巫女が恋した月下の紅蓮/第5話

呪われた一日


 始業前の教室は賑やかなものだった。クラスの仲良し集団が、いくつかの群れを作って雑談に興じている。
 けれど、クラスでの僕は基本的に一人ぼっちだ。
 友達がいないわけではないけれど、そいつらとの付き合いは酷く表面的。朝、教室で会ったときに挨拶を交わす程度の付き合いだ。
 むむ、これだと『友達』とは言い難いか? まあ、そういう連中のことを単に『知り合い』というのも味気ないので『準友達』と言っておこう。
 僕がクラスメイトと深い付き合いをしたがらない理由は、あえて言うまでもあるまい。
 それは僕が鬼だからである。鬼である自分が、周りの人間たちとどう混じっていけばいいのかわからない。別に周りの連中は僕のことを鬼だと知ってはいないので、自分の正体など気にせずに気さくに仲間に加われなくもない。
 でも、怖いのだ。何かの拍子で封印の数珠が外れて、友達だと思っていた連中に僕の正体がばれたらと考えると、誰かと一緒にいるのは憚られる。
 自分は周りとは異質である事実は重く僕にのしかかる。僕はクラスの連中が賑やかに笑っている姿が好きだ。
 だから僕は、彼らと距離を置かなくてはならない。彼らが僕の正体を知ったとき、僕はみんなの笑顔を真っ黒に塗りつぶしてしまうのだから。
 いつもながらの無意味な思索に耽りながら、教室の隅でクラスの女子と戯れている雅量をちらりと一瞥。
 雅量の表情には、昨晩から今朝にかけて僕に見せた険しい成分は含有されていない。優雅におっとりと笑う、いかにも上品そうな女子生徒だった。教室の雅量と僕の家に来た雅量が別の人間でしたと言われても僕は驚かない。それぐらいの豹変ぶりだった。
 僕と雅量は当然ながら一緒に登校していない。そんなことをすれば、クラスで僕と雅量の関係を邪推する輩があらわれるに決まっている。
 高校生は恋に興味のあるお年頃。恋の噂は変の噂。噂には尾ひれがつき、背びれがつき、あげく胸びれまでつくのは想像に難くない。
 そこら辺の事情を考慮してか、雅量はお風呂場事件からすぐに僕の家を出た。姉さんが一緒に朝食を、と誘ったがそれも断っている。曰く、一端家に帰って学校制服に着替えないといけないからとか。
 食事のお断り方としては、まっとうな理由だ。結局、雅量が帰ってからの種橋家はいつもの朝の風景だった。
 雅量のいない家は、それはそれはくつろげる空間だった。雅量は顔は良いが、一緒にいて落ち着けるタイプの人間ではない。
 僕は悟ったような境地に達してみる。しかし、僕の周囲の男子たちはひそやかに語らい合う。
「雅量さん、今日もメチャクチャ綺麗だよなあ。やっぱ彼氏とかいんのかな?」
「いや、俺はそんな噂聞いたことはないぜ? いたら絶対に噂になってるだろうし」
「もし雅量さんに恋い慕われる奴がいたら、そいつは度し難くリア充だよな」
 クラス一の高嶺の花を、遠巻きに見ながら、遊び人風の男子一団が口々に言う。
 雅量が恋い慕う相手か。
 僕はニヒルに笑わざるを得なかった。実際、そんな奴は存在する。そいつは雅量に【紅蓮の君】と呼ばれる謎の男。
 しかしてその正体は僕だ。でも僕は、それを幸福とは思えない。むしろ、雅量が僕を【紅蓮の君】であると気付かないことを祈るばかりだ。
 まだ登校して三十分と経っていないのに、雅量がいるだけで気疲れが半端なものではない。RPGで言うなら何もしていないのにMPが削られるようなもの。明らかにステータス異常である。
 というか眠い。そういえば、僕は昨日一睡もできていない。それも疲れの原因の一端だろう。
 眠いときの最善の対処法とは、睡魔に平伏して夢の世界に落ちてしまうことだ。要するに眠いなら寝ろという話。
 僕は机に突っ伏しって、一限目が始まる前から意識の電源を落とそうと試みる。
「ねえ京真、ちょっといいかしら?」
 しかし、僕の慎ましやかな願望は、いきなり掛けられた声に摘み取られる。シャットダウン中に電源スイッチを弄るのはマナー違反だ。
 僕は自分を呼ぶ声に不快感を抱いたが、嫌そうな顔をしないように努めた。なにせ、僕は学校での立場が弱いからね。というか人間関係は基本的に八方美人で通したい。
「舞阪さん、何か用?」
 頭を机から上げた僕の視線に入ってきたのは女子生徒の姿。金髪のツインテールと碧の瞳が窓からの光を浴びて煌めいていた。
「あら、アタシのことは気軽にジョセって呼んで欲しいわね」
 僕の目の前の金髪碧眼少女、舞阪ジョセは快活な笑みと共に言ってきた。彼女は僕のクラスメイトであり、僕と同じ図書委員に属する間柄だ。逆を言うと、それぐらいしか接点はない。
 ちなみに彼女のやたらに輝かしい髪と瞳の色は彼女がハーフだからだそうだ。これについては、学年初めのクラスの自己紹介で彼女自身が言っていたことだ。
「では、言いなおそう、ジョセ。眠いから寝させて」
 嘆願する僕に対し、ジョセは底意地の悪い笑顔を浮かべる。
「眠れなかった理由は、いわゆる『昨日はお楽しみでしたね』ってやつかしら」
 平気で下ネタを飛ばしてくるが僕は怯まない。彼女がオープンな性格なのは委員会での仕事で一緒になったときから知っている。
