巫女が恋した月下の紅蓮/第6話

鬼が嗤う


 本日の僕の連行先は体育館の裏。放課後の体育館は恋の告白イベントのメッカじゃないのかとか文句の一つも言いたくなる。
 空は薄墨を垂らしたような闇に支配されている。今日の夜空は雲が多く、月は無粋な群雲に隠されている。月明かりの残光が、ぼんやりと不気味に雲の粒子の隙間からこぼれだすばかり。
 一言でまとめてしまえば憂鬱な空模様。テンションの上がる要素が一かけらもない。
 地上の風景はもっと憂鬱だ。緒川と、彼の取り巻きである四人の仲間たちが僕を取り囲んでいる。
「精々足掻け」
 獰猛な笑みを張り付けた緒川の宣告と共に、僕への蹂躙が開始される。
 複数人で殴り掛かられたら、封印のせいで何の変哲もない人間と変わりない僕にはなす術はない。烈風に錐もみにさるように、僕はただ殴るけるの暴力にさらされるしかない。
 ものの一分と経たず、僕は地面に臥すハメになる。
「おいおい種橋よお、もっと気張れよ。じゃないと面白くないだろう?」
 僕の髪を掴んで、無理やり顔を上げさせる緒川。彼は心底不愉快そうに要求を述べてくるが、無茶をいうなって話だ。
 僕は封印の数珠をした状態では、どうしょうもなく弱い。本当は誰とも争いなんてしたくないんだ。なのにどうして緒川たちは僕に突っかかってくるんだ。
「今日も姉さんへの報復か?」
 口の中は既に切れていて、喋るだけで痛む。それでも僕は問う。
「確かに生徒会長はウゼエけど、今日はそれだけじゃねえよ。雅量だよ。お前、雅量苗木と寝たんだってな」
「は?」
 般若の形相で睨めつけてくる緒川だったが、僕は惚けた声を上げることしかできない。
「しらばっくれるんじゃねえよ。既に学年中で噂になってるんだぜ?」
 緒川は真実のように語るが、僕は眉を潜めざるをえない。
 今日の朝、ジョセを基点に始まった噂は、雅量の弁明により誤解であると明らかになったはずだ。にもかかわらず、曲解された噂が広がっているとは。
 きっと、クラスの誰かが他クラスの奴に話した真実が、伝達過程で歪曲していったに違いない。
 人は噂話を喧伝するとき、よりシンプルかつショッキングな形でまとめようとする生き物だ。
 たとえば『雅量苗木が種橋京真と関係を持ったという話が出て大変だった』という情報が伝達される過程を考えてみよう。この場合、シンプルかつショッキングにまとめようとすると『雅量苗木が種橋京真と関係を持った』という前半分だけが強調されて、残りの後半部分は切り捨てられる可能性がありうる。
 おそらく、僕のクラスメイトが発信した噂が、緒川に届くまでに、今の説明のように変質したのではないか、と僕は推測する。
「お前みたいな奴に、雅量はもったいないよなあ。ああ、もったいない。もったいない。もったいない!」
 呪詛のように呟きながら、何度も何度も緒川は僕を蹴りあげる。そんなに『もったいない』と連呼したいなら、ノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイさんと環境保護活動を行ってくれ。
 どうして僕が他人のせいでいわれもない暴力を受けなけらばならないんだ。しかも、その原因は雅量ときた。例えば雅量が僕の恋人だったりしたなら、まだ少しは納得がいく。けれど、真実はその逆。雅量は種橋京真という人間を嫌っている。どうして、僕を嫌う人間のせいで、僕は疾風怒濤の暴力にさらされなければならないのか。考えてみればこれほど理不尽な話はない。
 けれど、緒川には何を言っても無駄だろう。むしろ、言えば言うほど火に油を注ぐ危険性がある。
