクラスには参加を控えてもらいたいとも言えるはずです」
「教師サイドでは、そういう意見も出ているようだがね。しかし、私は教師サイドに徹底的に逆らうよ。これは生徒自治の問題だ。教師側に言われたから諦めます、では困るのだよ。仮に学園祭への参加を中止するせよ、二年七組の意見として表明してもらいたい」
 残酷なまでに真っ直ぐに、虹川会長は言う。
 酷薄な支配者に、しかし僕が質問したのは至極現実的な要件だった。
「具体的には、いつまでに決定すればいいんですか?」
 これに虹川会長は、
「金曜日の放課後までとする。それまでに返答がない場合は、その沈黙も以って参加中止であると判断する。私から言いたいのは以上だ」
 そして、虹川先輩は去っていく。
 僕はクラスメイトの様子を一瞥。
 雑談すらない。残されてのは、圧倒的なまでの沈黙。
 僕はどう声をかけるべきか考えあぐねた。
 単純にクラス企画をするべきか否か、多数決で決めていいものだろうか。それとも、一通り
の意見を出してもらい、議論すべきだろうか。
「なあ、多々良――」
 ところが、最初に発言したのは、僕ではなかった。
 猿渡だった。
「何?」
 僕は一瞬だけ、妙案でもあるのだろうかと期待した。
 しかし、それは間違いだった。
「昨日、大橋のヤローが言ってた話は本当か? つまりお前が中学時代に生徒会長で、生徒会をまとめるために、その中の一人を生贄にしたってのは?」
 それは予想だにしない話だった。いや、無意識的にそうならないことを祈っていただけというべきか……。
「それは……」
 やましさから、僕は言い淀む。
「どっちなんだ?」
 しかし、恫喝に近い猿渡の追及。
「……本当だよ。僕は中学時代に大橋先生の言っていたような手段を使った」
 そして、その犠牲者は赤沢蛍。
「どうして、そもそも中学のときに生徒会長をやろうと思ったんだ? なんつーか、そういうのってお前のキャラじゃないみたいなんだけど」
 ノーコメントを貫くべきだったかもしれない。けど、僕はクラスメイトに生徒会長に立候補した理由を話すことにした。
 自己評価するにしても最低の理由だった。そんな理由をわざわざ口にしたのは、僕はもう疲れてしまっていたからだ。
 ここで懺悔すれば、少しは楽になれるかもしれないと、僕は卑劣な考えに及んでいた。
「僕にはね、とても優秀な兄がいるんだ。両親は昔から、その兄にばかり期待して、僕には目を向けようとしなかった。だから、僕は見返したかったんだ。生徒会長になって、僕が有能であるところをアピールしたかった。でも、なってみて結果は違った。僕は、生徒会を空中分解させて、挙句、保身のために一人の生贄を作った。一人の嫌われ者をつくって、彼女を痛ぶることで何とか生徒会の面々の心を繋ぎとめたんだ」
 何とも救いようのない話だ。
 案の定、猿渡は、
「最低だな、テメー」
 侮蔑混じりに言ってきた。
「……」
 僕は黙って彼の言葉を受け入れる。
「これまでクラス委員長をやってたのも、自分の親へのアピールのためかよ。俺たちはお前の甘えのための道具だったて言うのか? ああん?」
 彼の極寒の憤怒は、僕の身を切る。
 彼の断罪には反論の余地がない。
 心が引きちぎられるほどに痛いのに、涙すら出てこない。
 もう、何かを考えるのも、何かを感じるのも、心が拒否し始めていた。
 そんな負け犬に猿渡はトドメを刺してくる。
「もうやめようぜ。反吐が出る。考え方も心意気も中途半端な奴に、クラスを仕切られたらこっちが迷惑だ。それに、久我島が昏睡状態で、俺たちだけ大騒ぎするわけにもいかない。だから、クラス企画は中止だ」
 そして、猿渡は言うだけ言って、しかめっ面で腕を組んで沈黙。
 彼の意見に対しては賛成も反対も出なかった。
 たった一人、
「――わかった」
 この状況から一刻でも早く尻尾を巻いて逃げたがっているクラス委員長を除いては。