「一体彼女もいない僕が、誰とお楽しみになれっていうんだ?」
 僕は半眼で尋ねる。半眼なのは呆れからというよりは、眠いからだ。早くこの下らない冗談の応酬から抜け出して、夢の中へ行ってみたい。
「ふふふ、隠そうったて無駄なのよ。そう、私はしっかとこの目で見たんだから」
「何を?」
 僕の瞼は半眼どころか、四分の三は閉じていた。
 かすれゆく視界の中で、ジョセがとある方向を指さしていた。ジョセが指さす方向にいたのは……。
「京真の家から朝早く、雅量さんが出てくるのを私は目撃したのよ!」
 ジョセの宣告に、もはや八分の七は閉じていたであろう僕の瞼は完全に開眼した。
 僕は驚きのあまり何も言えなかった。雅量も閉口しながら激しく瞬きを繰り返すばかりだ。
 ざわ……ざわ……
    ざわ……ざわ……
  ざわ……ざわ……
 教室の空気が、どこかの博打漫画のごとく波打つ。クラスメイトの視線は一斉に僕と雅量に向けられていた。
 クラスメイト、特に男子が僕を取り囲む。それぞれの瞳は剣呑なぎらつきを有していた。ちょっとでも僕が下手なことを喋ろうものなら、彼らは暴徒と化すだろう。
「さて京真、何か申し開きはある?」
 ジョセは机を挟んだ向こう側に、対面する形で座る。まるで取調官と容疑者のような有様だ。
「待ってくれ。僕は雅量に何もしていない。本当だ!」
 容疑者・種橋京真は、取調官に無実を主張。対するジョセはうろんそうな眼差し。
「では、京真は雅量さんに対し、やましいことはないと。例えば、雅量さんの一糸まとわぬあられもない姿も見ていないと?」
 強い口調で詰問してくるジョセ。
 僕は『当然だ』と言おうとして言葉に詰まった。
 そういや、僕、雅量の全裸姿を見ていたっけ。
 けれど、事実を頭の中で一周させたのは単なる馬鹿正直だった。
「なるほど、見たのね?」
 数秒の沈黙をジョセは肯定と解釈。
「そ、それは……」
 この点は真実なので弁明しようがない。今更否定しても、誰も信じてくれないだろう。
「ベッドに押し倒した雅量さんの素肌は、さぞ見物だったでしょうね」
「それは間違いだ、ジョセ。僕が雅量の裸を見たのは脱衣所だ」
 この言い方では雅量の裸を見た件については自供したようなもの。しかし、何かを失っても守らなければならない一線がある。
 なのに、ジョセはしたり顔で言いやがるのだ。
「脱衣所で見たということは、すなわちお風呂で行為に及んだということね? 中々にハードな営みじゃないの」
 駄目だ、こいつ。脳細胞がピンク色すぎる。
 僕は周囲の男連中の邪視に串刺しにされながら、逆転無罪の糸口を探す。いや、逆転させずとも、そもそも無罪なんだが。
「ちょっといいかしら? 私も話に混ぜて欲しいわ」
 僕が鬼の取り調べを受けている中、雅量がやってくる。
「そうね、こういう話は両方の当事者から聞くべきね。発言を許可するわ」
「ありがとう。ではまず正さなければいけない誤解から。私が種橋君の家に行ったのは、お姉さんの星河さんに用があったからよ」
 もちろん、雅量の言は嘘だ。しかし、妖怪に負けて倒れていたところを僕に助けられたという真実を告げるよりは真実味を帯びている。
「どんな用だったのかしら?」
「それは秘密よ。ただ生徒会絡みの話だったとだけいっておきましょう」
「ふむ。確かに京真のお姉さんは生徒会長だものね。でも、どうしてそれで、京真が雅量さんの裸を見るなんて事態に発展するのかしら?」
「それは不幸な事故よ。私が脱衣所にいるのに気付かずに、種橋君が扉を開けてしまったというだけ。勿論私は驚いたけど、種橋君本人は深く反省しているようだから、私は許したわ」
 そうだな。土下座した相手の足を踏みつけて、あげく平手打までしておいて『でも、許していない』だったら酷すぎる話だ。
「じゃあ、京真と雅量さんは、そういう間柄ではない、と?」
 つまらなそうにジョセは言う。女はコイバナに目がないというが、ジョセは突出しすぎだ。
「ええ。私は種橋君みたいな、ひ弱な男性はタイプじゃないわ。それに私にはちゃんと思い人がいます。もっとも片思いなんだけどね」
 この発言に男子一同は再度ざわめき立つ。
 クラス一の美少女に片思いの相手がいるとなれば、みんな気になるだろう。
「へえ、どんな人?」
 ジョセが訊いた。それはきっと男子一同が訊きたがっていたことであろう。もっとも、僕は訊く必要がないが。
「それは教えられないわ。とりあえず【紅蓮の君】と呼んでおいてちょうだい」
「おお! 凄く強そうな渾名ね。じゃあ、種橋君は本当に関係ないんだ」
「全くありません。それに種橋君みたいな男子が、女性経験アリだと思う?」
 僕に微笑んでみせる雅量だったが、その目は完全に僕を小馬鹿にしていた。しかしながら、僕には反論の余地がない。
 クラスメイトもみんなして、
「そりゃそうだ」
「だよねえ」
「頑張れ京真。人生は始まったばかりだ」
 とか憐みの言葉を述べてくる。
 僕は誓った。絶対、雅量を【紅蓮の君】とやらに再会させてやらない、と。

