空気の王に君は成れ/第18話

~戦え、戦え、もっと戦え~


 後一日しかなかった。
 虹川先輩が始業前に二年七組を訪れてから一日経過した。考えられる時間は必然、後一日しかない。
 なのに僕は今日、学校にはいかなかった。否、行けなかった。
 大橋成平が暴走したのは、遠回しには僕の責任だというのに、どんな顔でみんなに会えばいいというのだ。
 今日は朝起きた時から憂鬱で、何もやる気が起きなかった。ずっと眠っていたかった。
 両親は相変わらず僕に無関心で、息子が平日に学校をサボろうとしているのに、文句の一つも言ってこない。
 僕は家で空気人間だった。
 昼過ぎまで、何をするでもなく僕はベッドの上でゴロゴロしていた。何もしていなかったが、考え事はしていた。
 考えていたのは久我島のこと。未だ、彼女が目を覚ましたという連絡は御両親から入ってこない。
 久我島は未だ眠り続けている。
 彼女のことを考えれば考えるほど、彼女に会いたくなった。
 だから僕は、正午を過ぎる頃にベッドから這い出て、私服に着替えた。
『いってきます』とも言わずに家を出る。向かった先は久我島が入院している病院だった。
 彼女が目を覚まさない以上、面会できるとも限らない。
 けれど僕は自分の想いを抑えられなかった。
 そして、病院。
 受付で久我島風花という患者に面会したいと頼む。僕が彼女のクラスメイトであると説明。学生証を提示すると案外すんなり許可が出た。
 病室まで案内してくれた看護師の話では、久我島は既に集中治療室から一般の病室に移されているらしい。
 自力で呼吸もしており、容態は運ばれてきたときよりは安定しているとのこと。
 しかし、やはり意識は閉ざされたまま。
 通された病室には久我島一人しか患者がいなかった。
 看護師曰く、つい先まで親御さんがいたが、今は所用で席を外しているとのこと。
 そして、僕を案内してくれた看護師も、ナースステーションから呼び出しを受けて部屋を去る。
 部屋には僕と久我島の二人きりになる。
 僕は、眠る久我島に声をかける。
「ごめん、僕のせいで君をこんな目にあわせてしまって」
 謝罪するが、当然返答などありはしない。
 わかっている。そんなことはわかっている。
 けれど僕は、彼女に謝らなければならなかった。そうでなければ気が静まらない。
 かくして僕はつらつらと彼女に現在の事情を語っていく。彼女への報告というよりは、僕自身の気持ちをまとめるために。
「昨日ね、虹川会長に選択を迫られたんだ。二年七組はクラス企画を続行するのかどうかを。だけど、クラスからは中止の声があがったんだ。曰く、考え方も心意気も中途半端な奴にクラスを仕切られたくないって。僕は何も言い返せなかった」
 彼女に話すだけで、気分が楽になっていく自分がいた。
 そんなものは錯覚で、自己満足に過ぎないのだろう。けれど、僕は話を続けた。
「だから、ごめんね。クラス企画はできそうにないや。せっかく、久我島さんや、他のみんなが一生懸命頑張って作り上げてきたものを、僕は守ることができなかった。本当にごめん」
 眠れる少女に、僕は謝るしかできない。
 彼女が僕にチャンスをくれた。彼女が僕に勇気をくれた。
 なのに僕はそれを無碍にしようとしている。無碍にするしか手立てがない。
 本音を言えば、彼女のためにこそクラス企画を続行したい。
 きっと彼女は、諦めたくないはずだ。みんなに笑っていて欲しいはずだ。
 そのためにはクラス企画は行うべきだ。
 だけど僕には、もう無理だ。僕の過去を知った皆は僕をきっと見限った。
 また僕は、学校で一人ぼっち。
 ある意味で、久我島が僕をクラス委員長に推薦する前の形に戻っただけとも言える。
 だから、それが僕の在るべき姿なのかもしれない。
 でも、それでもだ。僕はもう、あの時の自分にはもう戻りたくない。
 久我島と出会い、久我島と歩んできたこの数カ月がまるで嘘になってしまいそうで怖かった。
