巫女が恋した月下の紅蓮/第4話

【紅蓮の君】に謝りなさい


 僕が雅量を家に連れて帰った日の夜は、彼女は僕の家に泊まることになった。姉さんのベッドを借りて寝るそうだ。
 雅量の家には既に連絡は付けてある。勿論、連絡したのは姉さんだ。まさか、男である僕が『お宅の娘さんを本日我が家に泊めていいですか』と聞くわけにはいくまい。自分の娘をどこの馬の骨とも知れない男の家に泊める許可を出す親などいない。
 僕は自室のベッドで横になりながら、入眠しようと頑張る。しかし、早く寝てしまおうと力むほど眠れなくなるのはよくある話。
 眠れない理由は判然としている。雅量が気になって仕方ないのだ。
 まさか、雅量苗木が僕に恋をするとは。そりゃ、彼女は美人だ。それは認めよう。けれど、微妙に性格が悪そうなのが減点対象でもある。
 けれど、問題の焦点はそういう甘ったるいところにはない。雅量が恋をした相手は確かに僕だが、雅量自身がそれを僕だと認識していないところにある。
 雅量が恋した相手はあくまで、雅量を木の化物から守った赤い髪の男――彼女の言葉を借りれば【紅蓮の君】なのだ。
 これははっきり言って面倒臭い事態だ。
 一見して、実は僕が【紅蓮の君】でした、と曝露してしまえば話は済みそうだ。しかし、実際はそうならないだろう。
 退魔士にとって妖怪は滅すべき存在。そして、その中でも鬼は特に極悪非道な妖怪とされている。
 僕が【紅蓮の君】であると雅量に明かすということは、僕が鬼であることを明かすのと同義。
 ならば、その先に待ちうけるのは悲劇だ。鬼と退魔士は言ってみれば陰と陽。互いを相克しあうに決まっている。
 どうにか雅量が【紅蓮の君】への想いを断ち切ってくれないだろうか。それなら全てが万事解決。
 雅量が【紅蓮の君】の真の正体を知らずに、彼を探しまわるのを滑稽だと思えるほどに僕の神経は図太くない。傍から見ていて切なくなるだけだ。
 やっぱり、雅量が襲われたときに助けるべきではなかったのだと後悔する。もしも、あのとき彼女を助けさえしなければ、彼女は不毛な恋に走らずに済んだ。
 けれど、あのとき雅量を助けなかったら、きっと彼女は木の化物にやられていた。それはそれで僕は後悔していただろう。
 皮肉過ぎて笑えてくる。結局、僕はどのルートを取っても後悔するしかないではないか。
 運命の女神がいるとしたら、そいつはきっと相当な性格破綻者だ。
 そんな風に僕は一晩中、煮え切らない思考を持て余していた。
 結局、一睡もできないまま夜は明ける。窓に掛けられたカーテンが、朝日に照らされて橙色に発光する。
 時計を見ると限時刻は午前五時少し前。今から眠ったら、絶対に登校時刻に爆睡している。無駄に徹夜してしまったが仕方ない。どうせ授業には興味もないし学校で寝よう。
 僕は大きく欠伸をしてから、ベッドから降りる。少しだけ頭に靄が掛かった感じがあったので、シャワーを浴びることにした。熱いお湯を頭から浴びれば眠気と悩みも少しは吹き飛ぶだろうという算段。
 揚々と、僕は浴室に繋がる洗面所の扉を開けた。
 それはもう、何も考えずに豪快に。
 だが、そこにあったのは一糸まとわぬ雅量の姿。
 その裸体は芸術的な美しさだった。退魔士である以上、鍛錬は欠かさないのであろうその身体には無駄なぜい肉など一切ついていない。しかし、それは決して筋肉質という意味ではなく、女性の肢体特有のしなやかさが抜群に強調されている。
 とか呑気に描写している場合ではない。雅量の顔はみるみるうちに真っ赤に茹っていく。
 そして、局部を隠すように身を丸くして悲鳴を上げる。
 悲鳴は大音量。家中どころか近所中に響き渡っていても不思議ではないレベルだ。
「どうした、何があった!?」
 そんな絶叫を聞きつけて、姉さんが駆けつけてくる。
 姉さんが駆けつけてきたときには僕は雅量から視線を外すべく、彼女に対し背を向けていた。
