巫女が恋した月下の紅蓮/第1話

月下の巫女


 逢魔が時の体育倉庫で、僕は強かに右頬を殴られる。僕の掛けていた黒縁メガネは床へ吹き飛び乾いた音を立てる。出血したらしく鉄の味が口内に広がる。
 殴った相手は緒川という金髪の男子生徒。僕と同じ一年生にして我が校で悪評を轟かす不良だった。彼はわざわざ、僕が委員会の仕事で帰宅が遅くなったところを四人の手下たちと襲撃。人気のない体育倉庫まで強制連行したのだ。
 突然の襲撃を前にして僕は、恐怖よりも憂鬱を感じていた。体育倉庫の埃っぽいにおいが沈んだ気分を更に助長させる。
「なあ種橋君よお、ちょいと俺らのお願いを聞いてもらえないかなあ?」
 緒川は僕、種橋京真《たねはしきょうま》の髪の毛を掴み、うすら寒い笑みを張りつけた顔を、僕の顔に近づける。
 彼の言うお願いとは、実質的に命令だ。僕は内心でうんざりしながらも、彼の言葉を淡々と聞くことにした。怯えた態度をとれば、相手は付け上がるし、かといって毅然とした態度をとれば相手は僕を図に乗っていると解釈する。その場合、また暴力に晒される。僕としては痛いのは御免だ。
「お前の姉さん、つまり生徒会長なんだけどよ、最近調子乗ってんじゃん。あれマジでウゼーからどうにか言ってくんないかなあ?」
 緒川はメンチを切りながら、僕に言ってくる。はっきりって、この二十一世紀現在、メンチを切る不良がいるというのは大きな発見だと思う。絶滅危惧種として、是非レッドデータブックに載せてもらうべきだ。
「そういうことは、直接姉さんに言ったらどうです?」
 僕は至極まっとうな意見を返す。ところがこれに緒川は激怒。僕の腹部にボディーブローを突き刺した。
 文字通り腹を捩じられるような痛みで、僕は膝を床につきそうになる。しかし、僕の襟首を掴んだ緒川がそれを許さない。
 緒川の顔は真っ赤で噴火寸前の活火山の様相。どうやら彼らは、生徒会長である僕の姉に直談判というなのリンチを加えにいったようだ。しかし、緒川たちの様子から察するに、彼らは返り討ちにあったと考えるのが妥当。そもそも、喧嘩殺法しか攻撃手段がないであろう不良たちが、空手道、剣道、合気道といった武の道を邁進する姉に敵うはずがない。
 だからこそ、弱い僕が狙われたと考えるべきだ。
「とにかくよ種橋、お前は今晩はここでじっくり、姉を説得するかしないかを考えてほしわけ」
 緒川は僕の制服ブレザーのポケットから、僕のケータイを強引に取り出した。
「外に連絡取られたら面倒だから、ケータイは封印な」
 それを言うと、緒川は僕のケータイを仕様とは反対方向に折り曲げて破壊する。
「なんてことを……」
 僕は顔面を蒼白にし、抗議の声を上げる。
「うるせえ、喋んな!」
 緒川は僕の腹を蹴る。僕が痛みに咳き込んでいるうちに、緒川を筆頭とした不良グループは、体育倉庫から撤退。
 撤退する際に几帳面にも重い鉄の扉を閉めていった。あまつさえ、外からは扉が大型の南京錠で施錠される音がした。
「明日の朝の部活が始まる頃には誰かが開けてくれるさ。でも、体育倉庫にはトイレなんてないからなあ。もしかしたら、朝来て開けた奴に汚物まみれの種橋の姿を晒す破目になるかもなあ!」
 緒川たちの下品な哄笑と共に、彼らが体育倉庫から離れていく足並みの音が聞こえた。
 僕は沈鬱な気分で、外側から鍵を掛けられた扉に手をかける。両開き式の扉なので、完全密閉という形にはならないが、南京錠が邪魔をして三センチほどの隙間が乗じるのみ。この状態で外を出られるのは一反木綿かペラペラの実の能力者くらいだ。もっとも後者に関しては、そんな悪魔の実シリーズがあるかどうかは、僕は寡聞にして知るところではない。