 もはや、僕に打つ手はない。それに精神の方も限界に達していた。ありていに言って、意識が飛びそうだった。むしろ、意識が飛んでしまった方が楽かもしれない。
 そんな負け犬根性が頭をもたげたときだった。緒川が一端攻撃の手を緩める。そして、
「そういえばさあ、お前って毎回腕に数珠をしてるけど、それって何なの?」
 僕の髪を掴んだまま訊いてくる。
「こ、これは……」
 言い訳に困った。普段なら『祖父の形見』とか『宗教上の理由で』とか言って周りを誤魔化している。しかし、今の緒川は僕への蹂躙しか考えていない。平然と人のケータイを奪う奴だ。そんな、理由を言ったら最後、僕への辱めとして数珠を奪うなり引きちぎるなりするだろう。
 それはすなわち、僕が鬼であるのをこいつらに露見することになる。
 そうなったら最後、僕は口封じのために――
 こいつらを殺すしかなくなる。
 緒川たちを灰塵へと変える自分の姿を想像して、背筋に悪寒と快感が走る。
 それは、さぞ楽しいだろうな。今まで散々僕を弄んでくれた、憎き怨敵を、人の身では足許にも及ばない力で踏みつぶす。
 やばい。考えただけで愉しくなってくる。
 僕の中の鬼が嗤う。脆弱な人間など八つ裂きにしてしまえと。
「数珠なんて、古くてダサイよなあ。だからお前は垢抜けないんだよ。よし、だったら俺がお前のファッション革命をしてやろう」
 余裕の笑みを浮かべながら緒川は、数珠に手を伸ばす。しかし、それは緒川自身の命を縮めることに他ならない。
 緒川に数珠を外されてしまったら仕方がない。不可抗力だ。
 不可抗力なら、なおのこと仕方がない。僕はこいつらを殺さなくてはならない。
 今まさに紅蓮の鬼が顕現しようとしていた。
 ところがだ。あと一歩のところで邪魔が入った。
「やめなさい。虫けらを痛ぶって楽しんでいいのは小学生男子までよ」
 そう言ったのは雅量苗木。彼女は血も凍るような視線で僕らを突き刺していた。
 だが、現れたのは雅量一人ではなかった。
「お前たち、無傷でここから逃げられると思うなよ? 私の家族に手を出した罪は、その身を以ってあがなってもらう」
 僕の姉さん、種橋星河がそこにいた。その顔に張り付いていたのは緒川たちよりなお獰猛な、まるで獲物を前にした肉食獣の狂喜だった。
「キル・ゼム・オール!」
 姉さんの宣言と共に、狂気の宴の幕は切って落とされる。
 姉さんがまず地を蹴って緒川軍団に切り込んでいく。
 姉さんの挙動はとにかく速い。傍から見たら真正面から突っ込んでいるだけかもしれない。しかし、戦いにおいて速さは大きな武器となる。
 瞬速から繰りだされる拳は、緒川軍団の一人の顔面をまず打ちすえる。生徒会長のクセに『顔はやばいよ、ボディやんな』という格言を知らないらしい。
 姉さんに顔面を強打された生徒はそれだけで撃沈。何度殴られても気絶できなかった僕からすれば打たれ弱いと評価せざるを得ない。
 一方で、緒川軍団もつっ立っているだけではない。残った緒川の手下のうちの二人は、襲いくる姉さんを迎撃しようと果敢に打撃や蹴りを繰り出していく。しかし、姉さんはそれらの攻撃を的確にいなしていく。そして、相手の攻撃により生じた隙を利用して、掌底やら回し蹴りを浴びせる。
 一方、緒川と残った手下の一人は雅量に狙いを定める。緒川たちは卑怯にも雅量の前後に立ちふさがり挟みうちする形になる。ちなみに雅量の前方に立っているのが緒川だ。
「へへへ、安心しな。その綺麗な顔は傷つけねえよ。顔はな」
 ねっとりとした言い回しで緒川は言う。
「そうですか。ですが、私はあなたの慰み者になるつもりは毛頭ありません」
