巫女が恋した月下の紅蓮/第3話

少女は紅蓮に恋をする


 雅量を家に持ち帰る前に、僕は体育倉庫に投げ捨てたままの封印の数珠を回収。数珠を身にまとうと、僕は普段の僕に逆戻り。鬼である最大の特徴の角は引っ込み、燃えるような赤い髪は何の変哲もない黒髪に。瞳の色も平凡な黒に戻り、視力もメガネが必要なまでに激減した。
「おーい、大丈夫か?」
 一応、雅量に一言声を掛けておく。これで目を覚まして、自力で家まで帰ってくれたらそれがベストだ。しかし、雅量の睡眠は思いのほか深く、僕の呼びかけに全く答えない。
 まさにスリーピング・ビューティ。ただし、僕には彼女の唇を奪う勇気などない。ヘタレじゃないよ、紳士だよ。
 巫女服姿の美少女をおぶって、夜道を行く。月明かりと街灯に照らされた道は、完全な暗闇よりも気味が悪い。
 真っ暗な状態よりも、幽かな光源に囲まれていた方が妄想や想像力が膨らむのは僕だけだろうか。
 曲がり角の向こうや、電信柱の陰に妖怪が潜んで、こちらを虎視眈々と狙っていたら、とか寂寞とした不安を覚える。鬼のくせに、僕は妖怪の類が好きではない。確かに鬼自体は強力な妖怪だ。けれど、数珠によって力を封印された僕の力は人間と同等、あるいはそれ以下だ。
 そんな中、妖怪に襲撃されたら、はっきり言って対処しきれない。数珠による封印は解きたくないので全力疾走で逃げるしかない。
 雅量を背負って、二十分ほど歩いたところで住宅街に入り、そこから更に五分行ったところに僕の自宅はある。ごく一般的な二階建ての一軒家だ。
 僕は、家の様子を見て肝を冷やす。
 一階にある居間の窓から光が零れていた。種橋家に現在在住しているのは僕と姉さんの二人だけ。必然、消灯されていない居間は、姉さんが起きていることを意味している。
 ちなみに、うちの姉さんは帰りが遅くなった弟に優しい言葉を掛けるようなキャラではない。
 むしろ逆で、何の連絡もなく遅く帰宅するのを良しとしない。その激昂ぶりは本物の鬼の僕より鬼である。
 僕は玄関の扉に手を掛ける前に、心内で自分に一言掛けてやる。
 南無阿弥陀仏、と。
 鬼でも、死んだら極楽浄土に行けるのかな?
 そんな不毛な思索に耽りながら、崩れかけのジェンガでも扱うように僕は扉に手を掛ける。無論、物音を立てないためだ。あわよくば姉さんに気づかれずにホームに帰還したかった。
 だが、天は僕を見放した。
「よう、遅かったじゃねえか」
 姉がいた。恐怖から自分の歯の根が噛み合わないのを自覚する。
 僕の姉、種橋星河《たねはしせいが》は有体に言って美人である。それも野生味溢れる感じの中性的な美人だ。そんな彼女が般若の形相で目の前で屹立したら、僕は蛇に睨まれた蛙になるしかない。
「はい、遅くなりました!」
 僕は事実を報告することしかできない。本当ならジャンピング土下座を繰り出したいところだ。しかし、雅量を背負っているため、そのコマンドは封印されている。
「さあて、きっちり事情を説明……ん、女の子?」
 姉さんは僕の背後の雅量の存在に気づく。
 視線を雅量に固定した状態で、姉さんは顎に手を当て考え込む。
「夜遅くに帰宅した弟が、女の子を背負っている。しかも、その女の子はべらぼうな美人。そこから導きだされる論理的な結論とは即ち――」
 そこまで言うと、姉さんは小さくうなずき、口の端を釣り上げる。
「――春だ。我が弟に春が来た。普段の優柔不断な態度から、どうしょうもない甲斐性なしと思っていたが、京真もやりおる」
 姉さんの脳内で、どのような推理が展開されたのかは知る由はない。
「いや、姉さん、その考えはきっと間違えているよ」
 ただ、姉さんを否定することならできる。きっと姉さんの中では超絶的に愉快な論理回路が形成されているに違いない。
「恥ずかしがる必要はない。むしろ、男として誇るがよい。明日のディナーはお赤飯だ」