 あるいは、この体育倉庫ごと破壊してしまう手だてもなくはない。
 しかしそれは、僕にとっての最大の『禁忌』を犯すことを意味する。
『禁忌』を犯すことは、リスクヘッジを座右の銘に生きる僕のスタンスに矛盾する。
 なのでここはしかたがない。緒川が言ったように、明日、朝一でやってきた部活生が扉を開けるのを気長にまとう。
 僕がいつまでも帰宅しなければ姉さんは心配するだろう。あるいはガチ切れするかもしれない。さりとてケータイ電話は使用不可。手の施しようがない。
 体育倉庫に監禁されて改めて痛感したのは自分の非力さだった。
 僕が本気を出せば、緒川程度の人間に後れを取ることはない。
 けれど、それをするということは、僕の社会生活がすべて終わることを意味している。
 だから僕は、弱い人間の皮をかぶる。人としてこの世界で生きていくために。
 夜の体育倉庫は退屈だ。ケータイのアプリで時間をつぶそうにも、そもそもケータイがない。
 一応照明はつけられるので、読書は可能。僕は鞄から文庫本を取り出す。学校に親しい友達がいない僕にとって、本は休み時間の友だ。本日のメニューはヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』だ。ちなみに全四巻あるうちの二巻目を現在読んでいる。主人公のジャン・ヴァルジャンはあこがれの男性だ。知恵と優しさ、そして勇気を兼ね備えた彼の姿は僕の理想である。
 あくまで理想は理想であって、現実ではないのだけど。
 二本の蛍光灯だけが光源の体育館で、僕は読書にふける。夜の静けさは、ページを繰る際の紙が擦れる音すら大仰にさせる。
 読書は孤独な作業だが、それで構わない。読書をする時はね、誰にも邪魔されず自由で、なんというか救われてなきゃあダメなんだ、独り静かで豊かで……。なんちゃって。
 読書に夢中になっていると、腕時計の針が十二時を指しているのに気づく。
 すっかり真夜中。もう五月なので夜といえども、さして冷え込まないのが救いだった。
 読書を一端中断して、僕は格子の嵌った体育倉庫の窓から外の景色を眺めた。
 月が綺麗だった。黄金の満月が天蓋の頂上で煌々と地上を照らしていた。
 体育倉庫の窓からは、学校のグランドを覗くことができる。もちろん、今は真夜中でグランドには人っ子一人いない……はずだった。
 少女がいた。体育倉庫からの距離にして五メートルにも満たないところにいたので、顔も服装もしっかりと見て取れた。
 少女は僕のクラスメイトだった。雅量苗木《がりょうなえぎ》という、学校でも指折りの美少女と名高い生徒だ。
 日中であっても美麗な少女だったが、月光の下で見るとまた違った印象を与えてくる。雅量の白磁のように白い肌と、艶やかな黒髪が月の明かりの下では神秘的に映える。神々しいといっても差し支えないほどに美しい。
 そんな雅量をより神秘的存在に仕立てているのは、彼女の着用している衣服だ。
 巫女装束だった。白の小袖に緋袴、髪は水干と共に結わえられている。
 巫女装束の雅量はグラウンドで風に戯れる花びらのごとく舞っていた。流水のごとき優雅な身のこなしだ。しかし、ただの演舞ではなかった。むしろ演武だった。
 雅量は、流麗な彼女とは対照的な、醜悪な怪物と対峙していた。
 怪物というのは比喩表現ではない。文字通りの意味で怪物だ。
 木の化け物と言えばいいだろうか。高さにして五メートルはあろう、枯れ果てた落葉樹が月下で蠢いていた。枝は刺胞動物の触手のごとく揺らめき、根をムカデの足のごとく蠢き、地表を右往左往する。