「僕は、どうすればいいんだ」
 僕は最後に、誰へでもない言葉を呟いた。
 その言葉は、虚しく消えていくはずの負け犬の戯言……のはずだった。
「ならば訊こう。君はいったい何をどうしていんだい?」
 背後から、僕の独白を受け取る者の声。
 びくり、と肩を跳ね上げて、僕は振り向いた。
 そこにいたのは、これといった特徴がない青年だった。これといった特徴がないことが特徴の青年だった。
「水鏡さん?」
「実際に会うのは久しぶりだね。元気してた?」
 麗らかな春の木漏れ日の下でするような挨拶。意識不明の少女が眠る病室には似つかわしくない物の言い方。久我島の件で大幅に落ち込んでいた僕は面食らってしまう。
「ぼちぼちですね。それよりもどうして水鏡さんがここにいるんです? 学校は?」
 現在一時を回ったところ。本日は平日なので午後からも学校はあるだろうに、どうして水鏡さんがいるのか謎だ。
「今日の午後からの授業は自主休校。学校をサボって美少女に会いに行くなんて、僕は中々に青春してるね」
 飄々と言ってのける水鏡さん。この人も意外と大概変人だ。
「水鏡さんも、久我島さんに気があるんですか?」
「ほほう、『も』とは気になる言い方だね。まるで他の誰か『も』久我島さんに気があるみたいな言い方だ」
 彼にしては珍しい底意地の悪い表情。
「いや、ほら、一応久我島さんはうちの学校一の美少女ってことになってますから、狙ってる奴は多いんですよ」
「では、そういうまとめ方にしておいてあげよう」
 含みを持たせて水鏡さんは言う。
 ふと思う。この人『人が注目している対象がわかる』とかいう変な特技を持っていたな。だったら、僕がさっきか久我島に向けている注意から、僕の久我島への想いが丸分かりなんじゃなかろうか。
「ではでは、話を戻そう。ここであったのも何かの縁だ。悩み事を聞くくらいならできるよ。可能ならアドバイスもね」
 水鏡さんは病室に備え付けの椅子に座る。それに釣られて僕も座った。
 そして、僕は水鏡さんに昨日あったことの事情を説明する。
 水鏡さんは、相変わらず傾聴に重きを置いてくれるため、とても話しやすい相手だった。
 僕が一通り喋りたいことを喋ると、水鏡さんは察し良く「ふむ」と言って顎に手を当てる。
「それで結局、君はクラス企画を諦めたいわけだね」
 確信を付く質問に僕は「はい」と頭を垂れながら答える。
 だが、本当にキツイ質問はこの後に来た。
「それで、その決定は久我島さんが起きたときに胸を張って報告できるのかい?」
 彼の言葉は刃となって、僕の心臓をえぐっていく。
 結局のところ、僕の気がかりはそれだ。
 久我島がもし目を覚ましたときに、彼女の悲しむ顔を見たくはない。
 目覚めたときに、彼女が笑顔でいるためにはどうするべきなのか。
 僕が考えるべきはそれだ。
 なのに僕は諦めようとしている。それはきっと、久我島が最も悲しむことにも関わらず。
「僕だって、諦めたくないです。でも、しょうがないじゃないですか。僕の過去は皆にバレて、皆は僕を軽蔑してる。こんな状況でクラス企画を復活させられるわけがない。だって……」
 僕は二の句を継げない。必死に抗弁しても、それは言い訳にしかならないと気づいたからだ。
「『でも』や『だって』は少なくともリーダーが使うべき言葉ではないね。たとえそれが空気の王であってもだ」
 手厳しい水鏡さんの指摘。
「空気の王でもですか?」
「そうだ、空気の王でもだ。君にとって、今がきっと踏ん張り所。そして、僕から君にできるアドバイスは三つだ」
「三つとはずいぶん豪勢ですね。では拝聴いたします」
「よろしい。僕から君にできるアドバイス、それはね――戦え、戦え、もっと戦え。この三つだよ」
 そういう水鏡さんには人を食った笑顔。
 緊張でガチガチになっていた僕は、面食らってしまった。
「ずいぶんとゴリ押しですね。正直意外です。水鏡さんって、全然そんなキャラとは思ってなかったんですけど」