 姉さんが僕に配慮しようとする気持ちはきっと冗談ではなく本物だ。だからこそ、タチが悪い。ちなみに、この人は僕が通っている高校の生徒会長だったりする。大丈夫か、うちの学校。
 なんと弁明するべきなのか、非常にむず痒い思いをしていると僕の背後から、
「ここはどこかしら? というか、なぜ生徒会長がいるの?」
 声がした。その声音は凛と鳴る鈴を連想させた。
 雅量が目を覚ましたのだ。僕は振り向く。彼女は不思議そうにきょろきょろと周囲に視線を送っていた。そして、振り向いた僕と、雅量の目が合う。
「君は確か、うちのクラスの……」
 僕の顔を凝視しながら、雅量は何かを思い出そうと眉間にシワを寄せている。
「どうかした?」
 改めて僕が訊くと雅量は、
「ごめんなさい、名前が出てこないわ。というか、アナタは私のクラスメイトだったわよね?」
 首を傾げながら、確認を取る。
「うん、まあ、そうだ。クラスメイトの種橋だよ」
 僕は無性にやるせない気持ちになった。そりゃ、僕はクラスで目立たない人間だ。けど、改めてクラスメイトかどうか確認されると傷心モードにならざるを得ない。我がクラスと直接関係ない姉は生徒会長だとすぐに認識できたのが、余計に腹立たしい。
「そうか種橋ね……。わかったわ、覚えておきましょう。ところで下してくれない? 子供でもあるまいし、いつまでもおんぶされているのは正直いい気分ではないわ」
「そうだね、ごめん」
 悪いことをしたわけでもないのに謝ってしまう僕。日本人の悪しき習慣がしっかりと身についている。
 雅量を下す。すると、
「痛ッ」
 雅量はちゃんと立つことができず、その場に右ひざをつく。
「大丈夫か?」
 僕は心配になって訊いた。
「どうということはないわ。私は鍛え方が違うから」
 雅量は言うが、彼女は苦悶の表情を浮かべていた。
「無理は良くねえよ、嬢ちゃん。休憩がてら上がってけって。お茶ぐらいは出すぜ? あと、私はこんなんでも治癒の術の心得があってね。かじる程度の技量しかねえけど、何も施術しないよりはマシだろう?」
 姉さんは快活に言ってのけるが、雅量は目を瞬かせるばかりだ。
「治癒の術……そのような専門用語を口にするということは、私が一体どのような存在なのかご存知のようですね」
 雅量の顔に警戒の色が浮かぶ。しかし姉さんは、気を悪くした風でもなく飄々と言ってのける。
「こんな真夜中に、そんな巫女装束で出歩く人種なんて簡単に限定できるさ。アンタは退魔士。そんなところだろう?」
「まさか、我が校の生徒会長が、退魔の世界に造詣がある方とは思いませんでした」
「人は見かけに寄らないものさ。よく覚えとくんだな」
 僕たち三人は今へと移動する。移動に際し僕は雅量に肩を貸した。肩を貸したとき雅量は、
「私に肩を貸すことができるのを誇りに思いなさい」
 えらく上から目線で言ってくる。
「肝に銘じておきます」
 こいつって、もしかして性格が最強に捩じれているんじゃないだろうか。
 居間に上がると、姉さんは雅量をソファに座らせる。
「京真、窓の方を向いてろ。もし、私が許可を出す前にこっちを向いたら命はないと思え」
 姉さんの忠告に、僕は素直に従う。
 姉さんはこれから雅量に治癒の術を施そうとしている。治癒の術とは文字通り、相手の怪我や患いを取り除く術である。
 治癒の術をより効率的に施そうとするならば、相手の患部に直接触れて行うのがよい。つまり、
「さて、嬢ちゃん、服を脱いでくれ」
 姉さんが指示を出す。
 僕は姉さんと雅量に背を向けているので、二人の様子はうかがい知れない。僕が向いている方向には窓があるがカーテンが掛かっているので、二人の様子がガラスに反射することもない。
 ただ、背後から雅量が脱衣する音が聞こえてくる。
 更に、