 木の化け物の枝は鞭となり、雅量に振り落とされる。しかし、雅量はそれを紙一重のところで回避する。獲物を捕らえ損ねた枝は地面と激突し、轟音と共に地響きを発生させる。
「力だけでは、私には勝てないわよ?」
 挑発するような雅量の問いかけ。その言葉に呼応するように、
「贄ダ。我ガ贄トナレ……」
 冥《くら》い声が夜の帳に響き渡る。おそらく木の化け物が発したものだろう。
「笑止!」
 言って捨てる雅量。そして、彼女は右手を突き上げ虚空へとかざす。
 すると、見る見るうちに彼女の掌の上に水球が形成されていく。水球は瞬く間に刃の形をとった。
「征くぞ!」
 水の刃を両手で構えると、雅量は木の化け物に切りかかる。
 木の化け物は雅量に触手を殺到させるが、雅量の水の刃はそれをことごとく切断。まさに快刀乱麻を断つがごとし。
 ものの十秒もしない間に木の化け物の枝の全てが切り落とされる。
「オオオ……」
 攻撃の手段を削ぎ落とされた木の化け物は、嘆きにも似たうめき声をあげながら後退していく。
「とどめだ!」
 しかし、雅量に容赦はなかった。水の刃は木の化け物の幹を真横から一閃。
 木の化け物の胴体が二つに切り裂かれる。
 木の化け物の上半身は、重力に引きずられ地面へと落ちていく。
「悪く思うなよ。妖《あやかし》は人の世にあってはならない存在なのだから」
 雅量は言って踵を返す。その手にはすでに水の刃は握られていなかった。
 雅量の中では木の化け物との戦いに決着はついていたようだ。しかし、僕は叫んだ。
「おい、後ろ!」
「は?」
 雅量にしてみればいきなりの声。だが、彼女は素直に自分の背後――すなわち、木の化け物の残骸の方を振り返ってくれた。
「なんだと?」
 雅量が振り向いた先には、二分割されたはず木の化け物が未だ禍々しく蠢いていた。木の化け物は斬滅されてはいなかったのだ。それどころか、二分割された木の化け物の、それぞれの切り口からは、根と枝が新たに生成されていた。
 とどのつまり、一体だった木の化け物は、雅量に切断されることにより、二体に増殖していたのだ。
「オオオ、殺ス、殺ス、殺ス……」
「オオオ、贄、贄、贄……」
 二体の木の化け物は、それぞれが怨嗟の嘆きをぶちまけながら、一斉に雅量へと枝をしならせ猛襲する。
 一体分に関しては、舞うように回避できた雅量であったが、量が二倍となっては話が別だった。
 ついに雅量は荒れ狂う鞭の餌食となる。横ばいになぎ飛ばされ、雅量は体育倉庫の壁に激突した。
 その衝撃はすさまじく、体育倉庫が揺れるほどだった。
 体育倉庫に叩き付けられた雅量はうめき声を漏らす。
 しかし、未だ意識は手放しておらず、すぐさま水の刃を生成。飛来する化け物の枝をさばいていくが、そこには相手が一体だった時の勢いがない。
 枝は切断されず、ただ単にいなしているだけという状態だ。
 このままでは雅量は押し切られる。それは彼女の敗北を意味し、敗北はすなわち死を意味する。
 マズイ。マズイぞ。
 雅量を助けなくてはいけない。
 けれど、僕に何ができる?
 僕は半ば恐慌状態に陥りながらも、本当は答えが一つしかないことに気づいていた。彼女を助けることはできる。
 しかし、それをするためには僕は自らに課せられた禁忌を犯すしかない。
 僕は自分の右腕を見た。そこには古風な数珠が巻かれていた。潔白の石と漆黒の石を交互に連ねて作られたその数珠は、一人の化け物を封じ込めた呪具だった。

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