空気の王に君は成れ/第21話

~影との戦い~


 現在午後四時半。六月末の夕方の街は未だ蒸し暑く不快だ。傾いた日が作る長い影を引きずりながら二年七組の男子一同は廃ビルへと進行する。
 要求では僕一人で来ることになっているので、僕以外のメンバーは、廃ビルの近くの路地に待機。いつでも中の様子がわかるように、自分のケータイを猿渡のケータイに通話モードで繋げたままにしておく。簡易式の盗聴器である。
 廃ビルの入り口には見張り一人立っていない。
「それじゃあ、行ってくる」
 僕は仲間たちに告げると、一人廃ビルに入っていく。
 ビル内は荒れ放題だった。窓ガラスは叩き割られ、壁中に落書きがされている。
 話では夜になるとガラの悪い連中がたむろしているらしいが、本当のことらしい。
 どうして不良共は、こんな埃っぽく居心地最悪な場所を根城にしたがるのか、センスが全く理解できない。小さい子供が妙ちくりんな場所を秘密基地にしたがるのと同じ心理だろうか。
 僕は護身用に野球部のクラスメイトから借りた金属バットを構えながら慎重に歩を進めていく。ちなみに僕に武道の心得など無く、バットがあろうと襲われたら一たまりもない。それでも丸腰よりはマシだろうという判断で所持している。
 五分ぐらいかけてビル内を探索し、最上階である四階に辿り着く。
 そのフロアに囚われの姫君はいた。
「久我島!」
 僕は叫んだが、久我島は何も答えられない。
 猿轡をかまされており、「んーんー」と唸るしかできない。
「はーい涼。本当に一人で来るなんてお利口さん」
 遮断された室内の空気よりも不快な声の主は、この誘拐事件の主犯である赤沢蛍。距離にして五メートル先。両手両足を縄で縛られ身動きの取れない久我島の横に赤沢はいた。その手には刃渡り十五センチほどのナイフが握られている。
 赤沢の周りには六人の取り巻きが衛星のように展開。面子はいつぞやゲーセンで見かけたのと同じ連中だった。
「そっちこそ、わざわざ最上階に居座るなんて、まるでRPGのラスボスみたいじゃないか」
 いささか説明口調なのは、通話中の猿渡に僕の位置情報を伝えるため。
「ラスボス? そうね、私はアナタにとってのラスボスかもしれないわよねえ。でも、一つRPGと違うところがあるとすれば、助けに来た勇者様はラスボスに勝てず、そして囚われのお姫様は見るも無残な目に遭うのでした、という点かしら」
 赤沢の口から、毒液の言葉が滴り落ちる。
「どうだか。天網恢恢疎にして漏らさず。悪は往々にして挫けるものさ」
 僕は挑発するように赤沢に告げる。
「あらあら、随分と余裕ね」
 案の定、不愉快そうに目を細めてくる赤沢。
「どうせお前のやることだ。どっかに穴はあるだろうさ」
「あんまり調子に乗るんじゃないわよ。この娘の顔に一生消えない傷がついてもいいのかしら?」
 赤沢は手にしたナイフの側面で、ペチペチと久我島の顔を叩く。
「わかったよ。それで僕はまず何をすればいい? そっちの要求は?」
「そうねえ、まずアナタのお友達をどうにかしてもらえないかしら。この部屋だと窓から丸見えなのよねえ」
「何を言っているんだ?」
 僕は焦ったが、まだ表情には出さない。例え廃ビルの前に仲間を待機させているのが事実だとしても、相手がカマをかけている可能性もあるからだ。
「あらあら、じゃあ、ケータイのディスプレイを見せてくれないかしら。もし、仲間が本当にいるなら、例えばすぐに呼び出せるように、ボタン一つで繋がる設定にしているとかしてるでしょうから」
「わかったよ。切ればいいんだろう」
 僕はケータイをポケットから取り出すと、猿渡への通話をオフにする。そして、ディスプレイを赤沢に提示。
「そうそう、そうじゃなくっちゃ。アナタはいつだって一人でなければならない。誰とも繋がらず、一人で迷い、一人で苦しみ、一人絶望しなければならないのよ」
 非情の魔女はそう言うと、久我島の腹を蹴った。
「んーッ!」
 激痛から悲鳴を上げる久我島。
 そんな久我島の髪を掴み、彼女の顔に赤沢は唾を吐き捨てる。