けれど、姉さんは僕たちの置かれた状況を見て、
「まさかお風呂でバッタリイベントが現実にありうるとは……」
 かなり呑気に構えていた。
「殺す……」
 僕は背後から莫大なプレッシャーを感じ、振り返る。
 そこにはバスタオルを身体に巻いた雅量が、水の刃を構えて立っていた。
 雅量は攘夷派浪士も肝を冷やすであろうほどの人斬りの目。
 これはマズイ! 本当に殺されかねない。
 僕は伝家の宝刀ジャンピング土下座を発動。男の矜持やプライドなどという些末なことに拘っている場合ではない。
「許してくれ。わざとじゃないんだ」
 床に額をついた状態で、僕は雅量に申し開き。
「当たり前ね。わざとだったら、種島君の上半身と下半身は真っ二つに切り分けられていたでしょう」
 凍える声の雅量。言いながら僕の後頭部におみ足を載せてくる。屈辱的だ。どこかに『おい、そこを代われ』と嘆願してくるドM紳士はおられないだろうか。
「そもそも、どうして雅量が僕の家の風呂を使おうとしてるんだ?」
 雅量の僕に対する仕打ちに耐えかねた僕は、反論の糸口を探すべく問う。
「私は星河さんから許可をもらっているわよ?」
「本当か、姉さん」
 僕は平身低頭の状態のまま、視線だけを姉に滑らせる。
「本当だよ。苗木ちゃんは昨晩、【紅蓮の君】のことで頭がいっぱいで寝つけなかったんだと。だから、シャワーでも浴びたらすっきりするだろうってことで私が勧めたんだよ」
 なるほど、事情は理解できた。
 彼女も僕と同じく【紅蓮の君】の件で眠れない夜を過ごしていたわけか。
「ところで雅量、どうすれば僕はお前に足をどけてもらえるんだろうか?」
 改めて訊いてみた。
「謝りなさい」
 抑揚のない声で雅量は言う。
「謝るって、僕はすでに謝っているじゃないか?」
 すでに土下座までしてしまっている。どうすればこれ以上の陳謝の気持ちを伝えることができようか。
「違うわ。私に謝るんじゃないの。【紅蓮の君】によ」
 雅量の言葉の意味が理解できなかった。
 そんな僕の気持ちを察してか、雅量は続ける。
「私のこの身は、昨夜【紅蓮の君】に助けられてから、あのお方のものになったも同然。ならば、あのお方の所有物である私の裸体を、【紅蓮の君】の許可なく見た罪は、【紅蓮の君】にこそ陳謝すべきでしょう」
 お前、【紅蓮の君】に熱を上げすぎだ。そもそも――。
「どこにいるかわからない相手に、どうやって謝るんだ?」
 いや、本当は【紅蓮の君】が雅量の足の下にいるのはわかっているけどね。
「そうねえ、では私が再びあの方にお会いできたときに伝えるとしましょう。なので、まずは私に対し【紅蓮の君】への謝罪を述べなさい。それでこの場は手打ちとしましょう。さあ、早く!」
 雅量は僕の頭に載せた足に、さらに荷重をかけてくる。それは彼女の本気を物語っている。
「わかったよ。【紅蓮の君】さん、僕はあなたの雅量苗木さんの裸を見てしまいました。本当に申し訳ありません。許してください」
 あえて脚注を入れておこう。【紅蓮の君】とは僕のことである。つまり、今僕は自分に対して許しを乞うている。悲しさを超えて空しさの域に達するトートロジーだ。
「そう、それでいいのよ。さあ、立ってちょうだい」
 雅量は僕の頭から足を退ける。僕は彼女の指示に従って立ち上がる。
 そして次の瞬間、左頬に苛烈な痛みが走った。雅量が僕にビンタを浴びせてきたのである。
「な、お前、【紅蓮の君】に謝れば手打ちにしてくれんじゃなかったのかよ!?」
「だから、手打ちにしてあげたじゃない。文字通りに」
「今のは手打ちじゃない。平手打ちだ!」
 僕の抗議も空しく、雅量は洗面所の扉を閉める。完全に僕を拒んでいた。
 燃え滾る炎のような雅量の気性に、当の【紅蓮の君】本人は立ち尽くすしかなかった。

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