   ◆

 一時間目からサボりで、屋上で何をするでもなくボーっとする。これは中々に贅沢な時間の使い方だと我ながら感心する。
 しかし、その実態はただの逃避。
 僕は逃げた。教室からもクラスメイトからも逃げた。
 これまで積み上げてきたものが全て崩壊してしまった。
 クラス委員長になってから二カ月弱。久我島と一緒に築き上げてきた努力は、大橋成平の凶行によって無に帰したのだ。
 そして、僕の過去も皆にバレた。みんな僕を、空気人間だったとき以上に軽蔑するだろう。
 屋上で死体のように倒れて、空を仰ぐ。
 六月だというのに蒼穹が広がる。その青はとても憂鬱で、僕にはそれが呪われているかのように思えてならなかった。流れゆく白い雲が、しかし僕には風によってただ無力にも引きちぎられていくようにしか映らない。
「ハハハハハ……」
 僕は空っぽな笑え声を上げる。
 下らなすぎる。学校も、学園祭も、僕自身も。
 結局は最初から、土台無理な話だったんだ。僕はどこまでも空気人間で、無価値な人間だったのだ。
 それはもう、きっと覆しようがないほどに。
 晴れ渡った空の下、けれど僕の頬は濡れていた。
 とめどなく、両目からあふれ出すのは涙。嗚咽も胃の腑からせり上がってくる。
「……チクショウ」
 口からは自分に対する怨嗟が零れ出す。
 どうして、こうなった。
 大橋成平さえ現れなかったら、来週の土日はしっかりと準備が整えられた最高の学園祭になるはずだった。
 なのに現実は――。
 こういうやりきれなさを、死んだ子の歳を数えるようなもの、とでもいうのだろうか。
 ああ、空が青い。空が高い。空が憎い。全てが憎い。
 哀れな自己憐憫は、しかし慰め手なのおらず、虚しく空回るのみ。
 そんな中で、ポケットの中のケータイがバイブした。
 何者だろうとディスプレイを見ると、未登録の番号。
 恐る恐る電話に出ると、そこからは、
「きゃはははは。ねえ涼、元気してた?」
 猛毒の哄笑が鼓膜を腐食させる。
 声ですぐに誰なのかは判別がついた。
「何のようだ、赤沢。そもそも、どうやって僕のケータイの番号を知った?」
 赤沢蛍――僕が壊してしまった少女だった。
「涼の番号はねえ、大橋成平に教えてもらったんだよ」
 彼女の言葉は濃硫酸の奔流となって、僕の脳を焼いた。
 大橋……成平……だと?
「おい、それはどういう意味だ? どうしてお前が大橋と繋がっている?」
 混乱する頭を、出来るだけクールダウンさせつつ、僕は問う。
「私の友達に涼と同じ学校の奴がいてね、それで大橋が涼のせいで学校を追放されたって聞いたんだ。これは使えるなあと思って、私は大橋にコンタクトしたの。ちなみに、大橋の連絡先はそっちの学校に聞いたんだよ。過去に大橋にセクハラを受けました、って電話で喚いたら、学校側が呆気なく連絡先を教えてくれたの。まるでトカゲの尻尾切りみたいで痛快だったわ」
「なるほど、事情は分かった。で、僕に何のようだ?」
「あれあれ、意外と落ち着いた切り返しだね。つまんなーい。だったら、面白い話をしてあげる。私ね、大橋にアナタ達が中睦まじく登下校してる写真を見せてあげたの」
 そう言うと、またキャハハハという不快な笑い声。
「な……」
「ここ三日くらいずっと久我島さんと登下校してたでしょ? だから隠し撮りするのはすごーく楽だったわ」
 確かに僕は、レジャー施設で赤沢に再会してから、久我島を守ろうという意味で彼女と登下校をしていた。
 まさか、それがこんな形で仇になるなんて。
「それからの大橋の反応は私の想定以上で、もう愉快痛快! だって、逆上して久我島さんを人質にとって、挙句心中未遂だなんて! キャハハハハ!」
「何が可笑しい! お前は、自分がしたことがどんな結果をもたらしたか知っているのか!?」
「もちろん。ニュースで大々的に報道されているからねえ。でも、だからなんだって言うの? 私は大橋にアナタたちの写真を見せただけ。勝手に暴走し出したのは大橋の責任。私に非はないわ」
「……クッ!」
 悔しいが赤沢の言う通りだ。
「ねえ、涼。アナタは幸せになんてなれないの。なってはいけないの。アナタは私と同じ地獄を見るべきよ。それから、傷ついて、傷ついて、傷ついて、傷ついて、そして死んじゃいなさい!」
 言うだけ言って、赤沢は一方的な通話終了。
「クソッ!」
 僕はケータイを床に叩きつける。
 外面的は憤慨していたが、内心で僕は怯えていた。赤沢蛍という影に。
 逃げたいよ。誰か助けてくれ。
 罪の十字架は、僕に重く重く圧し掛かる。

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