 雅量は睨みかえすでもなく、嫣然と微笑みながら返す。
 だが、その反応は呑気すぎだ。後ろにいた緒川の手下が、緒川と会話する雅量に襲いかかる。礼のない襲撃だが、しかし相手の油断を利用するのは戦術としては全うであるともいえる。
 あわや雅量が、緒川の手下の手にかかるかと僕は肝を冷やした。しかし、それは杞憂だった。
 まるで背中に目がついているかのように、雅量は背後から襲い来る悪漢をひらりと回避。
「アナタ、ギラギラした気配が大きすぎるわ」
 雅量は回避と同時に、緒川の手下の腕を掴み、彼の突進の勢いを利用して投げ飛ばす。飛距離にして三メートルほど。投げ飛ばされた緒川の手下の落下地点には緒川がいた。
 自分の手下を投擲された緒川は、虚をつかれて回避できずに手下の突撃を食らうはめになる。
 緒川はヒキガエルが潰されたような呻き声をあげてダウン。
 勝負はあっという間に決した。おそらく三分も経っていないのではないのだろうか。孫子曰く『兵は拙速を貴ぶ』という。要するに戦いは下手でも良いから早く決着をつけろということだ。しかし、彼女たちの戦いは『拙』速というよりは『巧』速。技量、スピード共に非の打ちどころがない戦いぶりだった。
「お、覚えてやがれ!」
 緒川は三流悪役のテンプレートな捨て台詞を残して逃亡。緒川は一人でそそくさと逃げていったが、手下たちは最初に姉さんに顔面を殴られ沈んだ手下を担いでの退却。将たる緒川よりも、よっぽど仲間への配慮がなっていた。
 戦いは終わり、僕は緒川たちから解放されたが、まだ胸をなで下ろすわけにはいかない。
「さて、京真。申し開きはあるか?」
 姉さんが背後に業々たる炎を背負って僕を睥睨。
「えっと、そもそも姉さんと雅量が、どうしてここにいるの?」
 質問に質問で返すのは死亡フラグな気もするが、姉さんへの恐れから僕は話をはぐらかそうと必死だ。
「お前がガラの悪そうな連中に体育館裏に連れていかれたというタレコミが私の元にあってな。それで来てみたらこれだ」
「じゃあ、どうして雅量は?」
「彼女は昨日の治癒の術の礼がしたいと、生徒会の仕事を手伝ってくれていたのだ。その流れでお前の救助に協力してくれたのだ」
 それなら納得はいく。しかし――
「なあ雅量、治癒の術を掛けた姉さんに礼をしたいというのはわかる。けど、倒れていたお前をわざわざ家に連れ帰った僕との待遇が違いすぎないか?」
 話題を緒川に襲撃されたことからもっと逸らす意味も込めて雅量に訊いた。
「あら、だから種橋君を助けに来てあげたんじゃない。これで貸し借りはなしよ」
「なるほど。……ありがとう」
 刺々しい雅量の物言いに不服さを感じずにはいられなかったが、助けられたのは事実なので僕はお礼を言った。
「お礼なんて要らないわ。私はアナタへのバランスシートを清算するために来ただけだもの。ところで種橋君はどうしてさっきの連中にボコボコにされていたのかしら?」
 せっかく逸らした話を雅量は蒸し返す。畜生、こいつ絶対にわざとやってるだろ?
「言え京真。さもなくば、お前だけ今日のディナーでお赤飯は抜きだ」
「炊いちゃったんだね、お赤飯」
「私は有言実行の女だからな。今朝登校する前に炊飯器のタイマーはセットしてある」
「そうだったんだ」
 さすが生徒会長。私生活も手際がいい。
 別に赤飯はどうでもいいが、しかし拒否できる空気でもない。仕方なく僕は、今まで姉さん絡みの件で何度も緒川たちに因縁をつけられてきたことを曝露した。

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