「アンタも不幸よねえ。こんな奴と仲良くしたばっかに、これからこの場の男たちに犯されるの。今日は安全日? それとも危険日かしら? どっちにしろ、一生忘れられないトラウマになるでしょうね。キャハハハハ! さあ、みんな、まずそこの男を縛り付けましょう。そして、哀れに喘ぐ久我島風花をただ傍観するしかない状況をつくってあげましょう!」
 赤沢の言葉を合図に、男たちは僕を蛇のように睨みつける。
 仕方ない。
 僕は最終手段に打って出る。
 ただし結果は不確定かつ行きあたりばったり。成功率としては三割を切っているだろうが、何もしないよりはマシ。
「なあ赤沢。お前ってどうしょうもないクズだな」
「あら、この後に及んで負け惜しみかしら?」
「違うよ。要するに、僕に復讐したいって言うなら、こんなまどろっこしい手段なんて取る必要ないって話だよ」
「何が言いたいのかしら?」
 不愉快そうに赤沢が僕を睨みつける。
「どうせ自分じゃ何もできない役立たず。そりゃ中学のときに生贄になるさ。だって、お前はどうしょうもないクズなんだからな」
「何が言いたいのかしら?」
 赤沢の言葉から喜悦の感情が消えていく。
 僕は彼女が歯ぎしりするのを見逃さなかった。
「お前は中学時代にイジメにあったのは僕のせいだとかほざいてたけど、あんなのは言い訳にすぎないね。当たり前だ。イジメはイジメられる側に全面的に原因がある。お前のそのゴミみたいな器量じゃ、僕が生徒会長じゃなくてもお前はみんなの生贄になっていた」
 見る見るうちに赤沢の顔が赤くなる。血液はさぞ良い具合に沸騰している頃あいだ。
 更に僕は畳みかける。
「お前がナイフをかざしたって、脅しにもなりやしない。だってお前は本当は何もできない駄目な子なんだ」
「……ス」
「なんだって?」
「……殺ス。殺ス、殺ス、殺ス、殺ス、殺ス、殺ス、殺ス、殺ス、殺ス、殺ス。絶対にブッ殺す!」
 目に凶器を灯し、赤沢は刃を構える。
「無理無理。ハハハ、お前には無理だよ。ほら、僕のドテッ腹はここだよ? でも、君には僕を殺すのは無理だろうなあ。やれるもんならやってみろよ赤沢ちゃん」
 両腕を広げて無防備な体勢になってみせる僕。
「なら死ねッッ!」
 ナイフを構えて直線的に赤沢は突っ込んでくる。
 ――ぞぶり。
 狂気の凶器は僕の下腹部に突き刺さり、僕はその場に倒れこんだ。
「ははは。ははははは。やった! やったよ! さあみんな、久我島風花を犯しましょう?」
 赤沢の笑い声が室内に響いたが、取り巻きの不良達は騒然としていた。
「おいおい、ヤベエよ。マジで。下手すりゃ俺らまで殺人者扱いになるんじゃねえか?」
 一人が至極まっとうな意見を述べると、恐慌は残りのメンバーにまで伝染していく。
「て、撤退だ! 俺らは関係ねえ! こんなことでパクられて堪るかよ!」
 大慌てで不良達はフロアから逃げ出していく。
 不良たちの喧しいまでの足並みは、徐々に遠のいていき、やがて消えた。
「どうして、どうして、どうして、どうして……」
 壊れたCDのごとく、同じ言葉を繰り返す赤沢。
 彼女が呆然としている隙を僕は逃さなかった。
「これは没収だ」
 機敏な動きで立ち上がると、僕は赤沢の手からナイフを叩き落し、没収した。
「な……」
 赤沢は更なる混乱に放り込まれた。
 今しがたナイフで下腹部をさしたはずの僕が、のうのうと行動しているからだ。
 僕は赤沢から没収したナイフで、久我島の縄と猿轡を切断する。
 久我島も、
「どうして涼が……。さっき確かに刺されたのに」
 驚愕を隠せない様子だった。
「殴りこみにいくなら、お腹に雑誌を仕込んでおくのは、特攻隊のたしなみだよ」
 僕は自分の服の裾をまくる。そこにあったのは、赤沢のナイフによって穴の開いた週刊誌。
「ずいぶんと、準備が良いんだね」
 感嘆の声を漏らしたのは久我島だった。
「赤沢と通話したときに、『久我島の顔を切り刻む』みたいな言い方してたから、それで思ったんだ。赤沢、あるいはその仲間はナイフを所持しているって。だったらまあ、防御策くらいは講じられるだろう?」
「じゃあ涼は、自分がお腹を刺されても大丈夫なのを知った上で赤沢さんを挑発していたと?」