   ◆

 今日も今日とて僕は委員会の仕事で遅くなった。
 僕が所属しているのは図書委員会だ。今週と来週にかけて学校では読書習慣を実施している。必然、放課後に図書室を使用する生徒が増えるため、その手伝いとして僕は派遣されている。
 僕の当番は昨日だけだった。にもかかわらず、今日も仕事をしているのはジョセのせいだ。昨日は本来、僕とジョセの二人で当番をするはずだったのに、ジョセはサボって帰宅。自然、今日こそはジョセが図書委員の仕事をするのが道理だが、本日もまたジョセは逃亡。その旨を律儀に担当の先生に伝えに行ったら、何故か僕がキレられた。そして、ジョセの分まで今日も働けと先生はほざく。
 授業中に少し申し訳程度の睡眠を取っただけの僕には反論する気力すらなく、結局、下校時刻までキリキリと働かされた。小林多喜二の著した『蟹工船』にてカムサッカ体操をさせられた労働者たちも、僕と同じ気持ちだったに違いない。
 今日一日は散々だった。
 朝っぱらから雅量に頭を踏みつけられたことに始まり、登校したらジョセのピンク発言の嵐に巻き込まれた。そのせいでクラスで『チェリー君』と揶揄される。授業中は何とか睡眠時間を確保できたが、休み時間になるとクラスの未経験者たちが何故か僕にフレンドリーに接してきて睡眠は寸断される。
 昨日、鬼の姿に戻ってからというもの、僕は呪われている。
 早く帰ろう。帰って寝てしまおう。
 僕は朦朧とする足取りで、学校玄関までの道のりを歩く。
 半ば蛇行した状態で歩いていると、僕は背後から激しい衝撃を加えられて転倒。無様に床に転げ回る。
 何事かと、立ちあがり振り返ると、
「よお種橋君。今日もちょっとツラ貸してくんねえかなあ?」
 そこにいたのは下品な笑顔を嫌みに浮かべる男子生徒たち。昨日僕を体育倉庫に閉じ込めた、緒川と不愉快な仲間たちだった。

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