「僕も普段は『戦う』なんて行為は極力さけるよ。裏から工作なり根回しなりして、相手を追い詰めるタイプ? 一応、僕の二つ名って【姿なき徘徊】だし。戦うとは道が残されていない者にとっての最後の手段だ。現状を分析するに、多々良君にはあまり道は残されていない。前に進むか、それとも逃げるかだ。いいかい、これはとても大事だから覚えておいて欲しいんだが、人生には幾つも選択できる道がある。でもね、逃げてしまった奴には逃げ道しか残らないんだ。多々良君は、決してそんな人生を歩まぬように」
 彼の言葉は心に染みた。
 僕は久我島にクラス委員長に推薦されるまで、ずっと逃げ回ってきた。
 逃げ道を、どこまでも孤独に彷徨っていた。
 だけど、僕はここ数ヶ月、逃げ道から日の当たる道を歩き始めていた。
 それは僕にとって、夢のような時間だった。
「でも今更、どんな面下げてみんなに会いに行こう……。僕は……みんなから非難されるのが怖い」
 わかっている。そんなものは自分がヘタれているだけだというくらいは。
 けれど、水鏡さんはそんな情けない意見にも反応をくれた。
「多々良君、人は自分一人のために勇気を出すのは不可能だ。勇気は自分の内側から湧き出すものかもしれないが、しかしそれは得てして誰かのための想いなんだ。君はきっと、そこにいる久我島さんのために勇気を出したいのだろう」
「はい」
「安心しなさい。本当に勇気が必要なのはほんの一瞬。後は惰性で話は進んでいくものさ。それに、好きな女の子のために戦うなんて、なんともドラマティックじゃないか。こんなこと、普通の高校生活では中々お目にかかれないイベントだよ」
 さらり水鏡さんは言うが、僕は彼の言葉を停止させる。
「あの……僕が久我島が好きっていうのは……」
「見てれば普通はわかるよね。平日の昼間から学校サボってわざわざお見舞いしてるんだから」
「そういう水鏡さんだって、お見舞いに来てるじゃないですか」
「僕は虹川さんに頼まれて、容態を確認に着ただけだよ」
 いけしゃあしゃあと水鏡さんは言ってのける。
「なんでまた虹川会長なんです?」
「彼女も彼女で、久我島さんを心配しているってことだよ。本当は本人がお見舞いに来たかったみたいだけど、今は学園祭本番も近いから、放課後もてんやわんやで面会時間には来られないみたいんなんだ」
「じゃあ、水鏡さんはどうして昼間のこの時間帯に? 別に学校終わりに学校からこっちにくれまいい話じゃないですか?」
「うーん、それはどうだろう。学校終わりというと、もしかしたら君のクラスの子たちもやってくるかもしれないよね。そうすると僕だけアウウェイ感に堪えなきゃならないかなあってね」
「いや、水鏡さん、アナタ普通にうちの制服着てうちの学校に潜入してましたよね?」
「ん、ああいうのはOKなの。任務と割り切れるから」
「そうなんですか」
 頷いては見たものの、基準がさっぱりだ。この人、積極的なのかシャイなのかが曖昧だ。
「それで話を戻すけど、君、久我島さんのことが好きだろう?」
 またその質問ですか。
「そうです。僕は久我島風花に恋をしています。彼女は絶望しかなった僕の人生に光をくれた。そんな人を愛さずにはいられますか? って、これは絶対に久我島さんには内緒ですよ?」
「どうして?」
「僕が彼女を好きでも、僕と彼女じゃ釣り合わないでしょう。片や学年一の美少女で片やこの前まで空気人間だった冴えない男子。誰も祝福するわけはない」
「確かに嫉妬はされるだろうね。だけどごめん、多々良君。その話を久我島さんに伏せておくというのは僕には不可能だ」
「どうしてです?」
「なぜなら、すでに彼女は起きていて、さきからずっとこちらに耳をそばだてているからね」
 テレビでやってた朝の占いの結果でも話すような気軽さで、水鏡さんは知らせてくる。その平然とした態度のせいで、僕は逆に言葉の真意に気づくのが遅くなった。
 ――久我島が起きている?