「正直、雑誌の真上から指してくれる確証はどこにもなかったけどね。でもまあ、あの状況で不良どもに撤退してもらう方法なんて思いつかなかった。人一人刺されれば、いくら不良といえども動揺する。動揺のスキをついてバットで大暴れする予定だったんだけど、連中が予定外にヘタれてて良かったよ。嬉しい誤算って奴だね」
 先ほどのように撤退までしてくれるなんて、不良といえど人の子であり、結局我が身が一番かわいいという話だ。
「さてと、赤沢」
「ひっ!」
 凶器を没収され、取り巻きに逃げられた赤沢は、もはや丸裸だった。
「さっきは久我島を助けるための挑発といえど、酷いことを言ってすまなかった」
 僕は深々と頭を下げた。
 怯えていた赤沢は、僕の予想外の行動に面食らってしまう。
「どうして、謝るの?」
 赤沢は目を何度も瞬かせる。
「こうなってしまったのは、やっぱり僕の責任だからさ。中学の時、僕が最低な生徒会長でさえなければ、赤沢をこんな目に遭わせずにすんだんだ。だけど、これだけは分かって欲しい。僕はあのときのことを片時も忘れはしなかった。いつでも、僕は自分のした行いを後悔していた」
「だけなら何とでも言えるじゃない」
 赤沢は僕から目をそらす。だけど、そんな赤沢に対する、僕の言葉を継いだのは久我島だった。
「涼の言葉は本当だよ、赤沢さん。涼はね、学園祭のクラス企画はみんなが幸せになれるように頑張っていた。一人の生贄も出さないように、クラスの誰もが最後に笑っていられるような学級運営をしてくれてたんだよ。それは、きっとアナタへの悔恨と罪滅ぼしだったんだと思う」
「だ、だから何よ。確かにそれで涼は友達がたくさんできてハッピーエンドでしょうね。でも私は? 涼が私のおかげで、みんなで仲良くする大切さを学んだって言っても、結局、私を踏み台にしただけじゃない。許せない。許せないよ!」
 赤沢の悲壮な咆哮はもっともだ。
 僕は赤沢のおかげで成長できた。だけど、赤沢自信は救済されていないのだ。
「それに、今日のことで私には仲間がいなくなった。仲間だと思っていた連中は今逃げた。何よ人間なんて。みんな自分勝手で、みんな死んでしまえばいい」
 彼女の憤怒と憎悪は、しかし幼子のわがままのようでもあった。
 だから僕は言うのだ。
「ねえ赤沢。僕が言えた義理じゃないかもしれないけど、でも言うよ。もうやめよう。自分が上手くいかない理由を他人に擦り付けるのは。そんなことしたって自分を成長させられはしない。未来へ進むべき自分の足を止めてしまうだけなんだ」
「私には未来がない。友達もいない。仲間もいない。どうしろっていうのよ!」
「だったら、僕が君の仲間になろう。それじゃ駄目かい?」
 僕は彼女に手を差し出した。
「何を言っているのよ? だって私はアンタのクラスをグチャグチャにしようとしたのよ?」
「雨降って地固まる。日本には都合の良い諺があるね。君が大暴れしてくれたおかげで、学園祭前に僕たちのクラスはより一層強い絆で結ばれた。これは赤沢のおかげだよ。まあ、久我島の許しも乞うのは大事だけどね」
 と、僕は横で自愛に満ちた瞳をしている少女に話を振った。
「そうね。誘拐されたのは確かに怖かったけど、でも、私のピンチを助けに最高の騎士が現れた。これって凄いことよね。まるでドラマの中の世界みたいで私感動しちゃった」
「また、私が拉致監禁を計画するかもしれないわよ?」
 赤沢は悪態をつくが、久我島は顔色ひとつ変えずに言うのだ。
「大丈夫よ、そのときはまた涼が助けに来てくれるに決まっているもの」
 全幅の信頼、恐れ入ります。
 話し込んでいると、階下から人の上がってくる足音がする。
 足音の数からして十人強はいる。先ほどの不良共が戻ってきたにしては数が多すぎる。なので僕にはすぐクラスメイトの足音だと判断できた。
「さっき不良共が血相変えて逃げていったけど何があったんだ?」
 猿渡は怪訝そうな顔で訊いてくる。
「色々あってな。肝心の久我島は無傷だよ。心配ない」
 僕が言うと、猿渡は「うむ」と頷く。
「久我島が無傷なら結構。ところで、そっちの女の子は?」
 猿渡は赤沢を凝視する。
 あたふたとする赤沢。だけど、久我島は言ってみせるのだ。
「この子は私の友達だよ」
 ――と。

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