「こりゃ派手にやられたな。綺麗な身体なのに勿体ない」
 とか姉さんの言葉が聞こえる。
「生徒会長、それはセクハラ発言です」
 雅量の憮然とした声。
「生徒会長はよしてくれ。気軽に星河でいいよ」
「なら星河さん、私のことを嬢ちゃんと呼ぶのを止めて下さい。私には雅量苗木という名前があります」
「へいへい。んじゃ苗木ちゃん、いくぞ?」
 最初は軽い物言いだったが、語尾は真剣味を帯びていた。おそらくこれから施術開始だ。
「んあ……!」
 背後から雅量の呻き声が聞こえてくる。治癒の術はいわば強制的に患部を回復させる技だ。本来はゆっくりと回復させるべきものを急速に元の状態に戻そうとするのだから多少なりとも歪みや痛みは生じる。
「痛いか。でもちょっとは気持ちいいだろう?」
 姉さんは楽しそうだった。
「いや! んん! はう……」
 雅量の声が妙に艶めかしい。これでは呻き声というより喘ぎ声だ。
 振り向きたいという本能を、必死に理性で押さえる僕。落ち着け種橋京真。振り向こうものなら姉さんと雅量に血ダルマにされる。
 人生において、これほどまでに男に生まれたことを後悔したことがあっただろうか。いや、ない。
 反語表現まで使いながら、僕は心で血の涙を流した。
 十分後。
「よし、もうこっち向いていいぞ」
 姉さんから許可が下りる。僕が振り向くと、そこには雅量がソファに着席していた。きちんと巫女装束を着直しているのは言わずもがな。
 着衣には乱れすらなかった。
 少しばかり残念な気分になっていると、雅量は侮蔑混じりの表情で、
「私の喘ぎ声を頭の中でリピート再生して、不純な行為に使わないで下さいね」
 僕に釘を指してきた。その様は武道で言うなら先の先だった。
「誰がするかよ。お前自意識過剰だろ!?」
 僕は反抗するが、焦りから半分ろれつが回っていなかった。
「まあまあ、苗木ちゃん。京真も男の子だ。滾《たぎ》るリビドーを抑えられないときもあるだろうさ」
 一見すると寛容な言い方の姉だが、それでは僕に自制心がないのを前提とした言い方だ。
「そうですね。虫けらの一挙手一投足にいちゃもんをつけるのは筋違いというものですね」
 雅量の言葉は毒液の滴り。そこに慈悲など一切ない。
 流石に僕も腹が立ってきた。
「あのさあ雅量、僕は倒れてたお前を助けてやったんだ。言ってみれば恩人だ。そんな相手に、今の態度は酷くないか?」
 恩着せがましいかもしれない言い方だが、雅量の無礼さに比べたら大した問題ではないだろう。
「誰が助けてくれと言いました。大体、どういう経緯でアナタが私を助けているのですか? 私は学校の校庭で気を失ったはずなのに」
 雅量の問いに、僕は硬直する。
 今の雅量の言い方では、まるで雅量は木の化物を退治したのが誰なのか分かっていないみたいだ。
 ならば、上手く誤魔化せば僕が鬼である事実を隠せるのではなかろうか。
「夜中学校の近くを歩いていたら、学校の校庭からいきなり火の手が上がったんだよ。何事かと思って見に行ってみたらお前が気絶してたから心配になって家まで運んで来たんだよ」
「すると種橋君は制服姿で夜間徘徊していたんですか?」
 雅量の指摘に僕は『しまった』と内心舌打ちをする。
 体育倉庫に閉じ込められた状態からここまで来たものだったため、僕は現在制服姿。雅量が訝るのも無理はない。
「悪いかよ、学校帰りに家に帰らず街をぶらついてちゃ」
 苦し紛れの言い訳だ。しかし、雅量は、
「別に。アナタが夜中にどんな姿で出歩こうと私の知ったことじゃないわ。それで種橋君が補導されても私の人生と何ら関わりはないし」
 氷みたいな視線で、言いたい放題言ってくる。
「だったら問題ないだろう。僕は眠い。自室に戻らせてもらうよ」
 僕はこの話題を自分の都合の良いようにまとめるべく、僕は居間を後にしようとした。
「待ってちょうだい。アナタには一つ訊いておきたいことがあるの」