 僕は慌てて久我島に視線を送る。
「君、本当に起きてるの?」
 僕は震えながら声をかける。
 すると――
「いいえ、起きてません」
 目を瞑ったままだが、久我島の唇は確かに動いた。
 僕は世界中が光に包まれたような気分だった。
「久我島さん……」
 僕は感極まって、彼女の名前を呼ぶことしかできない。彼女が目覚めたときに掛けたかった言葉は膨大にあった。なのに、あふれ出す感情の奔流が、僕から言葉を奪っていく。
 観念したのか、久我島はまぶたを開く。そこには星を散りばめたかのように煌く瞳。この世界にこれ以上美しいものはあるだろうか。
「さてと、僕は喉が渇いたから下の喫茶店でコーヒーでも飲んでくるよ。後は若いお二人にお任せって方針で」
 お見合いの席みたいな言い方をして、水鏡さんは病室を去る。どうでも良いけど、水鏡さんは制服姿。いくら容姿が目立たないからといっても、昼間の病院では制服は目立つ。自称【姿なき徘徊】はそこのところをどうお考えなのだろう。
 などと僕がよそごとに思考を飛ばしたのは、久我島に対して気まずさがあったから。
 先刻僕は、水鏡さんの『久我島が好きか?』という質問に『僕は彼女に恋をしている』と返している。
「ときに久我島さん、一体どのタイミングから、僕と水鏡さんの会話を聞いていた?」
 とても重要な案件だっため、核兵器でも扱うような厳粛さで問う。
「実は、水鏡さんが部屋に入ってきたあたりから、おぼろげながら意識があった」
 僕は卒倒しかけた。く、こいついいパンチ持ってるじゃねえか。
「ということはあれですか? 僕が好きな相手の話まで聞いておられたと?」
 久我島は顔を真っ赤にしながら、
「うん」
 少女の言葉は瞬速の弾丸となり僕の胸を貫いた。
「いや、あれはだな……」
 取り繕うべくため僕は必死に言葉を捜した。今だけは検索速度向上のためにメモリを増加したい。おだててやるからもっと頑張れ多々良コンピューター。
 こんな想い、永遠に封印するべきなんだ。そりゃ彼女は僕に対して積極的に関わろうとしてきたけど、それは中学時代の交流会で勝手に恩を感じているから。
 それを根拠として彼女が僕に気があるなんて考えるのは、勘違いも甚だしい。
 ところが久我島は、
「だったら、涼にも私が好きな人を教えてあげる。今、どこで、何をしている人かを」
 まだ目覚めたばかりだというのに艶然と微笑む。
「へえ、それは興味深いね。学校一の美少女の想い人。これは公表すれば、そいつは全校男子の羨望と嫉妬の的だ」
 僕は茶化した風に言うが、久我島は真剣な顔で僕を見つめて継げるのだ。
「その人はね、今、この病室で、私の瞳を見つめている」
 二人きりの病室に,久我島の言葉が鈴の音のように凛と鳴る。
 僕はきっと、彼女の告白を生涯忘れる愚考は犯さない。犯しようがない。
 それほどまでに彼女の言葉は、雷鳴のように僕の心に閃いた。
「久我島さん……」
 僕の頭は熱暴走寸前で、今だけでもいいから冷却ファンがほしいくらいだ。
「好きだよ、涼。ずっと前から、ずっと好きだった」
 久我島の眼差しは永久凍土すら溶かしてしまいそうなまでに情熱的。僕は熱気に当てられた。
 勝てるわけがない。
 僕ごときがどんな策や甘言を弄しても、きっと彼女からは逃れられない。
 だからこそ言ってやった。
「僕もだよ、久我島さん。ずっと君のことが好きだった」
 面と向かって言ってやった。ああ言ってやったとも。後は野となれ山となれ。
「嬉しい。夢見たい。実はまだ私は昏睡してて、単に夢を見ているだけじゃないかしら」
「安心しろ。この世界は夢じゃない」
 僕たちは微笑み合う。
「じゃあ、これで二人は晴れて恋人たち、ってことだよね?」
 久我島は嬉々として訊いてくるが、僕は首を横に振った。
「どうしたの? 今更、僕は君とは釣り合わないとか言うつもり?」
「違うよ。でも、正式に付き合うのは、もう少し待って欲しいんだ。まだケジメがついていない」
「ケジメ?」
「僕はまだ、大橋先生にズタズタにされたクラス企画を放り投げたままだ。このままでは、君と付き合うにしても中途半端になってしまう。僕はそんなのは嫌なんだ。君と付き合うなら、すべてきちんとケリをつけてからにしたい」
「そうだね、私たちだけ浮ついてちゃ駄目だよね。全部終わらせよう。そして、学園祭を私たちにとって最高の想い出にしましょう」
 僕たちは鋼より固い約束を交わす。
「そのときに、戦いが終わったら僕の方から君にプロポーズするよ」
「待ってるよ。その言い方だと死亡フラグみたいで不吉だけど」
 久我島の冗談に、僕たちは笑ってしまった。
 さあ、祭りの準備を再開しよう。
 最高の想い出を作るために。

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