 雅量の言い方はそれまでの僕を見下したような言い方ではなかった。妙に真摯な態度だったので、若干の警戒心を抱かざるを得ない。
 僕が戸惑っていると、雅量が訊いてくる。
「アナタが私を校庭で助けたとき、うちの学校の男子制服を着た、赤い髪の人物に出会わなかったかしら?」
「い、いや。僕はそんな奴とは会ってないぞ」
 恐慌状態に陥りながらも、それを顔に出さないように努める。
「本当に? 見かけもしなかった?」
 雅量は俯きながら、改めて質問を投げてくる。
「本当だ。僕はそんな奴のことは知らない。一体、その赤い髪の人物がどうしたっていうんだ?」
 僕は思い切って訊いてみた。
 これで彼女が『そいつは鬼だから、退治しなければいけない』とか言い出そうものなら、まだ得心がいった。
 ところが、彼女は、
「その人はね、私が妖怪退治で下手を打って、危うく死にかけていたところを助けてくれた恩人なの。でも、私が見たのはその人の後ろ姿だけ。どんなお顔をしておられるかまでは分からなかった。正直、私が戦っていた妖怪との間にいきなり割って入ってきたから、私は彼の後ろ姿しか見ていないの」
 所々、『赤い髪の人物』に対し何故か敬語を交えながら説明する。彼女の敬語も気になったが、僕にとって最も重要なのは、彼女が僕の後ろ姿しか見ていないという点だ。
 それはつまり、『赤い髪の人物』に角が生えていたことに気づいていないということではなかろうか。
 これは何たる僥倖。
 内心でほくそ笑む僕に対して、雅量は続ける。
「その方が操る炎の術は圧巻の一言だったわ。月明かりの下で、化物たちを紅蓮の炎で滅する様子は、今でもありありと思いだせる」
「そっか~、強かったんだね、その人」
 雅量が『赤い髪の人物』を鬼と気付いていないことに僕はすっかり油断し切っていた。
 だけど油断大敵。次に彼女はとんでもないことを言い出した。
「だから、私は『赤い髪の人物』に恋をしたの。あの方のことを思い出しただけで、胸が締め付けられて苦しくて、でもあの方を思い出すだけでとても幸せなの」
 僕は何度も、何度も瞬きをした。そして雅量の言葉を、頭の中で咀嚼しては反芻するという作業を繰り返す。
 僕は阿呆みたいに口をぽかんと開けていたが、何か言葉を発せる状態ではなかった。
 そんな僕に代わって姉さんは、
「つまり、苗木ちゃんは『赤い髪の人物』に一目ぼれしちまったわけだ」
 身も蓋もない言い方だったが、雅量は粛と頷く。
「いやいやいや、だって顔も分からない奴に恋って! おかしくない、それ?」
 僕がつっこむと、雅量は不快そうに顔を歪める。
「その言い方だと、種橋君は顔で恋い慕う相手を選んでいるような言い方ね」
「いや、そういう意味じゃないんだけど……」
「では、どういう意味なのかしら?」
 絶対零度の視線を、『赤い髪の人物』である僕に向けてくる雅量。しかし、僕には自分が『赤い髪の人物』であるという真実は告げられない。告げられるわけがない。
 そんな険悪なムードの二人に対し、姉さんは手を打ち鳴らし、空気の改善を試みる
「はいはい、苗木ちゃん、そんなおっかない顔をしたら折角の綺麗な顔が台無しだ。ともかく、苗木ちゃんは『赤い髪の人物』に恋をした。それでいいじゃねえか」
「そうです。私の想いは本物です。そうだ! 『赤い髪の人物』という呼称は味気ないです。これからは、名前が分かるまで【紅蓮の君】と呼ぶことにしましょう」
 天啓でも授かったかのように、急に明るい顔になる雅量。
「それは素晴らしい考えだ。精々頑張るんだな」
 姉さんは一応雅量を応援するが、まるで他人事のようだ。
 困った。何だか面倒なことになってしまった。

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